パワーリフティング夏の全国大会
大変恥ずかしい話しですが、正直、前に書いた時、パワーリフティングの競技順序に大きな間違いをしておりました。今回の改編で初めて気付き、正しい順序に書き直しています。選手の皆さんは、日頃の鍛錬の成果をこの時に懸けています。自分の身に付けた力を信じて、いざ勝負なのです。
僕が野球部の敗退を知ったのは、その試合の翌日のことだ。自分の夏の全国大会まで後数日に迫った毎朝のトレーニング。僕はパワーリフティングのことで一杯だった。だから、野球部のことを考える余裕などなく、ただひたすら記録を伸ばすことを考え、目一杯トレーニングした後は、家での休息に努めていた。筋力を最大限上げるには、やるばかりではなく、休息を挟むことが重要だと思ったからだ。そんな訳で、何も知らないで登校していた。
「昨日の試合は酷かったな。」春樹が云って来た。
「昨日の試合って、何の?」
「野球部だよ。」
「あー、そう云えば今日あたり決勝じゃなかったっけ。」
「何だ、優馬は知らないのか?」
「負けたのか?」
「あ、何々?野球部って、負けたの?」真奈美さんも知らないらしい。
「えぇ、真奈まで?おまえら、練習終わってから何してたんだよ?」
「何って、家で休養してるんだけど悪いか?」
「私は、何かと忙しいのよ。」
「本当かよ、2人してさ。」
「変なこと云わないでよ。私はね、園香達と違ってこそこそ付き合ったりしないのよ。」
「何、何のことかさっぱり分からん。前島さんが誰と付き合ってるって?」厳密に云えば、僕は知らない訳はなかった。確かに以前、春樹に教えてもらっていたにはいたが、それは憶測に過ぎないこともあって、普段それらしいそぶりもない2人からは交際のイメージはとっくに消え、とうに忘れていたんだ。
「まあ、園香が誰と付き合ってても、私は私、みんな仲間に違いないけどね。」
「何?私がどうかした?」当の前島さんまで話しに加わって来た。
「園香は昨日の試合知ってるだろう?」
「うん、国島君のエラーで負けたんでしょ。」
「えー、そうなの。」
「打つ方もさっぱりで三振かゲッツーばかり、守ってはエラーの連続で、舞沢さんの足を引っ張りまくって、逆転サヨナラ負けだよ。ざまねえよな。」
「それ、本当なのか?」
「ねえ、ゲッツーって何?」
「ダブルプレーのことだよ。まじ信じられねえほど酷かったな。」
「可哀そうだったよね。試合終わってからずっと泣いてたよ。」正直複雑な気分だった。野球部や直人には負けたくないと思ってやって来たのもあるからだ。
「そうかあ、でも私達は私達だよ。誰がどうでも、自分達のやるべきことやればいいんじゃないかな。」さすが真奈美さんだ。彼女の云う通りだ。結局僕は大会まで、真奈美さんのことと、パワーリフティングのことばかりを考えていた。
そして、7月30日大宮武道館。目標はズバリ、2年生の中ではトップを取ることと、表彰台だ。全国からの猛者達も迎え、緊張しまくっていた。真奈美さんも、世界の前哨戦となるこの大会に、僕同様緊張してる様子だ。腰は治っていたみたいだが、療養期間のブランクで練習不足が懸念され、滝先生に棄権を打診されるも、「出ます。」の一点張りに、並々ならぬ意気込みを感じた。試合は、僕より真奈美さんが先だった。この時真奈美さんの最大のライバルは、京都酪農高校の竹宮しずかになっていた。しずかは、真奈美さんと同じ2年生で、成長著しく、来年に向けても強敵となることは確実だった。
「負けないよ。相手が誰でも負けないよ。」あんなに爽やかだった真奈美さんは、いつしか負けん気の強さばかりが前面に出る様になっていた。
スクワットの第1試技真奈美さんは大事をとって90キロ、しずかは95キロで挑んだ。まずは90キロの真奈美さんだ。
「真奈美さん、頑張って!」思わず叫んでしまった。それに反応して、真奈美さんはこっちを見て、厳しい顔のまま頷いた。そして、視線をまっすぐ前に向け90キロに挑み、そのままの視線で屈み、挙げた。その顔には笑顔はなかった。見てるこっちも手に汗を握っていた。続いてしずかの95キロだ。普段は人の試技を見ないようにして、自分は自分と云っている真奈美さんなのに、しずかのこの試技をまじまじと見ていた。その彼女の瞳に映ったのは、しずかの末恐ろしい姿だった。しずかは95キロをかなり余裕持って挙げていたのだ。そして、白旗を得て不敵な笑みを浮かべるしずかに対して、みるみる顔が険しくなっていった。闘志をストレートに表す真奈美さんだったが、ここまでの険しい顔は初めて見た。次の第2試技、真奈美さんは100キロ。腰に配慮して抑えてるようだ。対するしずかは一気に110キロに上げてきた。きっとプレッシャーがあったと思うけど、真奈美さんは自分に集中して、確実に100キロを挙げた。そのすぐ後、しずかはこれまたお構いなしに110キロをあっさり挙げた。更に第3試技、真奈美さんは110キロ、しずかは120キロで挑んだ。結果は真奈美さん挙げ切れず失敗で、しずかは何とこれもクリアした。この時点で、20キロのビハインドという劣勢だ。真奈美さんは唇を噛んで俯いていた。そんな彼女に、僕は何一つ声をかけることすら出来なかった。
続くベンチプレスは、真奈美さんの苦手種目だ。でも、その苦手を克服するのに真奈美さんは必死で努力していたし、腰を痛めてからは唯一ベンチに集中するようになっていたから、前よりかなりパワーアップしてるはずだ。しかし、無情にもベンチプレスはしずかの得意種目で、いきなり60キロで挑んで来るようだ。それに対して真奈美さんは50キロ。真奈美さんが難なく挙げたのはいいが、しずかはその10キロ上をあっさり挙げたのだ。向こうの第2試技は65キロ、こっちは思い切って60キロと差を詰めにいった。それが仇となり、真奈美さんは失敗した。しかも、しずかの方は挙げ切ってしまった。第3試技で再度60キロに挑んだ真奈美さんは踏ん張って、何とかそれをクリアした。そして、70キロに上げてきたしずかは失敗して、結局65キロ止まりで、差を何とか5キロで食い止めることが出来た。この時点で、しずかはトータル185キロ、真奈美さんは160キロと、25キロのビハインドだ。聞くところでは、しずかは続くデッドリフトが苦手で、逆に真奈美さんはデッドが得意種目だ。問題は腰を痛めた影響だと思われた。真奈美さんは相変わらず険しい表情のまま、デッドリフトの舞台へと向かった。
デッドリフトの第1試技、しずかは100キロ、真奈美さんは110キロでのスタートだ。期待出来るのは、しずかは本当にデッドが大嫌いみたいで、100キロを挙げてる姿に余裕は感じられなかった。それに対して真奈美さんは110キロをかなりの余裕で楽々挙げていた。腰痛の影響はないみたいだ。これで15キロ差に縮んだ。続く第2試技は、しずかは110キロ、真奈美さんは120キロでの挑戦だ。それをしずかは、何と赤旗で終わり、真奈美さんはこれも難なくクリアした。いよいよ5キロ差まで追い上げて来た。当然、しずかは再度110キロで来るはずだ。もしそれを挙げたとするとトータル295キロになる。それを上回るには、135キロ超を挙げなければならない。これは腰痛のブランクのある真奈美さんにとって大きな冒険になる。仮にしずかが110キロを挙げられないままだとすると、トータル285キロとなり、真奈美さんは127.5キロを挙げれば勝てる計算になる。この時点で他の選手との差は30キロ以上開いていて、優勝争いはこの2人に絞られていた。果した、真奈美さんが選んだ結論は、世界大会に向けて無理はしないこと。つまり127.5キロで、棚ぼたの逆転優勝を狙うということだった。しかし、それは真奈美さんの最後の試技を待たずに、見事打ち砕かれたのだ。しずかも相当に意地があるみたいで、最後の力を振り絞るかのように110キロを挙げて、逃げ切りを決めてしまった。真奈美さんも気落ちするのを抑えて、最後まで気合いを抜かず、127.5キロを挙げた。結果は、竹宮しずかトータル295キロで第1位。真奈美さんは惜しくも、トータル287.5キロで2位に終わった。それにしても対照的だったのは、2人の試合後の表情だ。まさに、「勝てて、ほんまに嬉しいわ。」と関西弁で云わんばかりの満面の笑みを浮かべるしずかに対して、真奈美さんは泣き崩れ、目を真っ赤にしてしばらく泣き続けていたみたいだ。それを見て僕も思わずもらい泣きしてしまいそうだったが、泣いてる場合じゃない。今度はいよいよ僕自身の出番が迫っていた。
参加人数28人の男子59KG級の開始だ。ここまで残した記録で僕は総合4位の位置にいた。2年生だけに絞れば2位だ。目標は同学年1位で、総合3位以内だった。他に取り柄のない僕だから、その分、パワーリフティングだけは誰にも負けたくない。その気持ちで、来る日も来る日も精一杯打ち込んで来た。その成果は必ず出したい!いや、必ず出す!そんな強い気持ちで挑んだ得意のスクワット。僕はいきなり150キロを挙げてみせ、その身に付けた力を見せつけた。そして続く第2試技で160キロ、第3試技では渾身の力で170キロをクリアした。本当に僕はスクワットが大好きだ。体重の割に凄く太くて筋肉で引き締まった腿が自慢だ。そして、ここまでで、2位との差が僅か5キロの3位だ。もちろん、2年生の中では1位だった。
続くベンチプレスは80キロでスタートした。第1試技でそれを挙げ、第2試技を90キロにしてみた。しかし、それは失敗し、第3試技では気合いを入れ直して90キロをクリアし、トータルを260キロまで持ってきた。依然3位をキープしていた。同学年のライバルは浦和第一高校の辻洋一だったが、彼には10キロリードしていた。
そして、迎えたデッドリフト。僕と洋一のデータ上の差はない五分だった。やってみないと全く分からないという展開だ。その第1試技、僕は160キロで挑み、洋一は165キロできた。もちろん、共にあっさりクリアだった。第2試技、僕は170キロで行くことにし、洋一は一気に追いつこうと、180キロで仕掛けてきた。ここでの明暗はすぐ勝敗に繋がっていきそうなので、凄く緊張したが、170キロをどうにか成功した。ここで洋一が失敗ならば凄く優位に立てたんだが、相手もやるもんで、180キロを必死で挙げて、あっさり追いつかれた。さて困った。デッドの自己記録は172.5キロで、さっきの170キロも限界近い全力だったから、あまり重くすると無理だ。かといって向こうが180キロを超える第3試技で挙げた場合、それに対抗してある程度挙げておかなければ、3位の座を持って行かれる。結局僕はぎりぎりの選択で175キロ、洋一は187.5キロで勝負を懸けてきたんだ。さあ、運命の第3試技は僕からだ。僕が挙げても、向こうに挙げられてしまえば表彰台は向こうになってしまうが、洋一だって勝負を意識して無理してるはずだ。180キロが洋一の限界に近いと見た僕の眼力も試される。兎に角まずは全力で挙げるだけだった。練習でも挑んだことのない重量に僕は渾身の力で挑み、もがき、粘り、それは本当のぎりぎりで挙げた。白旗を見て、ついガッツポーズをしてしまった。本音挙がると思ってなかった。全力を出し切って、もうふらふらだった。後はもう、なるようになれと思って見ていた。その目の前で、洋一が187.5キロを失敗して、僕の表彰台が決まった。目標にはしてたが、本当にこんなに早く実現出来るなんて夢の様だった。結局1位と2位は揺るがず、僕は3位の銅メダル獲得だ。トータルは435キロと、自分でもまさかの出来過ぎだった。
今回は、2度目のパワーリフティング試合風景実況とさせて頂きました。競技の性質上、重量という数字が勝負の全ての感じですが、その裏には強靭な筋力を作る為の並々ならぬトレーニングが必要です。トレーニングをしていない人には、到底持つことの不可能な重量です。日頃の苦しい鍛錬を耐え抜いた者にのみ、栄冠はあるものと思います。お付き合い頂き、ありがとうございました。尚、この物語はフィクションであり、実在の個人及び団体等とは一切関係ありません。




