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 他サイトにも重複投稿。


 dumdum bullet――ダムダム弾。

 ナニをどう使うのかと言うのは、その人次第っつー事で一つ。

 黒い革靴がリノリウムの床を叩く。諦めた、大量の靴の中から掘り起こすのは諦めた。足取りが重いのは四万六千円のためではない。それならすぐに見つけた。あのエセタヌキのおかげで弓張の靴はすぐに見つかった。犬並みの嗅覚があるらしく、主人の匂いを嗅ぎ分けてすぐに見つかったのだ。ただ村山の両靴はあの山の中に置いてきた。

「残念だったな」

「そんなに良い物ではないので問題ないですよ」

「はぐっ」

「あぶないっ! それは問題だから、噛むな」

「ぷー」

 捕まえられた宇宙人。両前足を掴まれて弓張警視にぶら下げられたエセタヌキが膨れっ面をしてなにか言いたそうに村山を睨んでいるが、先に手を――口を出したのはエセタヌキの方だ。抱えられた状態では上半身を上手く使って噛みつこうとするので干された雑巾のような体勢に落ち着いた。

「それで、山梨和世があの屋上にいた理由は何ですか」

「あー、それ。今訊いちゃう?」

「それは訊きますよ。それが解らなかったら本当に何もかも超常現象で片付ける事になるじゃないですか」

「そうだな。まあ、理由の方は向こうに任せてあるからな」

「向こう?」

 歩いて向かっていたのは係の部屋ではなく、あの検視室。ちなみにエセタヌキは借りてきた猫のように大人しくしていた。署内で通りかかる同僚達はエセタヌキを抱えていたり、雑巾のように摘んで持ち歩いても別段指摘してくる事は無かった。底辺係がまた何か雑用でも押しつけられたのだろうと、誰一人目を輝かせて辺りを見回すエセタヌキに気がつかなかった。

 そもそも顔がおかしい。絶対に世間一般で言う普通のタヌキから乖離している。鼻は短いし、毛は有るのにほぼ全ての毛が同一色でまるでぬいぐるみの様なタヌキなのだ。

 そんな物を抱えた警視を見て他の所員達はどう思っているのだろうか。

「答えを聞くのは本人だ」

 そんな事を平然と言う。それは署内の地下へ降りる階段を下り終わり、廊下を歩いて目的の部屋へ近づいた時の言葉だった。

「本人って――山梨和世、ですか?」

「それはこれからのお楽しみだ。ごたい――」

 両開きの扉を勢いよく開け放って入ろうとした。検視室の扉が両開きなのは遺体を入れたままの袋をストレッチャー、寝台に乗せたまま出し入れする為である。それは合理的な形状なのだが、問題は開け放してしまうと中で行われている全てが見えてしまうことである。

 開けはなった両開きの扉、その中に見た。

 誰か、全裸の女が目の前に立っていて、砕け散った何かの肉片の中に二つ眼球が浮いていた。弓張と見つめ合う眼球。

 勢い良く開いた二枚の、両開きの扉をそっと閉める弓張警視。

「めーん」

「……ヤバくないですか。また化け物――」

「失礼ね。あんな可愛い子、化け物扱いしないでよ」

 今度は内側から勢いよく外に開かれる扉。もちろん村山と弓張はその目の前に立っていたので扉の直撃を受ける。叩き開けたのは他でもない滝川まりね警部であり、その肩越しに先ほど見えた全裸の女性が見えた。

 彼女の頭が粉砕して、モザイクのような破片が頭部周辺に無ければちょっとは見られたかも知れないが、あまりにも凄惨な光景が目の前にあるのだから逃げ出したくなっても仕方ない。

「折角綺麗になってるんだから。見られて眼福だと思いなさい」

「綺麗にするならもう少し他にやり方無いの?」

「有ったらそうするわよ」

「相変わらず酷い趣味ね」

 いつの間にか弓張の元から逃げていたエセタヌキが、弓張の足下に後ろ足で立ってそんな事を言う。警部とエセタヌキは前からの知り合いだったのか。

「うっさい。タヌキッ」

「ふんっ! 年増っ」

「あんたの方が年上でしょうがっ」

「生まれ変わったから十一歳だもん」

 犬猿の仲とでも言えばいいだろうか。正確には人狸の仲と言ったところか。その仲の悪さは一朝一夕で形成された様な関係ではないと、誰が見てもよく分かる。なにせエセタヌキは手を噛もうと滝川の周りで飛び回り、対して滝川はエセタヌキの尾を踏もうとヒールで地団駄を踏み出した。

「あー、なんだ―― そうだな……落ち着け」

 しょうも無い事をするななどと言って一人と一匹の喧嘩を止めようとする。しかし簡単に止まるようなタヌキと人間の踊りではなく、二人と一匹は検視室で暴れていた。

 事件性のある遺体を安置して検視し、医学的な解剖まで行う検視室。昔は検視と司法解剖は別に行われて居たらしいが、検視及び検分作業時に司法解剖の必要無しと判断されて迷宮入りした事件が多発したため、検視から解剖までの作業を一元化したらしい。ちなみに一度検視、解剖を行った遺体を別の人間が検視、解剖する際には民間、警察、双方裁判所への許可申請が必要である。

 ちなみに山梨和世の再検視、再解剖の許可申請はしていないらしい。

 なのに、その山梨和世……らしき遺体が、検視室の奥、二人と一匹の向こう側に佇んでいる光景は村山の精神に多大な負荷を与えた。

「けけっ、け、けんかは止めてくださいって。ソレ、ソレなんですか――」

「何って、こゆりとまりねの喧嘩を止めるのにだな……」

「いやいやいやいやっ、後ろ、後ろっ」

「あ? ……遺体だろ」

 何を訊いているんだとばかりに声を上げた後、一秒くらいの間を開けて遺体だと言い切った弓張。弓張の中では遺体は二足で立つのだろうか。そして喧嘩と、それを仲裁する様を眼球だけでじっと観察するモノを遺体だとこの男は言いきるのか。

「ソレヤバイですって、早く何とかしてくださいよっ」

「よし、捕まえた。まりね、早くしろってよ」

「うきゅーっ」

「……早くしろですって、簡単に言わないでよ。これだけ砕けていると繋ぐの大変なんだから」

 砕け散った人間の頭部は繋げられるのか?

 そんな疑問にお答えしてくれる様な優しい上司はそこにいない。弓張に抱きかかえられたタヌキに奇声を上げて威嚇してから、滝川まりね警部はソレに向き直り、生きた人間を見ずに話し始めた。

「一応、建前では、彼女は自殺で決着が付いているのよ。だから遺体を長い間こちらで預かるなんて事は普通出来ないの。でもね、自殺とか、外傷の酷い遺体って葬儀の時に困るらしいのよ。あまり世間一般で言う綺麗な状態じゃないから」

「はあ、それが……」

「だからあたしが損壊を綺麗に直すって云うサービスを行っているから、長期間預けてくれる訳なのよ」

 普通、損壊の激しい遺体は袋に入れて誰の目にも触れないように葬儀に出され、そして各宗教宗派、自治体の処理方法などに従って処理される。火葬であったり、土葬であったり、水葬であったり。

 だが宗教上の理由、家族間、親族間など対外的な理由により遺体を『見せる』という行為が必要になる事もあるらしい。そういう周りの人間の思惑によって『綺麗な遺体』が求められる場合があるならば、確かに腕の良い修復は重宝されるだろう。

 ただ、遺体は時期にも因るが劣化し、腐敗するモノで、更に葬儀もなるべくなら早く行おうとするのが一般的だ。如何に丁寧な修復を素早く迅速に行えるか、というのが求められる。それを滝川まりねは警察で行う業務に、サービスとして併せて行っているらしい。

 警察に遺体を取り上げられた親族、関係者は普通なら快く思わない。検視、司法解剖に回される遺体の大半は第三者による外傷があったり、事件性の高い遺体は大抵の場合、損壊している事が多かったりするのだ。

 どうせ一定の期間警察が預かり、返してもらえないのなら。せめて葬儀で故人を悼むことが出来るように修復し、返却してもらえた方が遺族、関係者はその不快感を減免できる。

「まあ、愛娘が自殺して、更に頭が有りませんなんて事になったらパパ泣いちゃうでしょ?」

 死んでいると聞かされた時点で号泣しそうだが、更に頭も粉砕して無くなっているなどと言うのは泣きっ面になんとやら。

「あたしならお葬式で見られる位に戻してあげることは可能なのよ」

「覚えておけ村山。まりねは優秀なネクロフィリアだ」

「ネクロマンシーですっ」

 弓張警視の説明でも間違っていないだろうというのが滝川まりねを除いた二人と一匹の見解である。それを本人に言ったところでややこしい事にしかならないだろうと簡単に予想出来たので誰もが黙っておくことにしたのは言うまでもない。

 弓張警視が言ったとおり、幽霊という――あのマンションの屋上で見たのが幽霊だと断定出来るならだが――不可思議な存在が、エセタヌキの様な存在がある以上、死体をどうこう出来る何か得体の知れないモノが居てもおかしくはないのかも知れないが……

「その、見た目がどうにも恐ろしいのは……」

「普通は人に見られないように鍵をしてるのよ。今日はそこの溺死体が鍵開けちゃったの」

 既に故人として扱われる弓張警視。滝川まりねは本気か冗談か解らない事を口走りながら山梨和世らしい女体の側へ寄り、なにやらその女体の腹部にチョークで文様を描き始める。宗教っぽいと言ってしまえばおそらくまたややこしい罵詈雑言に継いで遺体を扱う上での留意事項とおぼしき云々を延々と聞かされるのだろうから、誰もが黙っておくことにした。

 へその周りにぐるっと一週……するのかと思いきや、円の頂点、胸側の一番上にあたる部分から右回りに白い線を引いていく。背中に回り込んでその線を書き続け、また左側から正面に戻ってくる。そのまま書き続けてへそ周りに描いた円をそのままなぞり、今度は下腹部辺りの底部からまた左に線を延ばしてゆく。またも背を周り、今度は右側から戻ってきた。それを描き終わるとすぐにその線に沿って何か描いていた、描いていたのは見えたのだが、描きながら滝川は言葉を発する。

「ドア、閉めてくれない。知らない人が見たらびっくりすると思うから」

 既に知らなかった人がびっくりしているのだが、滝川には理解されていないらしい。仕方ないので村山は検視室に入り、両開きの扉を内側から閉めた。ついでだ、先ほど言っていた『鍵』とやらをかけておいた方が良いだろうと、扉の取っ手部分を眺める。そんなものは付いてやしない。

「鍵もお願いね」

「そう思ってかけようとしたんですけど、付いてませんよ……」

「式は描いてあるから、流せば――」

「あー、まりね。こいつは出来ないぞ」

「……え、一般人?」

 警察官には式神と称してタヌキを出す手品や、遺体を宙に浮かべてチョークで悪戯書きの様な事をする以外に、見えない鍵をかけるスキルが必要なのだろうかと。それじゃあ射撃や柔道、剣道のスキルは必修と言われたアレは、何だったのかと。

「俺がやるから、どいてろ」

「あ、ええ。はい……」

 お呼びでないと。二人はそう言いたいのだろうか。だったらこんなよく分からない怪しい係に入れないで欲しいと村山は思っていたりするのだが、各々作業中のようで文句を言っても聞いてくれる人は居ない。

「はぐっ」

「やめてっ」

「三下は所詮、三下なのよ」

「だから、タヌキのくせに三下とか――」

「無能なんだから三下でしょっ」

「畜生はすっこんでろ」

「うーっ」

 唸っていると言うよりは口で『うーっ』と言っているようにしか聞こえないが、エセタヌキはご立腹らしい。両手を――両前足を振り回して遺憾の「い」の字でも示したいのだろうか。鼻っ柱が短いので足に噛みつけるほど口は大きくないので大丈夫だが、その鼻っ柱の根っこにしわを寄せてずっと威嚇し続ける。懐かない動物そのものの様で村山は扱いに困る。犬、猫おろか金魚一匹飼ったことはない。一切動物と無縁の生活を送ってきたのだから。

「警視、警視っ。これもどうにか、どうっ!」

 村山はタヌキばかり気にかけて全く後ろはノーマークだった。何か後ろから背に覆い被さってきた。柔らかいが冷たい何か、首辺りに少し冷たい息が流れてくる。村山には予感があった。振り向けばそこにヤツは居るのだという予感が。

 目の前でタヌキが後退ってゆく。明らかに居る。ヤツはいる。

「あらー、ごめんなさーい」

 村山は耐えた。絶対に見てはいけないと心に決め、見ずに、耐え凌いだ。おそらく見ていたらトラウマ物だったろう。目の前のタヌキが顎が外れているのではとも思えるほど口を開けて絶句している。そのままの体勢でじりじりと下がっていく。どんなモノを見てしまったのか気になるが、振り返ったら負けである。故に、村山には振り返ることは出来なかった。

「顎乗っちゃった。ごめんねー」

「いえ、早く取って貰えれば……」

 村山の肩にはどうやら『顎』が乗っていたらしい。『顎』とは言ったものの、滝川は『頭』とは言わなかった。エセタヌキが引いている所を見るとおそらく本当に『顎』だけなのだろう。その上は……どうなっているのか想像する訳にはいかない。

「良し、鍵は閉め――おま、そう云うプレイか」

「じょ、冗談キツイですよ……」


 滝川警部の作業にまともに関わっているとトラウマを植え付けられそうなので弓張警視とエセタヌキ共々、離れて壁の方を向いて待機した。遺体とは言え全裸の女性体を直視するのは失礼千万だろうという配慮の元、そういう結論に至ったわけだ。

 だからと言って壁に向かって話すことはない。そして弓張、村山は双方話すことはない。そしてエセタヌキは村山の足下でずうっと威嚇し続けていて話す気にならない。そもそも何が悲しくてタヌキに話しかけなければならないのか。

「こゆり、今日は何食べたい?」

「あたち、おうどん。きつねうどんが良いの」

 タヌキがきつねうどん……すするのか、讃岐なのか、つゆの温度は大丈夫なのか。

 真剣に壁と向き合ってそんな事を考えている警察官も滑稽だろうが、真後ろで更に滑稽であろう画が繰り広げられているであろう事を想像すると多少、村山は安堵感を得る。警察官になったのは己の名の通り、村山慶次という、ケイジなどという名前の為である。当たり前だが元々刑事になるようにと親が付けた名前ではなく、ただ単純に村山ケイジという名前のおかげでどうにも周りが冗談半分で刑事になればなどと言い出した。それを鵜呑みにしたわけではない。将来を、人生を考えてのことであるが、誰もが名前負けを気にして警察官になったんだと笑いものにされるのは正直不満だった。

「それで、いつ終わるんですか。警部」

「もういいわよー」

「五分も経ってないんですが」

「だから、もう大丈夫だってば」

 振り返るのが恐ろしかった。また何か得体の知れない部分を見てしまえばきっと忘れられない思い出になるだろう。今日という日が。

「お、流石。それで、記憶の方は大丈夫そうか」

 先に弓張が振り向いたらしい。タヌキと壁に語りかける作業を中断し、滝川の方に向き直ってソレの状態を見て「流石」と言ったのだからまず大丈夫だろう。タヌキもそれに追随して向き直っていた。これで振り返ることを放棄したら畜生以下になるだろう。

「残念だけど海馬の伝達物質の構成を同じにしても生体電気記憶は掘り起こせないのよ」

 丁度、村山が振り返ると両手の平をお手上げとばかりに広げて、肩をすくめてみせる滝川の姿があり、隣には全裸の女性が立っていた。流石に遺体と解っている女性体を相手に興奮するような嗜好は持ち合わせては居ない。

 女性は確かに頭部の完全再生を実現していた。それも継いで剥いでなどという粗い仕事ではなく、きめ細かい肌つやの状態を完全に再現している。二十五歳の肌つやと言われれば確かにその通りかもしれない。

 髪の毛の一本一本まで再生し、更に痛んだ毛の一本すら存在しない。

 このレベルまでどうやって砕け散った頭部を再生できるのかまずもって理解できない。

 ただ、一つ。村山には指摘しなければならない点が一つだけ。

「あの、顔がちょっと違うように見えるんですが。写真だと目が――」

「お化粧のせいでしょう。あら、なに。見る目無いのかしらー」

「……返す言葉も御座いませんよ」

 村山には幾度か女性の素の顔と化粧を比較する経験はあったものの、流石にこうまで「化けるんですよ」などと言われてしまえば彼に返せる言葉など見つかるはずがない。

 女性と、タヌキと、キツネあたりの化かし合いには絶対に関わりたくない。

「それで、本人が教えてくれるって云うのはどういう事です?」

「そのままの意味だ。本人に聞く」

「言葉、通じてるんですか?」

 弓張や滝川に向けて尋ねた言葉だったのだが、どうにも件の当人が頷いていたので通じているらしい。しかし、喋りはしないので声は出ないのだろう。

「この子は生体電気を自前で発生できないから、わたしが少しだけ工面してあげてるの」

「工面って……」

 どうやるんだろうか。そんな事が出来れば何らかの理由で体を動かすことが出来なくなった人間に希望が有るのではないのか。今場所で遺体相手に喜んでいないで、もっと今を生きる人間に貢献できる――

「ご遺体を極めた遺体オブ遺体のあたしだから出来るのよっ」

 問題外だった。一瞬目を輝かせたのは村山ひとりで、実際弓張もタヌキも目が死んでいた。知っていたのだろう。死体限定のなんらかの技だと言うことを。

 あと、遺体オブ遺体って滝川は生きているようにしか見えない。まさか……

「とりあえずそう云う話しは置いといて。あの日どうして自分のマンションではない建物の屋上にいたのか、だ」

 どういう理由で動いているのか凄まじく気になるのだが、後にしろと言うのだから今のところそれは後で聞くことになる。どうせ村山が文句を言ったところで他の二人と一匹が承知しないだろうから、村山が文句を言う意味がない。

 山梨和世はなぜアレと出会ったのか。

 なぜあのマンションにいたのか。

 何故、死んだのか。

「首は動くから頷いて『はい』横に振って『いいえ』でいいわね」

 勝手に滝川が決めたことだが、山梨は素直に頷いた。

「それで、あのマンションに居たのは……なんでだ?」

 下手すぎた。『はい』か『いいえ』で答えられる質問をしなければ答えられないだろう。なのに弓張は本当に警察官かと聞きたくなるほど質問が下手だった。どれだけの年数警察官をしてきたのか解らないが、あまりにも下手すぎる。そもそもこれまで一緒にいてまともな捜査をしているとは到底思えなかった。

「はぁ…… あのマンションに居たのは自分の意思ですか?」

 仕方ないので訊き方を変え、更に代わりに村山が訊ねた。

 一瞬、村山の方を眺めていたが素直に頷いた所を見ると、山梨は困惑しつつも何かを伝えたいらしい。死んだ後に何か伝えられても正直なところ、村山には何の力にもなれそうにないので困るのだが。

「では、あのマンションに何か用事があったんですね」

 山梨は音もなく頷く。

「ズバリ、男だな」

「警視、そう云う言い方は――」

 それでも、山梨は静かに頷いた。

 そんなことはどうという事でもないとばかりに、真顔で質問を待ち続けるが彼女が何を考えてこうも協力的なのか解らない。どうにか自分で伝えたいことでもあるのだろうか。

 それでも、山梨は音もなく頷いた。

「本当に男か」

「はぁ……さいですか」

「どんな男の人か覚えてるの?」

 あまり事件の概要に興味のなさそうな滝川が続きを促すように訊ねる。そしてそれにも顔色一つ変えずにただ頷いた。顔色が変わらないのはそもそも心臓が動いていない為、精神的な動揺や感情の揺れが人体のあらゆる器官に反映されない事にあるのだが、滝川まりね以外はそんな事を気にはしない。

「死亡直前の記憶は混濁しているかも知れないわね。脳の中に短期記憶として保存したモノは長期記憶に変換されるまでに時間を要するの。衝撃を受けるような、身の危険が迫っている状況下ならそれらを長期記憶として残すより、短期記憶に留めて生存の為に効率よく記憶を運用する方が良いのよ」

「あの、どうして短期記憶だとダメなんですか」

「長期記憶にして保存しておかないとすぐ忘れちゃうのよ、人間って云う生き物は」

「でも、身に危険が迫ったり、死に際はスローモーションに見えるって云いますけど。その間に記憶できないんですか」

「危険なときは血圧が上がっている状態が殆どで、無意識のうちに脳の活動レベルを引き上げているから瞬間的に状況判断力が極端に上がるの。危険なとき遅く見えるって云うのは短期記憶の容量を超えて過剰に情報を頭の中に留めるからよ。同じ時間でも情報が少ない普段と、情報が多い危険時。情報量の違いから時間という概念を比べてしまうから危険時は時間がゆっくり流れるように感じるの。生きている人が語る、危険なときは物事が遅く見えるって云うのは過剰に得てしまった短期記憶を、すこし経った後で長期記憶として保存してしまうからよ」

「時間を置かないとダメなんですか」

「正確には意味を理解しないと――」

「なあ、それ後で良いか?」

 流石に全く違う話を始めたので置いてけぼりにされた一人と一匹と一体。男を覚えているかという話しをしていたはずなのだが、当人を放って全く違うところで別の話が進んでいた。

「あらー。ごめんなさーい。でも、覚えてないかも知れないって云うのは本当よ」

「そうなの?」

 山梨はすこし間を開けてから頷いた。本人も覚えていないことがあるらしい。覚えていないことから警察で掴んでいる事実を照らし合わせ、どうして山梨和世があのマンションの屋上から落ちて死んだのか探らなくてはならない。そしてどうして靴を集めていたアレが屋上に居たのかという疑問にも答えが得られるかも知れない。

「会った男は知り合い?」

 弓張の質問には首を横に振った。

「つーか、会ったの?」

 横に振る。

「男の名前、知ってる?」

 それも横に。

「うお、聞くこと無くなった……」

「ありますって……」

 聞きたいことは沢山あるのだから、勝手に弓張の采配で質問を中止にされてはたまらない。滝川は滝川でなぜか山梨和世に興味津々の様で、山梨の後ろで変な笑みを浮かべた顔を隠すことなく始終を眺めている。

「ええっと、男に会いに行ったと云うことで合っているんですね」

 始めから、事の起こりから聞きだそう。

 当たり前のように頷いた山梨和世。

 山梨和世が男に会いに行ったというのはまず間違いない。そして会いに行った先があのマンションだと言うのなら、マンションに住んでいる男性を当たればいいはずである。

 本人は喋ることが出来ないので推察することしか出来ないが、既婚者、未婚者ともに当たる必要がある。

 もちろん相手には「知っていますか」とは訊けない。それで「知らない」と言われればおしまいであるし、山梨和世と関わっていたという証拠や事実を隠蔽されかねないのだから、最初から山梨和世に会った人物を特定し、会ったという確たる証拠が必要になる。

 死んだ人間が会いましたと首を縦に振る様を見たことがある人間がどれだけ居るだろうか、間違いなく三人いると断言できるが、それに合理的かつ常識的な説明をしろと言われても不可能だった。

 首を振るだけ。「はい」か「いいえ」だけで証拠と男を捜し出さなければならない。

「……ええっと」

「まず男とどこで出会ったのかよね」

「出会った……ですか。そうですね、クラブで働いていたそうですけど、そこで会ったんですか?」

 横に振る。

「大学で?」

 横に。

「……元々知り合い?」

 横に。

「どういう方法で連絡を取ったんですかね……」

 途端にわからなくなる。こうやって具体的な事を聞き出せないと不便で仕方ない。筆談でも出来ればなんとなるのだが、残念なことに彼女の両腕はだらしなく下がっていて動く気配はない。

「滝川警部。彼女、筆談とか出来ませんよね……」

「そこまで親和性が高くなかったから出来ないわね」

 ちょっとだけ不満そうに肩を上げてみせる。動かすたびに胸元の鮮やかなピンク色の生地が見えるのだが、本人は解っていてそうしているのだろう。

「携帯か」

 エセタヌキを抱きかかえて真面目な顔をした弓張が呟いた。どう反応して良いのか解らなかったが、その言葉に正しい反応をしたのはモノは居た。

 山梨和世が頷いた。

「携帯の、ネットで知り合ったんだな」

 頷く。

「SNS、もしくは掲示板とかそういう不特定多数が居る……」

 頷く。

 エセタヌキを抱えると超人的な推理力が発揮されるらしい弓張警視。タヌキのおかげで事件解決などというのはしまりのない話しだ。もちろん、そんなふざけた事はないだろう。

「資料には携帯電話の遺留品は有りませんでしたよ」

「は? でも本人が携帯でやりとりしたって……」

「山梨さんのご自宅にも携帯電話は有りませんでした。もしかして、持って行かれたんですかね……」

 またアレのようなモノが今度は携帯電話を集めている……などというふざけた話しは承知できない。いやあり得るかも知れないが、だからと言って山梨和世が二度もあんな変なモノに絡まれるはずがないだろう。

 村山は持っていた薄っぺらい資料を手に読み上げる。

 まず事件現場。遺留品はほとんど無い。靴はおそらくアレに奪われてしまっていただろうし、着ていた衣服は確かに普段着よりも多少気合いが入っていた様に見える。色恋沙汰の相手に会うのかとも思えるような格好だが、滝川警部曰くちょっと違うらしい。

「現場には本人が着用していた衣服以外特に何もありませんでした」

「普通、携帯電話って携帯してるよな?」

「……まあ、名前の通り持ち歩くモノですから」

 遺留品として存在しない携帯電話。携帯電話のインターネット機能で出会ったのなら顔も名前も正確でない可能性がある。ハンドルネームだったり、別人の顔写真を載せたり、そもそも男かどうかも怪しいモノだ。しかし、山梨和世は『男』だという言葉に頷いたのだ。文面から察して男だと判断したのか、それとも別の要因から男だと判断したのか。

「その男を見たのか?」

 首を横に振る。

「じゃあ、電話で話したのか?」

 頷いた。

 ただ、電話で話して男だと思っても変声機などを用いられた場合は男女が分からない。コンピュータの発達とともに音声を編集する手段が豊富にあり、歌う声を変声して男性が女性の音域まで声を高くする事の出来るカラオケ機まであるのだから、相手の声から男だとは断定出来ない。

「男だと言い切れるか?」

 弓張の言葉に、意外にも力強く頷いた。

「いや、ちょっと待ってくださいよ――」

「こういう時は女の勘を信じてやるんだよ」

「そんな、勘を信じて捜査ができる訳無いじゃないですか」

「一概に勘とも限らないわよ」

「どーいうこと?」

 ふざけ半分に弓張が滝川に尋ねる。

「女性の脳は人の音声をかなり細部まで聞き分けられるのよ。女性のコミュニケーションは寂しいからとか、必要な情報をやりとりするだけが目的じゃないの。自分の所属する集団で相手の精神状態を知ったり、健康状態まで把握するために発達したコミュニケーション能力なのよ。人間の女性が集団生活で得た一つの能力と言っても良いわ」

 それを用いて集団の状態を共有し、互助してゆくのがその目的だと言う。ただ『男』との会話が何度有ったのか本人にしか分からないが、そんな能力が有ったとして、多くない会話の回数で相手が『男』だと見極められるものだのだろうか。

「それでも、捜査上決めつけるのは良くないかと」

「はん、それもそうだな」

「三下風情が云うわね」

 弓張警視の同意を得られたが、どうにも抱きかかえられたエセタヌキの機嫌が非常に悪い。どうにかならないのか、このエセタヌキ。

「じゃあそうね。『男』というのは彼女が会おうとした相手の一時的な呼称で良いんじゃないかしら。Aとか、Bとかの方が良いかしら」

「俺は『男』って云う」

「わかりました、わかりましたから。『男』で良いです」

 そんな始終も山梨和世は何の表情も浮かばない顔を向けてじっと見ていた。

 先に進まない話しを整理する。山梨和世があのマンションに向かったのは『男』に会うため。『男』との連絡手段は携帯電話のインターネット機能を介して、そして通話。

 肝心の携帯電話が遺留品一覧にない。更に彼女の家を捜索しても携帯電話は見つかっていない。結果として、現場から何者かに持ち去られた可能性が高い。

「通話記録を照合してみますか?」

「あー、なんか嫌な予感するわー」

「どんな?」

 村山が提案した携帯電話の記録照合。携帯電話はその特性上、サーバーを介しての通信を行う。そのサーバーに残った履歴を調べれば誰と話していたのか分かるかも知れないと提案したのだが、弓張はそれを無駄足だとでも言いたいらしい。

「どうしてですか、携帯電話の電源が入っていたら場所も特定できますよ」

 携帯電話の中継基地局、その三カ所から目的の携帯電話の現在位置を測量できる。精度も拡充しているし、更に携帯電話に機能を搭載していれば人工衛星から地球測位の対象となりうる。もちろん、通話すれば警察及び公安機関による独自開発の通信傍受装置の運用によって対象の位置を把握する事も可能である。ただこれを用いる権限は我らが雑対係には無い。

 そもそも権限があるならこんな極少人数で捜査に当たれなどと命令が来るはずがない。

 それほど権限や能力があるなら、なんだかよく分からないエセタヌキを抱えたりしないだろうし、遺体を無理矢理彼の世の淵から起こして話しを訊こうとなんて絶対にしないはずである。真っ当に刑事課に配属されて、真っ当な一刑事として活躍したかった村山としては一般的な捜査方法を提言して否定される事の方が、後々の嫌悪感になっている。

「一応、自分が本部長を通して科捜研に調査依頼を――」

「あー、だからそう云うことは別に頼むことになってるから」

 面倒事を増やすんじゃないとばかりに弓張がエセタヌキを抱えたままエセタヌキの手を取ってあっちに行けとばかりに手を振らせている。

「別? どういう別があるんですか。科捜研以外に科学的な根拠のある捜査を――」

「お前、その子、科学的に見えるか。あ? 見えてんのか?」

 どう考えてもいかがわしい技術の賜だった。死んだ人間が当たり前のように首を振っているのだから科学的に証明したいのならカエルの筋肉に電気を流して自由に動かせるだけの技術力が必要になる。それを種も仕掛けも無い状態で遺体を直立させて動かすなどと言うのは科学でどう証明すればいいのだろうか。

「科学では証明できない事を捜査するのが雑対係だと云っただろう。非科学的な問題に一般の科学的な調査機関がいい顔するはず無いだろうが」

「じゃあ他にどう頼むんですか。通信事業に対して合法的に捜査が――」

「え? なんで合法で捜査すんの?」

「の?」

 曲がりなりに、湾曲して一周しても、へし折れても警察官である。法による統治のために尽力しなければならない人間がどうして『違法』な方法で捜査をしなければならないのか全く分からない。

 東都都警本部長からの直接命令が来るほどの特別係なのだから確かに『違法性』のある捜査内容でも有耶無耶の内にもみ消されているのだろうから。

 それにしてもエセタヌキが弓張警視の腕の中で偉そうに見上げてくるのには流石に村山ですら苛立たしい。

「おそらく俺の予想では携帯会社のサーバーには何も残って無いだろうな。下手すりゃ携帯電話を持っていた事実まで消されている可能性もある」

「はぁ? 携帯電話会社がどうしてそんなことを?」

「だから、まだ俺たちが科学で証明出来るヤツを相手にしているんだと思ってるのか?」

「どういう事です?」

「本部長に云われたんだろ。殺人事件の捜査だって」

 眉根をあげてセンパイ然としているのだが、抱えているのはエセタヌキだった。

 曰く、本部長は囮。

 そんなことを言い出したのは他でもない直属の上司である弓張警視であり、似たようなことを言ったのも滝川警部だった。

 そんな話しに時間を費やしたせいか、突然、山梨和世が倒れた。突然のことに村山は驚いたのだが他二人と一匹はあまり動じることがない。

「時間切れね」

「……時限性だったんですか」

「正確には山梨さんが耐えきれなくなったのよ」

 本当に吊り人形が糸を切られたように倒れ込み、一切動かなくなってしまった。時間切れ。山梨和世は別段本当に生き返ったわけではない。事実、本人は自由に動くことも、自由に発言することも出来なかった。それが時限性で無いという保証はどこにもなかったのだが、重要な証言をしてくれる事に関しては事実で、その優位性を失ってしまった事は村山にとって焦りを隠せない事だった。しかし、慣れているのであろう二人は一向に気にせず、話し続ける。

「まあ最初からそれほどアテにはしてなかったから良いモノの――」

「失礼ね。あたしだって優秀なのよ」

「あのおっさんに喧嘩売れるくらい腕が上がった自信でもあったのか?」

「うっ」

 突かれたくない部分を刺されたかのように手で額を押さえて悩み始める滝川まりね。自分の不足をどうにも指摘された様で、検視室の端にうずくまってセミロングの栗毛色の髪をわっしわしと掻いて中に巣くっているであろう葛藤や後悔と言った自身の負と対峙していたのだが、そんなモノは今、誰にも同情されない。

 弓張の言う『おっさん』とやらが誰なのかとは問いただそうとは思わないが、村山にしては分からないことを当たり前のように話されるのは不服だった。

「そうだなぁ。携帯会社とか世間一般様の科学捜査はアテにならないから、こっちでもっと有用なヤツに頼む」

「一般って……」

 科学調査自体が一般人に行えるはずもないのに世間一般様などと言い切ってしまうのだ。それ以上に異常であったり、超越的な科学捜査があるのなら是非見せて欲しい。

 そんな村山の顔色にでも気がついたのか、弓張は顎で倒れた山梨和世を指していた。

 確かに、超越的だ。


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