25 END
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回転拳銃を見つけた。弾は、入っていない。誰かが持ち去ったのか、それとも、入っていなかったのか。いや、入れる為の弾は、もう作れないのだろう――
「森田は死んだ」
咥えていた真っ青な氷菓を口から直に床へ落とし、中途半端に溶けたクチナシ着色の氷山が徐々にその勢力を床で拡大した。
「死んだ?」
報告を受けたのは東都統括第一警察署。ぶっ壊れたドアノブの修理を放棄した雑対係での事。
松葉杖をついた蛭ヶ谷が不服そうに、不機嫌な顔のまま部屋へ入るなりの第一声が「森田は死んだ」だった。
「死んだって、昨日の今日ですよ」
「つーか、昨日死んでたらしい」
「らしいって、どういう事ですか」
「報告を、報告しに来たって云うだけだ。俺も知らない」
一昨日、深夜。弓張三千代は遂に森田の下で十七歳の少女を保護した。
外傷が酷く、精神的にも不安定だったらしい。それよりもタヌキ娘曰く、にぃさまが気持ち悪いくらい必死に女の子を助けていたとかで、不機嫌面を貼り付けて弓張三千代の机の向かいの席で、腕を組んだままふんぞり返って怒り顔である。その隣が村山の席なのだから、要らぬ気疲れを起こす。
ちなみに対面の席に弓張三千代本人の姿はなく、タヌキ娘の後ろ、ソファーに怠そうに座りつつ右手だけで器用にアイスの袋を破り開け、これまた上手く食べている最中に落としたらしい。
昨日は森田の「城」とやら、マンションの一室を見分することになった。
鑑識班が入って見分するものだと思っていたのだが、魔法使いの城ですなどと云ってまともに取り合ってくれるはずがないのである。どこからか良く解らない圧力がかかり、本職の鑑識が入ることなく、村山達雑対係が見分した。
その次の日が今日という日で、今まさにソファーに座ってアイスを落とした上司に報告書の制作を丸投げされ、見分内容を警察官になって初めて報告書にしている。面倒には面倒だったが、有る意味で最も警察官らしい事務作業に喜び半分、悔しさ半分だったのだが。
「誰が殺した」
「あの、殺したって……」
人間が死んだからと言って、全てが殺人であるはずがない。
上司が気にかけているのは「術式で昏倒させたはずだが、逃げられた」という言葉の先にある、後遺症での死亡だろうか。それなら直接原因は上司になるかも知れないが。
ソファーに近づく蛭ヶ谷が口を開いたのだが、
「それが――」
「あー、それ俺だ」
「……」
弓張三千代、タヌキ娘、滝川まりね、蛭ヶ谷の四名が皆すくみ上がって扉の方を見た。
「よっ」
村山も上司や蛭ヶ谷に習い、部屋の入り口を見ると火の付いたタバコを煙らせて、何の悪びれもなく「俺だ」と言って入ってきた。
見た目からして、うさんくさい男だった。
禁煙である。警察署内は昔から禁煙となっている。各階に一箇所ずつ、計三箇所、トイレ横にわざわざ喫煙室を設けてあるのに、警察官が跋扈する警察署で堂々のマナー違反である。誰かここまでの間に指摘しなかったのか。
「誰だ」
「説明してないのか」
「これからです……」
膝のところが破れている穴の開いたジーンズに、ふくよかな人向けの、丈も幅も合わない英語で侮蔑語や罵倒語の羅列がプリントされただらしないTシャツを着、値札やメーカータグが付いたままの野球帽を前後反対に被った銀髪の男が、足を左右放り投げるようにだらだらと歩いて近づいてきた。
「灰皿は」
「……ねぇよ」
落としたアイスを名残惜しそうにティッシュで包み取り、村山の机とタヌキ娘が使っている机の間に置いてあったゴミ箱へ、軽く放った弓張三千代が当然とばかりに吐き捨てた。
「まあいい。新しくここの管理を任された。クロウセルって云う――」
「森田を殺したっていうのは本当か」
左手の人差し指と中指で挟んだ、今にも灰が落ちそうなタバコを、うさんくさい男は右手で握りつぶした。握り込んだ手の中からオレンジ色の炎が一瞬漏れ出し、次に開いた時、そこには何もなかった。
「全権を委任された。勅命だ。文句は受け付けない」
否定も肯定もせず、事務的なことを言い出した。答えになっていない。
「てめぇらの都合なんてどうでも良いんだよ。俺は、殺したのか、そうじゃないのかって訊いてるんだよ」
「中途半端にダメージを与えて放置した後、後遺症で死んだ」
「――っ」
歯ぎしりが聞こえた。一度たりとも、上司がそんな事をした覚えがない。
「そう云われたら満足か。あ?」
「この野郎っ!」
いつか、いつかどこかで見たことがある様な光景が。
椅子から立ち上がり、目の前の男の胸ぐらを掴んで吊し上げる。誰がやったのか覚えていた。今まさに机で、報告書をしわくちゃに握りつぶした自分だ。
「俺は助ける事も出来たよ。こう見えてそれなりに出来る男だからな。だが、助けなかった。なぜだか解るか」
「……森田以外に、誰があの子達の精神を解放できるんだよっ」
酷く、酷く不釣り合いだった。警察官であるはずの上司が、警察官には見えない男を、どこかの安っぽいヤンキー風の男を右腕一本で吊し上げようとしている様が、あまりにも雑対係の部屋に不釣り合いだった。いつもなら、昼行灯を吊し上げられるのは、警察官の方なのだから。
「必要ないからだ。思い上がるな。命が平等だとでも思っているなら、お前の行いを悔い改めろ」
なんの事を言っているのか、村山には解らない。
「お前は中途半端だ。生易しい事ばかり並べて、この世がまかり通ると思うな。人間風情が」
見た目はうさんくさく、軽薄そうな、聞きかじったヤンキーを体現しただけの様な、明らかに風貌のおかしい男が、村山の理解できない範疇で弓張三千代を打ち負かしたらしい。
声もなく、力なく右手を離し、左腕を庇ったまま膝を屈したのは上司だった。
「小便臭いガキが図体だけデカくなったのがコレだ。本当に誰かを助けようと思うのなら、ぬるい事云って中途半端な事をするな。 ……まあ、今日は挨拶をしに来ただけだ」
あまりにも酷い打ちのめされ方をしている上司が不憫で仕方なかった。
得体の知れないモノを相手に、左腕を負傷し、散々遺体の山を見てただ一人救い出した少女に一瞬の救いを求めた上司が、まさか何処の誰とも知らない男に「中途半端」だと言われて打ちのめされた。
どうしようもなくなった。
「じゃあ、あなたは小便臭くない自信があるんですか」
上司の少年時代など知らない。小便臭かろうと、乳臭かろうと。知ったことではない。
ただ、父親と決別して家を飛び出そうなどという選択をした上司が、生ぬるい生き方をして来たとは思えなかった。
呆れて物も言えないと言った風な顔で村山の顔を見てきたが、次の言葉にはしっかりと反応した。
「俺たちは警察官なんですよ。あなたの云う生ぬるい正義感だけで仕事をしていたとしても、警視は子供達の模範になるべき仕事をしたと思いますよ」
報告書には、弓張三千代は被疑者森田繁之を捕まえるために、「死なないよう」に格闘したと記載されていた。タヌキ娘が、森田は死んで当然の行いをしたのだから、撃てば良かったのになどと言ったが、タヌキ娘の額を叩いてでも言を訂正させるほどに上司は固執していた。
その弓張の行為は、警察官としての矜持の在り方だと、村山は理解している。
「……子供の為の正義なんて、まかり通らないのが俺たちの生き方なんだよ」
「それを曲げようとしたんですよ。現に曲がって、人が助かりました」
うさんくさい格好をした銀髪の男が、ただ哀れむ様な目で村山を見た。
薄い青色の瞳が、哀れみの中に少々の羨みを込めて。
真珠が消えた。
あの夜、弓張家で、弦水神社で青い犬を捕まえたその夜。
弓張三千代とタヌキ娘が、森田の押さえていたマンションで少女を助け出した日。
弓張の実家では犬を捕まえた後、外部からの攻撃を防ぐ術式とやらで守りに入った。これで森田の後詰めがあっても耐え得るであろうと、デルシェリムやホウジンが協力し合って胸を張るのだから、村山はもう信じるほか無い。
弓張家の兄二人はどうやら東都での情報収集等で一泊するらしく、戦力は少ないだのと言っていたが、何事もなかった。
そう、何事も無かったのだ。
真珠が村山に抱きつくことも、食事中にふざけることも、寝ているところを襲うことも。
何もなかった。
忽然と消えた。
犬を質に森田の行動に制約を与え、打撃を与えるという事には成功したらしいのだが、青い犬を球体にした後の物や、真珠自身が消えた。
ホウジンに訊いてみたが解らないらしく、デルシェリムも驚くというくらいには、真珠が消える事は誰にも予想外だった。
報告書を書き終えた後、意気消沈した上司に一日休みを貰えないかと頼んだ。
どうせ森田の件は終わったのだ、事後処理等々は雑対係の仕事ではない。
捜査し、調査することだけが仕事らしいからだ。
クロウセルとか言う、うさんくさい男が上司を叩きのめした次の日。村山は午前中から千穂公園に居た。
午前中から居て、正午を過ぎ、それから数時間経っても、あの日、紙芝居を眺めたベンチに腰掛けていた。
八月二十二日、月曜日。
夕方。
四時開演の、この日二度目の紙芝居が終わり、小さな子供達は各々公園の遊具で遊び出したり、自転車に乗って帰って行く。それをベンチに座ったまま、眺めていた。
誰一人、靴が無いなどと言う事もない。それはそうだ、五時開演の、最後の上演の時それが起こる。それまで辛抱強く、村山は待ち続けていた。
無責任な南側のマンションが、その陰を公園に伸ばし始めた頃合い。
他にもベンチは空いていて、誰も座っていない場所が三つはあるのだが、何故か老紳士然とした男性が村山前に現れ、問うて来た。
「失礼。隣、よろしいか」
「どうぞ」
黒い高そうな杖を持っているが、フェルトの帽子を被った老紳士は杖など必要そうには見えないほど、壮健な様子だった。
しかし、その所作はやはり老人のものの様で、ゆっくりとした動きに、腰を労るような動きで尻の位置を確かめていた。
老紳士は両手を杖に置き、前のめりの姿勢で紙芝居を準備している高校生や、それを見守る青年会の面々を楽しそうに眺めていた。こういう光景を楽しんで余生を送れる人生というものは、さぞ楽しかろう。
「キミは、人間が使える最高の魔法を知っているだろうか」
「は?」
なんだ。何を言い出すんだ、この老爺は。
「無邪気な笑顔に優る魔法はないよ」
「は、はあ……」
「そうは思わないかい。村山慶次君」
紙芝居の下準備。それを眺めながら、笑顔のまま。話しかけた相手の表情など見る必要は無いとばかりに、村山の驚きを無視して老爺は名前を呼んできた。
「あなたは……」
「キミは、ここで何を得た。何を見て、どう感じて、どう思った」
「……わかりません」
自分がどうして千穂公園に、一人で来たのかもわからないのだ。
気がついたら上司に休みたいと請願し、自転車を漕いで辿り着いていた。
村山は真珠を捜しに来たのだろうと思っていたのだが、そんな自分が拳銃を腰に差したまま。上司から手渡された銃を携えたまま、子供達の居る千穂公園に自転車で来て、自分の行いを本当に理解できずにいた。
真珠を捜したいのか、会いたいのか。それとも、銃まで持ち歩いて、自分は――
「ここで出会った女の子は、本来ならばキミ自身が救うべきだったのかも知れない。それでも、残念なことに私も術者の端くれでね。私自身の渇望には抗えなくて。まあ、悪いことをしたと思っているよ」
「真珠を作ったのは、あなたなんですか」
「いいや。私は彼女の願いを叶えただけだ。彼女は元々居たんだよ」
「元々、居た?」
村山が老爺を見て話しているにも関わらず、老爺は紙芝居の、最後の上演の準備を見たまま喋っている。
「そう。これは取引だった。彼女はキミを守るための力が欲しいと。私はある男が持っているものが欲しいと。それが互いの出した契約の内容だ。お陰で楽に手に入った」
真珠が持っていたもの……あの青い犬を丸めた、黒い球体か。
それに、真珠がこの公園でおかしな事に荷担していたのは、それを手に入れるための布石だったのか。
「私は締結者でね。人間を守るようにと仰せつかって、それを成してきた。まあ、昨日解任されたがね。人間に有益に働くことを求められ、長らく自分の為に術式を行使して来なかった。魔が差したと思って貰って差し支えない」
あの青い犬の男がどうして出来たのか、村山は知らない。タヌキ娘や真珠のように出来たのだと思っていたのだが、真珠に奪わせるくらいだ。
真珠よりも利用価値があるのだろう。
「まあ、私が得たものなど、キミには興味はないだろうね。キミには利用価値すら無い。今日どうしても伝えたかった事は、私が得たものの事ではなく――」
青い犬がどう利用されるのかなど、確かに村山の興味の無い話だ。
「彼女が、願いの先になにを求めていたのかを教えておこうと思ってね」
「願いの、先?」
真珠が村山を守ろうとした理由……そんなものは知らない。
異常にべたべたとひっついて、嫁だの一姫二太郎だの言っていた気がするが、真珠が得体の知れないモノだという事を村山が知っていて忌避する事は、真珠自身、良く解っていたはずだ。
「村山慶次。父と、母の名前は?」
「え?」
なぜか父と母の名前を尋ねてきた。この分なら、おそらく父の名前も、母の名前も知っているだろうに。
「父は村山猛。母は村山麻子ですけど……」
「キミは親に尋ねた事はないのか。何故、自分の名前は慶次なのかと」
「いえ、ありませんけど」
「慶次。なぜ、兄弟の居ないキミが、次の字を当てられているのか、不思議には思わなかったのか?」
「……」
次の字。
そう言えば、慶治でも慶司でも良いはずだ。音が同じでも、字は別のものを当てても良いはずなのだ。どうして次の字が自分に当てられているのだろうか。両親の祖父母、親類縁者には慶の字が入る名前の人物は居ない。ならば、どうして次なのか。
「母親に訊くと良い。姉が居たはずだ。キミが生まれる前に、キミが奪った彼女のことを」
「奪った?」
どういう意味だ。
「キミは過保護に育ったろうね。なにせ子供が出来なかった夫婦にやっと生まれた子供だ」
「……そう、でしたけど」
村山の父と母は現在、既に五十代後半である。
「キミは出来損なったキミの姉を、その中に取り込んで初めて生まれることが出来た。そういう命なんだよ」
「あの……」
マンションの陰が、村山の足下まで迫っていた。
「キミは特殊な生まれ方をした、魔術学的には奇跡の生き物なんだよ。一卵性の異性双生児であり、胎内で育つ事が出来なかった姉を、欠損し始めていたキミが内に取り込んで、生まれた。生まれる前に、最も近しい者を殺した、我々もが羨む出生を経た。選れたる命だ」
確かに父と母は村山を過保護に育てた。それは長らく二人の間に子供が出来なかったからだとは教えられていたが、そんなものは別段珍しくない事だと思っていた。
だが、自分が生まれるまでに、父と母はどれだけの喜びと悲しみを経たのか、一人息子の村山は知る由もない。
「今のキミの頭蓋は、本来、彼女の物だ」
「――」
いつか、引き出しに入れていた白い頭を思い出した。
『魔力が白いんだ。真珠が嫌いそうなくらい、白い。真っ白だな』
まさか、あの頭は――
「アルビノは本来。体毛も白いのだよ。私が作ったのはあくまでも力だ」
ではなんだ。白い肌の真珠の、あの長い黒髪は。
老爺は。老紳士はすくと立ち上がり、杖など必要ないだろうに、歩みを始める。
「キミは願われている。その生を全うし終えることを」
村山の足下まで伸びた影。その影へ向かい、老紳士は消えていった。
「そうそう、レウガと云う。ファキダル・レウガ」
暗闇の中。老紳士が消えた先に、一人。
女の子が白い指を、唇に人差し指を当てていた。
「ふひひっ! ふひひひひぃっ!」
正直、どんなホラー映画よりも、帰りの道中。恐ろしくて仕方なかった。
「おい、休むんじゃなかったのか」
「休みですけど、それよりですね――」
「うへへっ、いひひひぃっ!」
気色悪い声がずっと聞こえ、自転車を降りて駆け込んだのは寺ではなく、もっと頼りがいのある場所だった。
「あら、真珠ちゃん帰ってきたの? どこに行ってたのよ」
「産婦人科にちょっと――」
「脳神経外科に行け、まずはそっちが優先だ」
「キモッ」
居ないなら居ないで良かったのだ。それなのに足が勝手に向かった公園で、要らぬモノを拾ってきたらしい。
拾ってこなくても、元々居ついた獣もいたらしいが。
「おい、真珠。良いのか、帰らなくて」
「……けいし様。わたくし、お兄様とちょー両思いらしいので、くんずほぐれつ仲良く暮らします」
「んあ、そ。お幸せに」
「はいっ!」
元気よく満面の笑みで、真珠が弓張に返事をしたのだが、気にくわないモノが約一名。
「キモッ」
それがタヌキ娘の中で流行っているのかどうか知ったことでは無いが、先ほどと全く同じように動作を付けつつ『気持ち悪い、近寄らないで』感を出している。その一昔前風の変なリアクションは面白いのか。
「構って貰えないタヌ吉さんの方がヒクツで気持ち悪いですよぉー」
「あんですってっ! あたちがヒクツってどう云う事よっ!」
村山を盾に、真珠が村山の上着を掴んで左右に顔を出してタヌキ娘の両手を突き出す手を避ける。避けようがない村山にしてみれば、右だろうが左だろうがどちらにしろ結果は同じだ。
だが村山の巻き添えは回避されたらしく、真珠が村山から手を離して走り出した。タヌキ娘が真珠の不格好な挙動を見て飛びかかろうと一瞬体を傾けた為らしい。
村山の机の隣から飛ぶように走ってきたタヌキ娘が、滝川の机の裏へ逃げた真珠を追って、部屋を右に左に、ぐるぐると二人で回り始めた。
二人は三つ置いてあるゴミ箱を蹴散らし、あんみつを食べていた滝川の背を押したり退けたりで、滝川がむせ返った。
「ちょ、ちょっとっ!」
「うわ、年増が――」
「は?」
「わ、わたくしはかんけー無いですっ」
真珠に頭を押され、滝川はボールのような器に顔面から突っ込んだ。口の周りに黒蜜を付けて、滝川は真顔のままに首だけ動かして犯人を捜す。
「ちょっと、二人とも。いいかしら」
「「~~っ! ――っ!」」
声を上げようとした事だけは見ていてわかったのだが、声にならない声を開けた口から二人して漏らし、滝川から二人して走って逃げた。逃げるのはもちろん雑対係入り口で、村山の脇を二人ですり抜け、壊れたベニヤのようなドアを二人して逃げようとしたが……
「あたちが先よっ」
「な、一人だけ助かろうなんて、セコイんですよっ」
肩をぶつけ合い、通れず、次には二人共々、互いの長い髪を引っ張り合って……
「はい、捕まえた」
「「――」」
そんな始終にはひとつも目をくれず、ソファーに寝転がったまま、上司が『古代超文明の痕跡か。ジブラルタル西方、アソーレス諸島の謎に迫る』なる雑誌を読んでいた。
警察官や魔法使いの次は、冒険家にでもなるつもりか。
もぬけの殻。
後手に回ったのは、まさか本陣の内側に城を造られたからである。
杖など必要なさそうな壮健な佇まいで、コンクリートだけの、無機質な内装の部屋に杖を持った男は立っていた。
「帝。解任されたというのは」
「坊か。耳が早いな」
錆び暮れて、紺色の塗装が錆びに浮いている扉を引き開け、真夏の日にはふさわしくない、暗い色のコートを着た男が言葉をかけ、そして返された。
「いい加減、ボウと呼ぶのはおやめ下さい」
「ならばテイと呼ぶのもよさないか」
何度繰り返したのか覚えていないやり取りの後、ただベランダへの、ガラス張りの引き戸から見える薄明るい闇夜を眺めていた。
「去年の騒動で解任は決まっていた。なにも私は驚かないよ」
「しかし――」
「今回の事でも、私の力不足が顕著になったに過ぎない。私はただの老いぼれだ」
「……そんな事は」
「お前も弟子を二人も取ったそうじゃないか。弟子を多く抱えて解ったが、親心が沸くものでね。きゃつらが見える場所に居ないと、不安で夜も眠れなくなったよ」
高層階にあって、遙か下方から放たれる街の明かりが星空を殺す。代わりに、家々の窓ガラスには、十二分に明かりを漏らしていた。
明かりの点いていない部屋。ベランダのガラス戸には、うすら笑う老紳士の顔が映っていた。
「弟子に尻ぬぐいをさせるようになっては、私も退くほか無いだろう――」
言外に。疲れたのだと、
「――まあ、かき回されたが。結果として良いモノが手に入った」
「……それを良いモノと呼ぶのですか」
「シュライナー。私たちの本質は、如何に交情の念を抱こうとも変ることはない。これだけ複雑怪奇な精神創造体にして、精巧な精神指向を有する。更に元々の性別を超えて、あらゆる体型の男性に変質出来るだけの有用性を持たせてある。矛盾を抱えたまま、安定的に存在する、おもしろい研究対象だ」
本当に楽しそうに、口が歪んでいた。
真珠とタヌキ娘が正座して、ソファーの前で小さくなっていた。
「わかった?」
「……」
「返事は?」
「「はいっ」」
元気よく返事したというより、どこか軍隊式の鍛え方による賜ではないのかと疑いたくなるような「しつけ」の光景だった。
少女二人の首根っこを両手でそれぞれ引っ掴んで、ソファーの前に現れた滝川まりね警部の顔をチラと見るなり、飛び上がるように避けたのはこの係の長である弓張三千代警視だった。
それから小一時間……いや、更にそれから村山がコンビニで滝川のご機嫌伺いの「あんみつ」を買い直し、ついでにいくつか自分たちで分ける食べ物を買って帰ってきて、最初に見えた光景がそれだった。
「あの、それくらいにしませんか?」
滝川に見えるように、コンビニのビニール袋を振ってみたのだが。
「そ、そうね。これくらいにしておいてあげるわ」
ソファーに上司の弓張よりも尊大に座っていた人物を見るのは二人目だが、安っぽい人工革のソファーに、個人病院の一人娘が似合わないことこの上ない。
袋から「おかわり」のあんみつを取り出し、滝川に献上する。うやうやしく受取った後、はしゃいだ子供のように小躍りしながら自分の机に就いた。
買いに行く前に、上司には三つ目とかなんとか言われた気がするが、食べ物で大人しくしてくれるのなら滝川の不摂生は安定剤たり得る。
よくもまあ飽きもせずどんぶり大のあんみつ三つ目に挑戦できるものだ。
ビニール袋からサンドウィッチや缶コーヒーを取り出して、珍しいことに机に向かって黙りを決め込んで俯いていたので、そっと缶コーヒーと総菜パンを机に置いた。
「コーヒーはブラックにしてくれ」
「え、それじゃあダメでしたか」
「糖尿になる」
机の引き出しには村山が持っているコンビニ袋と同じものが入っていて、その中には満載されたアイスのアタリ棒が入っている。確かに、あの氷の食感を、頭痛がするほど味わったのなら、血糖値も気にするかも知れない。
「問題ない。術者の糖分は魔力に変換できる。」
村山と弓張が振り返ると、滝川が嬉々として包装フィルムをはがし、具材を器に入れて蜜をかけ、さあ食べようという段。そのどんぶりあんみつを横取りした、むすっとした表情の、黒縁眼鏡の年若い男が白玉団子を咀嚼しながら村山に理解できない事を発した。
「あ、あたしの……」
黄色い無地のTシャツに、何のおもしろみもないジーンズを穿いた、革靴の男。
その革靴はおしゃれで履いているとか、そういう類の靴ではなく、会社員が履きそうな社会性に富んだ靴だった。その靴を見て、なんとなく経年を感じさせるが高級そうなイメージを受けた。どこかの、自分で高い靴だと言ってしまうような男の靴よりも、遙かに高そうに見えた。
「君は食べ過ぎだ。少しは控えなさい」
「……」
自分より若そうな青年にそんな事を言われ、滝川の顔が引きつっていた。人のものを盗るようなヤツがなぜ雑対係にいるのかと村山は憤ったが、滝川の引きつった顔は「食べ過ぎ」だと言われた事の方が大きいらしい。青年に見えないように脇腹を摘んでいたが、青年から見えない左側は、村山と弓張が居るのだ。
「急に来られても何も出せませんよ」
「構わん、頂いている。」
あんみつか。
「誰ですか」
「……実働部隊の方だ」
「三千代。以降この係は私が監督することとなった」
「……あのお嬢ちゃんは? 俺たち人間側の自主性はっ?」
先ほどまで黙りで、静かにしていた上司が急に血相を変え、机を両手で叩き付けて立ち上がった。ハムタマロールが左手に潰された。
「なにぶん急な話でね。前任の管理者が解任され――」
「それは聞きましたよ。後任に直接」
「そうか。ならば解ったろう。そう云う事だ。」
ただ事務的な言葉を、無表情のままに青年が言い終えた。
酷く、酷く顔色の悪い上司が、あんみつを奪い、係を去ってゆく青年の背をただ見つめていた。
顔色の悪さに、何を考えているのか表情からうかがい知れない。ならばそう、一度ここで思い知ったはずだ。本当は、上司は顔に出るタイプの人間であると。
何を考えているのか解らないのではない。考えることが出来ない、悲観の顔だ。
「待ってください」
「名前は」
「え。あ、ああ。村山慶次。警部補です。あなたは?」
「オーデマ・サージという。君もケイジという名前か」
「は?」
「何、他にも同音の名を持つ知り合いが居るだけだ。それより、何か。」
「あの、係はどうなるんですか。あなたが監督をするって」
「そのままの意味だ。係も存続する。三千代が何かを勘違いしているようだが、私は君たちの役割を否定しない。是非これまで通り捜査、調査すると良い。」
「これまで通り……」
「だが、我々は新しい指揮の下に集うこととなった。我々は、この星に居る我々は二種類存在する。ここに居ることを認められた者と、不法に侵入した者の二種類だ。そして不法に侵入した者が犯した行為の責任と事後処理は全て我々が行うこととなった。」
「これまでとは違うんですか」
「無論だ。今までは魔術による犯罪や現象に対し、我々と君たち人間は相互に情報共有し、それぞれ対処に当たってきた。しかし、これより先、我々は君たちへの情報公開を制限することとなった。だが君たちは、君たちの得た情報を全て我々へ報告する義務を負う。」
「あの、それじゃあ不平等じゃ――」
「術者全ては、我々の定めた刑法の内に下ることとする。そうしなければ、あまりにも君たちが不幸になると、そう判断された。」
「……不幸かどうか、そんなもの。どうして赤の他人のあなた達が決めるんですか。俺たちは、俺たちのやり方で生きるんですよ。俺たちは、俺たちの思う幸福を求めて生きるんですよっ!」
得体の知れないモノに殺されて、俺たちが黙って納得など出来るはずがない。
「そう願うならば、抗うが良い。」
空になったあんみつのどんぶりを渡された。
次の瞬間には、青年は村山の認識から失せていた。
わざわざ追いかけて文句を言っていた村山自身、驚いていた。
なかなかに、自分は雑用を気に入っているらしい事に。




