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 他サイトにも重複投稿。


 溶けたのは、翼ではない――

 荒い運転に揺られた。行きのタクシーでは扉側に寄りかかってもガラスに頭を打たなかったのに。帰り道、ほぼ同じ道を戻るだけの行程で四度も頭をぶつけた。

 寮まで戻らずとも、途中で降りればよい。片側四車線の大通りから歩いて、片側二車線道路を少し行った所に署はある。

 通りに面した構えには確かに警察署然とした雰囲気があるのだが、中身はそれに伴っていない。なにか中学校や小学校を無理矢理警察署にしたような内装で、新任の警察官は新入生などと呼ばれるくらい皆が皮肉屋で、子供っぽい人間の集まりだった。

 実際、村山はお子様の集まった署の入り口で困惑した。

「へいへいへーい。お嬢ちゃん、どうしたのっ」

 署の入り口に立っていた制服の警察官が真珠に興味を持ったらしく、どうして午前中に警察署を訪ねてきたのか問いただす。村山と一緒に入ろうとしたのだから気になっても無視して欲しかったのだが、どうにも衝動が抑えられなかったらしい。

 制服の警察官は一度村山の顔を見て、すぐに真珠に戻す。ある意味で村山は署内では有名人であると自負している。雑用係その二だ。あいつに頼めば大体雑用は片付くと思われているはずだ。

 雑用だけをこなしている係の人間が、どうしてか今日は女の子連れで警察署に入ろうとしたのだから、気になっても仕方ないとは思うのだが、

「ごっ、御用がありまして……」

「何っ! どんなっ」

 どうにも構いたくなるらしく、通してくれない。

 構いたくなるのも仕方がないかも知れない。真珠の顔色は酷く悪い。行きのタクシーはゆったりと、それでいて滞りなく着いたのだが、ここまで戻ってくるタクシーは運転が荒く、車の通りが多くなっていて止まったり動いたりで酔ったらしい。

「……失礼します」

 真珠が署内に向かって歩き出したので村山も後を追ったのだが、

「ねぇっ! ねぇっ、ねぇってっ! どんな用事、どんな用事があるのっ」

 どうしてか署の入り口を見張る役の警官が任務を放棄して付いてきた。ずんずんと歩いていく真珠に、大股で追いかける警察官。村山も追いかけているのだが、正確には村山は自分の係に行くだけなので追いかけているという訳ではない。

 警察署は結構一般の利用者が来る。運転経歴を書面にして発行したり、イベントなどでの道路使用許可を発行したりと、一般の利用者も訪れるのだ。そんな中に真珠のような女の子が居てもおかしくはない。なんなら事件の被害者だとか、有力な目撃者として訪れたという弁も立つはずだ。ただ、村山はそうしなかったが。

 得体の知れないモノ。村山はそれを念頭に置く。真珠もその得体の知れないモノに該当するのだが、村山が脅威に思うのはその腕っ節の強さとべたべたとすり寄ってくる事くらいで、村山を殺しそうにない。

 ならば真珠を『囮』に村山自身の安寧を求めるという手に出ても良いはずだ。本来なら警察官としてあるまじき行為なのだが、なりふり構っている場合でもない。

 弓張と合流できない限り、村山の身代わりとなって働いて貰った方がよい。

 村山自身に対応できるだけの能力が有ればこういう事は絶対にしないのだろうが、対応できるだけの能力に欠き、知識に欠けているので苦肉の策として用いている。そう言い訳しつつ、矢鱈に絡んでくる警察官と逃げる真珠を追いつつ、雑対係に向かう事にした。

 昨日の今日で村山の扱いは変わらない。昨日、滝川と森田警部を上司と二人して救出したことなど大したことではないとばかりに、皆、いつもと変わらぬ視線を背に向けてくる。

 そもそも警察官が誰かを助けるなどと言うのは当たり前だと言い切られそうだ。今自分が真珠を囮に使っている事が恥ずかしくて仕方なくなるような、向けられているのは冷たい侮蔑の視線だと、甘んじて受け入れざるを得ない。

 制服の警察官がずうっと付いてくる。結局、雑対係の真ん前までたどり着いてしまった。昨日、ドアノブを誰かがぶっ壊したおかげで扉のノブ部分はガムテープでベタベタ貼られて留っていた。ただ、どう見ても作業が雑で、それを捻ろう物なら――

「あ」

「……」

 突っかかってくる警官から逃げようと、真珠が必死になって逃げを打った結果がドアノブを左手でもぎ取るというモノ。薄っぺらいベニヤの板にノブが所在なく付いていて、それにガムテープが何枚も垂れ下がっている。

「あーあ。ぶっ壊した」

「……」

 部屋の中から声がした。もちろんその声の主は知っている人間だが、村山は居ると思っていなかった。声だけはするのだが出てこない。

 係の入り口に棒立ちになった村山、真珠、制服の警官は、声の主が歩いてくる靴音を割れた扉の穴から聞いた。どうにも奥の方にいたのか、

「やっぱり木工用のボンドでくっつけないとダメなのか。なあ」

 薄っぺらいベニヤ板に手を掛けて開けてきた。弓張警視。

 ノブを左手で持ったままの真珠は後ろ手に隠すし、真珠に執拗にまとわりついていた警官も弓張の出現に止まった。どうにも弓張は署内で人に対する強権を持っているらしいのだが、村山自身はそれが何なのか知らない。単純に警視という階級に恐れおののいているというのは考えにくい。村山が警部補で、年下の巡査に顎で使われているのだから間違いない。

「で、そちらさんはどうしたの」

「は、いや、その……」

「真珠が気になるそうですよ」

「あー、そうだな…… 村山の嫁だ」

「はっ! 何ですか、ちょっとふざけた事を言わな――」

 上司がいきなり不穏当なことを言い出したので訂正しないわけにはいかないのだが、

「ほら、昨日約束しちゃったからさ。守らないと」

 変な口約束で、村山が署で詳しく事情を聞かれる様な状態にするなと。それも謀ったのは上司その人である。最低だ。

 そんなことはどうでも良いとばかりに、件の嫁が目を輝かせ、両手を前で重ねて弓張に感謝し始める。ただ、真珠は両手でドアノブを握りしめていたが。

「けいし様は本当に立派な方なのですねっ」

 どうにも上司は少女からの羨望すら満更ではない様子で、真珠に入室するよう促した。

「まあ、そう云うことだ。佐藤」

「……りょ、了解しました」

 村山はあまり署員の名前を知らない。挨拶しようにもどうも皆、忌避して逃げてしまう。そんな状態で入り口にいた警察官を警戒せずにここまで来るはずがない。

 制服の佐藤という警官が敬礼の後、小走りで持ち場に戻っていった。安堵である。

「どうした、ため息なんか」

 何も知らないので文句を言う気にはならなかった。ただ、指摘されて自分が分かり易い安堵を口から吐き出していた事に気づく。

「これを」

 真珠の頭の上に紙を差し出す。一瞬、真珠が何事かと上を軽く見た。見覚えがあったモノで、更に自分が一度見たのだからどういう意味で差し出されたのかすぐに理解したらしい。大変助かることだが、真珠はすぐに弓張と村山の間から抜け、雑対係のソファーへ歩いていった。

「んあ、ナニコレ」

「読めば解りますよ」

 村山が一度握りつぶしたため読む物だとは思わなかったらしい。一度手を引っ込めて皺を伸ばし、もう一度差し出し、手渡した。

 眉根を寄せて受け取った皺だらけの紙を見る。視線をそこから一切動かさず、

「大丈夫だったか」

「はい、なんとか。これからどうなるか解りませんが」

「それで早く来たのか。まあ、対応のために時間を繰り上げるか。思ったより向こうの動きが早いな」

「向こうって、三島が何者か解ったんですか」

「さあ、どこの誰かだ知らん。解るのは魔法使いだって事くらいだ」

 皺の寄った紙を丸め、両手でころころと摺り合わせるように小さく圧縮して行く。

「魔法使いって、またふざけた事ばかり――」

 丸めた紙を机の脇にあったゴミ箱へ放り投げた。入らなかった。それに真珠が気づいて、入れ直す。子供の手を煩わせて平気でいる上司に呆れたが、

「薄々気づいていると思うが、俺も魔法使いだからな」

 更に呆れることを言うのだ、もう好きにしてくれ。




 薄々も何も、紙切れからタヌキを出したり、アイスの棒を並べて肉塊を黙らせたり。マホウ使い以外の何なのだ。バカにするんじゃあない。

 昨日歩いた薄暗い地下の照明と違って、人に安心感や清潔感を与えようという施工設計の空間を歩く。空間の演出という物は人間の精神に直結するらしい、陰鬱な世界に身を置き続ければ精神も従い、清潔感のある明るい空間に身を置けば人間は精神のそれを従う……らしい。

 綺麗な空間である事は認めるが、ここに長居して前向きになるとは思えない。

「四階だと」

「はい」

「お兄様、産婦人科は二階の――」

「真珠、ふざけるなら付いてこなくて良いから。一人で行っておいで」

「あうっ! わ、わたくしの扱いに慣れて来ましたね、お兄様……」

 食品サンプルと本物の違いを解っていなかったのに、どうしてそういう事ばかり知っているのか疑問で仕方がないが、そちらを解決するのは後で良い。

 ちなみに少し前に気がついたのだが、真珠は意外に小心者である。知らない場所に一人で放置されるのはやはり怖いらしい。

 エレベーターホールにたどり着き、弓張、村山、真珠は四台有るエレベーターの内一つを待っていた。そんな時に案内の札を見て真珠がのたまったのでこういうやりとりになった。

 滝川警部が入院しているという病院。木曜の昼頃にスーツを着た男二人、真っ黒なワンピースを着た女の子という変わった組み合わせで訪れたのだが、病院の受付はどんな人間でも笑顔で対応してくれるらしい。警察官として言わせて貰うならもう少し防犯意識を持って欲しいのだが。まあ、医療機器関係のセールスに来たのだとでも思われたか。

 駆動音の静かなエレベーターが到着し、三人乗る。他に乗る者は居なかったので村山は四階のボタンを押し、閉じるボタンを押す。そのまま扉が閉まって、振動も音もほとんど無く登っていく。

「滝川警部は大丈夫なんですか」

「背中をステンレスの台に強打して背中側の肋骨にひびが入っただけらしい。肉付きが良いはずなのにな」

「それ、本人の前で云わない方が良いですよ」

 そんなことをエレベーターで話しているなどとは本人は思っていないだろう。

 そんな中、真珠が両手をきゅっと握りしめて目をきつく瞑っている。どうやらこの人間にはなんともないエレベーターの移動に、違和感があるらしい。車でも荒い運転で気持ち悪くなっていたらしいので乗り物は苦手なようだ。

 エレベーターが事務的な音声を流して四階に到着したことを伝える。

「藍の間とか云ってたな」

「なんですかそれ」

「なんか番号で病室を呼ばないらしい。病人が病院の商品みたいに扱われるとかなんとか」

 部屋番号など事務的でも良い気がするが、経営側になんと言っても無駄だろう。だからと言って旅館のように和風の名前を付ければ良いというものでもない気がする。ただ郷に入ってはなんとやらだ。

 朱の間、橙の間、、黄の間、碧の間。他にもまだまだずらりと色の名前が付いた部屋が並んでいるが六人部屋、大部屋ばかりだった。四階に個室は無いらしい。

 エレベーターホールからかなり歩いた。廊下一番奥、その一つ手前の部屋に藍の間があった。

 足下に段差が出来ないようになっている吊り扉の引き戸をノックして返事が聞こえるまで待つ。滝川以外にも女性が入院して居るであろうから当然の配慮である。

 ただ、見舞客を受け入れる時間帯の大部屋にはそんな物は不要だったらしいが。

 勢いよく開け放たれた大部屋の中には歩行器に掴まり立ちをした老婆が立っていた。どうやら出ようとしたところで三人が現れて出口を塞いでしまったらしい。

「叩かんでも入って良いよ。これからリハビリだから、ちょいとのいてくださいな」

 真ん前に立ちはだかっていた村山が老婆の通行の邪魔にならない程度下がり、老婆が歩いて行く様を三人で見送った。

 良いと言われたのでさっさと入る。扉も閉めなくて良いと入ってすぐ右手側のベッドにいた年配の女性に言われたので、開けたまま放置する。閉じていたのは先ほどの老婆のリハビリの一環らしい。

 滝川のベッドは左側の一番奥らしい。

 そこまで三人歩いていって、覆っていたカーテンを弓張がおもむろに、がばりと開けはなった。

「……」

「……」

 三人絶句。当の滝川も口をつぐんだまま微動だにしなかった。

 右手で掴んだ銀色のスプーンを口に突っ込んだまま、眼球をきょろきょろとせわしなく動かしている。

 滝川のベッドには食事台が備えてあり、台の上には見覚えのあるどんぶりが四つ程、空になって重なっていた。そしてもう一つ、同じどんぶりが滝川の前に有って、それを左手で押さえていた。

「それ、四つとも全部食ったんですか」

「う、うーん。どうだったかなー」

 スプーンを口から引っこ抜いて、もごもごしながら政治家のような態度である。

 流石に五つ目とあって黒蜜の香りが村山の鼻にまで届いてくる。いつか弓張の財布を持って買いに行った、あのあんみつではないのか。あのあんみつ、相当な量が有った気がするのだが……

「太るとか以前に、糖尿になるぞ」

「だ、大丈夫よ。余分な糖質は全部変わるから」

 一体何に変わるのか。村山が疑問に思ったことを突っ込んでやろうかと思ったのだが、

「まあ、退院おめでとう」

「えっ、何云ってるの。昨日の今日よ。あたし肋骨三本も逝ったんだけど。呼吸するのもつら――」

「おめでとう」

「……」

 数秒嫌な顔をしていたのだが、滝川は弓張の顔を訝って眺め、そして完全に黙ってしまった。

 おめでとう。それは怪我をして言われる様な言葉ではないし、無理な退院を迫るための言葉でもない。それでも、雑対係ではおめでとうという言葉が『後戻りできない言葉』だと言うことを村山は記憶している。現に、言われた村山もここにいる。

「いつまでに」

「今日だ。それも今すぐに」

「……わ、わかった。だいじょうぶなの、どうなってるのか――」

「ガヤを呼んだ。迎えは心配しなくて良い。村山にする説明もまとめてやる」

「はあ……」

 どうやらガヤとか言う人に送って貰えるらしい。ここに来るまで公共交通機関を使ってきた。バスに乗り、停車場から徒歩でやってきた。公共交通機関で見かける人間全てが怪しく見えて、村山は恐怖以外の何ものも覚えない過酷な時間だったのだが、弓張も真珠も平然としていて、一人で疎外感を味わっていたのだ。

「真珠、まりねの支度を手伝ってやってくれ」

「え、あ、はい」

 そう言って弓張は村山を手招きし、大部屋を出る。真珠に有無を言わさずそうし向けたように、村山も嫌とは言えぬ。

 無駄に明るい、真っ白な廊下に二人放り出されたようなものだ。

「これから全員、俺の家に来て貰う」

「はあ、それが――」

「解決するまでの間、ずっとだ」

「……それは、泊まりでって事ですか」

「そうだな。それと、俺の家って云っても実家だ。親父と兄貴が居るがまあなんだ、無視しろ」

 人の家に泊まりに行って家人を無視しろと言うのは理解できない。普通に、良識有る人間ならば挨拶に行って然るべきだし、家に泊めて貰うならばそれなりに用意や準備というモノが必要だろうに。

「無視しろってどういう意味ですか」

「まあ、追々解る」

 それに付け加えて先に出ると言い残し、エレベーターホールに歩いていった。纏めた滝川の荷物を持ちたくないから逃げたのだろう。





 無駄に涼しかった病院を出て蒸し暑い八月の外に出る。少し遠方を眺めればアスファルトから陽炎が立っていて肉でも焼けそうに見える。そこで焼いたモノを食いたいとは思わないが。

 病院の正面入り口、車で乗り入れるための通路と正面入り口迄の間に覆いが有るのだが、そこから歩いて出て広い駐車場に向かう。呼びつけた相手がちゃんと来ているか確認するためでもあるが、余計なことを言わないように口止めしておかなければならない。

 見覚えのあるキャブワゴンタイプの車の運転席側のドアを、蹴飛ばしてやった。

 中で寝転がっていたのか飛び上がるように起き、寝ぼけ眼で何事かと扉の外をうかがってきた。暢気なモノだ、とは弓張の言い訳。

「おいガヤ。調子こいてんじゃねーぞ」

「呼んでおいて人の車蹴るか? 普通」

「ガヤの車なら蹴るだろう。普通」

 一度車から降りて蹴られた場所を確認しに出てきた男。弓張が蹴った場所をしきりに気にして、買ったばかりなのになどと女々しいことこの上ない。傷の一つや二つ、車が走るのにはどうって事は無いだろうに、

「にゃんにゃんする為だけに買ったんだから別にいいだろー」

「だけじゃねぇよっ! っていうか、しねーよっ!」

 たかが車がへこんだだけで今生の別れでも惜しむような顔をしてへこみをつつくガヤ。

 惜しんでも眺めてもへこんだものは元に戻らないと理解したのか、車に乗ろうとする。ついでとばかりに乗るように促された。親指でくいくいと助手席を指されたので、弓張は一度助手席側のドアを蹴ってから開け、乗った。

「何の恨みがあるんだよ」

「ん、ほら。左右対称な方が格好良いんだろ。車っていうのは」

「だったら最初から蹴らないで貰えると完璧な対称なんだけどなっ」

 初めて買ったという新車に早々の蹴りを入れられてご立腹のようだが、弓張にはどうでも良いことだった。

「今日部下に、新入りに諸々説明する予定だ。お前も手伝え。ヤバイ話は全てダメだ。お前の経歴も一切話すな」

「俺にしては経歴が一番ヤバイんだけどな。小学校中退だし……」

「わーかわいそー」

 本当はそんなことは思っていない。全く思っていないかと問われれば少なからずガヤの経歴には同情してやれない事もないのだが、全く違う人生を歩んできた人間には本人の苦労など解るはずがない。そもそも、本人だって別段悲観して言ったわけでもないだろう。

 ならば野郎二人で下らないことを言っていても仕方ないのだ、

「で。デルシェリムさんにはもう会わせた。会わせたっつーか勝手にあの人が来た」

「聞いた、聞いた。凄い手練れだとか云ってたな」

 一番気になったのはそこなのかとも思ったのだが、弓張にだってあの人が考えていることなど分かりはしない。とかく、魔法使いというモノは自分勝手で自由であるらしいから。

 クソ暑い八月の車内、野郎二人何の話をしているのかと。エンジンをかけたままエアコンで涼を取っているがキャブワゴンタイプの車内は暑かった。一度ならず二度三度と扉を開けては閉めたので冷気が逃げているらしく、ガヤがお前のせいだのなんだのと弓張に苦言を呈する。

「それで、何か解ったか」

「あちらさんに調べて貰ったらやっぱりアレは神降ろしらしい。それも最悪のシュミで作られてるとかなんとか。ただ、あちらさんの技術は殆ど使われていないらしくてな。こっち側の魔法使いらしい」

「そうか。まあ、そうだろうな」

「なんだ、心当たりでもあるのか」

「脅迫されててな。俺が」

「最高じゃないか。早く死ねばいい。ああ、死ぬ前に傷直す修理代寄越せよ」

 脅迫されているとしか言っていないのだが、どうしてか死ねとまで言われた。最悪だが、これでないと逆に気が滅入る。

 そろそろ村山達が現れそうなので弓張は一度車を降りて入り口まで迎えに行こうとした。車を降りる際、

「死ぬ気でやるなら今日死のうが、明日死のうが一緒だろ。それが嫌なら殺す気でやればいい」

「はんっ、ぜってー嫌だね。それこそ願い下げだ」

 だからいつまで経ってもアマちゃんなんだよ。そう言われたかどうか、定かではない。




 

 滝川と、滝川を介抱する真珠の後ろに大きなドラムバッグを小脇に抱えた村山が居た。入院は短期間のはずなどと弓張に聞いていたので、それほど物は持ち込んでいないのだろうと思ったのだが、どうやら滝川は何事にも荷物が多い性分らしい。

 歩く度に左の脇腹を押さえて歩く様は見ていて痛々しい。だが、ひびが入っただけだというのだから、本人がそういう痛みに馴れていないだけかも知れない。

 真珠に支えられながら歩いている光景を通りすがる何人が『親子』の様だと見たのだろう。後でなんと言われるか解らないので心の中に仕舞っておこう。

「おう」

「……人に糖尿になるって云った癖に、自分は止めないわよね」

 涼やかなロビーに整然と並ぶ椅子の一つに弓張が腰掛け、これまた涼やかな青色をした氷菓をしゃくしゃくやっていた。見たところ、二本目である。

 先ほど人様に食べ過ぎるなと忠告していた風だったにも関わらず、一人逃げ出してまさか涼しい場所でアイスなぞ食っているのだから三人が不満に思わないはずがない。

「けいし様っ! わたくしもそれ食べてみたいですっ」

 一名、違う不満だったらしいが。

「おお、いいぞ。そうだな、真珠にはこいつをやろう」

 そう言って取り出したのは良く売っているミルクバーだったのだが……

「こっ、これでお兄様をのうさつするんで――」

 明らかに故意で上司はそれを用意したらしい。そんな上司に村山自身馴れてき始めたが、暴走を始めた真珠の対処にも結構なれてきたらしい。

「真珠、ここは病院だからあんまりふざけた事云わないでね」

「うっ! お、お兄様の目がこわいです。そんな目で見られたらわたくし――」

「折角だから脳神経外科に行って鎮静剤でも打って貰おうか」

「いえ、大人しくこれを頂きます」

 包み紙をさっと剥がして齧り付いた。あくまでも、かじりついた。

「さて、駐車場に待たせてあるから行くか」

 そうして腰を上げた上司の左手には、病院の売店で貰った袋を提げていた。まだ何か入っているらしい。


 駐車場に向かう途中、真珠が上手く食べられずにアイスを少しばかり路面に落とすというハプニングがあったものの、別に身の危険を感じるような事はなかった。

 落としたアイスは虫が食べてくれるだろうからと、弓張が脇にあった花壇に蹴り込んだ。いい大人が一切、子供達の手本にならないのは止めて欲しい。

 駐車場にたどり着くと、綺麗だがへこんだキャブワゴンタイプの車をアイスのアタリ棒で指してあれだと言う上司。本当にアイスの棒はアタリを引き続けるらしく、もう一本もアタリだったらしい。

 他愛ないことを話しつつ、車に近づくと男が一人顔を出して村山の顔をまじまじと眺めてきた。何事かとも思ったのだが、にこやかに右手の親指を立ててサムアップを寄越してきたので悪いようには思われていないらしい。

「気持ち悪いだろ」

「は、はあ……」

「ホモだから気を付けろよ」

「……ま、まじですか」


 スライドの扉を開けて三列目に荷物を積み込み、二列目に滝川、真珠、村山の順に奥から乗る。

 助手席には弓張が乗った。乗ってすぐに売店の袋から缶の飲み物を取り出し、運転席の男に手渡したのだが……

「ほれ、待たせた詫びだ」

「は? なんだよ、気持ち悪―― あっつぅっ! 熱っ!」

 手渡したのは、あたたかいおしるこ。してやったりとばかりにニヤニヤし始めたので先ほど村山に言ったホモとやらも嘘だろう。確実に上司は運転席に座る男を目の敵にしているのだと気づいた。

「人の車蹴ってへこますわ、クソ熱い日に熱いしるこなんて渡すわ。お前ぜってー良い死に方しねーよ」

「当たり前じゃないっ! 絶対溺死よっ!」

 いつか言っていた約束は絶対らしい。そうなると村山は焼死せねばならないのかと。それ以前に生きる為に人間が医療行為を行う機関の真ん前で、死ぬ話になるのは大人としてどうなんだと。こうなると上司以外にも手本になる人間が皆無だと今更村山は気がついた。

 真珠には聞かせたくない話ばかりである。

「もうこいつは溺死した事にしよう。もう無視だ、無視。ええっと、そちらさん村山君だったかな」

「え、ああ。はい」

 ホモ……ではなはなく、あつあつしるこのリアクション男に名を訪ねられた。聞き知っていたらしく、真珠の事まで知っていた。それよりも村山を君など付けて呼ぶのだから、彼も年上らしい。

「俺はヒルガヤヨウジ、って云うモンだ。ヒルはあの血を吸う蛭に、カタカナの小さいケに、谷間の谷だ。蛭ヶ谷。ヨウジは……いいや、めんどうくせぇ」

 めんどうくせぇと言うことは、すなわち苗字で呼べと言うことらしい。下の名前で呼ばれるのには馴れていないのか、呼ばれたくないのか。そもそも村山は下の名前で呼ぶ気はないが。

「新入りなんだってな。ご苦労なこって」

「はあ」

「入って早々化け物相手に、デルシェリムのおっさんのお守りか。確かに手練れだな、アンタ」

 褒められた気が全くしないのだが、それでも蛭ヶ谷は村山のことを気に入ったらしい。嫌われるよりは好かれた方が良いのだが、上司が言ったホモと言う言葉が尾を引いているらしく、どうにも喜ぼうという気は起きなかった。

「てかお前、横でしゃくしゃく何食ってんだよ」

「アイス」

「それ寄越せよ。何で熱いしるこなんだよっ!」

 発車していないから良いモノの、前で男二人やんややんやと喧嘩している様を見るのはあまり良い気分にならない。

「それで、説明ってなんですかね」

 車も話も進みそうに無かったので割って行った。そうでもしなければこの二人は延々と喧嘩し続けるのではないかという程、仲がイイらしい。

「出せガヤ」

「へいへい」

 パーキングに入っていたギアをドライブに入れ、アクセルを踏んでエンジンの回転数を上げる。どうにも真珠はそれが苦手なようで、村山の腕にしがみついて目を瞑っていた。真珠の手がべたべたしているのは先ほどのアイスのせいだろうが、村山は手を拭かれているのではないかと困惑した。

 蛭ヶ谷は運転が慎重なタイプの様で、別段気持ち悪くなるような運転ではないと解ると真珠は両手で掴んでいた村山の腕を一度放し、今度は腕を絡める様に抱きついてきた。黙ってそうしていてくれるなら腕の一本惜しくはない。

 車は駐車場を出て通りに出る。それほど道幅は狭くないがゆったりとした速度を維持したまま走り続けた。

「相変わらずおせーよな。法定速度より五キロも足りねぇよ」

「うるさいな。周りに運転の荒いヤツが居ると反面教師にしたくなるんだよ」

「まりちゃんだろ。あーあ、やだやだ。ノロケなら余所でやれよ、ちちくりあった話なんて聞きたくないわー。そうそう、説明なんだけどガヤも魔法使いだから」

「おいっ! なにさらっと話を進めるんだよっ! つっこませろよっ」

「そんな権利はない」

「てめぇ蹴り落とすぞ」

 移動しながら教えてくれるモノだと思っていたので拍子抜けしたというか、一気に気がそがれた。何か機会が有ればとりあえず喧嘩をしておくという二人のスタンスが全くの意味不明だった。

 流石に不満なのは一人怪我を負って無理矢理退院させられた滝川だった。笑みで言う。

「ガヤ君は凍死と感電死どっちがイイ?」

「いえ、畳の上でひっそり死にたいので。どちらも遠慮させていただきます」

 怒っていると言うことを端的に表すならば脅すことになるのだろうが、死んだ後どう扱われるのかという脅し方はどうなのだろうか。多分、凍死だろうが感電死だろうが、滝川は嬉々として死体を弄り回す。そんな光景が浮かんで、村山は滝川を敵に回す事だけは避けたくなった。

「どこから話せば良いんだよ。っていうか俺に全部押しつけるわけ?」

 運転しながら説明を要求されるのは酷だろう。考えつつ話を纏めて説明して貰わないと村山だって解りはしない。説明すると決めたのは弓張であって、滝川ではない。そんな話は聞いていないと滝川は小首をかしげていた。

 村山としては最初にすりあわせをして置いて欲しいと思っても仕方がないが、当の弓張がどうにも定まっていない。

 だからこそ、ここは言い出した弓張が話を始めるに限りる。

「最初から全部って云うのはなあ。まあ、成り立ちは最初に教えたろ。意味不明なモノを相手に捜査するだけの部署だ」

「それは聞きましたけど……」

 得体の知れないモノを相手に捜査をするということは村山にがっしりとしがみついている真珠も捜査対象ではないのか。

「大体得体の知れないモノを作ってるのは魔法使いだ」

「……作れるんですか、そういうの」

「お前の横にも居るだろう。今」

 居るには居るのだが、真珠が作られた存在だとでも言いたいようで、

「真珠も昨日のアレ、神降ろしと似たようなモノだ。魔法使いはそう云うのも作ってる。目的は各々色々有って良く分からん。昨日会ったデルシェリムさんは人形に命吹き込んでるだけだから別に問題は――」

「ちょ、ちょっと待って下さい。命吹き込んでるって、人形にってっ」

「魔法使いなんだから基本何でも有りなんだよ」

 説明を放り投げた。完全にどこか彼方に放り投げだした上司。もちろんそんなことで納得するはずがない。彼も、

「おい、自分で説明するの面倒だからってツッコミ待ちの放り投げって最悪じゃねーか」

「うるさい、前見て運転しろ」

「……っ」

 別段慌てるような状況にはなっていないが、口は悪いが意外に蛭ヶ谷という男は心配性らしい。指摘されてすぐに前を向いてきょろきょろと安全確認し始める。どちらかというと弓張に良いように使われる立場にも見える。

 二人の話に流石に苛ついたらしく、滝川が続ける。

「魔法って云うのはね、その…… 有る人には有るモノなのよ」

「ないですって」

「んと、第六感って聞いたことあるでしょう」

「聞いたことはありますけど、それってオカルトとか――」

「第六の触覚っていう感じかな。ちゃんと見える人には色が付いて見えるらしいんだけど、魔力って云うのかな。それが、色が付いて見えるのよ」

 おもむろに穿いていたチノパンのポケットから眼鏡のケースを取り出し、開いて中を漁る。出てきたのは眼鏡ではなく、眼鏡ケースにギリギリ収まる程の長さの、銀色の針だった。

「例えば、真珠ちゃんならここね」

「――っ」

 刺したわけではない。ただ、真珠の寸前に差し向けて銀の針を置いた。空中に。

「う、浮いてますけど」

「ここに真珠ちゃんの魔力の塊みたいなものが有るのよ。別に攻撃したわけではないから痛くも痒くもないと思うけど、大丈夫?」

「ば、ばうわうあ。べべっ」

「な、なんかおかしくなってますけど」

 村山の腕に抱きついたまま白目を剝いてニタニタ気持ち悪い笑みを浮かべ、真珠の挙動がおかしくなった。元々おかしいので基準が変だが、それでも『今まで通り』ではない。変なアプローチをかけてくる事はあったものの、こんな事にはなったことは一度もないのだ。

「はい」

 そう言いながら滝川は真珠の近くに浮いていた銀色の針を空中から抜いた。

 途端に真珠は何事かと慌て、恐ろしいものでも見たかのように村山にすがりつき始める。平時の真珠にそんなことをされたら鬱陶しいことこの上ないのだが、どうにも可哀想に見えてしまい、仕方ないので村山は落ち着くまで頭を撫でてやった。

 好きではない車に乗せられて、滝川に何事かの実演に用いられて真珠にしては散々だろう。

「ごめんね、真珠ちゃん。今のは魔力の流れに滞りを作ったのよ。普通の人なら体調が悪くなるだけなんだけれど、真珠ちゃんにはもうしないからね」

 次にされたら死ぬんじゃないかという程、真珠が断固としてもうしないでくれと滝川に懇願する。今日初めて会ったような気がするが、どうにも仲が良さそうである。

 タヌキとは犬猿の仲というか、狸烏の仲という感じなのに。

「と、兎に角普通の人にも魔力は流れてるのよ。ただ普通の人には使えないけれどね。そのせいで魔法使いって云うと変に思われるのよ」

「せいで、っていうと――」

 滝川に尋ねたのだが、

「自分に出来ないことは人にも出来ないと思うヤツが大半だって事だ」

「理解できないから否定して終わり。そればっかりだな」

 どうしてか弓張、蛭ヶ谷共に滝川の話で同調し始めた。この話は二人にとってなんだというのだろうか。

「魔法なんて実際、万年、昔からずっと継がれてきたモノだ。珍しいものじゃあ無いんだよ」

「いや、珍しいですって」

 何本目のアイスか解らないが、売店の袋からまだアイスが出てくる。保冷剤を入れて貰ったらしく、溶けてはいないらしい。それを開けてしゃくしゃくと、しるこを横目に上司が咀嚼している。

「いいや、珍しくないね。ずっと人類史は魔法の側にあった。一番身近なのは占いだな」

「占い?」

 手相、人相、姓名判断、星座、血液型、各種カードで、引いた紙切れで。

 それらは魔法使いの最も簡素な能力の使い方らしい。

「占いっていうのはな、政治にも関わってたんだよ。宗教行事とも密接に関わってきたしな。星の運びを見て暦を決めるのも、宗教や政治、軍事の重要決定に関わって長らえてきた魔術の一つだ。元々は魔力を持った者が本当に未来を予測していたんだが、その能力に欠いた人間が続けてきたっていうだけだがな。まあ、今もたまに本物も居るけどな」

 占いが宗教や政治、軍事に関わってきた事は分からなくもないが、それがどう魔法使いと結びつくのかに疑問が残り続ける。

「占うって漢字、占領の占の字だ。占拠、占領、独占。言い得て妙ってヤツだ。相手を支配する為の魔術。国や地域の支配者は常に魔法使いを抱えていて、それは万年継がれてきた」

「魔法使いがずっと色々な国の政治を支配してきたって事ですか。だからこの係もあると?」

 弓張や滝川、蛭ヶ谷の様な人間を集めて係を運用しているのは上の人間なのだから文句を言う筋合いはないが、だからといって魔法使い云々を信じるには値しない。

「いや、それは違う。ヤツらには支配する必要がない」

「は?」

「ここは元々ヤツらの実験場だ。俺たちはモルモット。ただ足掻いてるだけだ」

「それは、どういう……」

 涼しげな青い氷菓を頬張って、

「ヤツらは、元々魔法使いって云うのは、宇宙から来たヤツらの事を云うんだ」

 上司は車の助手席から遠い目で八月の空を見ていた。右手には食べ終えた氷菓の棒。

『アタリ かったおみせでこうかんしてねっ!』

 どこで、上司は交換できるだろうか。

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