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 郷愁を抱くのは場所ではない。覚えている時間だ。だが、それすらも忘れてしまったらどうすれば良い――

 どたばたと畳を叩く音が聞こえる。それに、誰かの怒声も。

「ちょ、こらっ! 止めろってっ」

「よいではないですかー、よいではないですかー」

「お代官様ごっことか、良いシュミしてるよな」

「下らないこと云ってないで、助けてくださいよ」

 襖を開けて現れるなり、手に提げたビニール袋からアイスを一本取り出して包装を破き、青いアイスバーを咀嚼しながら冷めた目でじっと状況を楽しんでいるのは、助けを求めた村山の上司、弓張三千代である。

 既に上着とシャツを脱がされ、現在はズボン攻防戦である。虚脱しきった状態から幾ばくか体調が戻り、腕で必死に下半身の砦を守っていた。立って逃げられれば良いのだが、生まれたての子鹿の方が脚部は機能的だと思えるくらい、足が言うことを聞かない。

 大の大人と腕の力で張り合っているのはなんともまあ客観的に見ればかわいらしい部類に入るであろう少女だった。ただ、笑顔があまりにも汚いが。

「既成事実はすぐそこですよぉー」

「要らないから、変な事実をねつ造しないでくれっ!」

「キモッ」

 弓張の横にどたどたと足音を立てて現れたタヌキ娘が、半眼で睨んで来た。その声に最初に解り易い反応をしたのは攻城側である。突然手を止めて、村山の方をじっと凝視してきた。先ほどまでの汚らしい笑顔ではなく、真顔で。

「人の家の広間でナニしようとしてたのよ。三下」

「ナニもしようとして無い。むしろこっちがっ――」

「はいはい、解ったから。あたちはそういうのどうでも良いのよ」

 着物姿でありつつも、別段楚々とした雰囲気ではなく『お転婆』を体現したようなタヌキ娘だったのだが、怠そうに耳の穴を小指で掻きほじっている光景を見るとその始終は中年のおっさんかと。

「……あの人、居ないのね」

 何が取れたのかは知らないが、ふっと一吹き小指を息で撫でる。

「あの人? デルシェリムさん?」

「そうそう、どこ行ったか知らない?」

「しらないけど……」

「三下に訊いてないのよ。アンタよ、からす」

 ご指名は真珠の方らしい。真珠がデルシェリムの行方など知っているはずがないだろう。村山と一緒にここにずっと居たのだから。

 それでも「隠したり見張ったりするのが専門」などと言っていたのだから、真珠が警戒するデルシェリムの行方を逐次良く解らない能力で追っているのだとしたら……

「失礼ですね、たぬきちさんは。お客様に対する礼儀とか無いんでしょうか。教えて貰いたいなら足を舐めるとか、それ相応の――」

「舐めて欲しいの?」

「……き、汚いので結構です」

 下らないやり取りを始めたので、村山が割ってはいる。どうせ目の前で喧嘩されて割を食うのは結局村山になるのだ。上司が面倒くさそうにしゃくしゃくアイスを咀嚼するのを見れば、絶対に助けてくれるとは思えない。

「はいはい、ストップストップ。知ってるなら教えてあげてよ。喧嘩はダメ」

 真珠が構え、タヌキ娘が畳を踏みならして入ってきたあたりで止めた。座布団を敷いて枕替わりに寝転がっているのを二人して睥睨した後、互いに顔を合わせまいとそっぽを向いた。犬猿の仲という言葉を、カラスとタヌキに使って良いのだろうか。

 棒きれの中央付近に残った青いアイスを落とさないように上手い具合食べ、棒きれを持ったまま突っ立っている上司の横に、もう一人上司が現れた。

「どうしたのよ……」

「男女関係のもつれ」

「滅多なこと云わないでくださいよ」

「なんであたちがそんな役回りなのよっ!」

 流石に怒ったらしく、弓張の元へ歩み寄りタヌキ娘は無言で弓張の左足を踏みつけた。

「あだっ」

 頭から煙を出しながら廊下に出て、タヌキ娘は一人去っていく。どかどかと足音を響かせながら歩いているあたり、相当頭に来たらしい。それでもデルシェリムを探しに出て行った。そんな後ろ姿を廊下から滝川と弓張が見送っていた。

「あの、それで俺のこの状態はどうしてこうなったんですかね。解っているなら教えて欲しいんですが」

「知っているが、お前の上司に対する態度が悪いので答えたくない」

「体勢の事を云っているなら現状動かせるのが手だけなので、大目に見て欲しいんですけど」

「馬鹿なこと云ってないでちゃんと教えて。あたしも困るから」

 弓張の横合いから半分怒った風に言葉が飛んできた。遊んでいる場合ではないとでも言いたいらしい。実際、滝川の顔色があまり良くない。

「……何かあったんですか」

 村山が滝川に尋ねたのだが、代わりにずかずかと畳を踏みならして近寄って来た弓張に腹部を蹴られた。

「いてっ」

「よし。大したことなくて良かったな」

「俺は蹴られても喜びませんよ」

 先ほども石敷きの境内で蹴られたのだが、今度はちゃんと痛い。感覚は真っ当になってきているらしいのだが、だからと言って納得はいかない。

 八つ当たりじみた蹴りを頂いたのだが、説明などまるで終わったかのようにきびすを返し、廊下へ向かってしまった。滝川も怒っているのだから説明はして欲しいところなのだが、どうやら責任放棄という態ではないらしい。

「あいつ、こねぇな」

「居るよっ! 目の前にいるっつーのっ!」

 よたよたと松葉杖をつきながら先ほど弓張、滝川が歩いてきた玄関方向の廊下から蛭ヶ谷が現れる。どうやら誰もここまで蛭ヶ谷に付き添ってやろうという心意気の人間は居なかったらしい。

 蛭ヶ谷はスポーツバッグを右肩に負いながらよろよろと松葉杖をついて廊下に現れ、弓張に畳の上に松葉杖で乗っても大丈夫かと問いかけていた。それに対する答えは「無理、死ね」などという相も変らないふざけた台詞だったのだが、次に来る言葉には、

「お前が居ないと始まらないんだよ。畳が痛もうがどうでもいい。とっとと座れ」


 蛭ヶ谷が折れた足を労るように座り、松葉杖を横に置くとそれぞれ円になって座り込んだ。ちなみに真珠は定位置だとか曰って村山に寄りかかってご満悦の笑顔である。

「蛭ヶ谷君、ギプス大丈夫そう?」

「あ、ああ……おかげさまで」

 蛭ヶ谷の足がどうして折れたのか子細詳しく訊いていないので解らないが、青い犬にやられたらしい。それも含めて、森田警部が居なくなった事も、先ほど現れた『アレ』の群れのことも、全て説明をして欲しいのだ。

「森田が犯人」

「藪から棒――」

 怠そうに壁により掛かり、上司は食べ終えたアイスの棒を差し向けてきた。

 冗談じゃない。

「別に、ふざけている訳ではないが」

「……本気ですか」

「……ほ、本当? 森田さんが?」

 村山よりも弓張の言葉に動揺を見せたのは滝川だった。

「どうして森田さんが――」

「死んだとは思えん」

 ただ単純に。上司はそう思ったから、口にしたらしい。そんなものは――

「説明になってないわ。人のことを疑うなら――」

「理由はある。あのいけ好かないクソみたいなヤツが出てきたろうが。ティーガルト」

「……てぃーがると? 誰ですか」

「まりねを標的にしているストーカーみたいなヤツだ」

「そんな――」

 変った人が居るんですか、などと村山は訪ねようとしたのだが、失言だと思い直し、寸前で堪えた。これで説明どころの騒ぎでなくなる可能性もある。

「そんなヤツも居るんだよ。またコレが頭のおかしいヤツで――」

「゛あ゛あ?」

 村山が寝転がっている隣に居た滝川が、ものすごい形相で壁に寄りかかる弓張を見る。いつでも蛭ヶ谷と喧嘩してにらみ合っているような上司が、滝川の顔を見て息まで止めて恐怖している。たまには良い物も見られるらしい。

「え、あ、いや。ほら、魔法使いとして頭がおかしいという意味で、ですね……」

 いつもは名前で年上の滝川を呼び捨て、敬語など使わない癖に。汗だらだらで蛇に睨まれた蛙状態である。そのまま発汗し続けて干からびはしないだろうかと心配するくらいに。

「あ、あのティーガルトが現れたのは偶然でもないし、まりねを追ってきた訳でも無いだろうな」

「ああ」

 珍しいことに、弓張の言葉へ蛭ヶ谷が同意の相づちを打った。滝川が弓張を恐怖させるような光景を目にし、身に危険が迫っている訳でもないのに蛭ヶ谷と弓張の間では見解が一致しているらしい。ならばこの状況は、村山が求めていた『説明』に最も近いのではないか。

「ティーガルトと云う魔法使いが、森田さんを追ってきた。って云うんですね」

「はん、察しが良いと助かるな」

「……さ、察しが悪くてごめんさないね」

 滝川が真珠のように少しふくれっ面で赤面し始める。真似されたのかとでも思ったらしく、真珠が村山の横に寝ころんで頭頂部を村山の顎下に擦りつけてくる。猫か何かでも目指したか、自称カラスだろうに。

「やめ、顎が痛いっ…… それで、ティーガルトとかいう魔法使いが森田さんを追いかけてきた理由は」

「術式だな。森田が使ったと思われる術式が珍しいからだろう。それを研究したいが為に、森田を捜していたんじゃないか」

「研究……術式って――」

「山梨和代を殺した化け物の術式、隠蔽の術式、真珠の頭を奪った術式、炎の陣式、タチの悪い蛭子、青い犬に、境内のアレ。他にもお前が知らないところで俺が捜査した術式も、だいたい森田のせいだろうな」

「だから、どうして森田さんなんですか」

「海だ」

「は、何云って――」

「海に関する術式が多すぎる。森田の出身地を調べなけりゃあ解らないが、おそらく沿岸の街出身だろうな。独学で人間が魔術を学ぶのはほぼ無理だから、どこか宗教施設の――」

「魔法に、宗教ですか? 沿岸部出身っていうのも訳が――」

「おら、蛭ヶ谷。さっさと説明しろ」

「中途半端に煽って、放り出すなよ……」

 無理難題を押しつけられた様な蛭ヶ谷は、折れた足が障るのか尻の住まいを直しつつ四人の中央を向く。

「あー、どこから説明すれば良いんだよ。結局全部だろ」

「そうだな。早くしろ、グズ」

 恨めしそうに弓張を睨んだ後、蛭ヶ谷は説明を始めた。


 山梨和代を殺した人物はおそらく男だろうという事、それは滝川が動かした山梨和代の遺体が質問に答えてなんとなく皆が共通の見解にしている。だがそれは滝川が故意に山梨和代の遺体を動かして、都合の良い返答をした可能性もあるが、蛭ヶ谷が言うにはやはり男性に間違いないらしい。村山は納得はしていないが。

 山梨和代が契約していた携帯電話の会社を割り出し、通信相手の携帯電話会社まで特定していて、当時どこから発信されていたのかまで特定しているのだが。残念なことに山梨和代が電話していた相手の携帯電話は女子中学生が所有していた物らしく、これで山梨和代が電話していた相手が素直に女子中学生ならば、その前提も崩れるのだが、携帯電話の発着信よりも遙か前。四ヶ月ほど前からその女生徒は行方不明であるらしい。

 雑対係にいる警察官よりも詳しい情報を、どこから仕入れているのか解らないが、蛭ヶ谷はよほど捜査機関に顔が利くのだろう。

 東都統括第一警察署の署長小結が仲介せずとも高度な情報収集能力を雑対係は有しているらしい。実は国家機密も知っているのではないか。

「携帯会社のサーバーに不可解な改ざん跡があるのを見つけてな。明らかに電子機器の類からの改ざんじゃあ無い」

「どういう事ですか」

「エラーが起き無いように、ログを残してあるはずの部分だけ『焼け』ていた。演算するコア部分もメモリも『そんな情報を与えられた事実はない』って反応が返ってくるくらいに完璧な偽装だ」

「……そんなこと出来るんですか」

「出来る。俺たちならな」

 鼻で笑い、アイスの棒を咥えたまま上司が答えた。

 魔法使いなら出来ると。

「おい、俺が頼んだヤツは」

「あ、ああ――」

 上司が何を頼んだのか知らないが、東都に戻るついでに蛭ヶ谷に何事か頼んでいたらしい。蛭ヶ谷に何かと突っかかる癖に、頼み事はするらしい。絶対に蛭ヶ谷相手には頼み事などしそうはにないのだが――

「本当なら遡って調べるのはお前の仕事なんだから、有り難く思えよ。確かに、お前の相方が作られて以来、始まっているな」

「はんっ、気にくわねぇ」

 人に調べさせておいて、それだけかよなどと蛭ヶ谷が呆れているものの、ふざけている様な感じではない。あまりいい話では無いらしい。

 何が始まったのか。

 女性の失踪である。それも幼年から十代後半までの、子供に限って。

「タチが悪い」

「それって、あの子達の事よね」

 滝川には思い至ったらしい。もちろん村山にも思い当たる『あの子達』の存在がある。

 真珠の物らしき頭蓋を見つけたというマンション。そこで見つけた、あの子達。

 村山はその現場を直接見た訳ではないが、署内の検視室で得体の知れないモノから森田や滝川を運んで逃げる際に目にしたのが『あの子達』なのだろう。

 更に、滝川の言う『あの子達』は今日境内に現れた『アレ』の事を指すという。東都統括第一警察署から弓張家までの距離は直線距離でも七、八十キロは離れている。それまでの行程を『アレ』は徒歩で来たというのか。

「こゆりに喧嘩を売りたいのか、俺に喧嘩を売りたいのか。たぶん後者だろうが、全く思い当たらん」

 下あごをちょいと前に出して、木の棒がつんと上を向く。鼻っ柱の真ん前に突き出されたアイスの棒きれは何がしたいのかさっぱりだった。これが名案でも浮かんだ合図なら良いのだが、両手を大仰に広げてまさかのお手上げである。たまったもんじゃあない。

「あの、さっき蛭ヶ谷さんが云った作られてってどういう事ですか」

「……こゆりは、一度死んでる。それを俺が無理矢理あの体につなぎ止めた。それが作ったっていう事の真意」

「……滝川警部の、あれとは違うんですか」

 鈍い音を部屋に響かせて弓張は後頭部を壁に預けた。結構な音がしたが、衝撃を予測していたのか涼しい顔である。壁により掛かって何もかもを放り投げて自分は考え事の徒であると主張する。

「あたしの魔法とは比べものにならないわよ。体は完全に生きている人間やタヌキのままだし、体の何処にも生物的な異常はないわ。それになにより、与えられた命令で動いている訳じゃあないのに、自分の意志で完全に、自由に動けるのよ」

「自分の意志? 滝川警部が山梨和代を動かした時も自分の意志で動いていたんじゃあ無いんですか」

「あれはあたしが補助していたから動けたのよ。魂が入った状態で肉体を精神が動かすには――」

 なにやら小難しい話を始めたが、村山にはてんで解らない。そもそも魔法なんて物がこの世の中にあると言うのも信じたくない。科学でなんでもかんでも実証し、確証を得、広く世に共通の指標を立てる。

 誰でもりんごは「重力」によって落ちる物だと習ったし、一足す一は二であると習った。

 物心つく頃には手を放せば物が落ちていくのだと理解できるし、同じ物がもう一つ増えれば二個になるという事くらい、自分でも解るだろう。それに、科学は皆に共通の認識を与えるものだ。

 けれど、魔法とは何だ。

 人が空を飛ぶ。遺体が動く。何もないところからタヌキが現れる。

 ご都合主義の魔法ばかり見て、頭がおかしくなってきたのだろうか。ここに来て完全に人が蘇るなどと言う事を訊いて、村山はこう考えていた。

『そんなに便利な物があるなら、もっと人の役に立つように使えばいいのに』と。

 魔法使いは、一体何をしたいのだろうか。

「我々は君たちに興味はない」

 音もなく、踏めば軋むはずの板張りの廊下から現れ。開口一番、大男がそう断言した。

「あ、あの――」

 村山が寝転がったまま、大慌てで向き直ろうとするのだが添い寝する真珠がひしと村山を掴んで身動きが取れない。真珠は村山を軽々と担いで小走り出来るくらいには力がある。そんな真珠に掴まれては身動きなど出来るわけがない。目を瞑り、にやにやと口元が笑う真珠の頬に畳の跡が付いているが、これは明らかに起きている。

「必要なのは場所と時間だ」

「……」

 何を言われたのか全く解らないが、寝転がった姿勢から見上げる百八十は有りそうな身長と大柄な体躯には押し黙るだけの圧迫感を与える。

 デルシェリムはやはり音もなく畳の上を歩く。まるでその体躯には重さという物が無いように。

「俺たちに興味がないことは先刻承知済みですよ。それより何しに来たんですか」

 そんなことは当然だとばかりに、蛭ヶ谷が肯定してみせる。

「私が呼んだ」

 声が聞こえた瞬間、誰かが舌打ちした。

 人並みに床が軋み、キキキと音を踏み鳴らして家の主が現れた。ついでにととと、と踏みならして先程どこかへ消えたタヌキ娘も帰ってきた。

「どこかの誰かが大言壮語を掲げて出て行った割に、何も守れないでね」

「……」

 その目は親の敵にでも向けるのが妥当だろうに、弓張は敵対心を隠さずに父へ向けられている。今更、反抗期は遅いのでは。

「部下一人守ることも出来ず、他人の人生まで背負おうとは。何に成り代わる気だ」

 言葉の矛先を向けられたのは当然、眼光を鋭く平たく構えている弓張三千代。

「何もしないヤツには云われたくねぇな」

「お前の下らない理想で、無為に部下を殺しかけたのか」

 おおよそ昼行灯の上司にしては考えも付かない速度で立ち上がり、前につんのめって立ち止まった。歩み寄って胸ぐらでも掴みそうな勢いに見えたのだが、立ち上がって頭から血が下がってきたのか。それを理解しているのは白くなるまで拳を拳を握りしめて立ち止まる弓張三千代だけだ。

 部屋の中で立っているのは三人。

 拳を作ったまま、前のめりの弓張三千代。

 鋼のような背を真に据え、立ち向かう弓張ホウジン。

 二人など意に介さず、ただ中央に割って入ったデルシェリム。

 そのデルシェリムの行動は、弓張の二人には予想外だったらしい。

「興味がない」

 ただ単純。その言葉は如何なる者の一喝にも勝る。


 恐ろしくも、弓張三千代が正に座し、更にホウジンまでもが膝を屈し、正に座した。

 タヌキ娘が楚々と弓張三千代の横に小さく座して、円形に囲む場で中央に立ったままのデルシェリムを据えた。

「生憎と私は暇でね。親子の喧嘩を観覧するには退屈しのぎに丁度良い」

 どう考えても怒っているようにしか聞こえないが、蛭ヶ谷は呆れた風に村山へ目配せしてくれた。デルシェリムの言はこれでも優しい方かも知れない。

「申し訳ない」

「構わんよ。相応に頂けたのだから」

 ホウジンの謝罪、デルシェリムの返答に突然怒声を上げたのは怒られた側の弓張三千代だった。

「おい、今なんて云った。親父、何をやった」

「お前には関係がない――」

「無いわけねぇだろっ! うちのっ――」

「式だ。あくまでも既知の術式だろうが、デルシェリム殿は人形師として技術の差違を――」

「てめぇの一存で勝手に弦水の式を簡単にっ! 他人にっ――」

「お前がっ! お前が家を出なければっ――」

「いい加減にしてくれます?」

 意外にも、親子の喧嘩を止めたのは蛭ヶ谷だった。呆れ半分だが、村山の所からはデルシェリムへの目配せが見えていて、蛭ヶ谷の気苦労のような物をなんとなく理解できて同情を覚えた。

「それより、森田さんの事ですよ。森田さんが警視を狙っていると? 検視室で被害に遭っているんですよ」

「被害を受けているからと云って加害者ではない理由にはならない。だいたい、死なずに済む程度に自傷は誰にでも出来る」

 醒めた目でどこか眺め、拳を解いた弓張三千代が言う。魔法がなんなのか村山には良く解らないが、門外不出の物らしい。誰かに簡単に与えて良い物と言うわけではない事くらい、流石に解るのだが蚊帳の外にいる感は否めない。

「あの人、検視中に笑うのよ。仕事として割り切ってるから笑えるのかと思ってたけど、今思うと違う理由で笑っていたかも知れないわ」

 検視室で森田とどのような会話があったのかは滝川と森田にしか解らないが、滝川には思うところがあったらしい。

「あの遺体から出てきた変な物体は、ティーガルトがどうにかして作った物じゃあ無いんですか」

「佐藤さんよ。佐藤夢香さん」

 村山は詳しい事情など知らないので遺体の身元までは知らない。滝川は自分が担当した人間の名前は覚えていて当然だという姿勢なのだろうが、村山は腹から得体の知れない物体が生えてきた遺体だという認識でしかない。滝川のむすっとした顔と怒気を孕んだ声色に、村山がどう反応して良いいものかと困る。

「正直、ティーガルトがアレを作ったとは思えん。神おろしの術式は殆どがこちら側の術式だったらしいからな。まあ、ティーガルトが解析か何かのために術式を組んで余計な事をした可能性は有るが。兎に角、神おろし自体はこちら側の、人間の仕業で確定だな」

「何かのために…… ティーガルトが神おろしの邪魔をして、森田が困っていたのをねーちゃんが解いた可能性が高いな」

 弓張三千代とはそれなりに長いつきあいなのか呼び方がぞんざいであるが、蛭ヶ谷は滝川の呼び方にもどうにも不慣れだった。あまり面識がないようで、呼び方に違和感がある。

 当の滝川はそんな蛭ヶ谷の呼び方などどうでも良いらしく、何事か考えている風だった。

 弓張三千代、滝川まりね、蛭ヶ谷の三名が難しい顔をして黙り込んでしまった。村山としては魔法使いなどと言う訳の分からない連中の行動指針の様な物を理解しかねているので、そもそも彼らの思案している事を同じように考えられるはずもない。

「あの、青い犬は――」

「あ、犬? 犬は今どうでも良いだろ」

「犯人が森田さんなら居場所、知ってるんじゃあないですか?」

 森田が消えたという滝川総合病院にまで青い犬が、その犬に変身できるという男が現れたのだから、森田が犯人ならば青い犬は有る意味で待ち伏せをしていた事になる。弓張やタヌキ娘を追いかけて来たという可能性も否定出来ないが。

「……青い犬。捕まえてみるか」

「それマジで云っていますか。蛭ヶ谷さん、足折られたんじゃあ――」

「うちの術式は攻めるのは苦手だけど、守る側は得意なんだよ」

 自信あり気に眉を上げておどけてみせるが、村山が見た限り先のホウジンがとてもじゃないが上手く守れていた様には思えない。自分が守ってもらっておいて失礼極まりない感想ではあるが、事実デルシェリムの甲冑が全てを攫っていったように思う。

 魔法が継がれる物だと先ほど言っていたのだから、ホウジンがアレに対抗しきれないのなら息子である弓張三千代も厳しいのではないのかと。

「捕まえるならぬるい事云ってられねぇぞ。みーちゃんよっ」

「てめぇに云われたくねぇよ。みーちゃんって呼ぶな。小学生さんよっ」

 ホウジンが顔を手で押さえているが、呆れて物も言えないと思っているに違いない。


 弓張三千代と蛭ヶ谷が率先して青い犬を捕らえる作戦会議を始めた。そこにはホウジンやデルシェリムの参加も当たり前のように組み込まれていて、使えるのなら猫の手も、タヌキの手も、喧嘩相手の手も区別無く使うらしい。

 現状ほぼ動けない村山は蚊帳の外、魔法使い一年生らしい滝川まりねも同様に戦力外らしく、実働の戦闘において戦力に数えられるのは弓張三千代、蛭ヶ谷、デルシェリム、タヌキ娘の四人……らしい。ホウジンは先の疲労から直接戦力としては数えられなかった。

 魔法使いとやらの戦いがどういう物か良く解らない。何か呪文を唱えて炎の玉でもぶつけたりするのだろうか。村山が見てきた限りでは、四人の中でタヌキ娘が光線を放つ図しか思い当たらないのだが。

 弓張家の敷地内や東都郊外の、静寂な田舎道でなら多少の荒事ならば近隣に迷惑をかける事もないのだろうが、問題はそこではない。

 いち早く青い犬を捕らえようと言い出した弓張三千代は、曲がりなりにも警察官である。放火などそれこそ極刑もあり得る重罪であるし、攻撃を伴う行動は過剰になりやすい傾向があるはずで、警察官がそう簡単に「戦って捕らえる」など言って良い物ではない。なるべくなら穏便に逮捕、捕縛できればよいのだが、村山には青い犬が大人しく言うことを聞いてくれるとも思えなかった。

 蛭ヶ谷が言ったように戦うことは不可避で、ぬるい事を、生易しい事を言っている場合ではないのかも知れない。

 そうならば、鍵はデルシェリムのモノだという槍を持った甲冑――

「――という訳で、大事な所は任せた。真珠」

「えー、どうしてわたくしが――」

「村山やるから、それで」

「りょーかいです。けいし様っ」

 捕まえるための会議の中、いつの間にか真珠があひる座りで横合いから四者の会話を覗いていたのだが、突然弓張三千代に声をかけられ、不穏な返答をしていた。

 どういう事なんですかね。詳しく説明してくださいよ。

 良からぬ事になるのではないかと思っていたのだが、まさか村山自身が生け贄に差し出されるとは思っても見ない。


「失敗したようだね」

「ええ、あまり派手に動き回っても良くないでしょうから」

「……そうか。それにしても、ままならぬ物だね」

「招師、我々はそれを超えるために居ります。我々をして、ままならぬと云うのならば他に誰が成せると云うのですか」

「一人いるじゃないか。彼は遂げているよ」

「かの者が成せたのは奇跡と云うほか有りません。人間が、人間を黄泉帰らせるなど――」

「じゃあ、どうしてボクには起こせないのかな。奇跡の一つも」

「……それは、まだ時では無いのですよ」

「十一年。続けてきたけれどその時はイツ、訪れるんだろうね」

「それは、我々は天運を任されては居りません故」

「解っているよ。キミは神ではない。ただの人攫いだ」

 男が歩き、錆びた鉄扉を開ける。

 鳴り止まぬ軋みをものともせず、耳を穿つ礫音を狭苦しい室内に轟かせる。

「ボクはね、思うんだよ。愛が足りないんだ」

「……愛、ですか」

「そう、ボクの。彼女に対する愛情が、まだ足りないんだよ。きっと」

 そう言い残し、男は部屋を去っていく。壁面煤だらけの黒い部屋の中、痩せ細った蒼髪の男がそれを見送る。

 鉄扉の向こう側から似たような金属摩擦音が鳴る。

 続く悲鳴、怒声、歓喜の声。

 そして続く、銃声。

 鈍く鳴る。

 一、二、三、四、五。

 遠く、排莢の音。

 一度に五発、全て使い切って捨てたらしい。

 蒼髪の男は、聞き耳を立てずとも、空間における音の始終を知っている。

 覚えている。

 いつか見た、あの光景を。

「我々は覚えている」

 そうして生まれた事を。


「本当に来るんですか」

「たぶん来るな。間違いなく」

「あの、普通どちらか片方ですよ。たぶんか、間違いなくか」

「……」

 山間部にあって、夏の夜の風はそれほど陰湿な熱量を持っていなかった。

 境内に訪れたのは二人、蛭ヶ谷と村山だった。

 日本語の怪しい蛭ヶ谷が松葉杖で左足を庇いつつ、右の手で顎を触っている。

 恥ずかしいらしい。

 弓張家の中で会議の後、一時間もしないうちに動けるようになった。あれが何だったのかという問いにはデルシェリムとホウジンが答えてくれた。

 曰く、魔力の使いすぎらしい。魔法が魔力とか言うもので運用されているのは往々にしてどんな物語でもゲームでも言われているとおりらしい。だが、使用した魔力自体はそう簡単には戻らないというのが実際の所らしい。

 上司から受取った拳銃はなんでも、使用者の魔力を一定量消費して弾丸を放ち、一定量消費して弾丸を再装填するらしいのだ。

 撃てば撃つほど魔力は消費され、結果的に個人の所有量を削っていく。

 魔力は結構大切な物らしく、使いすぎると先のように倒れたり、最悪死亡するらしい。

 デルシェリム、ホウジン両名が言うには「後一発で生死が分れた」という程らしい。

 放っておけば回復するものらしいのだが、一日にどの程度回復するのか知らない上、消費してから未だ二時間も経っていない。

 とりあえず腰に差したままになっている拳銃は、今日日お世話になる事はないだろう。

「えっと……まあ、なんだ。流石にあのおっさんは俺たちとは比べものにならないんだよ」

「はあ」

 わしわしと掻いていた手を止め、右足に立てかけていたもう一本の松葉杖を掴み、よろよろと歩き始めた。向かう先は殆ど暗くて解らないが、デルシェリムが放置した甲冑の方向である。

 おそらくそこに甲冑が有るのだろうという場所の真ん前に立ち、松葉杖で小突き始めたらしく鉄板がかつんかつんと音を立てている。

 村山が出がけに渡された懐中電灯で照らしてみると、案の定甲冑が蛭ヶ谷の突っつきを無視して音もなく佇んでいる。右手にしっかりと槍のような長物を持っていて、穂先が天を穿つべくに直上に掲げられていた。

「お前が、村山が俺たち術者を、魔法使いを理解できないのは解る。元々俺もただの人間だったからな」

 蛭ヶ谷の来歴は一切訊いたことがない。なんせ蛭ヶ谷という人物がどういう人間のなのか一切解らない上に、職業まで不詳である。

「普通の人間が魔法使いになれるんですか」

 元々持っている能力で魔法使いになれるかどうか決まるのか。弓張ホウジンとの会話では、村山は魔法を使えるだけの素質はないと断言され、出来ることはないとまで言われたのだ。蛭ヶ谷に訊いたところでそれが覆るとは思わないが、ただの人間「だった」と言った蛭ヶ谷が何故魔法使いの側に居るのかと。

「普通の人間は魔法使いにはなれない。魔法使いになれるのは『自分は普通の人間だ』と思っている、『普通じゃない人間』だけだ。それに該当したのが俺で、小学校四年の時に魔法使いに誘拐されてな」

「はっ? 誘拐?」

「そう。よくわかんねー所に閉じこめられて、良く解らない言葉と良く解らない力を受けて、生き延びるために必死に耐えた結果…… まあ。俺の話はいいや」

 中途半端に語って、肝心なところは全てすっ飛ばした。上司と良い、蛭ヶ谷と良い、類は友を呼ぶらしい。

「弓張の、お前の所に居るねーちゃん。あいつはラッキーなだけだ。恵まれに恵まれすぎた魔法使いでしか無い。普通は俺や弓張みたいに、魔法使いに拒否権なんて与えられないんだよ」

 恨めしいのか、未だ甲冑に松葉杖の滑り止めの先端を甲冑に当てていたのだが。

「世界は、自分の理想ほど優しくはない。だが、絶望という言葉ほど浅い底でも無い」

 松葉杖を正しく参道の石畳に突いて、蛭ヶ谷は言った。

「それは、慰めとか、自戒のための言葉としてはおかしくないですか」

「我々術者は皆、矜持の中に理想を掲げる者だ。俺を誘拐した、師匠の魔法使いが云った」

 午後八時丁度。参道の石段を登ってくる、ソレの青い頭が見えた。

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