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 他サイトにも重複投稿。


 六インチバレルの拳銃。.三五七マグナム弾、弾丸は回転式弾倉に六発。その内、薬室に火薬が入っていて実際に撃てるのは一発かそこら。そこらって言うのは他にもアタリがあるかも知れないって事さ。なんだよ、不思議そうな顔しやがって。なんなら引き金引いてみな。俺に向けて――

「何か気がついたことがあったらすぐに報告しろ」

「わ、わかってますっ」

 不慣れだった。捜査なんて殆ど参加したことはない。こゆりが居るなら警視とこゆりとで現場に向かい、結果だけを聞いて居たのだから。今日はその頼れるタヌキが居ない。それなのに得体の知れないモノを相手にたった二人で挑もうと上司に言われた。年下の上司。そもそも自分を警察官にしたのはこの男だ。元々は全く違う職業に就いていた。

 その当時は思いもしなかった。自分が死者を蘇らせる素質を持っていたことを。

 死地に赴かなければならない定めだと言うことを。

 一般的な刑事と呼ばれる役職にない二人。名目上は生活安全課の雑対係であるが、どこの課からも、係からも通常の人員として扱われる事はなかった。東都都警本部長による勅命以外での正式な「捜査活動」を行わないと言う特殊な係な為、結局の所上司である弓張は署内の雑用、滝川自身はその能力を生かして検視官という二重生活を余儀なくされていた。

 係設立からまだ一年ほどしか経っていない。その間にずっと検視官としての業務しか行ってこなかった滝川はこの異様な捜査という行為に戸惑いを隠せなかった。隠せないどころか――

「い、今、今っ今っ! ちーんって云ったっ! ちーんってっ」

「エレベータ呼んだんだから当たり前だろ……」

 一応、初めての捜査ではない。前に一度弓張とこゆりに同行した事があったのだが、滝川はそこでも緊張のあまり意味不明な行動を起こしていた。それをタヌキ、こゆりにまで指摘されて大恥を晒すことになったのだが、遠い過去の記憶として消し去ったのでそれはもう無かった事になっている。

 管理室で警察官である事を証明し、中に入れて貰った。すぐに目当ての七階へ行けるように計らって貰ったのだが、エントランスホールで既に滝川はテンパっていた。

 エレベーターの年式や製造会社各社の切磋琢磨には驚かされる。弓張と滝川はエレベータに乗り込み、三半規管が認識するギリギリのゆったりとした動作に、無音と呼べるほどの微かな駆動音に身を任せて目的の階である七階を目指す。『モノ好き』があのイワクノ根源、硫化水素を発生させた部屋に『城』を構えていると情報を得た為にこの捜査が優先される事になった。

「な、なんかウジャウジャしてる。いぃー、いっぱいっ居る……」

「十三人死んだらしいからな。死にたくて死んだヤツは一人くらいだろう。それ以外は未練たらたらかもしれねぇな」

 滝川は確かに恐ろしいという感情そのものを自覚しては居たのだが、年下の男の袖を必死に両手で掴んでいる自分の行動をも抑制できなかった。弓張に変な勘違いでもされたら互いに困るのでないのかと、普段なら考えもしない事を頭の中に浮かべては消し、浮かべては消し、普段と違う状況下の中で自己を留める事に必死だった。

 七階までの移動はどれだけの時間が経過していたのだろうか。滝川は自分の手から酷い汗が出ている事に気がついたが、生憎とその殆どが誰かの袖の中に染み入っていて、既に言い訳や誤魔化しなどしようにも出来ぬ状況だった。

 もういっそ開き直ってこのままで居よう。ずるずると自分が引きずられている様な感覚で弓張に連れられている自分があまりにも惨めだった。そう思った瞬間と同時、

「ここだ」

「うぅ……」

 腰が引けていた。自分でも分かった。自分でも分かるほど腰を低くして逃げの姿勢を取っていたのだから、振り返った弓張の目にも滑稽に映ったことだろう。

 午後二時丁度。706号室。非接触ICカードを弓張が掲げ、一室の扉を開ける所から捜査が始まった。


 プッシュプルハンドル錠の敷設された扉。押すだけ、引くだけで扉の開閉がなる、簡単に誰にでも開け閉めできる機構の扉だった。それと非接触ICカード鍵からなる施工設計は力のない子供や年配向けという、幅広い世代を見据えた住宅である事が伺える。

 そんな誰かの親切心を無碍にして特殊な人間が住む賃貸に変えたモノが住んでいたというイワクツキ物件に侵入した。

 捜査令状はない。合法か違法かと問われれば、無論違法である。ただ、一概にその行動内容が全て違法行為かと言えばそう言うことでもない。

 住んでいる者が「人間」でなければ賃借契約が成立せず、不法な占有行為をする何モノかの行動と言うことになる。前もって管理人には説明した。『法の定めるところにない、動物が住んでいる可能性がある』と。言い方としては個人で飼うことの出来ない動物が居る可能性があると聞こえなくもないが、その実『人間以外が平然と住んでいる』という言外の思惑がある。

 管理人は勝手に動物を飼い、それが不法行為だと言うなら是正して貰う方が得である。動物を屋内で飼育する行為には物件の損壊というリスクが内包される。そんなものを黙って見過ごす事は管理人として文字通り沽券に関わってくる。部屋の原状回復や次の入居者が嫌悪して契約を見送るなど実害が出るのだから、警察官が調べてくれるというのならば渡りに船、それが違法だろうが合法だろうが、知らぬ存ぜぬを通せば管理人には関係のないことだった。

 間取りは3LDK。リビングダイニングは合わせて十八畳、キッチンは四畳、八畳間一つ、六畳間が二つ。部屋を繋ぐ廊下が三畳ほど、トイレ風呂は別、トイレは一畳半、風呂は脱衣所兼洗濯機置き場を併設してそれぞれ三畳ずつほど。

 それが無責任な管理人から聞いた各部屋のどこも同じ間取り。ついでとばかりに部屋の間取り図もコピーして貰ってきていた。賃貸の部屋の中を勝手に改造している可能性もあるが、どこがどういう構造になっているのか頭の中にたたき込むには十二分な図面だった。

「……」

 弓張は扉を引き開けて絶句した。頭にたたき込んだ図面とは違う世界があった。

 扉は華美とは言い難いが見た目には小綺麗と呼べるものだった。安っぽい鉄の扉ではなく一軒家などにも敷設されていそうな扉で、扉がそうなのだから内装もそれに準じて然るべきだと思っていた。

 開かれた風景は殺伐としていた。壁面や天井部分は全てコンクリートの灰色が覆い、床面に至っては普通ならば玄関があって小上がりの付いた板張り、フローリングの廊下が見えそうな入り口の佇まいだったのだが、実際は建築途中なのか雑なコンクリートの平面が床を成している。

 そしてその床が、恐ろしいほどに奥まって二人を出迎えていた。

 電灯は覆いの付いた家屋向けのモノではなく業務用に敷設されるであろう蛍光管だけをむき出しにした安っぽい装丁で、灰色の長い廊下は陰鬱と言うか陰湿な雰囲気を隠す事をしなかった。

 扉を開けたものの、弓張と滝川は入室する事を躊躇っていた。間取りがおかしい。そもそも廊下は三畳程度の長さだと聞いていたし、手に持った図面でもそう主張している。

 しかし二人が見た廊下は百メートルは下らない。そしてその廊下の中途には部屋があるらしい。両脇に銀色に鈍く光りを返すノブが見える、それがずうっと百メートルほど続いているように見える。突き当たりにも扉があって、それが目印になっているのだが実際は正確な距離など分からない。まるで粗悪な独居房が並んだ監獄のような場所で、狭く陰鬱な灰色の廊下は遠近感というものを排斥した独裁者然とした空間を誇示していた。

 ダレカが空間をねじ曲げている。

「まりね、ここに居ろ」

「え、ちょっ」

 安全の為の策。扉を開けたままにして滝川を目印に、弓張だけがその異様な空間に入っていく。突然扉を閉められて、閉じこめられる事を防ぐためにはそれが必要だった。

 入ってみて分かったのだが両脇の部屋は向かい合わせではなく、互い違いに、交互に両脇に配置されていた。両脇にある部屋の扉は全て青いペンキが塗られていた。防錆のために塗られたのだろうが塗りが雑でところどころムラになって波打っている。更に管理を怠っていたのか、放置度合いを示すように所々が剥げて赤黒い錆が発生していた。弓張は最寄りの、右手側の部屋の扉に近づき、ノブを握った。握って回す前に気がついた。鉄の扉には鉄の棒がはめ込まれたのぞき窓がある。そこから中の様子を伺ってみる。

 灰色の、陰鬱な廊下。電灯はむき出しで、金のない街工場の廊下のような、無機質で人の往来用途だけを成す。マンションにそんな場所が存在していて、マトモナはずがない。

「……」

 覗き見て正面。壁。灰色の壁が見える。色が分かると言うことは照明が部屋にも付いていると言うこと。左奥も壁だとすぐにわかった、視線をすぐに右へ。誰かがいた。

 服、真っ白。タイが付いている、セーラー服。胸、女性。女の子、学生。

 ただどうしてか、その女の子はだらしなく座っている様で、足は見えないがか細い手をだらしなく下げているようだった。

 視線をすこしだけ上へ。

「……っ」

 黒い。赤黒い。扉に付いていた錆と同じイロ。いや、もっと黒い。

 弓張の脳は理解は追いつくのだが、光景全てを拒絶した。実際そんなものはよく見ている。そしてそれは目の前の、憎らしいほどに青い扉の向こうに力なく存在する。

「ちょっと、何かあったの?」

 四、五メートルほど離れた距離。言いつけを守って滝川が扉を開けたまま入り口で声を上げる。その声を聞いて、初めて弓張は自分が扉を拳で力一杯叩いていた事に気がついた。

 イタイ。

 ノブを回して引いて、押して、また引いてみるが頑丈な鉄扉は軋むことすら無い。

 仕方ないので後回しにする。

「……そこに居ろ」

「う、うん……」

 心配そうな滝川を目の端には捉えたが、構っている余裕はなくなった。百メートル。いや、それ以上あるかも知れない。奥の突き当たりに至るまでの、廊下の両側にある部屋は、まだ両手の指折りで数えるよりは多い。

 次の扉に向かうまでに今見た光景を反芻する。咀嚼のし直しだ。

 現実として直視するのが躊躇われるなら見た光景を想起して考察する。

 おそらく女学生。中学生か、高校生。体は栄養状態が芳しくなかったのかやせ衰えていた。座高から察するに滝川よりも少し身長を低く見積もれる。成長途段の体ならば平均的な身長「だった」のだろう。頭部が完全に欠損している事で全く分からないが。

 頭部の欠損。女学生の背後には大きな血痕が見えた。着ているものが崩れてはいたが汚れもほとんど無く、体の前面には目立った外傷や出血痕が視認できなかったので胴部や手の血液ではないだろう。おそらく頭部を壁面に打ち付けられた、又は頭部が損壊した際に背後に飛散した血痕なのだろうが、その飛散量が異常だった。

 そもそも対象の衣服を殆ど汚さずに頭部を欠損させること自体が難しい。

 まず、間違いなく人間の仕業ではない。

 頭部を破壊する行為は顔や歯形から身元を即座に悟られないようにする工作かとも考えはしたのだが、あのセーラー服は本人が元々着ていた服だろうし、そのほか身体部位の特徴から失踪届の出ている女子学生を当たればすぐに身元は分かるはずで、頭部破壊は犯人による『趣向』それか『作業』に該当しそうだった。

 似たような青い扉。違うのは錆の数と形状、雑に塗ったペンキの波だ。

 次の扉を覗き見る――

 奇異だった。

 部屋の中にあるだろう照明に当てられて透明な糸が光って見える。

 最初にその透明な糸が、ピアノ線か釣り糸のような物が目に入らなかったら五体が浮いているように見えたろう。

「……っ」

 心が拒む。直視するなと。

 目が合った。弓張は反射的に目を細めて、反らさずとも現実から逃げようと必死だった。

 吊り人形を思い浮かべると良い。十字の木にアンカーを打って、人形にも同じようにアンカーを打ち、提げて止めていると。そう、思い浮べると。

 外傷はアンカーフックをねじ込まれた部分と、胸部に大きな穴が一つ。丁度心臓を持って行かれた様に穴が開いていた。年の頃は、先ほどの学生よりも若い。いや、正確に言い直すなら、幼い。

 殺人事件として犯人像をプロファイリング。精神分析、行動原理や行動内容から犯人像を推察するなら支配欲求を満たすために男性が行ったモノと見るだろう。

 単純に殺人事件として捜査すればおそらくそうなるのだろうが、それは相手が違うのだ。それでは困る。

 犯人は支配する事など考えていない。これをやったモノは自分の欲求を満たす為に殺人を犯したが、性的趣向としての側面は持ち合わせていないだろう。支配欲求を満たしたいのなら過剰に思えるような暴行も伴うのが一般的だからだ。

 滅多な外傷は無い。ただ、正確無比と呼べるような異常性を伴った外傷だけがある。

 入り口から弓張の顔色を伺い続ける滝川を横目に、弓張は犯人の行動目標の様なモノを理解してしまった。反吐が出るとか、屑だとか、人外の行いだとか、あらゆる罵詈雑言を当てようにもそれには当てはまらないのだと、理解した。

 犯人が求めているのは究極性だ。

 二つの部屋を覗き見ただけで弓張はそう思い当たった。

 三つ目を見て理解は確信に変り、四つ目を見て確信は後悔に変る。

 後悔は、無力感に。無力感は、己の罪に。

 奥へ征く足取りは徐々に重くなっていく。

 もう結果だけが欲しい。脇目もふらず、一心に突き当たりの結果を求めて進む。

 負ったモノの大きさを知るには、すばらしい巡礼路だろうか。下らない事を考えてしまった自分のシコウがまともかどうか、判らなくなってきていた。

 一枚の鉄扉の前にたどり着く。青い扉、雑なペンキ、怠った錆。

 どれもこれも完璧だった。確かに、究極性を求めたモノがその内にある心像風景を表しているのだと気がついた時、弓張はその突き当たりの鉄扉の前に膝を屈した。崩れ落ちて行くが弓張は顔面から灰色へ倒れる事は無かった。いつのまにか居た滝川に抱えられて顔面から強打する事は免れた。

 弓張は全く気がついていなかったが、いくつか覗き見た後の弓張の挙動がおかしいことに滝川が心配して後ろを追ってきていた。

「け、警視。しっかりしてくださいよ……」

 弓張が見た滝川の目には粒の涙があった。どれか一つ、覗き見たのだろう。弓張は不甲斐ない自分を恥じた。

 滝川の本質は『死者の意を汲んでしまう』事にある。それを見いだしたのは自分で、自分の仕事に有益だからと前の職場から引き抜いた。正確には契約関係を結んだのは弓張の上の人間ではあるが、その上の人間を説得してでも手に入れたかった能力を持った滝川を、『何人』居るかも解らない場所に連れてきてしまった責任を感じざるを得ない。

 死者からの言葉を汲んで、その一身に恨み辛みを受ける滝川にどう謝罪すればいいのか。だがこの場合、謝罪よりも本分を果たすことで割り切ってくれるだろうと信頼を置いている。

「悪い。大丈夫だ」

 一度、弓張は来た道を振り返った。扉が開いていなければいったん戻らなければならない。退路を維持できなければこれ以上の捜査――調査は安全上、出来ない。しかし振り返った先の扉は開いていて、供用廊下の壁も見えた。故に、続行。最奥の扉を調査する事に決めた。

 同じ扉。

 ムラのある青い扉。重く頑丈な鉄扉はおそらく心像風景を映した物。

 弓張が考察するにこの扉を作ったモノはおそらく『空』を知っていて、その後に空の見えない場所へ『監禁』されたのだろう。ゆがんでいる青色は思いを馳せた空の色。

 赤く錆びた劣化部分は敢えて塗らなかったのか、それとも塗っても剥げたのかどちらか解らないが直す気は無かったのだろう。弓張が見た少女達の遺体は全て新しいモノだった。

 少女達は最近殺害されたのだろう。もしくは殺害されてから防腐処理を施されているかのどちらかだ。おそらく腐敗臭なども抑えられている為に後者だろうが、後々劣化していったとしても犯人はそれを肯定するだろう。赤く錆び、ボロボロと鉄が崩れてゆく様を見て自身の安寧に変える。

 空を見るために、剥がしてゆく。剥がして、剥がして、空へと至る。

 狂信的な妄念が見える。

 弓張は知っている。似たようなモノを、いや、同類を知っている。


 その昔、大好きだった魔法使いが言った。

「我々は、そういうイキモノだ」

 その男の足下にはまだ幼い少女があった。それが少女と解るのは先ほど見た服が落ちていたから。本人はどこへ? 無論、足下のソレがそうだと見て解った。

 その日、大好きな最高の魔法使いが、嫌悪すべき最低へと変ったのを、今でも鮮明に覚えている。


 突き当たりの青い鉄扉にも覗き窓が付いていた。そこから逃げられもしないのに、小さな窓にも丁寧に鉄の格子が填っている。弓張はそれを覗こうともせず、黙ってノブに手を掛けた。ノブを握る手が無意識に強く握られていることに気がついた。握っているのは自分なのだから、気がついたのなら故意に強く握っているのではないか。違った、どうしても勝手に力が入る。

 弓張が唯一開くであろうと期待していたのが、ただ一つ内開きだった、この最奥の扉。

 ノブが回りラッチボルト、扉を壁に留めておく機構が引っ込んで解除された手応えを感じる。鍵が掛っていれば押そうが引こうが開くことはないだろう。だが期待通り、扉は軋みに伴って鳴き声のような音を上げる。

 目の前に部屋がある。それは良い、他の扉もそうだったのだからそんなものはどうでも良い。それよりも、この部屋にはベッドがない。弓張が覗いた部屋には安っぽい簡易のベッドが扉から右手側に据えてあった。

 この部屋にはベッドが無い。代わりに、中央に台が鎮座していた。仰々しい木製の台はそこにあることを全力を持って誇張していた。無機質なコンクリート打ちっ放しの、灰色の世界に、生命が息づいた痕跡の残る、木製の台が冠をうやうやしく乗せていた。

 頭蓋骨。

 灰色の背景にただ木製の台が鎮座している光景にはあまりにも比較対象が異質だった。

 真っ白な、ただ白い頭蓋骨。それがどうしてか台の上に置いてある。頭部のない少女の遺体も見たのだが、明らかにその少女のモノではない。大きさが違えば、更に人であったのかどうかも疑わしいほどに綺麗だった。頭蓋骨に綺麗という言葉が相応しいのかどうか弓張には解らなかったが、横合いから顔を出してきた滝川も呟くように綺麗だと言っていたので別に異常な認識ではない……と願いたかった。

 灰色との対比はむしろ白を超えて真珠色の輝きにも等しい。天井に据えられていたのは蛍光管が裸で付けられた照明器具一つだったが、そんな粗悪な光でも十分にその小さな頭蓋骨は二人の意識を奪っていた。

 滝川はその心を奪われすぎて部屋に入ろうとした。しかしそれを手を伸ばして制止したのはまだ心を奪われ切っていない弓張の警戒心だった。

 惹き付けるモノは総じてそう言うモノなのだそうだ。

 昔言われた言葉だが、事実そう解釈しても差し支えない状況だった。すぐに足下に視線を落とす。足下には頭蓋骨の乗った台座を囲むように、石灰で書かれた円形とそれに這う様に描かれた幾何学模様があった。幾何学模様の中には文字らしき物もあるが、現在地球上のどの言語圏でも用いられていない文字だった。

 現在の地球上に存在する人間が通常用いていないだけで、それを読み解ける者がここには二人いた。

「防犯用の魔術式だな」

「踏んだら消し炭になるかも知れないわね」

 踏めばその対象が発火し、燃え尽きる。それがこの魔法陣の正体で、ある意味確認の魔術式だった。本当に盗られまいとして防犯のために敷くのならわざわざ目に付くように敷く必要はない。この魔術式が意図する所は相応の覚悟を持ってその頭蓋骨を持っていけという事だろう。

 そしてそんな親切心とも、羨望ともともつかない魔術式をここに敷いた者は二度とここには戻らないだろう事を悟った。

「城を捨てたのか」

「そうなの?」

 魔法使いや関連事項についての事柄は弓張の方が圧倒的に詳しい。滝川の疑問は知るようになって浅い者の問いだった。

「まりねも師匠に工房を持てと言われたろ? アレの大規模版を城って云うんだが、普通は一度敷いたらあまり放棄しない物なんだ。幾つも持つことはあっても、それは全て維持することを前提にするからな」

「あたしは検視室でいっぱいいっぱいなんだけれど……」

「俺たちみたいな中途半端なのは一つでも手に余る時があるが、本物は桁が違うからな」

 そう言いながら弓張はズボンのポケットからコンビニのレシートを取り出し、部屋の中に投げ入れた。空中に投げ入れたにもかかわらず、発火し、床に落ちる前に燃え尽きた。

 魔法陣の空中もその何者かの魔法の効果中であるらしい。

 弓張はしゃがみ込んで着ていたスーツの内ポケットからアイスの棒を取り出した。その棒には『アタリ』と焼き印がされていて、小さく「かったおみせでこうかんしてねっ!」などと万人に向けて幸運を示していた。

「厄を避け、幸をも払い給う」

 アイスの棒切れを振って描く、一筆書きの六芒星。一筆書きと解るのはその曳航が淡く光を帯びているからだった。滝川の目には奇跡に映る。見る事は数回あったのだが、滝川には似たような真似は出来なかった。

 空中に光の六芒星を描いた男はつまらなさそうにアイスの棒きれを持った手を中央へ突っ込んだ。

「そんな使い方できるんだ」

「六芒星の型は竹の籠を編む時に籠目として現れるんだよ。籠目の中に手を入れて『元々中にある』という現象をここで起こしている」

 何の中なのか。無論床に敷いてある魔法陣の中に手を入れる行為だ。元々中にある物は発火しない。それはあの台座と頭蓋骨が証明している。故に、内側から触れて、床に描かれた魔法陣を消してしまえばいい。

「よし、無力化した」

 光の曳航の中から手を引き抜くと、持っていたアタリの棒切れがボロボロになって朽ち果てた。

 弓張の使う魔法、魔術は「幸運を対価」に行われるものだった。これとは逆の考え方が人形を子供に持たせて厄を受けさせる身代わりや、小さな小袋に厄を受けさせるお守りという物。これら受け身のものだったまじないを、故意に引き起こして攻勢に用いるのが弓張の魔術だった。

「……跳ね返りはないな」

 アイスの棒のアタリなど、幸運と呼ぶにはささやかだった。しかし幸運には変わりない。幸運を代償に、奇跡を起こす。最も得意とする魔術だが、ある種の危険も伴うものだった。

 人の一生に、幸運が続くことはない。

 誰かが厄を引き受けて、誰かの幸運になる。そんな事はその実、まかり通らないのが常だった。だからこそ弓張の幸運は、自身の厄を引き受けた物と相違ないのだ。その幸運すら力に変えて使ってしまう。

 誰がどう見ても、彼を道化と見るだろう。なぜなら、自身がそう見ているからだ。

「この706号は上に処理させる。今回はあれを持っていって終わりにしよう」

 しゃがみ込んだ体勢のまま、弓張は滝川に頭蓋骨を取りに行かせた。魔法陣の効果が消えていることは弓張が手を入れて確認したので間違いない。他の魔法もある程度警戒したものの、他に敷設されていそうな気配は全くない事を二人は確認したので、滝川は大人しく従った。

 凄惨きわまりない廊下の果て、手に入ったのは何者かが残していった頭蓋骨一つ。

 何人の人間がここで絶えているのか解らないが、しゃがみ込んだ弓張の瞳にはまだ炎がくすぶっている。先ほど見た氷菓を買った時のレシートの炎が、奥に焼き付いて離れない。

 人工的に化学物質を入れて起こされた炎色反応の様に紅い、深紅の炎が網膜に焼き付いて離れない。大切そうに頭蓋骨を抱えた滝川が幾度か話かけても弓張の心はその炎に奪われたままだった。

『惹き付けるモノは、総じてそう云うモノだ。そして惹かれる者は、総じてそう云う者だ』


 セダン型の車に乗り込み、携帯電話で電話をかける。かける相手は東都都警本部長を飛び越えて、その上である。本部長など渋々弓張達の雑対係の創設に力を貸してくれただけであり、実際の上とは警察とは別の機関だった。

「あー、もしもし。にゃんにゃんしてるのか?」

「してねーよっ」

 弓張曰く、これが元気の良い挨拶である。それを他の誰かに言ったことはない。その男との会話自体、他の誰かに聞かれる事がないからだ。滝川には『アイスを一本買って来い』と言って追い払っていた。車で行けば早いのだからとは言われたが、弓張はその話を無視して追い払った。

 ちなみに頭蓋骨は後部座席に転がっている。

「おい、ガヤ。お前知っていたのか? ここで何が起きていたのか」

「……いや、知らないけど? 何か問題でもあったのか」

「問題だよ問題。大問題だよ。てめぇ、大勢死んでるぞ」

「――っ。マジかよ……」

 そう漏らすなり、電話の向こうから息づかいだけが聞こえる。上に電話すると言っても電話口に出てきたのは中間管理職……よりも下っ端だった。問題は弓張と下っ端の関係性である。どっちが下とか、どっちが上とは言い難い。年齢は同じで、更に機関に仕えている年数もそう変らないのだから同期というのが正しいかも知れない。

 だが弓張はその男よりも劣っているという考えではないし、その男も弓張より劣っているという考え方ではない。だからこそ、二人の間でやりとりをするとこうなる。

「さっさと処理用の人員を回せ。さもなければ全部お前の所に詰めて送るぞ」

「やめろ、この前のだって――」

 相手の声が聞こえた瞬間、滝川がすこし怒ったような顔をしてマンションの駐車場に現れた。電話している相手の事を滝川にも訊かれたくはなかったので切ることにした。

「そうだな、悪かったよ。それはまた今度な」

「おい、みち――」

 最後まで聞いてやる義務も義理もない。どうせあの男の愚痴を零されるだけだ。愚痴を言ってやりたいのは弓張も一緒だったが、ソレも飲み下すことにした。

「なんでアイス一本我慢できないのよ」

「どうしても食べたかったんだよ」

 一番聞かなければならない愚痴があるのだから、優先せざるを得ないだけだ。

 受け取った五十八円の氷菓を開けて貪るように食う。正しい言葉としては氷菓を食べたかったのではない、拝みたいのはアイスの棒切れ。

「アタリを引かなくて良かった」

 食べかけだったが十分、アタリが印字されているであろう部分を見て取ることが出来た。その部分は単純に木の色をしているだけで、裏も表も綺麗な状態だった。

 いつもなら確実に当たる。不運を誰かが受けて、自分が幸運を受ける。

 なら、今は自分が不運を受けて、誰かが幸運を得る時間だ。

 食べかけの、根本の氷菓が溶けて落ちた。股間に落下した涼しげな青い氷菓は、不運を不運たらしめる。誰かが幸運を受けるなら、広い心で股間のシミは大目に見てやろう。

 八月の十七日。午後四時四十六分。ちり紙で股間を拭いて、捜査終了とする。

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