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 他サイトにも重複投稿。


 頭に銃口を突きつけて、密着させて引き金を引くとどうなるか、解るか? 知らないだろう、そうだろうそうだろう。 試してみるとイイ、サカった撃鉄が雷管ひっぱたいて、薬莢内部の火薬にとびきりステキなキスだ。 そうしたら嬉しくて弾頭が飛び出て、クラッカーみたいな音と、焦げたパイみたいな穴で嬉し恥ずかしパーティーだ。 そりゃあもう楽しいのなんのって――

 人は思うほど不幸ではない。同じく、人は思うほど幸福ではない。

 その言葉が自戒のために、自尊のために存在するというのは理解できる。けれど、他人を見て不幸だと思う事も、他人を見て幸福だと思うことも、そのいずれもその言葉に当てはまらないのだろうか。

 他人の幸福は思うほど幸福ではないし、他人の不幸は思うほど不幸ではないのだろうか。


 どんぶりの底を舐めるタヌキをどういう顔をして眺めて良いのか解らなくなった。ふて腐れたように寝ている弓張は壁の方を向いて寝ている。アイスの事もあるのだろう。

 全く役に立たない。村山は灰色の机に突っ伏すことはとうに止めていた。いたたまれなくなったという事と、そもそも人の話を聞こうというのに失礼な態度ではいけないと思ったからだ。

 まるでどんぶりの底に憎い相手でも居るのだろうかと思うほど、滝川は空になったどんぶりの底をスプーンで小突いていた。それが何の役にも立たなかった自分への当てつけだと思い当たったのは、同じように無力だった村山だけだろう。鬼の首は取れなかったものの、確実に成果を上げたのは弓張と、タヌキの方だった。

 今日あったことを聞いて、村山はなんと声をかけていいものかと、視線を彷徨わせて言葉を探した。目につくのは使用されていない書類棚と、灰色の机。背後にあるソファーには寝ているであろう弓張の息づかいが聞こえるだけ。

 村山が何もない場所から見つけ出したのは、一つだけだった。

「何も出来ない自分より、滝川警部は十分役に立ってますよ。自分がこの係に居ることの方が訳が解らないんですから」

 卑下したところで何一つ好転する訳ではない。

 消え入る様な声が、ただ聞こえた。

「望む事と、羨むことは違うんだよ」


 問題は一つだ。公園で出会った少年を助けること。ただその一点だけだ。与えられたのはその仕事、期待されたのは結果。報告すべき相手の居ない係。ただ口頭で直属の上司に結果さえ伝えればそれで万事が解決したと見なされる。

 明くる日の朝、近くの独身寮から自転車で出勤する村山は考えるのは止めた。バス通りなどは通ることはなく、ただ細い路地裏のような道を自転車で駆ける。

 八月の暑さは毎日の出勤時に体力を削る。近いとは言っても自転車で六分ほどの距離だ。なるべくなら深緑の木々が作る陰の下を走りたいのだが、自転車で走る車道には覆いになるような物はない。

 日光の力強さは恨めしいを通り越して羨望のソレである。直視しては危険なので浴びて御利益でも貰えれば御の字だが、残念ながら日光を直接力に変えられるような機能は持ち合わせていない。代わりと言っては何だが、暑さをバネにして自転車のペダルを蹴る力は他の自転車乗りよりも有ると思っている。水中の格闘技と呼ばれるスポーツを大学時代、四年間を通してやり遂げた体力は二年ほど経っても変わりないと誇れる。

 柔道や剣道もその筋の人からは感心される程度には様になっている自負もある。それでも村山は自転車のペダルを漕ぐ足に鉛の如き重さを感じていた。

 勤まるだろうか。自分で行って解決できるのだろうか。いざとなったらタヌキに世話になれば良い。後ろ向きな事を考えるのは全てが不安で仕方ないからではあるが、ペダルを漕ぐ足にまでその感情が伝播するのは我ながら女々しいのだと村山は自覚せざるを得なかった。

 東都都警統括第一警察署。赴任させられたのは実家から比較的近い警察署だったが、大学から寮生活をしていたので独り身が楽になっていた。だから実家に戻ることはせずに独身寮に入っている。そこからの方が実家よりも距離的に近いこともあるが、やはり一人の方が何かと好都合かと思っているからだ。

 駐輪場に自転車を、嫌でも人目を引く真っ赤なマウンテンバイクを停める。鍵は三つ。元々自転車に付いていた安い鍵が二つと頑丈なワイヤーの鍵を後から買って付けている。大学時代、出先で自転車を盗まれて帰りに大変な思いをしたことが嫌で、鍵を付けなければ心配で仕方が無くなった。もちろん、警察署に停めた自転車が盗まれたなどとあっては個人の管理体制も問われる事ながら、自分の務める警察署の管理、防犯体制に汚点を残すことは身内として絶対に避けたいが為の行為でもある。

 ワイヤー錠は千五百円程度だったが、それで自分の安寧が買えるなら安い物だ。

「がんばれよ」

 屈んで自転車の後輪にワイヤーの鍵を取り付けた時、後ろから声をかけられた。弓張警視。それに滝川警部も連れ立っていた。弓張の手には「号七番」とのプラスチック札の下がった鍵がある。借り受けた捜査車両の鍵なのは一目でわかった。「滝川警部の師匠の所へ行く」と昨日聞いていたので朝から、出勤時間すぐから行かなければならない所に居るのだろうかと。

「もう出かけるんですか」

「先方がこの時間から来いって云うんだよ」

「紙芝居の時間が五時からの上演です。来られませんか?」

「……ギリギリだな。行けたら行くよ。ほらなんだ、年寄りは話が長いんだよ」

 弓張は笑いながら鍵を持った手を振って捜査車両駐車場に向かっていった。

「こゆりちゃんが居れば大丈夫だと思うわ。頑張って」

「はあ……」

 弓張の後追って行く滝川にそう小声で言われた。あまりタヌキとの仲が良いというイメージはないが、やはりあのタヌキには信頼に値する何かがあるらしい。

 いや、村山は見たのだ、信頼に値するナニかというヤツを。だがそれをまた期待するのは違うと思っている。警察官としてアレと同類に思える意味不明なタヌキに全てを任せられる程、無責任な生き方はしたくない。この件を任された時に下手をすれば死ぬかも知れないと言われたのだ。そんな案件を任されてタヌキに全て解決して貰いましたなどとは報告したくない。

 正面入り口から入り、北側の、日の当たらない係へ向かう。

 係への道すがら過ぎゆく署員達が村山のことを邪険に扱うのが解る。どうしてこの警察署にこの男が居るのかと皆怪訝そうにその背中を見送っていた。全て知っている、村山がこの警察署に来た初日からこうだった。弓張や滝川の存在も知らず、ただ本部長から直々に案内されたのがずっと廊下を先に行ったこの係だった。


『雑対係』

 安いプレートに印字する事も経費として計上が許されなかったのか、他の課や係のプレートの書体を真似て油性ペンで手書きされている。係を作っておいてこの扱いだ。

 余っていたプラスチックの白い板が無ければおそらく段ボール紙にでもそう書いて、あの仕方なく付けてくれた、ベニヤ板のような薄い扉に貼ってくれたのだろう。

 本部長もがこの係を鬱陶しいと感じているのだろう。案内はされたが説明は受けなかった。ベニヤの薄っぺらい扉を開けるとそこには男が一人、ソファーに寝転がっていて、

「よう。良く来たな」

 そう言われたのを今でもはっきりと覚えている。

 そして今日はその男が居ない。居たのは知っている。さっき表で出会って言葉を交わしたのだから。それに村山が赴任してからいつもその上司が、弓張がこの係に長く居た試しがない。どっかへ行っては帰ってくるのは終業間際。帰ってきても「また明日も定時に出てこい」と言うだけで何一つ仕事を与えられなかった。

 もし、弓張が係に居たとしても実際、部屋に留まっている訳ではなく、与えられる雑用を分担してこなすという有様で、話し合いの時間を持ち得て居なかった。

 それがどうだろう。この短期間でどれほど話すようになったのか。必要なこと以外喋っていないのは対して変りはしないのだが、上司の感情の機微が得られるくらいには会話をしている気がする。

 そんな袖擦れ合うだけだったような上司との関係が変ったのだから、弓張自身が与えてくれた任務をしっかりとこなさなくてはならない。そいうしないと村山自身、弓張に合わせる顔がない。アレに遭った事件もそうだが、村山自身弓張から信頼されているとは思っていなかったが、こうも簡単に信頼を勝ち得るだけの機会にたどり着いたのだから失敗などあり得ない。あり得てはならない。


 変らず、薄っぺらい詐欺まがいのドアを開ける。

 人は居ない。居るのは村山の机の上で器用に後ろ足立ちして、前足を腰に当てているタヌキだけだった。

「遅かったわね、三下」

「遅かったって、定時出勤だけど」

「にぃさまや年増はとっくに出て行ったわよ。ちゃんとしなさいよ、三下の癖にっ! こういうのは重役出勤って云うのよね」

「だから定時だから。時間通りです」

 サービス早出しろと言うのか。このタヌキは何様だよ、タヌキ様よ。

 でもまあ、出が早いことも、帰りが遅くなることも覚悟していたのだからタヌキに言う文句ではない。喉まで上がる不満を、朝食代わりに飲み込んで。


 タヌキに文句を言われて始まる一日。

 午後五時までぼうっとしている訳にもいかない。係の、本当の業務内容を知らない人間は当たり前のように雑用を押しつけにやってくる。それを黙々とこなし、係の部屋に戻ってはタヌキと五時から行うことを話し合う。

「いい、アレはアンタにどうこう出来る相手じゃないんだからね。あたちに任せておきなさい」

「だから、全部任せるなんてしたくないんだって。俺だってなにか出来るから警視に――」

「出来ないわよ。三下は出てきてそっこーやられて、道端で伸びていれば良いのよ」

 ただタヌキに任せて後ろに引っ込んでいろと。何度も村山が戦力として、チームとして数えて欲しいとタヌキに言っても返ってくる答えがコレだった。

 言い方は悪いが、畜生以下だと言うのは納得できない。そもそも喋っているのだから正確には飼われている訳でもなさそうだし、式神と弓張は言っていたのだから正確には『タヌキ』ですらないはずである。そんな得体の知れないエセタヌキに「お前は必要ない」と言われているのだから食い下がっても、誰に笑われる事でもないだろう。

 己の自尊心とか、義務感だとかそう言う重たいことや堅苦しい事は抜きにしても、タヌキ相手に引き下がって良いはずがない。

「じゃあそうだ。後ろを見てるから。なんかあったら知らせるから、そう云うなよな?」

「後ろって…… もう、めんどうだわね。好きにすれば良いじゃない」

 タヌキ様直々に許可が出たのでそうしようと思う。思っているだけで予定の時間までまだ五時間強も残っているのだから別段やることはない。

 別段やる事がないのだから今日、必要な事を今の内に終えておくのが一番だろう。

 村山はそう考えてあらゆる部署を回った。回り回って聞き訊ねる。

 もう雑用はないのかと。

 もう無いと言われたらそれでよし、あるのなら早めに片付ける。そして目的の時間までに署内の雑用を潰して、任務の為の時間を空けることを優先した。優先したのだが、問題が一つ起きる。

 捜査車両を借り受けようと刑事課を訪れた時のこと。

 東都都警統括第一警察署はその名の通り東都を統括する警察署である。東都都警統括第一警察署は統括本部長と言う、まあ東都都警統括第一警察署管内では一番偉い人が陣取っている場所ではあるいのだが、第一警察署と付くように実は第三警察署まで存在する。単純に東都という都州規模が大きいからで、北方、中央、南方と管轄区が三分割されている。それぞれに本部長を据えていて、その権限は他都他州の本部長と変わりない。東都以外にも複数の管轄区を持っていて本部長が複数人いる都や州も存在するので別段珍しくはない。

 その統括第一警察署は南方を統括しているのだが、統括管内で事件が起こったらしい。それも何ともまあ人様にはとても言いたくない事なのだが、中央統轄区との境目らしい。そしてその境目で起きた事件は運悪く『事件現場は南方統括区内だが、犯人とおぼしき人物が逃げた込んだのは中央統轄区内』という、また面倒な案件らしい。普通なら中央、南方連携しての一斉捜査となるのだろうが、違う。

 血眼になった刑事課捜査員達が大量動員され『中央より先に犯人を逮捕する』事を目的として出払っていた。

 刑事課に居たのは所謂デスクワークの人間だけで、刑事課長もがその犯人逮捕に出払っていた。

 一言で片付けるなら折り合いが悪い。

 統括第一警察署と統括第二警察署の署長、本部長同士の関係がものすごく悪いらしい。

 実際どの程度仲が悪いのか知らないのだが、刑事課の課長、捜査員全てまでも動員させて躍起になっているのだからあの小太り……小結本部長は相当統括第二警察署の本部長とは折り合いがわるのだろう。たぶん、野心が――上昇志向が強いせいでぶつかっているのだろう。

 そんな訳で捜査車両がない。あるにはあるのだが、貸しては頂けない。

 本部長曰く、刑事課の捜査車両が有ったら刑事課の課長に話して貸して貰えとのこと。雑対係の所属する生活安全課にも捜査車両は有るのだが貸して貰えない。そもそも名目上、雑対係が生活安全課に属しているだけであって、実際、どういった意味で生活の保安、安全に寄与しているのかわかったものではない。蛍光管を取り替えたり、机の移動を手伝ったりするのが生活安全の基礎と言われたら寄与はしているだろうが。

 他にも交通課などもあるのだが貸してくれるはずがない。

 仕方がないので本部長に直訴に行くと。

「今忙しい、今度にしろ」

 との事で、貸して貰うも何も、完全に無視された。


 タヌキがじっと見つめてくる不思議空間の雑対係に戻ると……

「車が無い」

「歩いて行けって事? あたち嫌よ」

 タヌキの癖に自分の足で歩くことを嫌がり出す。動物なら動物らしく横着しないで欲しいモノだが、人のことを――獣の事を言えない。借りる事が出来て当たり前だと思っていた村山はタヌキに車を貸して貰えなかったことを愚痴っているのだから。他力に寄りかかろうとする姿勢に文句を言えた義理ではないのかも知れない。

「公共交通機関……は無理だな」

「なんでよ。暑いじゃない。くーらーが無いと嫌よ」

 文明に染まった動物とはこういうモノなんだろうか。そこら辺を歩いている犬や猫にも訊いてみたい。クーラーが無いと不平不満を言うのかと、コタツがないと文句を言うのかと。ところが世界に一匹だけであろう、喋るタヌキは良く分からない上司の、良く分からない能力によって発生した物体であるので、他の動物一般がこの限りかどうかは知ったことではない。

 そんなに涼しい場所が良いならその見るからに暑そうな毛皮を取ってしまえばいいだろうとは流石に言えない。動物一般に対する権利がどういうものか。警察官として必須であるために法的な位置づけは一応勉強はしたモノの、本当に『動物』であるのか解らないこのエセタヌキが一般的な動物と違うのは喋ることもそうだが、その扱いだろう。

 タヌキは基本的に飼うことを許可されることは多くない。一般的には害獣として見られてしまうために、個人での飼育はあまり認められていない。

 それなのに弓張は、上司は当たり前のようにこのエセタヌキを抱えて現れたりする。そしてここ数日はエセタヌキを雑対係に放置して出かけてしまうこともある。今だって実際にそうなのだから、この状況で飼育しているというのは少々違うのではないだろうか。

 単純に一つの個体として、人間と同等の精神構造を持った、人格を持ったものだとして扱っている様に思える。意思疎通できるのだから確かに弓張がエセタヌキを飼育しているとか、弓張自身の所有財産などと言う考えではないのだろう。

 村山がそんなことを考えていると、関係のない思案にタヌキが気がついたのか飛びかかった。思考を止めろと、今目の前にある問題の解決が先だと。

「はぐっ」

「あぶないっ」


 公共交通機関は使えない。理由としては至って簡単で、獣を持って電車に乗れるだろうか。いやそもそも電車は目的の公園方面に最寄りがない。電車で有る程度向かい、バスやタクシーで移動しようにもやはり獣を抱えているというのは頂けない。

 そうなと取れる手段は多くない。

 徒歩、コレはあり得ない。遠すぎる。車で一時間の距離だ、徒歩で行って帰ってくるのにどれほどの時間を要するのか解ったものではない。それに毛むくじゃらのタヌキを抱えてだらだらと暑い炎天下の中を歩いて行けというのは無理だ、途中で倒れる。

 二つ目、クーラーもあり、移動も一時間で良くなる方法。レンタカーを借りるという方法。だがコレにも制約がある。タヌキを載せることを黙って借りるほか無いのだ。乗せても良いですかなどとは言えない。ペットを乗せても良いなどと言うレンタカーも多くはなっているがペットかどうかと聞かれたら正直なところ答えにくい。それに一応確認してみたところペットを載せる場合はケージに入るモノに限定されるらしい。それはそうだ、ケージに入れず動物が車内で暴れたり、シートを噛んだりした暁にはその責任を負わなければならないのだからリスクが伴う。それに、最大の問題はこのエセタヌキ自身が「ケージ」に入ることを拒んだためである。

 そうなると、もう一つしか思い当たらなかった。

 深緑が陽光を遮っている歩道を横目に、車道側を快速で巡航していた。無論自動車ではない。だが、車両ではある。軽車両に分類され、道路交通法に照らし合わせても至って合法的に村山は自転車で車道を走行していた。

 ただ、頭にはタヌキを載せて。

「うぅー」

「……」

 黙々と自転車を漕ぐ。目を細めて、口を少しだけ開けて風を感じている……のは頭上のタヌキで、村山は頭の上にある熱源に一種の苛立ちを覚えていた。「どうして頭の上に覆い被さっているのか」と。

 タヌキは初め背中にしがみついていた。正確には肩掛け鞄にタヌキの下半身を入れて鞄から前足以上を出し、背中側に鞄を回して後ろに背負っていた。鞄を後ろにしておけば漕いでいる間に邪魔にならないだろうという考えと、マウンテンバイクなので前籠が無く、タヌキをどう持っていけば良いのか解らなかったのだが、こうしておけば問題ないだろうと、そういう手段に出た。するとタヌキが鞄から這い出た。

 曰く、

「鞄の中に足突っ込んでたら暑いのよ。それに三下の背中なんて見たくないし」

 らしい。そして有る程度の早さで村山が自転車を漕いでいることに気がついたタヌキは器用にも村山の背をよじ登り、村山の頭の上に腹ばいになって風を受け始めた。

「うぅー、涼しいぃ」

「俺は暑い……」

 直射日光を浴びつつ頭の上に毛むくじゃらのタヌキを載せて、自転車をせっせと漕いでいるのだ。頭とタヌキの間の汗は蒸発できずに蒸れているし、タヌキの黒に近い毛の色は日光の熱量を上手い具合に保持し始めていた。故に、接点が暑い、蒸し暑い。

 警察官が業務中にまかさのタヌキ蒸れを起こして、頭皮に汗疹を作るなんて事になったら目も当てられない。自転車用のヘルメットは努力義務ではあるがしていない。していない理由はあくまで努力義務に留まる事と、単純に暑いから。それなのにセルフタヌキヘルメット状態なので、もしもの時はタヌキで――だが、村山は結局ここでも頼ることに内心舌打ちを禁じ得ない。

 これからタヌキ様の力を借りようというのに、もしもの時はタヌキでなんだと言うのか。そもそもタヌキがヘルメットの役割を果たすはずもないのに、どうしてかタヌキの能力を万能だとでも思いこんでいたらしい。クーラーに頼りたくなる意志の弱いタヌキが万能で有るはずがない。


 自転車で二時間ほど。千穂公園に着いた頃は既に四時で、丁度四時開始の紙芝居を広場で行っていた。

 八月十八日。

 クソ暑い炎天下を、どうしてかタヌキを頭に載せて自転車を漕いでたどり着いた男はあまりにもその場には不釣り合いだった。衆目が向いているのは幸いにして男の方ではなく、紙芝居を上演する高校生達に向けられていた。

 快活そうな少女が練習通りであろう良く通る声で悪い魔女の狂気性を表現していた。見ている子供達の中にはそんな女子高生に悪い魔女の影でも重ねたのか叫んで喚いて、自分の内に沸いた恐怖心を当てつけるように「どこかいけー」なんて可愛いモノである。

 そんな子供達の素直かつ純粋な好奇を集める近所の高校主催の紙芝居に、タヌキを抱えたスーツ姿の男が現れたらそちらに嫌でも視線が向くはずだった。だからこそ村山はタヌキを早々に鞄に押し込んだし、暴れて嫌がるタヌキに目立たないためだと言い含めて黙らせ、紙芝居を遠巻きに眺められるベンチに腰掛けた。

 流石に暑さでタヌキなりに文句が出るであろうから、自動販売機で買った冷えた缶ジュースを鞄に二つ放り込んでおいた。保冷剤として。

 冷たさに不満はないだろうと思っていたのだが、予想に反してタヌキが声を上げて散らし始めた。

「いきなり何すんのよ。三下風情がっ」

 なんとなく、タヌキの不満が口と一緒に出てきそうだったので一瞬にして離れた。もちろん言葉という意味もあるのだが、噛みついてくるだろうと身構えていたのが良かった。タヌキは予想通り空を噛んで恨めしそうな目で見てきたが前足で器用に缶を挟んで涼を取りつつのだらしなさである。動物なら動物らしく体温調節のために舌でも出していれば良いのではと。

「それと、コレ開けなさいよ」

 両前足を突き出すようにして缶を寄越してくる。飲みたいらしいのだが飲めるのだろうか。プルタブは、缶の飲み口は人間用に作られているのだからタヌキが舌を突っ込んで飲もうものなら舌が切れるかも知れない。

 仕方ないので取り上げて、プルタブを開けてやる。

「口開けろ」

「は? 何でよ」

「飲めないだろ」

「こ、コップが有れば飲めるわ」

「ねーよっ」

「気が利かないわね、買ってきなさいよっ」

タヌキのためにわざわざ紙コップなど買いに行くモノか。飲ませてやると言っているのだから有り難がって口を開ければいいだけだ。何をそんなに嫌がるのかと――

「何で三下に『あーん』しないとならないのよっ」

「どうでも良いよ、そんなの……」

 お気に召さないらしい。曰く、あーんとやらが。そんな合理性のかけらもない事に拒まれるなんて村山の口があんぐりしそうな思いだった。

 もそもそ鞄から抜け出してタヌキは開けた缶をひったくった。正確には村山の手首に噛みつく振りを見せた瞬間に上手い具合に缶をつかみ取った。器用に缶を傾けて少しずつ舐め取るように飲み始めるタヌキ。そんなに器用な飲み方が出来るのは正直凄いが、そこまで嫌がらなくても良いのではないだろうか。

 缶にかぶりつくように喉を潤すタヌキを見て、村山は自分も飲み物を飲もうと思い、鞄に手を突っ込んだ。タヌキがかぶりつくように啜る缶ジュースはアップルジュースで、もう一本はオレンジジュースだった。タヌキに何を与えて良いのか解らないので炭酸飲料やコーヒーは避けた。故にアップルジュースとオレンジジュースになったのだ。流石に果物ならタヌキが口にしても問題はないだろうと思ったのだ、感謝しろタヌキ様よ。

 鞄に手を突っ込んで缶を取ろうとした手が、何か別のモノに当たった。

「ん……」

 ツルツルとしていて、冷えた缶と一緒にあったからか部分的に同じくらい冷えている何か。一瞬、タヌキの粗相かとも思ったのだがそんなはずはない。かなり大きい何かが鞄の中で場所を取っていた。気になったので缶より先に取り出してみる。

 球体。いや、丸いだけで球体そのものではなかった。そして取り出した村山も、村山の手元を見たタヌキもぎょっとなって目を見張った。

 頭蓋骨。

 真珠色をした子供の頭部。上顎関節から上の頭蓋骨がまるまる鞄の中に入っていた。

 鞄は村山の私物である。本日独身寮から統括第一警察署に来る時も持っていた。何も持たないで手ぶらで出勤などしては周りからどう見られるのか解ったものではない。それは同僚ではなく、警察署に出勤してくる者を見る一般の目を配慮してのことだった。同僚達は皆私物を有る程度持ち込むのだが、それは業務に関わりのある物や昼食を入れて持ってきていた。独身の村山には弁当や料理を作るスキルはない。鞄の中身はいつも空虚で、村山の鞄には対面、体裁だとか、自身の不安だけが詰め込まれていた。

 だが、タヌキを入れるためだけに持ってきた鞄の中にあの頭蓋骨が入っていた。無論、村山が入れるはずがない。そしてタヌキが入れられる訳がない。

 村山が鞄を持っていくことを思いついたのは単純に自転車で行くことを思いついた時、その時だった。鞄さえあれば自分の自転車で公園に向かったとしてタヌキを持っていくことが――連れて行くことが出来るはずだと考えた。そしてそれを実行する際に、鞄の中身が空であることを確認した。タヌキに大事な物を蹴散らされては困るし、そもそも蹴散らされて困るような物を入れていたか確認するために、ひっくり返してまで確かめた。タヌキを入れるためだけに用いる。そう決めて私物の、空の鞄を用意した。

 タヌキにはそもそも最下段の引き出しを開けられない。手が――前足があのザマで、口で器用に開けたとして頭蓋骨を引き出しから取り出せない。更に鞄に入れる事も出来ないだろう。そもそもその行為全て、村山に気づかれずに完遂することは不可能だった。

 どうして頭蓋骨が鞄の中にあるのか、全く理解不可能だった。

「ど、どうして頭持ってきたのよ」

「し、知らない。入ってた…… 大体、お前だって気づくだろう」

「……そうね。 って云うか。あたちに向かって偉そうに『お前』とか云わないでよ」

「今そこかよ……」

 タヌキが鞄から出た途端に入っていた頭蓋骨。

 入っていたのだから持って帰るしか無いが、この頭蓋骨に言いようのない恐怖感を覚えた。どこまでも付き纏うナニかは良く都市伝説に上がる。人形だとか、誰かの影だとか。そして村山が以前相手をしたのもそういう得体の知れないモノ。

 弓張が、弓張と滝川が持ち込んだこの頭蓋骨もそういったナニかである可能性の方が高い。いやもう高いとかそう言う話ですらない。得体の知れないナニかそのものだと、既に村山は確信した。

 鞄の中に大人しく収まっていたのだから、もうそれ以上触れることはしたくなかった。触らぬなんとかにというヤツで、タヌキも気味悪がっていたがおそらく同じだけ村山もタヌキの存在を気味悪がっているのだが、噛まれる危険性があるので黙っておくことにした。

 軽く持ち上げた頭蓋骨を壊れ物のように扱ってそっと鞄に戻し、村山はオレンジジュースを取って飲み始めた。


「五時ちょっと前から見張るのよ」

「ちょっと前?」

「そう。いつ起こるのかわからないでしょう。最初から子供に割り込んでいるかも知れないから早めに見るのよ」

 見るのよ、と言われたところで村山はナニを見ていればいいのだろう。どこかに分かり易い違和感があるのなら紙芝居をしている高校生達や引率の先生が気づくはずだ。更に小さな子供と一緒に観覧している親もいるのだからあらゆる視点から、誰かが違和感に気がつくはずだろう。それなのに、今の今まで、三島隆巡査部長が事案を報告してくれるまで違和感や事件性の総括を行わなかった事の方が気になる。

 そんな思案をしていると、タヌキが声を上げる。

「カラスね」

「は、からす?」

 まだ日は高い。高いというか、傾いでなお明るい。南中をとうに過ぎているがまだ五時前である。それなのに一斉にカラスが羽音を群れにして帰ってきた。カーカーと思いの外澄んだ声で鳴いて帰り着いたカラス達。

 ここに帰ってきたとわかるのはこの辺りには、千穂公園以外には林はない。千穂公園の林ですらそれほど樹木の本数は多くないものの、十分に影を作るだけの枝葉は揃っていて、カラスや他の鳥たちにも安息の地として機能しているのだろう。大群で寄せるカラスが居ては他の鳥たちが警戒して寄りついていないだろうが。

 街に居る鳥類は人の残す物で生きていたり、街中にあって昆虫を糧にして強く息づいているものがある。近年のカラスは殆どが前者で、中には河川敷や公園で動物的本能に因って生きているものも居るが、街にいる大半は人間の不道徳やエゴによって生きている。いくら街を綺麗にと言っても万人が聖人君子では無いのだから、当然それからはみ出る者もある。

 その結果として本来の姿から離れた寄生とも言うべき生態系が形成されることになる。ただこれを短期的に見るのは間違いで、実際には人間の文明史に沿う形で形成されてきたのだから、既にカラスの生態に「人間」が組み込まれている事は自明である。

 それでも、千穂公園に群れを成すカラスたちは他とは違う。

 普通なら、日が暮れて初めて帰ってくる。季節がいつであろうと、普通なら他の群れは日が傾いででも長く食物を漁りに出ているのだがこの群れは帰るのが早いらしい。

 異常とも言うべき、他の群れにない集団行動である。

 別段、群がって帰巣する事は珍しくないのだが、他の群れに比べて異常に早かった。近隣住民もそれを知っているので敢えて六時以降に千穂公園を利用する者は居なかった。五時から六時の間にはカラス達が木々の上に留まり留まって文字通り烏合の衆を成す。そこで行われるカラスの排泄を忌避して誰もが近づかない。他にも縄張りを守ろうと一斉に声を上げるカラスの異常なまでの警戒音に気味悪がって誰も近づかない。だからこそ、五時が最終の紙芝居となるらしい。

 人を、人間を恫喝してまで千穂公園の人工林を支配するカラス。

 怪しいマンションの影に落ちた人工林は暗く、カラスの黒濡れ羽と影の境を曖昧に落とし、木々の間にどれだけの数が蠢いているのか全くわからなかった。

 それでも、カラスたちがじっと村山の方を見ている事に気がついた。

 タヌキの存在である。人間なら幾らでもいる。もちろん、そう言う場所に元来、代々住んできたのだから学習能力の高いカラスたちは人間の存在を知っている。更に、犬や猫と言った愛玩動物の存在まで認識し、その人間に飼われるという存在理由や行動原理、習性を理解し、自分たちの、カラスの集団における安全と安寧の為の行動を学習し、それを実践して長らえてきた。

 人間があの手この手でカラスを追い払ったところで「実害なし」と判断した場合に、ある一定期間を置いて帰巣してくるのは偏にその高い知能と学習能力の賜である。

 だからこそ、彼らは理解しようとしていたのかも知れない。村山の元にいる、毛むくじゃらの物体を。

 五時から始まる紙芝居。集まっているのは比較的年齢の高い子供達だった。三時や四時であれば親に連れられた幼稚園児、保育園児らしき子供達も居たのだが、五時に集まったのは最低でも小学校中学年程度、小学校三年生以上の子供達だった。

 千穂公園のカラスは近隣住民の知るところである。故に、小さな子供を連れた親は五時になる少し前には帰っていく。それに対して、年齢の比較的高い子供達は紙芝居中に叫んだり暴れたりする幼児の居ない時間に訪れる。

 それが最終、五時の紙芝居。

 幼児の中には他の人の靴を散らかしたり、土足のままブルーシートに上がったりする無邪気さというか、破天荒さを見せる子供もいたのだが、小学生中学年以上にあっては誰一人和を乱すことなく整然と紙芝居の上演を心待ちにしていた。

 友達と連れだって訪れる子供が多く、何人かで横並びに座って雑談をしながら待機していた。

 上演前の待機時間、徐々にその頭数を増やしていく中、村山とタヌキの目に一人変った子が映った。

 真っ黒な豪奢なワンピース。アレで白いフリルでも有ればどこのお嬢様かと感想を漏らしただろうが、明らかにその感想を返上せねばならない子供……ソレが居た。

 黒い豪奢なワンピース。裾の端から黒いインナーフリルが見え隠れする。肢体は真っ白で、真珠のように白い肌が黒いワンピースとの対比となった。全身が黒い衣装。そして白い肌。それだけ見ればさぞ名家のお嬢様だろうかと勘ぐって、話のタネになろうと思える女の子。女の子かどうかは正確なところではわからないが、着ているのはドレスのようなワンピースだから女の子だろう。

 村山はその子を見つつ、二度三度、目を瞬いてその子を見る。それでもおかしい。

 次には手で目を擦った。どうにも――

 どうにも見えないのだ。

 もやが掛ったように。その子の顔が見えない。

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