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 他サイトにも重複投稿。


 人の好意は受けるモノだよ。ただ、行為を受けてはいけないんだ。施しを受ける事は奪われる事に等しいのだから――

 本当に戻ってきても良かったのだろうか。

 借りた捜査車両を返却し、タヌキを抱えたまま署に戻った。緑色のリノリウムの床が鬱陶しい。頭上にある蛍光灯の光だけでなく、床面にその蛍光灯の形まで映り込んでいる。

 やけに暗い空間から署に戻るまでの間もその「明るさ」に目がおかしくなったのではないかと言う錯覚に陥っていたが、署に戻って人工的な光に覆われるとやはり目が慣れなかった。

 鬱陶しい。すごく鬱陶しい。

 薄いベニヤ板かと紛うほどの扉を開けて係に与えられた部屋へ。すると眼前に面白い光景が広がっていた。面白いと感じたのは村山だけらしく、タヌキは低く唸るような声を上げていた。おそらくと言うより、確実にタヌキは怒っている。

 雑対係に与えられた部屋は狭い。何せ元々警察署の係用に設えられた部屋ではないので単純に狭い上、機能的ではないし、更に窓もない。元々の用途としては掃除用具室であったらしく、日の当たらない北側の中途半端な位置に据えられている。署内の清掃業務は自前で行うよりも東都管内を一手に引き受ける清掃会社に委託した方が安上がりだと、この部屋は空室になった。そこに無機質な事務机四台と、二人掛けの人工革で出来たソファー二台を向かい合わせ、間にはガラステーブルと壁際に棚がいくつかあるだけだが部屋の半分を占有されている状態だった。

 そんな狭小スペースで、ソファーにだらしなく男が座り、女が覆い被さるようになって『ハァハァ』と息を荒げているのだから目も当てられない。男は右手に白い玉のようなものを持って、いっぱいいっぱいまで伸びて取られまいとし、女は荒い息を整えることなくそれに手を伸ばして覆い被さっている。何か取られまいとしている男と、何か取ろうとしている女という構図は分かるのだが、あまりに激しく暴れ回ったのか、共に上着が崩れている。

「年増っ! にぃさまから離れなさいよっ!」

 タヌキが村山の腕から逃げ出して雑対係の部屋に入っていく。それを唖然と見送りながら村山は無性に帰りたくなった気持ちを押し殺して、後に続くか躊躇っていた。

 雑対係の部屋の中でもみ合いになっていたのは他でもない弓張と滝川だったのだが、タヌキはどうにも滝川の事が気に入らないらしく、やたらに食ってかかる。もちろんそれは物理的な意味も含んで。

「はぐっ」

「――っ! 危ないわね。こうしてやるわタヌ吉っ!」

 上手く噛みつき攻撃をかわした後、タヌキの後ろ足を掴んで振り回し始める滝川まりね警部。大人げない上に、どう見ても動物愛護の観点からダメだった。

 ちなんでおくと止めなければならないタヌ吉の飼い主……であろう弓張は暴れるタヌキと滝川の攻防に巻き込まれ、滝川の膝が鳩尾にクリーンヒットしてもんどり打って丸くなり『不能』だった。

 上司が撃沈して「怪」「獣」大闘争に発展しかけていたので止められそうなのは村山だけになった。渋々入室してタヌキを滝川から引きはがす。低いうなり声を上げて威嚇し続けるが抱え上げてすぐに大人しくなったのは、原因が分かったからと言うことと――

「ふふんっ」

 満面の笑みで滝川が弓張から奪った白い球体を頬摺りした様を見たからだ。

 しゃれこうべ。

 持っているのは上顎よりも上の頭蓋骨で、下顎の骨だけが欠損していた。見た目には綺麗で、本当にそれが生物の骨だったのか分からない程に白い骨。下顎が無いことは気になるが、それが作り物であると言われば納得の出来である。

 その真っ白に漂白されたような頭蓋骨を愛おしそうに頬に擦りつけ、我が子でも慈しむかのような目で、ぽっかりと開いた双眸と見つめ合っていた。世界が違う。絶句するタヌキと村山の共通した感想はそれだった。

「ま、まりね……仕事に使うから。返せよ……」

 消え入るような声。蚊蜻蛉が耳障りな音を立てて飛ぶような、湿り気を帯びた声だけを不服そうに上げてソファーから蹲ったまま正論をぶつける。この部屋は遊びや趣味に使う部屋ではないのだ。

「なんですか、その骨」

「どうにもアチラさんが作ったものらしい。簡単に云うと良く分からん」

 簡単に言いすぎだろう。何も分からない。アチラさんなどというそもそもの前提が良く分からないのに、説明する側の人間が良く分かっていないと言うのだから骨の説明など無意味だった。その人間の頭蓋骨にも見えるそれがどういったものかを知るよりも――

「ちゃんと説明しなさいよ。コレは確かにあっち側が作ったモノだけど、一応生物の頭蓋骨よ。それもニンゲンの」

「本当に人骨なんですか」

 綺麗な白だった。大きさはおそらく一桁代後半から十代前半の大きさ。漂白されたような白い頭蓋骨が人間のモノだと言われても、どうにもピンと来ないというのが村山の感想だった。それは滝川と一緒にいた弓張も感じていた事のようで、弓張は滝川の言葉を肯定しなかった。

「良い? DNA鑑定でも人骨だって判明しているのよ。科学的な証明がされているのにどうして疑うのよ。漂白された人骨だって普通に存在しているの。それを知りもしないで――」

 その骨が人骨かどうか知りもしないで訊いたのは事実だが、別に馬鹿にして訊いたわけではない。弓張もそれは分かっているようで、滝川のぶー垂れた風に辟易し始めている。

 確かに見た目はよくモチーフにされるガイコツ、しゃれこうべ、頭蓋骨。だが大きさは子供の頭ほどで、どういうわけか完全漂白されている様に見える。頭蓋骨を漂白して見た目を良くするという事もあるだろうが、子供程の頭蓋骨をどういった理由で漂白する必要があるのか。研究用途だとしても顎が無いことの方が気になる。滝川が手に持って離さないのでしっかりと見据える事は出来ないがその頭蓋骨は本当に白一色だった。

「向こう側のヤツらが何を考えて作ったのか分からないが、とりあえず俺が調べるんだから寄越せって」

 口ではそう言うものの、弓張は起き上がることもなくだらしなくソファーに大の字に寝そべったまま右手を伸ばして、その手に乗せろと指図している。

 そんな様を見て滝川があまりいい顔をしないのだ。どうにも渡したくない理由があるらしい。

「こんなに可愛い子を弄くり回すなんて考えられないわ。あたしが責任を持って復元するから――」

「だから、復元されたら困るんだよ。炭素年代測定に持っていくから新しい肉を貼られると困る」

 弓張の言う炭素年代測定ならば別に上から新しい肉を貼ったところで頭蓋骨の年代測定に影響はない。生きているなら別だが、既に代謝を行っていないのだから年代測定に影響が出ない。そういう事は分かっていながら弓張はどうしても滝川に頭蓋骨を渡したくないと言い張る。村山には予測でしかないが、滝川が「肉を貼る」というのはまさにあの動く死体と同義に扱われるのではないか。死体が動いていて、更に生きている間の全てを再現するなら確かに『代謝』されても不思議ではない。

 真っ白な、純真無垢なリン酸カルシウムを珠のように扱う滝川の行動にもそろそろ飽きてきた。滝川の直属の上司に船を出してやることにする。

「滝川警部。そろそろ良いんじゃないですか。遊んでいないで――」

「遊んでなんかないものっ」

 目の端に玉の涙を浮かべて胸にぎゅっと白骨を抱き込む。村山は不覚にも死んだ我が子を抱える母親のような姿を幻視したが、滝川は未婚で、子供もいない。そもそも性的かどうかは知らないが趣味性として遺体や白骨にこれほどまで愛情を注いでいる滝川に浮いた話があるのかすら疑わしい。疑わしいも何も、無いのだろうが。

「じゃあ雑対係にまでわざわざ押しかけてきて何を云ってるんですか」

「わざわざ押しかけるって。あたしも雑対係よ?」

「え、そうなんですか」

 二人だけの係なのかと思っていた。正確には配属されてからしっかりとした『説明』など受けていないのだから誰が雑対係に所属しているのかよく知らないというのが事実。

 業務内容すら良く分からない係に警察学校中途から赴任させられて、なにもかもにケチが付いている。

「ああ、そうだな。村山、お前それ預かってろ。まだ年代測定の申請出してないから、まりねに取られないように預かっててくれ」

 既に滝川警部からその頭蓋骨を取り上げる事を諦めてソファーに寝転がり始める。

 タヌ吉ことエセタヌキも飼い主である弓張警視の元に寄って行き、腹に飛び乗って似たように暇を持て余し始める。喋って意思疎通できるのだから懐いてしかるべきだが、タヌキとは人に馴れてこうも行動全てが人間くさいモノだろうか。タヌキなのだから犬猫に近く、どこかに丸まって安穏とした時間を取りそうだが見たところタヌキは弓張の腹に乗りかかってじゃれついている。構って貰いたいようだが弓張にはそこまでの体力はないらしい。ひっくり返ったカエルよろしくタヌキに良いように腹の上で遊ばれている弓張はどこか遠くを見ているようだった。遠くと言っても結局、視線は天井に向いているのだがその怠そうに半開きになった目は天井に留まっていなかった。

「わかりました。わかりましたよ、預かっておきますから」

 村山はその手を出して滝川の持つ頭蓋骨を寄越すのを待つ。貫き殺されるのではないかと言うほど唇をとがらせてぶー垂れながら滝川は大人しく頭蓋骨を手渡した。ずっしりと重い、真っ白な骨。真珠もかくやという程に美しい、子供大の頭蓋骨はどうにもこの世のモノとは思えないほどの威圧感を村山に与えていた。

「ああ、まりね。ちょっとアレ買ってきてくれ」

「自分で行けばいいじゃない」

「たのむよー、考え事したいんだ。そうだ、あんみつも買ってきて良い。奢るぞ」

 膨れっ面でぶー垂れながら更に文句を言いつつ拒否していた顔が、一瞬にして綻んだ。買収される速度があまりにも速すぎる。物欲しそうな顔をしたまま村山に渡した頭蓋骨を見ていた滝川が、生きた人間の方に注意を一瞬にして振り向けた。村山は思う、訂正したいと。浮いた話の一つもないなどと勝手に決めつけたが、浮くかも知れない。

「二百五十円のおっきい方でも良いのっ?」

「ああ、良い。大きい方で良いぞ。なんなら二つでもいいから、とっとと行け」

 タヌキを腹の上にのせたまま、器用に尻のポケットから長財布を抜き出し、滝川に投げて寄越した。いくつか大切な身分証明になるカードも入っているとか弓張はそう滝川に釘を刺すのだが、現金だけ渡してしまえば良いモノをどうしてか財布ごと滝川に貸してしまう。そういう上司のテキトウなところが気にはなるが、ある意味では広い心で構えているのだと解釈する事にした。

 エセタヌキに年増と言われていた滝川がまさかのスキップで雑対係の部屋を退出し、どこかに去っていった。財布そのものを握りしめて行ってしまったが本当に良かったのだろうか。

「村山。どうだった」

 ぼそっと呟いたような声。それでも聞こえるのだから、ただ必要な声量だけを用いたのだろう。面倒くさがりにも程があるなどとはもう思わない。滝川に財布を渡してまで追い払ったのだから村山の進捗に関わって話があると見た。

「公園で子供が増えるって云う話、知っていたんですよね。どうして始めから云っておいてくれないんですか」

「きゃっきゃうふふするだけの簡単な仕事だと思ってたんだが。何かまずかったのか?」

「日を改めなければならないみたいです」

「ん?」

 弓張は腹にタヌキを乗せたまま、天井を眺めたまま眉根を寄せる。簡単な仕事を押しつけたはずだがどうにも話が見えなくなったという所か。遠くを見ていた視線が天井に固定され、天井に村山の子細でも思い描いて事の始終を見極めたいらしい。

「月曜、水曜、金曜。この曜日に行われる近所の高校主催、紙芝居の日に限定して現れるらしいんです。それと今日、歩いて一人少年を発見しましたが異質な空間に取り残されていて。その、タヌキが今日は無理だと云うので」

「それで」

「ですから、明日もう一度行こうかと思っています」

「そうか、そうだな。もう一度行ってやれ。ちゃんと助けろ」

 他人事だ。今日は別件で弓張は滝川とどこかへ行っていた。その戦利品が村山に押しつけられた頭蓋骨なのだとしたら弓張達の仕事はもう無いのではないか。だったら明日の紙芝居時に手伝って欲しい。何も出来ない村山よりも弓張も滝川も、十二分に活躍できるだろう。何の手段も持ち合わせていないのだから、目的地までの運転手くらいに考えて欲しいのだが。そうも行かないらしい。

「一緒に来て貰えないんですか」

「明日はまりねの師匠に会いに行く予定がある。こゆりと一緒に頑張ってこい」

「うーっ! また三下と公園なのっ」

 突然、尻尾の毛を逆立てて食ってかかるエセタヌキ。どうしてこれだけ毛嫌いされているのか村山には分からないが、嫌だという相手を無理に引き回す事はないのではないか。タヌキが上手く食い下がってくれるなら村山の相方は別人になるかも知れないし、公園に行くことも無いかも知れない。

「ダメだ。一回受けた仕事は最後までやり通してこい。俺たちは信用が第一だよ、信用が」

 天井を眺めて考え事にふけるだけの信用は足るのだろうか。

 眉根を寄せて天井を眺め、考え事をしている。それはおそらく信用していた相手からの情報に嫌悪感や不快感を抱いたから行われている行為だろう。信用が必要な仕事だというのだから、その信用に足る相手からの情報が『間違っていなかったが正確でもなかった』というのはやはり気がかりらしい。

 『少年少女ときゃっきゃうふふ』――それがどういう意味で扱われるかは兎も角、戯れに与えられたような仕事内容だと思っていたらしい。下手すれば死ぬかも知れないというのは、実際の所「弓張が行って」という前提があってのことかも知れない。

 それを慮ってくれるものだと思っていたら、どうしてか弓張はタヌキを抱え上げて起き上がり、村山にタヌキを突きだしてきた。

「こゆりが居れば問題ない」

「そんな無責任な」

「ああ、そうだな。そうだな、無責任だな」

 言い終わると同時、タヌキを村山に押しつけてまた寝転がってしまう。滝川と一悶着あった事もそうだが、他にも何かあったのではないのだろうか。

 心此処にあらず、天上に向かって今にも昇天しそうな虚ろな上司を横目に、タヌキを片手で抱え、そっと事務机に置いてもう片方の手に持っていた頭蓋骨を村山に与えられた机の最下段の引き出しに仕舞い込むことにした。事務机は四つ。向かい合わせに二台ずつ部屋の中央に揃えられていて、その内一つは上司の弓張の机で、斜め向かいにある机が村山に与えられたものだった。

 ただ、与えられたからと言ってそこに何か存在していたわけではない。前任者が居たわけでもなく、必要書類が積まれていた事もない。書類など東都統括第一警察署管内の盆踊り大会についての署雑務案内などという広報書類だけだ。何が悲しくてすっきり広々とした机の上に子供向けなのか、良く分からない動物のキャラクターがやぐらの周りを踊る広報書面を一枚だけ載せていなければならないのか。

 机の用途は村山が自身で持ち込んだ法律関連書籍やあらゆる武術、逮捕術などの書籍で、それらが机の上に整頓されて並べているのがあまりにも悲しい。悲しいを通り越して逆にすがすがしい。

 考えてみる。一日中雑用だけ押しつけられて、それ以外の時間は警察学校で習わなかった法律や体術を本で読んで覚えるだけ。たまに型や状態変化の確認のために空気相手に実践してみる程度だ。

 一人、税金を食いつぶして意味不明な行動を執る係。もちろん上司も居るには居るが上司はただ税金を食いつぶしている様には見えないのだから、結局一人で相撲を取っているのは自分自身だと、いっそすがすがしいのだ。

 村山は机に突っ伏した。敗北した。もう今日はなにもやる気が起きない。それに既に業務時間は終わりを向かえる。やることが無いのだから定時に帰っても誰も文句は言わない係だった。そんな、酷い閑職なのだ。

 机に置いたタヌキが不思議そうに村山を眺めている。不思議そうにと言うのは正しくない。タヌキの顔面にはそれほど表情筋と呼べるような物は無く、威嚇する際に剝いて牙をみせる口と、鼻の付け根にしわが寄るだけだ。それでも村山にはタヌキが不思議そうにこちらを見ている風に映った。

 タヌキごときに同情して貰いたい。などと、思ってみたのだろうか。

「たっだいまーっ」

 近所のコンビニの袋を振りかざしながら滝川が帰ってきた。扉を勢いよく開けたのは良いが薄いのだから考えて欲しい。たわんで異様な震え方をする雑対係の薄っぺらい板扉が悲鳴を上げ続けた。

 滝川はその扉の叫びにも嘆きにも近い音を無視して部屋に入り、村山の向かいの机にどんとビニール袋を置いた。

「全員の分あるわよ。タヌ吉はドックフードで良いわよね?」

 半笑いでタヌキに語りかける滝川。タヌキが人語を理解していると知っていなければ明らかに不審者のそれだ。そんな滝川に文字通り食ってかかる勢いでエセタヌキが散らし始める。

「何よぉっ! あたちもあんみつぅっ!」

 タヌキもあんみつを所望している。村山はそんな二百五十円程度の菓子に興味はなくなった。机に頭から突っ伏して己の不運と無力を嘆くほか無い。

 三人寄らずとも、女性は姦しいらしい。滝川一人でタヌキと奇妙な格闘を始めた。大きいビニール袋からどんぶり飯の様な器を四つも取り出して縦に重ね、タヌキに盗られまいと両手で高く掲げて不敵な笑みを浮かべて勝ち誇っている。

 大人げない上に、タヌキの飼い主である弓張が出資した菓子である。

 タヌキが性別雌なのは口ぶりから察することが出来るが、喋るからと言って察してやる程なのだろうか。

 そして今頭上をタヌキと滝川の攻防が行われているのだろうが、横目で見た『あんみつ』とやら、それが正常な大きさなのだろうか。

「まりね、アレは」

「あるわよ」

 ソファーから起き上がった弓張の顔には精気がなかった。何か差し迫った危機があったわけでも、精神的に参るような事も村山と共に居る時間中には一切無かった。村山は自らが仕舞い込んだ頭蓋骨に思い当たる。それがどういう物なのか、見当もつかないが次に引き開ける時は気を引き締めてかからねばならないかも知れない。

 無言で滝川はコンビニの袋から三つほど青い氷菓を取り出した。五、六十円ほどでどこのコンビニでもスーパーでも売っている氷菓。かき氷を圧縮した様なモノが木の棒を軸としてビニールの袋に入っている、ごく普通の氷菓子。ある程度の確率で棒には『アタリ』と印字されていて、その『アタリ』棒を購入店に持っていくともう一つ貰えるというあの商品だ。

 弓張はそれがお気に入りであるらしい。二百五十円もするあんみつを無視してまでアタリ付きの氷菓子を選ぶというのだから単なる好みと言うよりも義務感のような物があるのかも知れない。そういえば、いつぞやもあのアタリ棒を咥えていた気がする。

 机に突っ伏したまま顔だけ向けて斜め後ろの壁にあるソファーを覗き見る。弓張は一つだけ袋を開けて食べ始めるが、どうにも暑さで表面が溶けていたらしい。ぬれて内側がぴったりと張り付いたビニール袋をソファーのそばにあったゴミ箱にそのまま放り投げて急いで氷に齧り付いていた。

 その速度が尋常ではない。その速度で食べ続ければ目に見えている。

「ぬぉっ!」

 一瞬、声を上げたかと思うと「――っ」声を失って氷菓を持たぬ左手で頭部をたたき出す。冷たい物をそれだけ急いで食べば誰だってそうなるのは目に見えているのに。

「~~っ!」

 しかし、頭が痛いだろうに食べるペースを一向に落とさず、一つ食べ終えるや否や次の袋を開けていた。いまここで三本も消化しようと言うのか。

 奇異の目で弓張の行動を眺める。やはり弓張は三本ともそれはもう親の敵か、頭部に拳銃でも突きつけられて脅迫されているかと思わんばかりの勢いで三本とも食べきった。食べきったのだが、軸の木の棒は三本ともが手に残っている。そして、よく見れば……

 アタリ、アタリ、アタリ。

「なっ」

「まりね、ちり紙」

「ティッシュね、ティッシュ」

 滝川がティッシュを置いたの弓張の机の上だった。そこまでアタリの棒を持っていって丁寧に並べ、もう一枚を三本に覆い被せてしまった。このまま乾くまで放置するらしい。

「三本ともアタリって、凄いですよ。あり得ない。何か買う時のコツでも――」

「ないわよ」

 買ってきた張本人、滝川まりねが断言する。三本とも当たったのは奇跡だと、そう言いたいらしい。それを許さない男が一人だけ居るが。

「俺が食べると必ず当たる」

 食べ終えてアタリの棒を机に置くと、また弓張はいそいそとソファーに戻り、寝転がってしまった。食べた後にすぐ寝転がると――などと軽口を言う暇もなく、ソファーの背もたれ、壁側に顔を向けて寝に入ってしまう。

 そんな弓張の行動を当たり前のように無視してタヌキのために買ってきたどんぶりサイズのあんみつを開けてやり、一つついでとばかりに村山にも差し出してくる滝川。タヌキと喧嘩していた癖に、なんだかんだで面倒見はいいらしい。

「食べながら説明するから」

 タヌキにしてやったようにどんぶり容器を開けてあんこと各種具の入った袋を取り出して開け、容器に移し始める。色つき寒天に白玉の団子、シロップ漬けのフルーツがいくつか入っていて、それらがどんぶりの様な容器に収まる。その上から百グラムはありそうなあんこをかけていく。コンビニの袋からスプーンを取り出して一つを村山に寄越し、もう一つは自分で使って食べ始める滝川。

 タヌキにスプーンが当たらないのはつかめる手が無いから。それに当のタヌキは容器に頭を突っ込んで食べ始めていた。まさに獣地味た所作である。

「説明って、何かあるんですか」

「あなたが期待しているような説明ではないと思うけれど、それでも必要そうだから」

 滝川はそう前置きして話し始める。

「今日あたし達が行ってきたのは、魔法使いの縄張りの中。そこでさっきの子を見つけたのよ。あんまり警視は魔法使いが好きじゃないみたいだから、ああいう事になってるのよ」

 ああいうことと言うのは、今まさにふて腐れた様にソファーで寝転がっている事なのだろう。正確にはふて腐れていると言うよりも後悔しているとか、見てはいけないモノを見た後に『そっとしておいてくれ』と言って黙りを決め込むヤツだろう。

「まあ、当初予定していたよりは簡単に終わったんだけれど、内容が内容だったのよ」

 魔法使いというモノを簡単に信じられるかと言われれば、それは無理だ。確かに紙切れの中からタヌキを出す弓張や、死体を動かしていた滝川をそういう解釈で捉えれば確かに魔法使いになる。けれど、良識や常識があれば無理だ。そんなものを見ても手品だと言い張ってしまえば全てが嘘やまやかし、偽装に虚言になり果てるはずだ。

 それでも、信じなければならない。隣の空き机の上に二本足で立ったタヌキがどんぶりに頭を突っ込んで「旨い、旨い」と食べた分だけ感想を口から漏らしているのだから。

 自分が体験した事、見たこと、感じたことが嘘ではないと言い張る。自分の無力をこれ以上忌避する訳にはいかないのだと。

「そこで、ただ一つだけ見つけたのよ。彼女を」


 顎から下のない。上顎骨より頭頂部に至る、ニンゲンの頭部の骨。滝川が彼女と呼ぶその頭蓋骨は、弓張と滝川の唯一の戦利品であり、救いらしい。

 弓張と滝川が向かったのは何の変哲もないマンション。八階建てで各フロアの部屋数は十二部屋。オートロック式のマンションで、3LDK、各階一律家賃は八万七千円。管理費、車一台分の駐車場代を含んでの価格らしい。マンションの立地や部屋の数、備品状態、収納、トイレや風呂などの各設備には一切の不備は無いがどう考えても周りの賃貸物件よりも遙かに低価格だった。

 それもそのはず、そのマンションはイワクツキ。世に言う事故物件というモノだ。

 普通ならば一室だけが事故扱いになるのだが、その昔、七階の一室で硫化水素を発生させて自殺者が出た。その自殺者は午後七時という時間に、硫化水素を発生させたらしい。硫化水素は空気よりも重く、七階の風呂場一杯からあふれ出た無色透明な激臭を放つ魔物は下階の家族や一室をルームシェアをしていた大学生達を襲った。

 死者十三名。

 イワクツキの物件は取り壊されることもなく、そのままイワクツキの物件として今も賃貸として貸し出されていた。

 硫化水素を発生させた者が魔法使いだったのか、それは全く違う。

 イワクツキの物件だと周知されている場所に集まる人間とは『物好き』な人間でしかない。ただ、その中に一人、本当の『モノ好き』が居たと言うだけの話だ。


「アタリを引かなくて良かった」

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