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 他サイトにも重複投稿。


 ゆうやけこやけでひがくれて、やまのおてらのかねがなる。

 おててつないでみなかえる。鴉がいっしょにかえりましょ。

 こどもがかえったあとからは、くろいみえないおつきさま。

 ことりがゆめをみるころは、そらに――

 形状の変る軟体物に襲われ、遺体が動くなどと言うふざけた初任務の日から一週間。

 村山は何に突き動かされたとも言わず、弓張に黙ってあらゆる実技訓練をしていた。

 拳銃、柔道、剣道。本来は選択制である柔道、剣道の訓練に両方参加したのは単純に恐ろしかったという理由以外の他にない。

 更に軍式の柔術やボクシングなど、あらゆる体術の参考書籍を買い集めて数日読み続けていた。時にはデスクから立ち上がって狭い係の部屋で出来うる限りに動いてみたものの、それが本当に教科書通りなのか一々不安に思う程、村山は困惑していた。

 そもそも警察学校ですら他の同期と違い早く追い出され、突然この雑対係などという世にも不思議な係に配属されたのだった。通常なら法律や拳銃の扱い方から逮捕術のイロハまで教わっているであろうに、村山の処遇は明らかに他のそれからは逸脱していたし、その短い期間に学んだことなど微々たるものでしかないと本人は考えていた。

 事実、署内では村山へのアタリは強く、階級的に上であっても雑対係の村山相手に媚びる必要はないと陰や日向で良いように言われているのが現実であり、誰も彼の苦労や悩みになど同情しなかった。

 そして最も彼を慮るべき上司はその雑対係の部屋にいないのだ。

 まる一週間もの間、部下一人を残して。

「村山ぁっ、便所の電気換えてっ」

 明らかに部屋のために設えられた扉の音では無い。薄っぺらいベニヤの板を渋々扉と言い切る詐欺まがいの押し売り施工業者に頼んだような扉を蹴り開けて、女性警官が入ってきて第一声がソレだった。

 ちなんでおくと村山は先ほど男性用トイレに行ったばかりで、蛍光管の切れそうなものは一つもなかった。そうなると彼に思い当たる『便所』とは女性用のトイレか、一般人の立ち入りを許可された一階部分の公共男女トイレの三カ所。

「どこのですか……」

「そこの」

 見えもしないのにすっと横に指でさして、更に当たり前の様に顎で早く行けと村山に示している。どうやら雑対係の並びにある女性職員用のトイレらしい。

 一応だが彼女は村山よりも年下だった。二十一歳、交通課の巡査。二十四歳、警部補である村山よりも年齢も階級も下だが、村山の扱いは底辺だった。

 一週間、上司の弓張が居ないときに警察学校で学ぶはずだった事柄を必死に覚え、更に得体の知れないアレや死体が起き上がって返事をするという意味不明な状況に耐え得るべく、心身ともに鍛えていると当たり前のように雑用が舞い込んだ。

 体術の本や法律関連書物、精神分析の書籍まで手当たり次第に飲み込んでいる時にその雑用を押しつける来訪者。そもそもが逸脱した存在である村山の焦りに拍車をかけることとなるその雑用。流石に苛立たしく、

「女性用のトイレじゃないですか」

「ああ? ちゃんと清掃中の看板立ててきたから誰も居ないわ。さっさと換えてくれる?」

「……」

 そこまでやるのなら自分で取り替えた方が早いのではないか。それほど天井も高くない署なのだから、三段分の脚立を使えば女性でも十分に手が届きそうなほど天井は低い。

「おら、早く」

「はぁ……」


 渋々いつもの備品倉庫まで出向いて蛍光管を持ち出し、女性職員用の一階のトイレに向かう。トイレの前には先ほど扉を蹴り開けた巡査が待っていて、その横には確かに清掃中の看板があった。

「ちょっと待って。一応、人がいないか確認するから」

 そう言って個室の並ぶトイレに入り、1分も経たぬうちに中から入れとの声。

「あれ、そこの蛍光灯」

 トイレの中で腕を組んで仁王立ちした巡査が顎で示す。奥まった個室の直上にある蛍光管で、個室二つをまたいで伸びていた。それが明滅すら忘れて完全に沈黙を決め込んでいる。

 そんな場所なら脚立を用いなくても、トイレの蓋を閉めてその上に立てば誰でも取り替えられそうな位置で、わざわざ雑対係まで押しかける意味が分からなかった。別に惚れた相手に会いに来る訳でも無し、人に喧嘩を売るような態度で命令する意図が全く見えない。

「嗅ぐなよ」

「は?」

「トイレの匂いとか嗅ぐなって云ってんの」

「なんでそんなこと。俺にはそんな趣味は無い。そんなことする様な変態じゃないぞ。なんでそうなる」

「え、だってあの係の部屋で変な動きしてるって噂になってたから変態なのかと」

 むすっとした顔を崩すことなく尊大な態度で本人を前に、変態だと思っていたと女性用トイレで打ち明けられる村山。完全に扱いが底辺だった。そして動きと匂いを嗅ぐ行為がどう結びつくのか委細問い詰めてやりたい。

 変な動きに見えたのは体術の型を有る程度、動作を付けて覚えた方が良いという思いからの行動で、雑用を押しつけに訪れる人達から奇異に見られていただけの事だが、それを説明するのももう諦めた。

 村山は面倒な相手の監視対象から早く外れたいが為に赴任から培ってきた雑用スキルを用いてなんの事無く手早く蛍光管を交換し終える。古くなって使えなくなった蛍光管を新品が入っていたボール紙の箱に押し込みつつ、女性職員用トイレから廊下に出た。

 その後ろから腕を組んだまま巡査が出てきたが、廊下に出て彼女の動きが止まった。

『清掃中』その看板が置かれたトイレから男女が出てきて、それを目撃した者が居た。

「警視、どこ行ってたんですか」

 村山の上司、弓張警視。村山は手に持った蛍光管から弓張なら察してくれるだろうと声をかけたのだが、目の前で制止したまま動こうとしなくなった事に多少の焦りが出る。

「け、蛍光管がですね」

「うん、そうだな」

 その弓張の腕に抱かれているタヌキの方に、村山は酷く焦った。

「あ、それレッサーパンダよね。あのパスカル的な、レッサー」

「パスカルはアライグマだ。そしてこいつはタヌキだ。どうしてそんな法則めいたキャラクターを思い出すんだよ。松田、早く課に帰れ」

「ほーい。警視、りょーかいです」

 テキトウに、それはもうぞんざいと言えるほどの雑な敬礼をしててててと自分の課に戻っていった。

 その間、村山は弓張に抱かれたタヌキの視線の先を予想していた。二つのつぶらな瞳がずっと壁を見つめている。ただ一点。壁に付けられているであろう、赤い丸と三角形で構成された、女性用トイレの札を見つめているに違いなかった。

「お楽しみだったよーね、三下」

「楽しくねーよっ」

「はぐっ」

「あぶないっ!」


「それで、一週間もどこに行ってたんですか」

「非科学的な調査機関だな」

「もう流石にツッコミませんよ」

「そりゃあ助かる。ブタだったからな」

「ブタ?」

「ああ、時間がかかるから他の捜査だ」

 怠そうにソファーにふんぞり返って座る弓張。何があったのか村山には知る由もないがとにかく怠そうにエセタヌキを抱えたままソファーに腰掛けたくなる様な場所に行っていたのだろう。

 弓張曰くやはり山梨和世の携帯電話はその『所持』自体が既に消去されていて、山梨和世は携帯電話などという文明の利器から縁遠い女だとでも言いたいのか、一切の履歴が残っていなかったらしい。どういう支払いをしていたのか分からないが、彼女が携帯電話会社への支払いに用いた支払い方法すら完全に消去されていた。カード決済なのか、銀行引き落としなのか、公共機関での払い込みなのか。そんな支払い方法からあらゆる関係機関の履歴から携帯電話を持っていた事実が消されていたらしい。

 その隠蔽された事実を洗い出すのは別の機関に任せるらしく、他に与えられた捜査をしろと頭を押さえ付けられたと言う。

「今回の捜査内容は」

 ずるっとソファーに滑るようにして寝転がり、完全にやる気は見えなくなった弓張。

「内容は?」

 放っておくとエセタヌキを抱えたまま眠りこけそうな上司の尻を、一週間の成果が高く積まれたデスクから叩いてやることにする。

「少年少女ときゃっきゃうふふだ」

「まさか、少年少女の皮を被った化け物って事ですか?」

「あー、なんだ。察しが良いと助かる」

 余計なモノを当ててしまったという後悔と、またアレの様なモノの相手をしなければならないかと思うと気が重く、頭を抱えるしかない。

 少年少女の幽霊、化け物、よく分からないモノ。それを相手にするなら弓張とタヌキだけでも良いような気がするが「察しが良いと助かる」などと言うからには村山もかり出される可能性が高い。そもそも駆り出されたところで村山には『出来る事』など無いのだから、弓張やタヌキが頑張ればいいだろう。

「そうだな。俺、今回行けないからこゆりと一緒に行ってこい」

 すっと両手で抱きかかえていたエセタヌキを放し、手の平で追い払うようにエセタヌキを村山の方に差し向ける。放任されたエセタヌキすらもが振り返って困惑しているのだから、村山が困惑しないはずもない。

「え、ちょっ――どういう事ですかっ」

「なんであたちが三下のお守りしないといけないのよっ」

 ふんぞり返ってだらしない警視相手に、どうして人間とエセタヌキ一匹で食ってかからねばならないのか。理由は単純、共に相手が嫌だから。そもそも犬猿の仲と言うか、村山とこゆりの仲である。一方的にこゆりに嫌われていて、更にソレで心証を悪くして互いに嫌いなると言う下らない、単純な理由。

「こっちはまりねと更に別件を任された。んあー、なんだ。そっちよりハードな非科学的捜査を担当する。大丈夫だ、そっちは下手すりゃ死ぬ程度だ」

「ちょっ! 死ぬって何ですか、死ぬってっ!」

 流石に焦る。別に犯人逮捕のための強行班に着任した訳でもないのに捜査段階で死ねるほど危険らしい。それだったら――

「警視。警視の捜査と替えて貰う事は――」

「こっちは上手くできなきゃ死ぬぞ」

 ざっくりと簡単に。力が伴わないなら達成できないのだと言い切られた。言わんとしている事は『失敗できない仕事に無力なお前を連れて行けない』と。そしてその『お守り』としてエセタヌキが充てられた。無力であると、エセタヌキ以下であると。

 確かに警察官としても中途半端で、更にこの係ではどうして自分が居るのか分からない程、無力だった。

「にぃさま、だからってどうしてあたちがお守りなの。あの年増にすればいいじゃないっ」

「まりねに早さを求める気か? 無理だろ」

「ううぅ……」

 タヌキには思い当たるらしく、テカテカと光るリノリウムの床に後ろ足だけで立って、握れもしない前足を小刻みに振るわせていた。エセタヌキにしては屈辱的な判断だったのだろう。それを嫌々渋々ながら飲み込んでなんとか取り繕おうという態度が見て取れる。

 大人になるのは誰なのか、問われているらしい。

「……どこですか」

「工場街って分かるか? 東側にここから一時間の――」

「近くに住んでいたので分かりますよ」

「環状十二号線と工場街の境目にある千穂公園分かるか? 詳しい場所は俺は知らないんだが」

「ええ、分かります。自転車で十分くらいの距離に住んでました」

 環状の大通りなのだが北部の山間部まで貫いており、その辺りまで北上してしまうと片側三車線の道路は交通量に対して過剰容量である。東都を無駄に一周するという環状十二号南東部、沿岸部から始まる北進四十キロメートルほどの環状線外、東側。そこは中小企業や大企業の大規模工場が郡立する一大工業地帯である。反対に環状線内はその大規模工場群を維持し、勤労にいそしむ者の居住地域として発展してきた。

 そして村山の家族は過去、その環状十二号線内に在り村山は近隣の地理には多少の覚えがある。

「なら、適材適所って事だろ」

「死なないように全力で当たらせていただきます」

 引きつった笑顔が出来るのは、それなりに歳を重ねているのだと対外に知らしめるだけの知恵を持ったからだろう。


 日当たりの良くない公園。それが訪れた時の印象だった。

 スーツを着た男が昼間からずっとタヌキの様なモノを抱えてベンチに座っている光景は誰が見ても奇異だった。ぬいぐるみだとしてもどうしてそんなモノを抱えているのか。そしてぶつぶつとそのぬいぐるみのようなモノに話しかけては暴れ、公園で楽しく遊んでいた親子にしてみれば恐怖以外の何ものでもない。それを見ていた親は早々に我が子をその不審人物から逃がすし、親を引き連れて居ない年長の子供達は率先してその男を避けていた。親御さんの教育は何一つ間違っていないと胸を張ればいい。

 それはそれで個人のお宅の事情だが、その怪しい男とぬいぐるみの様な一匹は至って真面目に始終を過ごしていた。

 タヌキの癖に「変なところを触った」だとか言い出してこのザマである。

「あぶないっ! あぶないからっ」

「はうっ! はぐっ!」

 村山の配属された東都統括第一警察署から一台、捜査車両、所謂覆面パトカーを借り受けて千穂公園にやってきていた。覆面パトカーと言っても派手にカーチェイスが出来るようなセダン型ではなく、どうしてか複数人で使用するワゴン型の乗用車が充てられた。単純にセダン型が全て他事件で出払っていたという理由と、公園の駐車場にセダン型の乗用車を長時間駐めていると目立つからだそうだ。実際公園にはワンボックスの軽自動車やコンパクトカーが多く、女性向けの、母親が子供を送り迎えするための車が多かった。

 一応、外見上はファミリーカーの体で親子連れとして演出できるだのなんだのと言われたが、結局降りて長時間公園に入り浸っていれば別段車から身元を勘ぐられる事はないだろう。なんせ……

「ちょっと、キミ。こんなところで何してるの」

「……あ、えっと」

 紺色の制服、腰には鉄製の黒い棒、銀色の輪っかに、無線機。そんなものを携えた中年の男が白い自転車から降りて近づいて来た。

「なにそれ、ハクビシン?」

「……タヌキ、ですね」

「飼ってるの? 野生?」

「あ、いや、えっと……」

 なんと説明して良いのやら。タヌキを抱えて公園で化け物を探していましたなどと言うわけにもいかない。なんとこの場を乗り切ろうか考えていると中年の男は矢継ぎ早に喋り出す。

「身分証有る? ああ、その前にこのタヌキ首輪とかしてないけどやっぱり野生なの? 病気とか大丈夫なの? 野生なら保健所とかに――」

 保健所と聞いてタヌキが目を丸くする。そしてガタガタと音が聞こえるほど小刻みに顔を横に振ってこの状況をどうにかしてくれと懇願し始めていた。「保健所」だけはご遠慮願いたいと態度から明らかだった。何かあったのだろうが勘ぐってやりたくない。

「あのっ、身分証を――」

 タヌキを小脇に抱えて急いで内ポケットを漁る。そこにあるのは警察手帳。携帯義務を負っているのだからそこに有るのは当然だった。最初にそれを出さなかったのは単純にタヌキとの攻防で焦っていたからだと村山は思っていて、誰も彼に警察官のあり方を教える事はない。

「村山慶次警部補ぉ…… 警部補ッ!」

 半分怠そうに職質らしい事をしてきた中年の男が背筋を正して敬礼する。ただその相手はタヌキを小脇に抱えて警察手帳を提示するというなんとも意味不明な状況だが、慌てた様子から警部補未満の階級らしい。巡査部長とか、その辺りか。

「すみません。同業です」

「はあぁぁっ! しんずれいしました。警部補殿っ」

 別に大した階級差ではない。巡査、巡査長、巡査部長。そして警部補。

 国家公務員、所謂エリートコース、キャリア組である村山の初任階級が警部補だったと言うだけで、目の前の相手は単純に地方公務員として初任は巡査から始まった警察官だというだけだが、どうにも中年の警察官は村山をお偉いさんとでも思っているらしい。普通なら単独でスーツ姿の警察官は動かない。

「三島隆、巡査部長。千穂環状通りはすちゅじょのちょちょーをしてありんすますっ」

 別にそこまで畏敬を感じて貰うほどの階級差ではない。むしろ警察学校を中途半端な履行状態で出てきてしまった村山としては三島隆という巡査部長の方が大先輩であって、ここまで萎縮されると困る。第一、東都統括第一警察署内での扱いは底辺なのでこういうなんだかよく分からない視線で見られるのは初めてだった。

「あの…… 新米なので、普通にお願いします。普通に」

「はいぃぃっ! 警部補殿ぉっ!」

 びっと本当に音がするほど姿勢を正して三島隆巡査部長は直立である。別に階級が絶対ではないし、むしろ年功序列を主にした組織のはずだ。

「警部補殿は秘密捜査ですか? タヌキが爆弾を――的な?」

「……」

 秘密裏に。確かにその通りだがどうにもドラマの見過ぎではないだろうか、この巡査部長殿。どこのテロリストが言うことを聞かないタヌキに爆弾なんて持たせるのか。上手く体に括り付けられたとしても嫌がってすぐに千切って逃げそうだ。こんなタヌキのどこにテロリズム要素が存在しているのか三島に聞いてみたい。

「あの、確かに捜査なんですけど。テロとかそう云う派手なモノじゃなくてですね――」

「じゃあ、増える案件ですか?」

「増える?」

 何がどう増えると言うのか。


 少し日が傾いだ。日没まで後三十分と言ったところ。

 午後六時丁度。公園の表にある環状通り十二号線通りが帰宅の車で混み合っていた。タヌキを抱えた男が一人、公園のベンチから遠巻きにそれを眺めている。

 既に白い自転車と三島の姿はない。

 オレンジ色の西日が公園の木々から漏れて、万華鏡の中身の様に足下へ光を散らす。

 木々の間に、向こうでカラスが鳴いている。タヌキを抱えているからか、どうにもカラスは近くでは鳴いていない。街のカラスたちが公園の木々を寝床に帰る時間。

 同じように、人間の子供達も親に連れられ、自立心の芽生えた子供達は各々、家に帰って行く時間。

 そんな黄昏時の日常風景を男とタヌキは眺めながらあの話を思い出す。

 三時間ほど前に三島から聞いた、公園での「増える」話。

『いやね、この公園では子供が増えるそうなんですよ』

 なんとも形容しがたい案件を、三島は何とも形容しがたい顔をして語った。

 夕暮れ時。千穂公園では子供が増える。

 よく分からない噂だろうと思っていたのだが、どうしてか『事案』として千穂環状通派出所に届けられていた。子供がいなくなったと言うのなら事案として成立するものの、どうして『増えて』事案となるのか。

 三島曰く、千穂公園には毎週月曜、水曜、金曜。近くの高校から学生が来て幼児や児童を相手に紙芝居を上演するらしい。高校で伝統文化の継承という変った取り組みの一環らしい。

 その紙芝居は自由参加ではなく、人数を制限して上演される。都合上、後から入ることは出来ずロープの外側から立って観覧するしかない。ロープで四角く区切った内部にいる子供達にはブルーシートとござ布団、割り箸と水飴が配られるらしい。その準備数が限定二十名。座って見られるのはそれだけの人数。

 それが、増えるらしい。

 ちなみに紙芝居の上演は三回。午後三時から始まって一時間に一回ずつ。最終は午後五時から。そして増えるのはその最後の上演時、という事らしい。

 どうして増えたことが分かるのか。

 正確には分かっていないらしい。増えたと言うのはその実、正しい表現ではない。

『四角く囲われたブルーシートの上に上がる時は靴を脱いで上がるらしいんです。紙芝居上演が終わって子供達が帰る際、靴が一組足りないのです』

 それなら靴が盗られたのではないのか。しかし――

『ちゃんと顔を見て確認したそうですよ。誰がどの靴を履いて来ていたのかを』

 増えることが数回ならず、十回以上も続けば疑問に思ってもおかしくはない。不審に思った生徒や引率の教職員、そして紙芝居を監修している青年会のメンバーもが靴と子供を見ていたらしいのだが、どうしてか『一人、増えている』らしいのだ。

 事案として報告した理由として子供達に配っている水飴の事がある。人数分配っているはずだが、一人だけ靴が無いが、水飴を持っているらしい。そしてその子供の身元を確認するために派出所に届け出た。『増えた子供』として。

 しかし何のことはなく、増えた子供は近所の子供で、親御さんに確認すれば学校から帰ってきて、公園に遊びに行ったと言う。そしてどうしてか子供の靴は自宅の玄関に揃えられて存在しており、靴を履かずに公園へ行っただけと片付けられたという。

 しかし、靴を履いていない別の子供達が何度も紙芝居に現れる。水飴を持って。

 水飴を個人で買って来て、外からかいくぐってロープの内側に入ったという事もありそうだが、引率の教員や高校生達の見ている場所で一度として子供達は粗相をしたことは無いらしい。

「割り込まれたのね」

「は、あ? 割り込まれた?」

 夕暮れ時。ぬいぐるみのように一点を見つめたままのタヌキを抱えた男が、どこからかの声にアホのように声を裏返して聞き返す。

「あの子たちの存在に割り込まれたのよ。増えているんじゃないのよ、押し出されているの」

 もぞもぞと動き始めるタヌキ。するりと抱えていた両腕から抜け出して村山の前に器用にも後ろ足二本で立ち上がった。

「いくわよ、三下」

「……」

 一言だけだが既に行く気が失せた。消え失せた、消滅した。いや、始めから無かったに等しい程、タヌキの言葉に苛ついた。

「いくわよ、三下。割り込んだヤツを懲らしめに」

 右の前足を突きだして、左の前足を腰に当てて命令するタヌキ。誰も見ていないからこそ成立するやりとりだが、誰かに見られていたら明日のインチキスポーツ新聞の一面に『タヌキが芸をする』とでも載るかも知れない。


 日陰の多い公園。どうしてそうなっているのかよく分からないが、公園の南南東側に大きなマンションが建っている。上層階に居を構えれば港湾を一望できると喧伝されて高値が付いたマンションだったらしい。らしいというのは既に売約済みだからとか、古い話だからとかそう言う話ではない。マンションは公園に届く日を四割も遮ってそこに建ちそびえているが実際の所、誰も住んでいない。住んでいないと言うよりも売却される際に建築物として重大な欠陥があったらしい。なんでも設計通りの基礎工事を施工したにもかかわらず地盤が緩んで耐震基準を満たしていないとか。そんな危険な建物を子供達や大勢の人間が利用する公共施設の隣にあって良いのだろうか。普通ならば早急に取り壊しなどの対応にあたるのだろうが、所有している会社が耐震基準に適応するための工事を計画しているとかで未だ取り壊しの命令は行政側から出ていないらしい。

「アレのせいよ」

「マンション?」

「そ」

 見上げても真っ暗だった。西日を受けて壁面がオレンジ色に見えたとしても、部屋の全てに明かりはない。人の営みが消えた建物というのはそれそのものが暗く映る。物理的な明るさと、誰も居ないのだという事実から導き出される精神的な暗さが相まっている。

 暗がりになった公園を歩く。まだ西日が差している夕暮れ時だが、どうしてか街灯が役に立つ。単純に暗いから、そして道である証明として街灯の存在が大きいから。

「……」

 目があった。右手に割り箸の棒を提げて突っ立っている男の子が一人。紙芝居に来ている子供なら、確かに水飴の付いた割り箸を持っていてもおかしくはない。

 けれど、今日は火曜日。

 月曜、水曜、金曜。平日の三日。月曜から始まって、一日置いて紙芝居の日。

 もう一回、一日置いて、紙芝居。

 じゃあ、村山とタヌキの目の前に居る男の子は『何曜日』の子だろうか。

 答えは単純。

「あなた、昨日紙芝居に来た子なのね?」

「昨日? 今日は何日?」

「八月の十七日だよ」

 子供なら、世間一般学校に通っているなら夏の長い休みだ。残念ながら警察官の村山に長い休みは無いし、タヌキにだってそもそも休みなど無い。

 日陰が多すぎて夏だというのに嫌な涼しさがある。路面や地面の温度が上がらないためにそこから放射される熱がない。日陰に植えられた木々が必死に伸ばすせいで天高く青い葉が空を埋め、葉から放散される水分で湿っていた。

 陰湿。その言葉がすんなりと飲み下せるのは屋外にあってこの公園を置いて他にないと今なら断言できる。普通なら風通しも良いのだから、この晴れた日和にこうまで陰湿な空気を味わうことはないだろう。何かがおかしい。別に喋って変な能力を行使できるタヌキでなくとも、この空間が異質であることは理解できる。

 高く生い茂った広葉樹。どうして日陰にあるのにそこまで育っているのか分からないが、広げられた枝々の隙間は一切無い。あらゆる角度から日光を効率よく受けるために一枚として重ならないように隙間を埋めたのだろう。そのおかげで公園の一部は夕暮れ時は既に夜と大差なく見える。

 そんな暗い場所に、男の子が一人。

「どうして。今日は紙芝居の日でしょ? 十六日だよ」

 不思議そうに村山を見る男の子。確かに、喋るタヌキを連れた男など不思議以外の何ものでもない。不思議がっていてもらっても結局の所意味がないのだから、早く自宅に帰してやるのが警察官だろう。

「早くおうちに帰りなさい。もう暗く――」

「ダメよ。三下」

 先行していたタヌキが静かに、ただ村山の言葉を遮った。二本足で立っているタヌキを見て男の子は驚いたし、口を動かして日本語を喋るタヌキに目玉が飛び出そうなほどびっくりしていた。

「この子は向こう側に居るの。無理に戻そうとしたら死ぬわよ。割り込んだヤツをどうにかしないとダメよ」

「……どうにかって。またあのなんか、出すヤツか?」

「なんであたちが毎回やらないといけないのよ。三下がきりきり働けばいいのよ」

 何をどうすればいいのか全く分からないがタヌキはどうにも村山に解決させる予定らしく、とりあえず目の前にいる男の子には大人しくこのままそこに居て貰うことになった。

 タヌキ曰く、この男の子をここで連れて帰るわけにはいかないらしい。そうしなければ男の子が死ぬか、村山が死ぬかするらしい。おそらくそうだろうというタヌキの言葉がどうにも腑に落ちないが、流石によく分からない波動を出してアレを倒したタヌキが言うのだから無碍にするわけにもいかないだろう。

 暗くなる時分、子供を一人公園に放置して署に引き返す事にした。これで警察官の本分を果たせるのか。甚だ疑問である。

「死にたくないのなら。殺したくないのなら今日は帰りましょ。カラスが鳴いたから」

 鬱蒼とした木々の間に、闇ともカラスとも付かぬソレが音無く村山とタヌキを見送った。

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