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 他サイトにも重複投稿。


 からすは騙そうとしたのか、親切心か。そのどちらでも構わない。彼女はもう、居ない――

「おや、弓張の方は」

「残念だが、みんな出払ってるらしい」

「あなたも物好きですね。足を折った相手を待っていたんですか」

 バスローブのような物を着た男が、後ろ手に組んで少々猫背気味にそんな事を問うてきた。相手の男を村山は懐中電灯で照らし、蛭ヶ谷の補佐に回る。村山はあくまでもこの状況下では蛭ヶ谷の補佐に徹するようにと、屋内会議で決定していた。

 村山が動けるようになる保証など誰がしてくれるのかと思っていたのだが、放っておけば回復するというのは村山以外の共通見解だったらしい。回復するまでの時間が解るのならもう少し早く教えて欲しかったのだが、ホウジン曰く通過儀礼のようなもので、村山が衰弱した状態を恐怖や不安というものを抱きながら乗り越えることが必要だと皆、一致した見解だったらしい。

 説明など殆どしてくれないのだから、村山自身の体調変化は先に教えて欲しかったのだが。

「お礼の一本や二本必要だろう」

「我々の骨でも折ると仰りたいのでしょうか。我々はそもそも骨という物を――」

「無駄骨の一本、二本は数えられるだろうが」

 本当に青い髪の毛をした男が居るのかと、村山は全く別の事を少々考えもしてみたりしたのだが、白色光の懐中電灯で照らし出された男の眉間にしわが寄った。

「それはどう云う」

「締結者って知ってるか。お前達が俺たちの規模を、どの程度知ってるのかは知らねぇが、お前等が思ってる以上に俺たちは情報が早くてね」

「……」

 訝しむような表情のまま、白色光の懐中電灯が鬱陶しいのか目を細めて懐中電灯を持った村山の隣に居る蛭ヶ谷を、男が無言で見据える。

「俺たちはお前の足止め。損の割合を大きくするための囮だよ。あの馬鹿はお前のご主人様のところで大暴れ中だろうよ」

「嘘ですね。我々の規模すら解らない貴方たちに――」

「東都都内でマンションを二部屋押さえてるよな。それと、ここから十キロほど行った所にあるホテルの廃墟」

 蛭ヶ谷がはっきりと強い語気で叩き付けるように発した。その情報を持ってきたのは未だ境内に放置されている甲冑を持ってきた人物である。

「……それで、我々の動きに支障が出るとでもお思いで?」

「もちろんだ。お前等が何をしたいのか解ってる。神を下ろしたいんだろう? 邪魔できれば――」

「神などどうでも良いんですよ。それに、こちらへ伺ったのは趣向を変えようと思いまして、こちらの弓張三千代さんに是非術式の師事を仰ぎたいと」

「……」

 防風林の頂部に、黄味を帯びた白茫の月が見える。空中の一部だけが白んでいて、そこから漏れる月明かりが幾何か境内の輪郭を整えている。

 陰の中。懐中電灯と月明かりの輪郭だけが村山の頼りだが、左少し前に陣取った蛭ヶ谷の後頭部が右足と、松葉杖二本に支えられて一切動かなくなった。

 こうした言葉を予想していなかった為、思考停止にでもなったのだろうかと村山は心配したものの、そう言う訳ではないらしい。

「お前のご主人様が、あいつから学んで『同じ事』が出来るとでも?」

「偶発的な事象であっても、再現が可能であれば。その為であれば我々は何度でも同じ状況を――」

「作れねぇよ。お前等に、同じ状況なんて。絶対にな」

 持っていなかったはずだが、蛭ヶ谷の右手には松葉杖ではない物が握られていた。長い銃だ、猟銃か。村山も拳銃を腰に差してはいるが、それを抜く権利はない。

 境内の中央から参道の石段までの距離はそれほど遠いわけではないが、猟銃で狙うような距離ではないように思う。拳銃を掲げ向けたくらいが丁度良い距離のように思えるのだが。

 あの男が青い犬に変身できたとして、この距離ではやはり猟銃の分が悪いだろう。蛭ヶ谷に拳銃を渡した方が良いのではないかとも思っているのだが、蛭ヶ谷がだらしなく持っている猟銃も、村山の持っている拳銃と同様の物であれば確かに、距離など関係ないのかも知れない。

「狩りの基本をご存じでしょうか」

 そう言って、男はバスローブの前に手をかけてその裸体を表した。懐中電灯を持って男を照らしている身としては、そんなものを馬鹿正直に照らしてやる義理はない。少々顔の方に向けて下は――

「――っ」

 上半身全てを照らしていた懐中電灯の照射先を僅かながら上に傾けただけだが、そこに男の姿が無い。

「もちろん知ってる。相手に気付かれないことだろ?」

 左隣から蛭ヶ谷の声が聞こえる。その声にはやけに冷たい感覚が伴っていて、いくつもの反響をも伴った。

 寒い。

 真正面に懐中電灯を掲げ続け未だ村山は正面を見ていたのだが、事は真後ろで繰り広げられたらしい。

「交渉を打ち切ったのはそちらですよ」

「俺たちは交渉なんてしないんだよ」

 村山の真後ろ。蛭ヶ谷と村山の後ろには氷山のような氷の小山が存在し、薙がれた青い大きな前足を堰き止めていた。

 男が真正面に立った、蛭ヶ谷が手元に銃を出した。

 両者の共通見解である「相手に気付かれない事」とは、これの事か。

 魔法使いとは何か良く解っていないが、村山がこれまで見て、体験して来たことからは解る。こいつらは陰湿で、陰惨なのだと。

 騙し討ちが常道であるらしく、青い犬と蛭ヶ谷は両者別段焦った風も、驚いた様子もない。ただ両者の似通った感覚は至極当然であるというものだけだ。

 懐中電灯だけでは青い犬を追えない。それが理解できていて、銃も撃てないことが分かり切っている。村山自身が理解していた。この場所に自分は不要であると。蛭ヶ谷の足が折れていて自由に動けなかったとしても、足手まといになるのは村山自身であると。





 なんともまあ、間の抜けた音がする。

 弓張三千代は漆塗りの弓を手で弄び、弦をテキトウに番え、空を放つ。

 音を鳴らして終始怠そうにそれを繰り返した。

 明かりのない空間で、ただ弦が鳴らす音を聞き入る。

 他に音など聞こえはしない。目を開けても何も見えない。

 ただ、弦が放つ、空気の振動を聴いている。

 なんともまあ、間の抜けた時が過ぎる。




 何が起こったのか村山には解らなかった。

 とりあえず自分が生きている事だけは辛うじて解るのだが、真夏の東都に在って急激に『寒く』なった為に、懐中電灯の明かりが弱くなり、どこがどうなっているのか。

 おそらく寒くて電圧が下がり、光の量が減ったのだろうとは思うのだが、夏物のスーツを着ている村山自身も寒くて仕方ない程に村山の体感温度は下がっていた。

 どれもこれも蛭ヶ谷のおかげらしい。

 犬の一撃を氷山で防いだかと思うと一瞬の間を持って、二撃目、三撃目が来た。

 蛭ヶ谷の判断は、村山の首根っこを掴んで犬とは反対方向に引き倒すことで、ものの見事に村山の顔面すれすれを、光る大きな犬の爪が通り過ぎた。

 次の瞬間は蛭ヶ谷に当たるのではと恐怖したものの、その姿は見えない。

 犬の真ん前に放り出され、万事休すかというところで氷柱のような物が犬と村山の間に突如として突き上げるように出現し、犬が薙ぐ前足を止めた。

 それから眼前は氷柱で埋め尽くされる程に数を増やし、硬質な音を内側に響かせる。村山は氷柱の中心に尻を付いて転げたまま取り残された形になってしまった為、本当に為す術が無い。

 暗い上に周りはほぼ氷柱で閉ざされ、拳銃も使えず蛙のようにひっくり返ったまま身動きを取ろうという思いさえ吹っ飛んでいた。

 何が外で起きているのか解らない上に、時たま氷柱が削られているような音が聞こえ、ただただ恐怖するほか無い。

「あ、あのっ! 何がっ! 何がああっ!」

 叫んでみてはいるものの、村山の声は蛭ヶ谷に届いているのだろうか。あの犬にすら届いていそうにないが、氷柱の外ではなんだか派手な音が絶え間なく続いているのでそれなりに忙しいようだった。

「お兄様。こちら側に来たりはしませんか? ふへっ、ふへへっ」

「嫌だよ……」

 氷柱に囲まれ、ほぼ暗闇に閉ざされているため、真珠がどこからとも無く闇の中から話しかけてくる。暗闇の中を自由に移動できるらしいのだが、先ほどまでいなかった真珠が突然話しかけてくると、そこらのホラー映画よりも怖い。実際男一人を担げる怪力を有し、暗闇に引きずり込む十歳程度の少女など、恐怖の対象以外の何モノでもないが。

「それより、ちゃんと出来るの?」

「出来ますよぉ、お兄様はわたくしの事を甘く見すぎです。これでも一応神様なんですよ?」

 先ほどまで蛭ヶ谷と男が神を下ろすだの何だのと言っていた気がするが、すぐそばに件のカミサマがいらっしゃるのだから直接引き合いにだしてやればいいものを。外では相も変わらず意味不明な轟音が響いているらしい。

「ふひひぃ」

「ホント、やめて……」

 意味不明なのは外も内もそう対して変らない。


「――っ」

 境内の中を舐めるように飛んで、犬の一撃を躱す。

 松葉杖を放り捨てて無体で対峙する。両手は素手。一撃当たればそれで終わり。

 蛭ヶ谷は左足を庇いつつ、とにかく時間を稼ぐ。氷の魔術式を幾ら重ねたとしても足が動かなければまともに攻撃用には使えない。なぜなら空を浮く術式に併用して氷柱を発生させる術式にまで魔力を消費しているのだから、これに追加して攻撃用の術式など運用は出来ない。

 何度も試行錯誤したものの、蛭ヶ谷が術式を一度に組めるのはは二つまでで、これを悟られないように「出し惜しみ」するしか他にない。

 まだ他にも手はあるのだと思い込ませ、出来うる限り単調な攻撃を誘発させるのが蛭ヶ谷に出来る最善策だった。

 犬と蛭ヶ谷以外に光景を眺めるだけの余裕があるモノが居れば、神社の境内で「大きな犬に追いかけられる、宙に浮いた男」という不思議な図を鑑賞できたろうが、生憎と他に観覧してくれそうな者は氷柱に閉じこめてしまっていた。

 蛭ヶ谷にしてみれば別段気にかけてやる必要も無いのだが、最後の一手を打つべく「化け物」が機能しなくなる可能性もある。村山の利用価値はそういうものだ。

 空中で体を上手く動かして境内に敷き詰められた白い玉石を一掴みし、それを術式など組まず、雑に魔力を込めて手の中から一発ずつ撃ち出して犬の顔面を狙う。これは鬱陶しいらしく、右に左に顔を背けて足がもつれた。

 蛭ヶ谷がそのまま引っかけて転んではくれないだろうかと思っていると――

「コレで終わりですかっ」

「やっべっ」

 まさか中型トラックほどの大きさがありそうな犬が、空を飛んで、一度空を蹴って強襲してきた。

 右前足が蛭ヶ谷の寸前に迫った所、甲高い金属音が擦れるように鳴った。

「――」

 全体重をかけたらしい。それでも体が中途半端に地について、青い犬は少々の逡巡を要したらしい。

 犬の体が綺麗に後ろへ、ひっくり返った。

「いやあ、助かりますよ」

「――」

 デルシェリムが残した甲冑である。境内に残したデルシェリムの甲冑は社殿に向いたまま槍を掲げ持ってただ呆けていたのだが、一撃の為だけに割って入ってきた。

「二対一ですか」

「さあ、どうだろうな」

 吹っ飛ばされた犬が慌てて起き上がる光景は蛭ヶ谷にはとても笑える光景だったのだが、その感情を甲冑はとてもじゃあないが共有してくれそうには無い。仕方ないので内心笑って捨てることにして、犬に向いて手をかざした。

 このタイミングで割って来てくれることは予想済みだったのだが、少々不満でもある。デルシェリムに術者としてどれだけどれだけ使えるかと値踏みされていたに等しく、蛭ヶ谷本人としてはもう少し持ちこたえてそれなりに優位性を示したかったのだが。

 それは別の話だ。

「どちらへ向かったのか、教えていただけませんかねぇ」

「さあ、敵を欺くにはまず味方からって云うだろ。俺も知らされて無いんでね」

「そうですか、その玩具もろとも噛み砕いて差し上げますよ」

 この下らない戯れを続行してくれるらしい。これで犬の勝ちは無くなった。

 蛭ヶ谷は笑いを堪えるのに必死だった。それを上手く制したのは他ならない、穂先を下段に構えた甲冑の姿である。

 犬が後ろ足を踏み換えて玉石を馴らす。

 蛭ヶ谷が手をかざしたままその犬を指先の向こう側に据える。

 明かり無くとも、彼らには辺り一面は見えている。そこに月の明かりがこぼれ入る程なのだから、明るさは十分。見ているのは三者、魔力の流れ。

 青色の、浅葱色の、縹色の。

 その三者の魔力の色は図らずも青の系統に属するが、この魔力の流れと色は混じり合うことも解け合うこともない。ただ、存在意義をかけて塗りつぶし合うモノであると知っている。

 犬が、玉石を後背に散らした。


 氷柱に閉ざされたせいか、寒さで懐中電灯などとうに役に立たなくなっているのだが、真っ暗闇の中に白い腕だけが見える。

「うふふー、えへへー」

「……」

 先ほどからずっと指先でつついたり、指先でつまんで来たりする。これはどういう意図で行われているのか。触られている村山本人には解らないが、当人は楽しそうなので変に抵抗できない。

 このまま暗闇の中に引きずり込まれたら帰ってこられるとは到底思えず、機嫌を損ねないようになんとか止めて貰いたいのだが、村山には無言でそれとなく手から逃れようと体をよじる以外に出来ることはない。

 閉じこめられているが窒息死しないので完全気密という訳ではないのだろうし、外からの不定期な轟音が聞こえるのでどこかに穴があるらしいのだが、残念ながら村山にはその穴を見つけて外の様子を伺うことすら出来ない。

「真珠」

「うへへあー…… どうかしましたか?」

 鼻に指を突っ込もうとしてきた所をなんとか止めさせ、暗闇の中から真珠がまともな返答を寄越した。

「外どうなってるのか解るよね」

「……わかりませーん」

「真珠」

「う、な、なんですか。わたくしに――」

「……」

 どこに真珠が居るのか解らないが、村山が据わった目でじっと一点を見つめたところ真珠がうろたえ始めた。

「もう…… 蛭ヶ谷さん達が押してますよ。あのヘンタイおじさんのヨロイが強いです」

「ああ、あの甲冑戦ってるんだ」

 外からの轟音が単調だったモノから複雑怪奇な激しい音に変り、派手な金属音も時たま聞こえるようになった。蛭ヶ谷が鉄製の武器を、猟銃をどうにか使っているのかとも思ったのだが、どうやら二対一に持ち込んでいるらしい。

 出し惜しみしているようにしか村山には思えないのだが、弓張三千代曰く『手の内は見せない方が良い』らしいのである。蛭ヶ谷が氷柱だけを使って村山を閉じこめたのは氷柱以外は使いたくないという事らしい。

 デルシェリムは甲冑任せで、本人の魔法は一度として見たことがない。

 魔法の存在を当たり前のように感じ始めているが、これはもうどうしようもない。山の中で、少々街中よりも気温が下がっているが夏である。氷柱が溶けることもなくただずっとここにある。こんなものをどうやって一瞬で作れるというのか、魔法と呼ぶほか無い。

 やはり思う。これだけ便利なのだとしたら、もっと有用に使うべきだと。


「うおおおおおっ! 頼んだっ!」

 蛭ヶ谷の居た場所に犬の腕が振り下ろされ、玉石が激しく飛び散りいくつか蛭ヶ谷の体を打った。

 石の弾ける音に、甲高い音が混じる。

 甲冑が一瞬で七メートルの距離を詰め、犬の腕を薙ぎ打った。

 一撃当たっただけでは動きを止めることは無く、飛び退って距離を置く。

 甲冑は犬を切っ先で切らぬように、刺し穿つ事の無いように、殆どを石突きで殴っていた。元々捕まえることが目的であって、殺すことが目的ではない。

 しかし、甲冑の行動がこれらの意図を犬に汲ませる様な事態になっては困ると、蛭ヶ谷が少々派手に、犬の土手っ腹に氷柱を発生させてダメージを与える機会を増やしたのだが、今度はこれに犬が怒り、蛭ヶ谷を執拗に襲撃してきた。

 全力で逃げることに魔力を消費し、犬の注意を引きつけるために氷柱の鋭角度を上げて腹に見舞うために結構な魔力量を常時、消費し続けている。

 これで閉じこめた村山のような事になってはただ死ぬだけだ。出来るならば早く手を打って欲しいと内心、蛭ヶ谷は焦りを禁じ得ない。

「……仕方ないですね」

「んあ?」

 突然、犬が動きを止めた。そして青髪の人間の姿に一瞬で戻る。全裸で突っ立っているらしいが、骨と皮ばかりの野郎の全裸を見て喜ぶヤツはここには居ない。

「あまり見栄えする物では無いので控えたかったのですが」

 そう言うなり、人間の姿のまま甲冑へと走り込んだ。

 速度は犬の時とほぼ同等。いや、それよりも――

「はええっ!」

 甲冑の回転動作から石突きで突き出す運動よりも明らかに早い。

 石突きが男の細い脇腹を掠め、完全に失した。

 瞬間、男の腕が、青い体毛の前足に変形した。

「――」

 甲冑がくの字に曲がり、背面から石畳に叩き付けられた。

 未だ長物を手放すことはなく、まだ十分に動けるであろう事は蛭ヶ谷の位置からでも見れば解るのだが、問題は……

「二対一。的が二つあるだけですよ」

「まあ、そうだけどな」

 疲弊していた。既にいつも以上に魔力を垂れ流し、時間稼ぎのために逃げ回り、今まで以上に考えられないほど蛭ヶ谷は消耗していた。

 元々魔法の使えない村山に比べれば遙かに多くの魔力を有し、更に効率よく運用も出来るが、足が折れて動きが制限され、真の意味で手段を持ち合わせていない為に、打つ手はない。

 甲冑の動作を上回る速度を出された以上、本当に、的二つに成り下がった。


「ありゃあ、ヘンタイおじさんのヨロイが飛んじゃいましたよ」

「はっ?」

「こう、ばーんって」

 握り拳を村山の腹についついと当ててくる。

 あの遺体の群れを難なく振り払ったデルシェリムの甲冑が負けたというのか。真珠の言によればそういう事らしいのだが、村山はそれを理解しがたいものとして、一度精神的な拒絶を経て意味咀嚼した。

「壊れた……の?」

「あ、起き上がって構えたので、だいじょーぶそうですね」

「よかった……」

「でも、今度はあの犬のおじさんが本気出したみたいで、けっこー危ないですよ」

「……」

 真珠に外の状況を逐一報告させているのだが、その間もずうっと村山の事をべたべたとさわり回してくるのを止めない。これはふざけて適当なことを言っているのではないのかとも思えて不安になる一因なのだが、それよりも氷柱の暗闇の中にいつまで閉じこめられて居ればいいのだろうかと、身の置き場の方が最も不安に思う要素である。

「俺が出てもどうにもならないんだよな」

 無意識のうちに、村山は思っていたことを口走った。先ほどから真珠と会話していたせいで、口に出すことが当たり前に思え、更に「物理的」には一人しかいない為に独りごち、呟いてしまった。

「死ぬ気ですか。ダメですよ、わたくしゆるしません。ぷんぷんっ」

 真っ暗闇の中に真珠が居るらしいのだが、物理的には何処にいるのか全く解らない。暗闇に同化していて、真珠の顔など見えもしないのに、どうせ計算ずくの怒った顔を貼り付けているのだろうと思い至る。

「じゃあ、真珠。蛭ヶ谷さん達を助けてやってよ」

「ですからぁ、わたくしには――」

「戦うのと助けるのは別だよ。頼むから、助けてくれ」

「もう、お兄様は甘えんぼさんですね。添い寝、半日ですよ」

「添い寝…… 一緒に寝るだけだよね。寝るだけ」

「はい、けってーしました。わたくしとお兄様のらぶらぶちゅっちゅ添い寝けってーです」

「ちょ、ちょっとまってっ!」

 どこに語りかけたら真珠に届くのか。手を伸ばした先は氷柱の肌らしい。

「冷たい……」


 こうも戦況が悪化するとは、蛭ヶ谷の予想を遙かに超えて犬男は強かった。

 正確には、武器を持っていない蛭ヶ谷には太刀打ちできる要素がない。

「鉄くずでも丸めて遊べとでも云うつもりでしょうか。我々を見下したような布陣は好みませんね」

 デルシェリムの甲冑があまりにも緩慢な動きだった。どうにも青い犬が人間の態を取って、腕や足を攻撃の瞬間だけ大きな犬のものに変化させる戦法に変えてから動きが目に見えて悪くなった。

 蛭ヶ谷の推測としては、あの甲冑は特殊な変性を用いる攻撃に対応できるだけの思考回路を持ち合わせていないのではないか、という推論だ。見ているだけなら誰にでも出来る、やらなくてはならないのは時間を稼いであの犬男を捕まえることだ。

「くそっ、こうなりゃ一発……」

 出し惜しみをして死ぬわけには行かず、かと言って全てを晒すくらいなら死んだ方が幾分かマシであるとも思える。慣れない幻術を用いて銃を投影してみたり、同時に二つほどの式を組んで犬に対抗してきたがこれ以上は対応しきれない。

 健在である右足で上手く片足立ちし、空を浮く術式を取りやめた。

 前に一度、世間様の目に付いた事のある術式を組んで、圧殺を辞さずに一撃で動けないようにするほかに思いつかなかった。蛭ヶ谷の持ちうる術式の中でもかなりの大技だが、ここで用いても致し方――

 ものの数秒考えていた程度だが、それは無用に終わった。

 犬男が膝を屈し、突然地に手を突いて四つん這いになった。別にまた犬に変身しようと言うわけではない。犬の周り三メートルほど円形に魔力の濃い範囲が見える。

「何をぉ、したぁ――」

 犬男は顔をまともに上げることも叶わず、境内の玉石だけを敵のように睨み付けながら恨み言のように漏らす。

「なに、正しい犬の在り方だ」

「――っ」

 社殿の中から弓張方陣が現れた。

 顔は上げずとも、蛭ヶ谷からはありありと見える。犬の真っ青な魔力が方陣の方へ、声の下へと流れ、方陣の銀の魔力と衝突していた。

「これで我々を捕らえられたとでもお思いで?」

 四つに這ったまま、玉石を見つめたまま犬男が笑う。


「あれ……」

 村山の周りにあった氷柱が突如消えた。懐中電灯は寒さにやられて完全に明かりを失っていたが、真っ暗闇に目が慣れていたせいで淡い月明かりでも多少は白い石が見えた。

 じゃりじゃりと踏み鳴らして立ち上がってみると、辺りにはそれらしい人影が見える。

 片足立ちした蛭ヶ谷、槍を携えた甲冑、そして社殿側にいる着物姿の陰。おそらく弓張ホウジンだ。

 その三者が一様に同じ方向を向いて、ただ黙っていた。

 四つん這いになった人の影が、膨れ上がる様を。

「そちらの式は既知なんですよ。発動位置を限定しているでしょう、そこから物理的に抜けられなくとも、我々は――」

 四つん這いになっていた人の影が暗闇の中で真っ青に発光し、気味悪くその光と存在が膨れ上がった。その光景には身の危険を感じる。

 次の瞬間、それは朧いで、青白く光る煙のような物に変り、浮いた。

「鬼火か……」

 その光景につぶやきを漏らしたのはホウジンで、甲冑は無反応。蛭ヶ谷も反応はなかったが、月明かりでは表情までよく見えなかった。

 青い犬を捕まえる。そう言ったものの、結局得体の知れないモノは人間の思惑を超えるらしい。

 アホの子のように呆然と眺めた村山自身の危機意識が低かったお陰だが、それが村山めがけて急激に流れて――

「っ――」

 急に目の前で、青白い煙のような発光物が、徐々に圧縮されたように小さくなり始めた。

「何を、何をしたっ」

 目の前のその煙から、あの青い犬の男の声がした。村山には良く解らなかったが、青い犬の男には予想外の事態が起こったらしい。

 青い犬に解らないのだから、村山にだって解るまい。

「何故、現象でしかない我々を――」

「わたくし、あなたくらいなら捕まえられるんですよ」

 暗闇の中から白い手が見える。その手が青白い光を放つ煙のような物を『掴んで』丸く小さく、押し固めてゆく。

 それが徐々に小さくなり、真珠の小さな手のひらに乗るくらいの、野球ボールくらいの球体になった。

「わたくしのお兄様に何しようとしたんですか。このわんこさんは」

「~~っ!」

 青白い球体はトゲが生えたように小さくぽこぽこと表面が動くが、別段中から何かが出てくることはない。これがどういう理屈でこういう形状に収まったのか村山には一切理解できなかったが、真珠がこれをやったらしいのだ。

 弓張三千代が、上司が言っていた最後は真珠に任せるとは伊達や酔狂では無かったという事だ。事実、ホウジンまでもが顎に手を当てて唸るほどだった。

「これで一姫二太郎はかくてーですっ!」

 青白かった球体がいつの間にか真っ黒くなったらしく、月明かりだけの中では見づらくなったが、真珠はそれを両手で大切そうに持ったまま、村山の腹に頭突きのような体当たりをしてきた。

「してないから、確定してないから」

「お前ら、元気だな」

 折れた足を庇ってはいるものの、結構ぞんざいに尻餅をついてその場に蛭ヶ谷がへたり込んで言う。貧乏くじを引いたのは、一番体を張っていたこの人では無かろうか。




 空を射る。

 暗闇の中でただ空を射る。

 弦がただ中空に振動を放ち、空気の揺れが耳に届いて音と認識できる。

 空を射る。

 何度繰り返したか覚えていないが、ただ射る。


 瞬間、

 陶器やガラスが炸裂したような音が、暗闇の中に聞こえた。




「これは…… どういう事かな」

「まあ、そうだな。そういう事なんだろう」

 男の声が聞こえる。

 一つは驚きと、恐怖……そうじゃなくて、怒りに近い声色で。

 ここ最近、ずっと、聞いていた声。

 もう一つは、知らない人。

 ただ当たり前だという声色で、それ以上は私には解らない。

「海はどうした」

「あ、カイ?」

「まさか、海と会わなかったと云うのか」

「……もしかして、あの青い犬の事か。今頃うちの神社で尻尾丸めて、お座りしてるんじゃあないか」

「まさか、海を倒せるはずが――」

「ああ、アレ。ただのガスだろ。死体から出た腐乱性のガスに意識だけ溶かして『服従』の為に犬の形にしただけだよな。あんたの別の城でも、ここでも、臭いがしないんだよ。なにより、あんたもいい歳して加齢臭が、『体臭』が無いんだよ」

 別のしろ? 私以外にも、同じ目に遭っている人が――

「そこで死んでいた女の子全員の魂と精神、女の子の体臭、腐乱臭、それにあんたの体臭を混ぜて触媒に、あの犬を作ったんだろう?」

「……さすが、名家の世継ぎには感服するよ。だが、アレは『作った』のではない。ただゴミを固めて使えるようにしただけだよ。リサイクルというヤツだ」

「――っ」

 出来る限り、動ける限り身じろいだ。助けて、まだ私は生きている。

 声は出せない。体を動かしてみても締め付けられ、食い込み、ただ痛い。

 それでも、私は生きているのだと。誰か解らないが助けてくれるのなら――

「待ってて、今助けるからっ」

 男の人二人だけかと思っていたら、かわいらしい女の子の声も聞こえた。


 弓張三千代は焦っていた。

 正直、目の前に吊られている少女が生きているとは思わなかった為である。

 十六、七。どこかの学校の制服姿なのだろうが、明らかに片足は折れていて、左足の膝下、中途半端なところが紫色に変色しておかしな方向へ曲がり、床に縛り付けられているという痛々しい姿だった。

 それだけではない。血に染まった布で目隠しされ、顔中アザだらけで、右耳に至ってはその目に見える部分、耳介が裂傷を起こし、奇形な状態に治癒していた。

 顔面の右側は特に暴行の跡が顕著で、内出血やほお骨の陥没が見て取れた。

 そんな酷く暴行を受けていた少女が、精一杯の力だろう。

 小さく顔を動かし、懸命に動かせる手足を僅かながらに動かした。

 そんな行動に驚き、予想外の光景に弓張三千代は声も、行動も起こし得なかった。

 それを見て声を上げたのは後ろから様子をうかがっていたこゆりで、泣き叫んで訴えかけるような思いで、精一杯の励ましを送った。

「まだ、小百合の模倣には遠く及ばないのでしょうか?」

「――っ」

 後ろからスーツの裾を掴まれた。嫌なことを思い出したらしい。

「こうすれば、どうですかっ!」

 小太りの男は持っていた拳銃を吊られた少女の右足に差し向けて、その先を見ずに、ただ満面の笑みで弓張を見据え、男は何の躊躇いも逡巡もなく引き金を引いた。

「ん~~っ!」

 まともに声も上げられない。口の中になにか押し込められている訳ではないらしい。弓張の目は、少女の喉元に魔力の流れを見いだしていた。海水を口いっぱいに溜めさせられ、それを吐き出すことも飲み込むことも叶わない、ただ無為な苦しみを与えるだけの術式を見つけた。

「まだですか、何が足りないんですか。君に成せて、どうして俺に、俺に出来ないっ」

「出来る訳がない。その子はコユリじゃあ無い。赤の他人を使っても、触媒にすらならない」

「何故です? ただ魂を降ろして定着させるだけでしょう?」

「魂は降ろせない。降ろせるのは精神だけだ。魂は単純に生きている者にしか宿らないんだよ。生きている事がそも、魂である。これが答えた」

「では、では何故タヌキなど、畜生風情に小百合が降りた。魂は生きている事の証明ならば――」

「お前は誰を降ろしたいんだ。そいつは、帰ってくる事を切に願っているのか?」

 睨むこともない。見下すこともない。哀れむこともない。

 ただ、弓張三千代はそう問い質す。

「当然だ。ねぇさんは、俺と一緒に居たいと云ってくれた」

「……」

 弓張三千代の心の中には、何の感情も浮かばない。

 ただ紙切れ一枚渡されて、今日から警察官だと言われた時くらいに。

 何一つ、心の中には森田繁之への同情も哀れみも浮かばない。

「それは生きていたときに云われたんだろう? 死んでからお前は、直接本人に訊いたのか?」

 弓張三千代は何の臆面もなく。

 ただ、自分が過去に行った禁忌を引き合いに出して、問い質した。

「……ねぇさんは今もそう思っているはずだ」

「思っているはずって事は、直接聞いた訳じゃあ無いんだな」

「直接聞こうにも、一度降ろさねば――」

「降ろす前に伺いを立て、降ろす者の意志と、降りる者の意志と、降りる場所の意志が必要だって云ってるんだ」

「どういう、事だ――」

「魂と、肉体と、精神。それらは不可分だ。分けられないのなら、足せばいい。生まれて個を確立した時点で肉体は足せない。全ての魂は常、生まれる前から一つきりと決まっている。割れて、足せるのは一つだけだ」

「まさか――」

 もう、弓張三千代は吊された少女だけを見ていた。

 心の中に在る感情は、可哀相に、すぐに助けてやるから、もう少しの辛抱だと。

 たったこれだけである。

「……森田。五体満足でお縄につけると思ってねぇよな」

 弓張三千代は警察官という立場を毎度、免罪符として用いる。

 だがそれはあくまでもそれで「許される」場合に限る。

 ここでの事は、その罪を負う覚悟でいる。

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