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完璧な生徒会長 1


 

 授業中に分からない単語を見つけ、辞書を出そうと机の中に手を突っ込んだその時だった。つ、と小さく声が喉からもれた。指をそろそろ出すと、人差し指が軽く出血していた。中からは折れたカッターの刃が複数入れられており、隣の水無瀬は顔色を変えた。しかしさすがというか何というか、爽やかな笑顔で卯月の手を引いて立ち上がった。

 「先生、卯月君が教科書で指を切ったようなので、保健室まで付き合います」

 「あら、そう?大丈夫?」

 「はい」

 小さいが嫌な笑い声が聞こえた気がする。犯人も、動機もある程度察しはついた。だから水無瀬が保健室まで付き合うことによって、今度は包丁でも入れられたらどうするのかと思わないでもなかったが、大人しくついてきてもらうことにした。保健室の場所に自信がなかったのである。



 「絆創膏いただけますか」

 「あら、水無瀬君。どうぞ」

 そう言って微笑んだ上級生に、卯月は思わず見とれてしまった。清楚な感じのする美しい細身の女子生徒だった。とても同世代には見えない。彼女は卯月に気づき、あら、と笑った。

 「はじめて見る顔ね」

 「彼女、うちに転入してきたんです」

 「あら、そうなの。よろしく、生徒会長の雪香です。今日は先生が出張中だから、代理でここにいるの。私のことは、気軽に雪香って呼んでね」

 「セツカ、先輩?」

 「そう。雪の香りって書いて、雪香。雪に匂いなんてないのに、おかしいでしょう」

 ふんわり笑う笑顔に、香水を付けてないのになんだかいい香りまでしてくる気さえしてくる。高い背も、落ち着いた雰囲気も、全て卯月が欲してるものがそこにあった。卯月だけではない、大抵の女子は彼女に憧れるだろう。この人が若人と並んだら似合うだろうなと考えてしまい、思わず目を伏せた。

 「あら結構切ったわね…ちゃんと治療してあげる。見せて」

 「すいません」

 この傷を若人にもし見られたらなんて説明しようか考えていると、絆創膏を巻いていてくれていた雪香の手がふと止まった。

 「…いい匂いね。あなたのシャンプー」

 「ああ、これは、わ」

 若人の名前が出かけ、慌てて言葉を止めた。

 「お、お世話になってる人が、勧めてくれたんです」

 「そうなの。はい、力抜いて」

 「はい」


 雪香と別れ、会釈して保健室を出た。最後に何か笑顔が少しおかしかった気がするが、まあ気のせいだろう。向き直ると、そこには爽やかな水無瀬君ではなく、卯月にはなじみがある方の水無瀬がそこにいた。

 「別に若人さんのことばれたっていいだろう。みんな知ってるんだし」

 「そうだけど」

 なんとなく、雪香には知られたくなかったのだ。しかしそんなくだらない幼稚な嫉妬を吐き出したくなくて、卯月は黙って歩いた。口を先に開いたのは、水無瀬だった。

 「その傷、俺がもてるせいだな」

 「そこまで開き直るといっそすがすがしいわ…別にあんたのせいじゃないでしょ。気にしなくていいよ」

 「やっぱ付き合うか?」

 「はあ?」

 驚いて振り返ると彼はひょうひょうと笑っていて、もう怒る気もしなかった。

 「そうなったら、さすがにいじめはなくなると思うけどな」

 「ばっかじゃないの。ほら、行くよ」

 「冷てぇの」

 訂正、やっぱり怒った。そのせいでどんどん足を早めていくから、じっと後ろから雪香が覗いていることも、すぐ後ろから歩く水無瀬が少し赤くなっていることも、卯月は少しも気づいてなかった。



 帰りはまるで恒例行事のように水無瀬が誘ってきたが、今日はきっぱりと断った。顔がゆるむのを防ぐのに忙しい。今日は若人と育美と出かけられるのだから。

 どこに連れて行ってもらえるのだろう、喜んで下駄箱を跳びだそうとしたとき、結構な力で腕を捕まえた。自分はよほど、楽しいことを許されないらしい。

 「ちょっと、いい?」

 「…はい」



 呼び出された先は体育館裏で、数人の顔が凶暴化した女子が囲んできた。ここまでお約束だといっそ褒めたくもなる。先ほどから何だか叫んでいるが、卯月は永遠聞き流していた。この類の話は右から左に限る。さんざん叫ばれた後、ようやく落ち着いたのか、少し静かになった。

 「あんた、水無瀬君と付き合ってるの!?」

 「付き合ってないよ」

 それは本当のことだった。頭に血が上った人間に何を言っても無駄だろうが、否定するべきところは否定したかった。するとやはりどう答えても不満なんだろう、また爆発してきた。

 五月蠅い五月蠅い、卯月がじっと耐えていると、ふと目の前の女子が何か取り出してきた。刃の欠片ではなく、カッターそのものだった。

 「ちょ、それはやばいって!」

 「うっさい、別に刺すわけじゃない!ちょっと顔に傷つけてやるだけ」

 それが一体どう違うんだ-つっこみたいところだが、さすがに出来なかった。しかしこの案は不運にも通ったらしく、比較的良心がありそうな女子をすり抜け、恐らく一番強気な女子が刃物を振り上げてきた。

 さすがに恐怖が走った。傷つけられることより、若人に確実にばれてしまう傷をつけられることが怖かった。

 「止めて!!」

 塞いだ手はむなしく、刃物が自分の顔へ向かってきた。


 瞬間、自分が刺された音ではなく、なんだか力が抜けた音がした。


 目を恐る恐る開けると、目の前に信じられないものがあった。そしてそれは、卯月も見たことがあるものだった。言い表しようのない色をしているゼリー状の異形は、卯月の盾になっていてくれているようだった。目の前の女子には見えてないだろう、彼女は必死で刃先を振り回しているが、こちらには届いてない。

 「何、どうしたの!?」

 「分かんない!こいつ、化け物なんじゃね!?」

 「もう行こう、やばいって」

 「…!とにかく、もう水無瀬君に近づくんじゃねぇぞ!」

 さんざん好きなことをして、好きなことを言って帰ってしまった。膝をついてへたりこむと、目の前に、人の形を模したゼリーが現れた。なんだか、慰めてくれてる形になっているような気がする。

 もしかしたらこれは人を襲うものになるかもしれないが、少なくても今ここにいるものは、自分を助けてくれた。

 「ありがとう…ごめんね。怖かった、わけじゃないんだ」

 いや本当は怖かったんだが、これは怖くて泣いてるわけじゃない。


 化け物、と呼ばれてしまった。


 腕にある剣がばれたわけではない。彼女たちは別のことで言っていたのだ。怯えていた、そんなこと言うつもりもなかったかも知れない。

 けど、やっぱり。一番言われたくない言葉だった。


 いい加減泣き止まないと、焦っていると、余計に涙が流れていく。いつの間にか異形も消えてしまった。そうこうしていると、後ろから声がした。若人だった。

 「おい、どうした。時間になっても来ないから」

 「…っ、わか、と」

 「おい!?」


 

 飛びついて、さんざん泣いて、そしてまた眠ってしまった。

 やれやれ、若人は卯月を背負って学校を出た。そして器用に携帯電話を口から取りだし、育美へ電話をかけた。

 「悪い、レストランにキャンセルの電話を入れておいてくれ…おい、怒鳴るな…そうだ、別に具合が悪いわけじゃない。ちょっと、な。落ち着いたら卯月から話すかもしらん…ああ、またな」

 そういってまた器用に耳で電源を切ると、若人はそのまま口で携帯を胸ポケットへしまいこんだ。そうしてしばらく歩いていくと、向こうには雪香が立っていた。若人がゆっくりと、営業用の笑顔を浮かべた。

 「若人さん」

 「雪香さん、こんばんは」

 「…あら?背中にいるの、卯月さん?」

 「ああ、はい。軽い貧血みたいで」

 ふと眠ったままの卯月が少しずれて、若人がゆっくり背負いなおした為、雪香の表情の変化を彼は気づかなかった。

 「保護者ってあなただったんですね」

 「はい、一応。どうですか、卯月は。迷惑、かけてませんか」

 「ふふ私、三年だから…でも、悪い噂も聞かないし、優秀な学級委員とも仲良くしてるから、きっと上手くやってますよ」

 「そうですか、それはよかった」

 それでは、と会釈をしかけた若人の前に、少し慌てるように雪香が踊り出た。

 「あの、今日…楽しみにしてますね。予約、久しぶりに取れたので」

 「…申し訳ありません。今日は彼女の具合がよくないようなので、俺は休みを頂きました」

 申し訳ありません、ともう一度頭を下げた若人を見て、雪香が慌てた。

 「そ、そうですよね。やだ、大丈夫ですよ。あの黒いエプロンの人に切ってもらいます」

 「あああいつですか…はい、あいつも上手くなりましたから。ごひいきにお願いします」

 そう言ってまた謝りながら去っていく若人を見て、彼が見えなくなるまでずっと笑顔を浮かべていた雪香から、ふと笑顔が消えた。



 目が覚めるなり卯月はずっと謝り通しだったが、若人は聞いてない様子で、なんだか出かける準備はしていたが、仕事に行く恰好でないことくらいは分かった。

 「本当にごめんね食事会…それに、仕事も」

 「ああ、一人しか予約客がいなかったし、別に僕指名でもなかった。気にするな」

 「でも」

 「ほら、行くぞ」

 「え?」

 立ち上がった若人は、卯月の額を軽く叩いた。

 「レストランの予約時間はとっくに過ぎたが、育美の知り合いの焼き肉屋なら空いてるそうだ。君も早く用意しろ」

 「…え、と」

 「なんだ。女子高生の元気の源は、焼き肉じゃないのか?」

 聞かないでいてくれてる。元気がないことも気づいてくれてる。お礼を言うとまた泣きそうで。だから何も言わずに、力いっぱい笑った。

 「デザートも付けてね!」

 「まだ食べるのか!?どれだけ太りたいんだ君は…」



 携帯を取り出し、水無瀬はため息をついた。考えたら卯月と連絡先を交換していなかったから連絡を取りようがない。教師から雑用を依頼され終わったときにはすっかり遅くなってしまい、何やらおだやかな様子ではない同級の女子たちとすれ違った。嫌な予感はしたが、卯月と連絡は取れないし、校内を探したところで彼女の居場所が分かるわけがない。第一、まだ残ってるかどうかも分からない。

 いい加減帰ろうかと水無瀬が向き直ると、ふと保健室の明かりがまだついていることに気づいた。まだ雪香が残っているのだろうか、それとも先生が帰ってきてまだいるのだろうか。近づくと雪香の声が聞こえた気がして、帰る前に雪香に今日の例も兼ねて挨拶をしよう部屋をノックした。


 よほど集中しているのだろう、ノックにも気づかなかった。そして扉が少し空いていた。


 何気なく外から中を覗くと、その光景に水無瀬は息を飲んだ。雪香が誰かと話してるが、その相手は人ではないものだった。例えるなら、巨大なゼリー状の異形が雪香と話していた。



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