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 他サイトにも重複投稿。


 人恋し、胸焦がし、逢瀬の数に泣き濡れて。合うたび言葉を代え、心を代え、魂をも代えて。遂に、追せし、終を求むに。心、能わず――

『上木の本家に娘が生まれたらしいわよ』

『え、でもこの前、養子に女の子引き取ろうって話をしてたでしょう。分家筋のあの子』

『それが急に必要なくなったって云い出したらしくて』

『あの子どうするの? 親元に返すのかしら』

『それが元々売られた様な子らしいから、親も返すって云われて渋い顔したらしいわよ』

『酷い話ねぇ』

『ねぇ』

 母の年忌法要。三回忌に集まった父方の親類縁者がそんな話を小さな声だが、平然と小学生の前でする。そんな話は自分には関係ないし、母の死を悼むために集まったはずだが母との関わりが薄い父方の家の者は皆、奔放だった。

 それよりも、小学生にして父や父の親類縁者に対し、彼は静かに怒りを覚えていた。

 年忌法要。仏教の供養方式。

 特に誰も気にとめていない。ましてやそれが当然であって、別段違和感も不快感もない。そうはばからないのは父方の親類縁者だけに留まらず、母方の親類縁者、更には彼から見れば母方の祖父母まで当然の様に、その様式に美徳を得ているらしい。

 だが、それが酷く不満に思えて仕方ないのは三男である三千代、一人だけであるらしい事にも、甚だ怒りを禁じ得なかった。

 だからこそ、突いて出た。

「どうして神式では無いんですか」

「弓張ではないからだ」

「――っ」

 毛が逆立つほどに震えた。

「母さんは、家族じゃないって云いたいんですか」

 正に座し、いつもと変わらぬ風格だけを支えに、父は、何も息子に語らなかった。





 神社から駅まで。それくらいの往復ならば実際何度か経験はあるのだろう。年老いた信心深い人が往復に利用することもあると聞いたことがある。

 正直、村山と真珠を残してきて大丈夫だろうかと心配にはなりはしたが、胸くその悪いことに『あそこに居れば絶対に大丈夫だろう』という確信を覚えられるのだから本当に腹立たしい。

 弓張は誰に見咎められる事も嫌がり、助手席に平然と座った。後ろに乗れる限りは保安上の問題もあって後部座席に乗ることを勧められるのだが、警察バッチを見せれば何のことはない。最高の『免罪符』だ。

 係を警察機関に作ったのは単純に国家権力の後ろ盾が必要だったからであるが、警察官という身分は実に都合がよい。捜査の一環だと云えば礼状無しに大体の人間は口を割る。それは刑事事件を主なって扱っている訳ではないことが主因なのだが、それでも噂のような『真実』を語らせるには十二分だった。

 そういう副産物を享受している身としては文句の言える筋合いではないが、権力構造内での、身内の争いに係が巻き込まれるのは流石に苛立ちを覚えざるを得ない。

 そもそもそういったものから無縁であるために作った係だが、どうにも何処の世も末らしい。憤慨の様を誰かに見咎められたくない、それは身内や顔見知りなら尚更で、他人であるタクシー運転手をご機嫌伺いの贄にして、滝川とこゆりとの摩擦や摩耗を減らすことにした。そうでなければやっていられない。

 前は前で見るモノが有って困らないが、後ろはおっさんの後頭部くらいしか見るモノはないだろう。真珠とこゆりならば外を見なくてもやんやと騒いで、村山と三人でタクシーの運転手に迷惑の一つや二つかけたのだろうが。生憎とこゆりとまりねに騒々しさは無縁らしい。

 いつか年増だのタヌ吉だのと言っていたが、あんなモノは人前でじゃれ合っているだけに違いない。

 棚に上げて人様のことを言いたくはないが、類は何とやら。




 ガヤに、蛭ヶ谷に運転させて来るよりは流石に早いが、自分の足で幾分か移動しなければならないというのは少々堪える。腰が痛いと後ろに反らせて伸ばしていると、こゆりに笑われた。

「運動不足」

「普段使わないところを動かすのはなあ……」

 ここで歩くくらいしろと言ってもらえれば幾分か「良く」なったろうに、目線をやって求めた相手は自分が前に働いていた場所を見上げて黙りを決め込んだ。

「おらー、腰見てもらいにいくぞー」

「にぃさま、違う。不謹慎よ」

 声をかけても、まりねは見上げたままため息をついた。

『滝川総合病院』

 見るたびに憂鬱らしい。

 ああ、頭が痛い。アイス食べ過ぎたか?


「まりね先生っ!」

 引きずるようにまりねを連れ、建物に入って受付で事情を説明し、病室の番号を教えて貰っていたところ、そばを通りかかった若い男に呼びかけられた。呼びかけられたのはまりねだったが。

「あ、ああ。隆二君……」

「ん。こちらの医者?」

「はい。中山隆二と申します。えっと、失礼ですがあなたは……まりね先生とお付き合いされている方ですか―― あれっ! えっ! お子さんっ! えっ! 旦那さんっ」

 一人で勝手に百面相を始めた為、受付近くの客から一斉に注目を集めた。

 勝手に勘違いされるのは一向にかまわないのだが、その言葉に過剰に反応したのは子供扱いされたこゆりだった。

「違います。あたっ…… 僕はまりねさんの子供じゃありません」

 『わたし』と言おうとするとどうしても『あたち』になってしまう。だからあえて一人称を変えたのだろうが、どうして『ボク』なのか知ったことではない。が、我が義妹ながらなんとなく、グッと来る。

「え、違うんですか。って似てないですね」

「そうよ、あた…… 僕がこんなオバサンの子供のはず――」

「あんですってぇっ!」

 病院に来る前からずうっと暗かった顔が豹変した。ただ、良い意味ではないが。

「痛いっ! 痛いっ!」

 ぐりぐりと頭の両脇を拳で抉るように挟み込み始めた辺り、いつも通りと信じたい。

「まりね先生、子供相手にそういう事は……」

 はっと我に返った時は既に遅い。受付前の待合いロビーの衆目は集まっていて『和装の子供をいじめる、いい年した何処にでも居そうな女性』の図が完成していたのである。そんな衆目を反らすマホウの言葉がある。

「う、うちの子がすみません……」

 作り笑いでロビーの皆さんにとりあえず謝る。何たって俺たちは魔法使いなんだから、なんでもアリって。そういう訳にいかねーんだよ。

「まりね。何しに来たか解ってんだよな」

「す、すみません」

 こっちにも謝って貰わないと困るんだよ。

 そんな始終を、お医者さんは不思議そうに見ていた。


「えっ! 警察の方なんですか」

「ええ」

 人のことを歩きながら睨め回すようにジロジロと上から下へ、下から上へと視線を動かす。医者ほど高給取りじゃない自信はあるが、これでも公務員で警視である。そこそこ貰うモンは貰っているので別に汚い身なりという訳ではないのだが、執拗きわまりない視線はなんだろうか。

 思い当たるのは一つ、こいつは絶対に俺のことを良く思っていないと言うこと。

 あと下世話な視点からもう一つ言えば、どう考えてこの医者は『まりね』目当てである。

 それならそうと、うだうだしてないでさっさとこいつを貰ってやりゃあいいじゃねぇかと、心の中で優男に突っ込んでやっていたのだが、顔に出ないタチなので一向に伝わらない。

「まりね先生は検視官をしているって医院長に聞いていたけど、本当に警察官になったんですね」

「え、ええ……」

 なったんですね、などと問われて半笑いでまりねが答えたが、正確には『無理矢理、警察官にさせられた』と言うのが正しい。そうしたのは俺だが。

 執拗に付いてくる医者はそのままに、森田が入院していた部屋へたどり着いた。方角的には西日がさぞ眩しかろう、角の一人部屋である。

「ここって、第一警察署から運び込まれた人の個室ですね。同僚の方だったんですか」

 どこで働いて居るだとか、運ばれてきたとか、個人情報に当たりそうなことも平気でしゃべる辺り、この男の守秘義務に対する責任感はどうやら限りなく薄っぺらいらしい。たぶん聞き耳を立てられたら一瞬で筒抜けるほど薄っぺらいに違いない。

「よくご存じで」

「そりゃあ、医者ですから。引き継ぎもしっかりしてますよ。他にも看護師がしゃべっているのを聞いたり――」

 扉に手をかけたところでまた余計なことをべらべらと喋るこの男は何だと、おそらく引きつった顔で俺は「そうですか」なんて言って哀れみつつ優男を眺めたのだろうが、この男は一切そんな事には気がつかなかったらしい。

「あれ、開かねぇ」

 引き扉を開けようとしたのだが鍵がかかっていた。仕方ないので看護師の詰め所的な場所に行こうとしたのだが……

「まりねか」

「……」

 扉の向こう側から男の声がした。

「あれ、医院長なかに居るんですか」

「中山か。ここは今入れないぞ」

 まさか現状維持のために医院長直々に待機していてくれているとは思ってもおらず、なんと言えばいいのか言葉を選ぼうとしたのだが……

「あたしも居ます」

「そうか」

 まりねが先に応えると、すぐに鍵が開いた。

 開いた扉の向こうには大きな個人病院だけあって小綺麗で洒落た個室があるのだが、先に目に入ってきたのは『不機嫌』を顔に貼り付けた白衣の、壮年の男。目の前に塞ぐように立っていて、招き入れてくれるような状況には見えなかった。

「ど、どうも」

 明らかに不自然な行動だったのだが、つい、なんというか、癖だ。右手を小さく上げて友達相手に『やあ、こんにちは』なんてやるみたいに挨拶していた。

 そんなヤツが目の前にいたら、俺ならまず……とりあえず殴るかもしれない。

 時と場合によるが。

「どうも。ご苦労様です」

「え、えっとー」

 あんまりにもふざけた返答を意に介することなく、ただ淡々と事務的な動作で立ち塞がっていた部屋の入り口から退いた。これは怒っているのやら、呆れられているのやら解らないが、重要なのは無愛想なおっさんではない。

 退いてもらい、開かれた視線の先にある血溜まりになったベッドである。

「致死量ってどれくらいだよ……」

 見慣れた光景と言えば……そうなのだが、慣れた自分ですら嫌悪感を抱くほど醜悪な状態である。

 病院のベッドにありがちな白かったであろうシーツは赤黒く染まり、シーツから余ったモノは床にまで滴り落ち、どす黒く固まっていた。

「致死量は血液の三十パーセントほどを失った辺りからだ。二十パーセントほどで意識障害が出る」

「ちなみに人間の血液ってどれくらいあるものなんですかねぇ」

 何となく自分が三下気分である。あれか、村山に悪いか。

「体の大きさで異なるが体重に対して約八パーセント程度だ。ここに居た森田という患者は体重九十三キロ程度だったので七キロ程度が血液だな」

 七キロの内、どれほどの血が流れ出てこうなるのか解らないが、ベッドのシーツは血の海を越えてそういう染め物かくやという有様で、本当に七キロすべてが体外に出ているのではないかと思えてきた。

 入り口からすこし入ってベッドを眺めていると、うちの真打ちがちゃんと動いてくれた。

 横をすっと通り抜けた横顔に、今まで来ることを渋っていた陰はない。

「……」

 ベッド下に滴り落ちた血液は既に固まっていて、踏んだとしても別段問題ないようにも思えるのだが、まりねはそれをつま先立ちで上手く避けてベッドをのぞき込んでいた。

「で、なんか解るか」

「とりあえずまともな出血じゃないって事は解るわよ」

 そう言い終わった後、ケースを取り出して眼鏡をかけ始める。それが本当の合図らしい。それを見た不機嫌そうなまりねの父親がずかずかと歩いてきて俺の横に陣取ったのは、他でもない俺への恨み辛みを表したものに違いない。

「誰がどう見てもまともじゃないってわかるってーの」

「そうじゃなくて。出方がおかしいのよ。出血の状態が」

「あ、状態?」

 出血にどういう状態があるのか。裂傷とか滲み出てくるとかの違いだろうかと思ったところで、真横から説明が入る。明らかに少し苛ついた感を出しているので明らかに誰かさんのお父上は俺を良く思っていないらしい。

「出血は痕跡が解りやすい。患者が立っていたのか、寝ていたのか。体勢を予測する事も可能で、出血を伴う肉体の損傷状況も解る」

「森田さんの体勢は仰向けかうつ伏せに寝ていたのは体のラインが血痕として残っているから解るんだけど。おかしいのは出血は全身からまんべんなく一定量流れ続けていたと推測できるからよ」

「まんべんなく出るって――」

「あり得ないのよ。全身出血でもこれだけ均一に血液は広がらないのよ。外傷性のけがを負った場合なら、血液が体外に出始めた時点ですぐに体が反応して、止血作用を持ったタンパク質が血を固めるの。損傷部位ごとに血液にムラが出来る。これらから森田さんの出血は外傷性じゃない事が解るわ。でも病的な出血だとしても、これだけ短時間に大量の出血を伴うのは出血性感染症とか、ごく限られた病気だけよ」

「うぇ、感染症って……」

「お父さんが保持していてくれたんだから空気感染する類じゃないとは思うけど、血液には触らない方が良いわね」

 近くまで寄ってみたのだが、一言聞いて一気に下がることを選んだ。病院の白い床なんぞ患者に清潔感を与えて『見栄えの良い空間』を演出するだけのモノだと思っていたのだが、そこに本当の意味での清潔を願いたくなったのは俺だけではないだろう。

「それに血液が全身から出血したとして、病院に居ながらその兆候を見逃したなんて云うことは常識的に考えられないのよ。まして……」

 実家の総合病院だからなぁ。

「警察からはここに入った患者の容体が急変した場合は君に連絡するように伝えられていたからな。君に連絡する手段はまりねを介すほか無かったという次第だ」

「……そ、そうですか」

 俺の見間違えだろうが、まりねの父親が少し背を反らせて威圧的に見てくる気がしてしようがない。

 威圧的に『自分の領分に侵入してくるな』と訴えかけてきているのだが、俺のせいではない。なんたって相手は……まあ、いいや。言うだけ無駄だ。

 警察から連絡するように。それが本当に警察から来た要望や命令ではないと言うことが解るのはこの場にいて三人だけである。自分と、まりねと――そういえばこゆりが居ない。

 はっと我に返ってから辺りを見回すのだが、白い部屋には血に塗れたベッドや床、それを見るまりね、まりねの様子をただ黙って見守るまりねの父親の姿だけ。自分を数えないのは役に立つとは現状、思わないからだが、ある意味で役に立ちそうなヤツの姿がない。

 入ったときには気がつかなかったが、まりねの父親がご丁寧に足下に段差のない引き戸閉めて、更に鍵まで閉めてくれていた。至れり尽くせりってヤツですよ。

 部屋の中は見渡せるのでこゆりが居ないと一目でわかる。だったら廊下に出て探すしかないではないか、ついでにあの変な優男も居ないか確認してみよう。

 鍵を開けて引き戸を開けると、眼前には口を塞がれたこゆりと、あの優男、中山とか言う医者が居た。

「む~っ! う~っ!」

 眼前で繰り広げられているのは必死に男の手から逃れようとする和装少女の図で、男の方は別段喜んでいたり奇特な風ではないが、そんなものは時と場合による。

「てめぇ、何してんだ」

「いやちょ、違いますよ」

「あ~にが、ちがうってぇっ」

 人からどう見られようが知ったことではない。あまり自分が人相の良い方だとは思わないが、現在地である病院の医者だからとて、義妹に危機が及んでいるならば凄んでも文句は言われまい。なんなら天下御免の警察手帳でも見せりゃあ良い。

 人質を取られている状況下での対応術……らしきものを、習った様な気がしないでもないが――忘れた。

 不甲斐ない義兄を見てこゆりがどう思ったのかは本人にしか解らないが、ポニーテールに結った髪をゆさゆさと二度三度、前後に揺らせて頷いてみせる。あの、何も指示してないんですけ――

「あああっ!」

 目の前でこゆりが上手く顎を動かして、中山の腕を噛んだ。更に親の敵とばかりに下駄で中山のつま先を踏みつけてまでいる。どこで教わったんだか知らないが、出来た義妹だな……

 人間、同時に強烈なダメージを受けて姿勢を易々維持できない。こゆりを逃がして、中山は踏まれたつま先を抱えて片足で跳び回り始めた。

 ちゃーんす。

「うらっ」

「――っ」

 横合い。蹴りを入れて白い壁に叩き付けてやった。ざまあみろや。

「ちょ、ちょっと何してるのよ」

「……どういう事だ」

 滝川父娘が誰もが居なくなった病室から出てきたかと思うと、目の前に広がる惨状を見て口々に状況を尋ねてきたのだが、こっちが聞きたいわ。

「な、なんかこのひとがあた――ぼ、僕の事ぎゅって、ぎゅってっ!」

 明らかに白んだ目で三人、生まれたての子鹿のようによろめきながら起きようとする中山を見ていた。縋りつく相手が白い壁紙に貼られたポスターだけなのがむなしいねぇ。

「ちが、違いますよ。その子が部屋に入ろうとしたので、止めようと思ったら。いきなり肘をみぞおちにですね――」

「怪しいな、このムッツロリコン」

「ちがっ、矢鱈なこと云わないで下さいよっ」

 白んだ視線は留処なく注がれているが、滝川父娘の目には中山は違って映っているに違いない。

 医師が女児を後ろから羽交い締めにして声を出さぬように口を押さえている光景が、この病院に来る子連れの親御さんたちに口伝てで広がれば、おそらく中山の存在は社会的に抹殺されるのだろうが、生憎とそういった抹殺ではすまされないかも知れない。

「で、本当のところどーなの」

「むっ! にぃさまは信じて下さらないんですか。あ――僕の話」

 こゆりがすり寄ってきてひしと抱きついてきたのだが、なにやらご立腹の様らしい。

「信じるかどうかは、なあ。ちゃんと話を聞かないとな」

 どういう意味なのかこゆりが量りかねる事を見越してそういったのだが、全く我が義妹は期待を裏切らず、どうしてなのよなどと、頬にぷーと不満の図だった。

 中山が森田が消えたことに関連している場合、尋問の末に引き渡すほかない。

「部屋の状態は一度見て知っているので、そんな子に見せるわけにはいかないじゃないですか」

 まあ確かに。至極真っ当な回答である。コレで少しでも怪しい答えが返ってきたり、考え込んだりしたら突っ込んでやろうと思っていたのだが、拍子抜けした。やはり一般人か。

 こいつの、中山の眼前で今まさに魔力を垂れ流して様子見しているのだが、一切関知した気配はない。近くにいたまりねが身震いしている程度で、他に変調を来したヤツは――

「うひー、へへっ」

 どこかの黒ずくめの娘のように、義兄の腹に顔を埋めてすり寄っているこゆりを抜けば確かに魔力を関知しているヤツは居ない。

 それに、こゆりに抵抗された時点で身のこなしがまさに滑稽だった。あの程度で拘束を解くなどと言うことをする人間が森田をどうこうしたとは思えない。なんだ……アレだ、アレ。あの状況下でテンパったのは演技だ、演技。

「あーもう。解ったから。ロリ山先生はもう結構なので、仕事戻って下さいよ」

「や、やめて下さいよっ! それっ」

「ああ? じゃあ、おしごと戻ってくれるかな?」

「い、いいと――」

「違うだろ?」

 え、何が違うの?

 という疑問符まで頭の上に幻視するくらいにはアホの子のように口を開けて惚けていたが、

「ぼく、お仕事にもどロリコンっ!って云ったら許してやる」

「う、うわあああーん」

 何度か壁に肩をぶつけながら去っていったロリ山はもうどうでも良い。結果として単にいらぬ親切心を働かせてこゆりのためを思ってセクハラしただけだろうという事で、許してやることにした。すっぱりきっちり、忘れてやることにした。

 ふと気がついたのだが、病院である。入院中の患者が往来する場所である廊下だが、幸いなことに角部屋の真ん前で行われた喜劇である為に、入院患者の誰もが気にとめることがないと思っていたにも関わらず、

「違うよっ! 僕は、僕はあああっ!」

 なぜか内股気味に病院の廊下を走っていくアイツのお陰で少々廊下が騒がしい事になった。

「そっち系?」

「あの人の事は良いから、しごと。しましょ」

 半笑いで振り向くと、蔑んだように睥睨しようと背を反らすまりねの父親と目があった。

 もちろん女言葉で俺をたしなめたのはこのおっさんではない。


 邪魔だからどっか行ってろ。簡単に言えばそうだが、端折ることなく言うならば、親子間の喧嘩を幾分かしていたように思う。自分にはそんな事は出来はしないと解っているので、この親子、滝川親子は至って健全な親子関係なのだと思えて仕方ない。

 ただ、この親子関係に無用な摩擦を生む致命的な亀裂を入れたのが自分だと言うことをここでぶちまけてしまうのは簡単だが、まだ本当に終わっていない親子関係に余計な軋轢を増やすような真似はしたくない。

「――そうやって、今更っ」

「おまえはいい歳をして、まだそんな事を云うつもりか」

「いい歳って。お父さんこそいい歳して、子供みたいじゃないっ」

「あのですね……」

 アホの子のように二人。こゆりと兄妹壁際に並んで親子の喧嘩を眺めていると、流石に飽きた。ある意味で二人には珍しい光景なので幾分か眺めていても飽きることはなかったのだが、今日は珍事観察に来たわけではない。

「……お前の間違いは、正さなければならない」

「それは思い通りにならなかったから云ってるだけでしょ。あたしだって自分が選んだ仕事だもの、正しいと思ってやってるわ」

「お前は間違っているよ。お前は根っからの医者だ。人の死と生は平等でしかない」

 それだけ言ってまりねの父親は去っていった。娘がまだ何か言いたそうにしているのを見ていたはずだが、これ以上付き合いきれないとばかりに去るのだから、追う気にはならないだろう。


「……」

 言いたいことを爆発寸前まで溜め上げていたのに、突然穴を開けられたのは思いの外まりねの心には大きい穴であったらしい。文句を言う術を失って呆然とし始めたので、此方に戻ってきて貰わねばならない。

「もう、おっさん行ったぞ」

「――っ。おっさん云うな。あたしのお父さんなんだから」

「だからって俺が『お父さん』っていうのは違うだろ」

「まあね」

 当然でしょうとばかりに眼鏡をくいっと持ち上げたのに少々苛立ちを覚えたのは俺だけではないらしく、こゆりが異様に噛みついてもめた。どうもめたのかは割愛するとして、仕事である。仕事。

「それで、タヌ吉的にはどうなのよ」

「タヌ吉って云うの止めなさいよ年増っ」

「わーったから、喧嘩とか飽きたから」

 むすっとしたまま納得いかない顔だが仕事はしてくれる。俺の周りには働ける女性が居てたすかるなー。

 からんころんと下駄を鳴らしながら病室を歩き回る我が義妹だが、夜この子を見たらちびるかも知れない。結構、俺、繊細なんですよー。

「わかんない」

「……えぇ」

 一端拍子抜けしたのだが、おかしい。

 普通、無いのなら無いときっぱり言い切るはずである。

「どうわかんないか、わかるか」

「うぇっと…… 血からは何も感じないの」

「そりゃあ、わかんねぇよな」

 兄妹二人して互いの言うことに納得していたのだが、一人当然納得できるはずがないとばかりに突っ込んできた。

「はいはい、先生。あたしにも解るように、わからない事を説明して下さい」

 眼鏡をかけた優等生が、一転してアホの子がオサレ目的で牛乳瓶眼鏡かけちゃった風にしか見えなくなってきた。ちなみにドの付く遠視らしい。

「普通、一般の人間にも魔力は有るんだよ。まりねの死体動かすヤツは元々ある魔力を媒介に――」

「死体って云うなっ! ご遺体です。尊き生を終えられたご遺体ですっ!」

 鼻息が荒くなった上に、別方向に目が輝いているので、ご遠慮願いたいのだが。

「――って云うか、一般人にも魔力が有るのは知ってるわよ。警視の云うとおりあたしが使ってるんだから」

「だから、おかしいだろ?」

「え、何が」

 本当に解らないのかよ、って言う顔でバカにしてやったのだが。全く理解できていないようで、あーとか、うーとか言ってみているが、やはり良く解っていないらしい。

「魔力が関知できない血液ほど怪しい物はないって云ってんの」

 無い胸を張って、ふんぞり返ってみるのだが、やはり和装なので無い胸が余計無い。正直義兄としては育って欲しかったと切に願ってもいるのだが、それは決してやましい気持ちからではない。

「一般人にも有るはずの物がきれいさっぱり無いんだから、この赤い物は何なのかって事よ」

「……人間の血じゃないって事?」

「人間以外の血にも魔力はあるんだよ」

「じゃあ――」

「誰かが人為的に痕跡を消したって云うのが妥当な見解だな」

 いつの間にか、四階の窓の外にはガヤが居た。

「妥当な見解っ! ふはっ! 小学生が覚えたての言葉使っちゃった的なっ」

「るっせーなっ! 良いから開けろよっ」

 そうここは四階。蛭ヶ谷式うんたら魔術によって空に浮いているのだが、衆人環視の外で頭を冷やすが良い。っていうか、否定しねーのな。

 ガラスが割れない程度に叩いて開けろ開けろとまくし立ててくるのだが、考えてみろ。ここは病院だ、自殺防止用に窓なんかマトモに開くわけねーだろ。と言うわけで、開けてやろう。

「ほれ」

「ちょっとだけ開けてんじゃねーよっ」

「びょういんのまどはー、これしかあかないんですよー」

「てめっ」

「あれれー、しらなかったのかなあー。ひるがやくーん」

「……し、知ってたしっ」

 ゆるゆると更に上へと飛んでいった。ふは、ざまあ――

「「……」」

 半眼で我が義妹とまりねが並び、腕を組んでこちらを見ていた。にぃさまはそんな子に育てた覚えがないんですが、誰の影響でしょうか。


 その後数分、面倒なので会話を中断した。こゆりとまりねが喧嘩するからとか、そういう事ではなく。

「いや、わりぃ。待たせたか」

「ちょーだるかった。死ぬかと思った」

「しねばいいのに」

 部屋の扉を開けてやり、蛭ヶ谷を迎えるなりそんなやりとりだ。少し歩いてベッドのそばまで歩いたところで、また余計な会話をどっかのバカと続けて怒られるのは勘弁して欲しいので、流石に止めることにした。まあ、窓際に居るまりねと、俺に近づいてきたこゆりに距離があるのはもう慣れっこなので、無視することにしよう。

「説明がだるいのと報告を上げる手間が省けるから待ってやったんだ、滂沱のごとく涙を流し、感謝しつつ聞け」

「へいへい」

 左手でわっしわしと頭を掻きつつ、だるそうにしている蛭ヶ谷。だるいのはこっちだっつーの。

 右手に持っているデカイ楽器ケースみたいな鞄、服装はいかにも売れないポップバンドのへたくそなギター、もしくはベース風の男と言ったところか。見た目には居てもおかしくはないのだが、そのふざけた格好で病院に来るなよ、と。

 設定的には『入院中の彼女に歌を送りに来た青年』的な、世間からズレて恥ずかしすぎるトンデモ設定でも作って訪れたのか。逆に目立つだろうが。

「装備調達は大丈夫だったみたいだな」

「下っ端でも向こう側に有利に動けばいくらでも換えが利く、って云うのは助かるからな」

「その言だと、お前自身も換えが利いちゃうけどな」

「お互い様だろ」

「まあな」

 本当のこと言われたら肯定しちゃうよね。ね……

「それで、森田とか云うおっさんはどうしたんだよ。この前、お前達が助けたとか何とか報告が来たんだけど」

「消えた。血痕だけ残して綺麗さっ――には消えてねぇなあ。これだから」

 両手でどうぞとばかりにベッドとその周りの愉快な状態を見せたのだが、顔色一つ変えずに直視していやがる。流石に、場数が違うんですねぇ。

「血液検査に回して森田のモノかどうか確認したか」

「解析中よ」

 専門の先生であるまりね様曰く。

「俺が思うに、森田の血液だと思うけどな」

 刑事の勘。なんて言うモノは俺には有りはしないが、術者としての勘とか、糞みたいなヤツらのプライドなんてものを理解できるのは、おそらく家督として術式を継いできたアホな輩しか理解できないだろう。間違いなく、

「そうだよーぉ。あのオジサンのチだよねー」

「――っ」

 背筋に走ってはいけないレベルの電流が流れた。ここに居てはいけない、一秒でも千分の一秒でもいいから、限りなくゼロに近い早さで逃げなければならないと怖気が告げる。

「ハアィ、おねぇーちゃん。ヒサしぶりだねーェ。ヤクソク通り会いにキたよ」

「ティーガルト・バルトー……」

「アー、ウレしいね。おねぇーちゃん覚えててくれたんだ」

 俺も、蛭ヶ谷も全く動けなかった。それよりも、普通の人間なら持ち合わせられないような、莫大な、膨大な魔力を有しているのに、一切関知出来なかったことにある。

「そっちのフタリとイッピキは大人しくして居た方が良いよ。ティにケンカをウったらシぬからね」

 誰がこんなヤツに喧嘩なんて売るかよ。コイツが常時放出し続けている代謝魔力だけでも脂汗かいてやべーよ。

 蛭ヶ谷が通れずに迂回した窓ガラスを当たり前のように『すり抜け』て部屋に侵入してきたのは、気味の悪い笑いを貼り付け、黒い胴付長靴、通称胴長と赤く大漁と書かれた青地のTシャツを着て、遮光用なのか色の付いたシュノーケルゴーグルを付けた男。

 更にどうしてか、右手に農業に使うでかいフォークみたいなクワの様なモノまで持っている。

 アレで刺されたら洒落にならん。

「――なっ、何しに来たのよ……」

「アソびにキたってイうのはどうかな」

「……そ、そういう格好には見えないわね」

 まりねもこの男に気圧されて全く動くことが出来ていないが、喋りかけられて居るのはまりねなのだから、答えなければならないというのは辛いだろう。

「んー、シオヒガリというモノをやってみたかったんだけどね。ケーサツにコレでトっちゃあダメだってイわれてー」

 そう言いながら蛭ヶ谷がさっきやって見せたように左手で頭をわしわしとかき回し始める。ものっっっすごくフケが落ちて白く見えるのだが、風呂入ってんのかと。

「あいやー、海にイったらお風呂にハイらないとまずいねー。ヨゴしてごめんねー」

 そんなことを言いながら血で黒く固まったところに落ちたフケを踏んで寄せ集めていたりする。なんなんだ、こいつ……

「今日はね、本当にアソびにキただけなんだよ。本当だよシンじてよ」

 おもちゃを取り上げられた子供がこんな顔をするだろう。こゆりが小さい頃に見せたのを覚えている。こんなに捻くれた顔はしていなかったが。

「ティはね。今日シオヒガリをジャマされてココロの底からオモったんだよ。ニンゲンはどうしてそんなに、自分勝手なのかな」

 お前に、お前達にぜってー言われたく無い台詞だよ。

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