9歳ヘタレ。魔物にビビる。
兄上に声をかけることすらできなかった。
思えばうかつだったのだ。
人間の方が知能があり、周りの気配を探りながらすすめば魔物がどこにいるかなんてすぐにわかると。
魔物が気配を消してこちらを狙うなど考えてもいなかった。
狩る側と狩られる側なんて区別はなかったのだ。
むしろどちらかと言えば、がさがさと魔物の居住地である森へ踏み入る俺たちが狩られる側なのだろう。
ハリコットグマは身を小さくし、俺たちの動きを探っていたのだ。
そして兄上が警戒を解くのを狙っていたのだろう。
兄上が俺に魔物いないな、俺にびびってやがると軽口を叩いたその時。
ハリコットグマは縮めていた筋肉を解き放つかのように起き上がり、背を向けている兄上に向かってその鋭くとがった爪を振りかざす。
振り下ろされれば人間なんてただの肉塊に変えるであろうその爪よりもむしろ俺はその目が怖かった。
生きてきた今まで一度も出会ったことのない目だった。
ただの獲物としか認識せず、とてつもない冷たさを持った目が兄上に向けられていた。
兄上は背後からの音に反応し、後ろを振り返ったがもうすでに爪は振り下ろされている。
俺は何もできず目をつぶった。
何かが砕けるような音とともに俺の腹に何かがぶつかってきた。
俺は受け身も取れずただ茂みに吹っ飛ばされた。
「グラタン!大丈夫か」
目を開けると兄上は五体満足で俺の腹の上にいた。
「兄上こそ!」
「やばそうだったから思いっきり逃げたらお前とぶつかってしまった」
まるで俺がそこにいたことが計算外だったと言わんばかりの顔だった。
兄上の瞬発力ぱねえ。
目を上げるとハリコットグマはなぎ倒した木を見、獲物がそこに倒れていないことに気が付いた様子である。
「逃げましょう」
「バカか。俺らを追ってこいつが来たら街がパニックになる」
確かにそれは道理だが、俺たちが生き残らなければそんなこと関係ないんじゃないか。
ここでかっこつけてどうする。
それにあんな化け物倒せると思えない。
「ようやく剣で生き物を斬れるな」
ダメだ。こいつ。生きてきた中で一番の笑顔してやがる。
さっき言った騎士らしいかっこいいセリフの余韻もさめやらねーうちに。兄上、マジ糞。
俺が悩んでいるあいだにも兄上は剣を抜き放ちハリコットグマが距離を詰めてくるのを待っている。
俺は、指が、手が、足が、唇が、顎が、全身が震えてどうしようもなかった。
こんどこそ死ぬんだろう。まぶたをおろしその時を待つ。
ああ、結局童貞も捨てられずに死ぬのか。
え?いやいやいやそれはだめだろ。
おかしい。そんな人生おかしい。
生まれ変わって、この世界になじむために前の世界の知識なんて言わないようにしてきた。
怪しい言葉を話したり知識を持ってたりすると魔族転生とみなされて殺されてしまうからだ。
普通に恋愛をして充実した生活を歩めるように努力してきたつもりだ。
努力が報われないのは知ってる。
どれだけおしゃれしても年収が高くても気を遣えても無駄だった。
だが、今は?
走れば逃げられるかもしれない。
街の迷惑にはなるが生きのびれる。家名が汚れるかもしれない。命あってのなんとやらだろう。
兄上がもしかすると倒してくれるかもしれない。
そうだ、生きよう。
生きる可能性がすこしでも上がるよう努力しよう。
そう思い目を開けると、ハリコットグマの爪を受け止めている兄上の姿がうつった。
金属がこすられる音が耳に響く。
迫りくる魔獣の爪をことごとく受け止めている。
兄上なら倒せる、のか。
そう思っていたのもつかの間。
兄上の剣が鈍い音を響かせた。
剣が真っ二つに折れていたのだ。
兄上は後ろに跳び、石を投げ、砂を投げ、なんとかハリコットグマの足を止めようとしていた。
俺はというとまだ茂みに隠れていた。
自らの剣を兄上に投げて渡す暇などない。
自分がやるしかない。
震える足にムチを打ち、固まった指で無理やり剣を握る。
兄上と二人で街へ帰る。そしてもうこんな情けないことにならないようもっと努力しよう。
茂みから身を出し、爪を振り上げんとするハリコットグマの前に立つ。
その時だった。
「火炎<フランメ>!」
力強い言葉とともに光が現れ、辺りを真っ赤に染める。
兄上をかばうように前に出た俺の横を光が通り、ハリコットグマの腹にぶつかる。
瞬間。ハリコットグマは燃え盛る炎に身を焼かれていた。
俺は目の前の出来事についていくことができず、ただ炎を見つめていた。