転校初日 2
「自慢じゃないが、俺はもてなかったことがない。だから女子に叩かれたのは始めてだ」
「そう、貴重な経験ができてよかったね」
ここで敵を作る気はなかったが、彼に対しては演技でも仲良くなど出来そうになかった。ここ数日で美形に対する信頼感が一気に落ちた。
なのに、どうして。
「卯月君、一緒に帰ろう」
どうして誘われないといけないんだ。
「わざとでしょう。みんなの前で誘って」
「何の話だ」
許されるならもう一回殴らせてほしいが、ぐっと我慢した。そう何発も殴ればいくら彼でも怒り狂うかもしれない。
一緒になんて帰りたくなかったが視線に耐えられず、どちらかといえば逃げるように行った先に水無瀬が待っていたという話だ。不幸にも方向が一緒だったらしく、なかなか別れない。
「おい、おごってやるからそこの店に寄っていこうぜ」
「ええ?」
冗談じゃない、と断りかけたが、ジュースをかけてしまったことと、殴ってしまったことが一瞬で思い出され、仕方なく承諾してしまった。自分はなんだかんだで気が小さいのだ。
「そうかよ、やっぱり設定は嘘か」
「当たり前でしょう」
もうここまできたら開き直り、彼を嘘の共有者にしてしまおうと思った。彼も人格を作っている以上、こっちの秘密を晒さないだろう。ばらせばまあその時だ。
「水無瀬君こそ、どうしてそんなキャラ作ってるの」
「俺?俺はね…なんかこう、色目使ってくる女の子って可愛いじゃん。裏切りたくないっていうか。気がついたら、なんか王子様キャラになってた」
「馬鹿でしょう」
口調も荒いし、声も妙に低いし、かと思えばチョコレートパフェがもう三杯目だ。自分は王子様キャラよりこっちの方が話しやすいが、友達にはなれそうにないなと強く思った。パフェまだ食べる気らしいし。
「家に連れて帰って、彼氏ですって紹介してもいいぞ。それくらいならサービスしてやる」
「押し売り結構。じゃあね。送ってくれてありがとう」
「…すごいマンションだな」
「…まあね」
住んでると慣れてくるものだが、改めて人に言われるとすごく見えてくるのだから妙な話だ。本当に若人はどれくらい稼いでいるのか聞きたいところだが、そこはさすがに止めておいている。
「じゃあな卯月」
「うん、じゃあ」
ものすごく自然に呼び捨てにされたと気づいたときはもうエレベーターに乗っていたが、不思議と怒りはあまりなかった。エレベーターを降りて部屋を目指すと、ちょうど若人が鍵を開けようとしていた。
「あれ、お帰り若人。今日は早いね」
「ああただいま…たまには早めに帰らないと体が持たない」
そこまで答えると、若人は卯月をじっと見るなりため息をついた。
「まあ止めはしないが」
「え?」
「あの年頃の男子はいきなり襲いかかってくるから、気はつけておけ」
何の話かしばらく考えて、赤くなったのが自分で分かった。
「違う!あの人は学級委員で、家まで送ってくれたの」
「そうか。それならいい。学生の本分は勉強だ」
「はいはい」
言いながら、喉の奥で引っかかった言葉を、解き放たないように必死で自制していた。
-もし私に彼氏が出来たら、どうする?
きっとその答えは分かってる。どうもしない、っていつも通りの声で言われるの分かってる。だから、絶対に言わない。
落ち込むのも簡単だけど、元気が出るのもまた簡単だ。
「今日は映画にでも行くか」
「本当!?」
若人が映画情報誌を広げ始め、制服も着替えないまま卯月は近くに座った。
「客から招待券をもらったんだ。僕はどれでもいいから、君が見たいのを選べ」
「いいの?ああ、じゃあね…ほら、コマーシャルでやってたやつ。なんだっけ。兄弟ものの」
「ああ、あれ血が繋がってないオチだろう」
「なんで結末言うの!?」
嬉しくて浮かれて、一瞬忘れていた。
私が『異形』だということ。
「…卯月?」
剣がある方の腕が急に痛み始めた。あまりの激痛に、額にじっと汗がにじんできた。
若人の心配そうな呼び声が聞こえる。返事がしたいのに出来ない。気を抜けば倒れてしまいそうな激痛が広がり声も出ない。若人が心配してる。こんな顔始めて見た。どうしてそんなに心配そうなの。どうしたの。らしくないよ。私は大丈夫だから-
声が出したい。必死で痛みと戦っていると、ふと、頭の中に風景が浮かんできた。
「二丁目交差点角の家」
ようやく痛みが治まり、やっと声が出たと思ったらこんな内容だった。口がまるで自分のものではないみたいで、思わず口元を押さえた。なんだろう、なんだかよく分からないが、そこに行かなくてはいけない気がする。
「おい…大丈夫か?」
「うん、もう大丈夫…私、行ってくる。よく分からないけど、行った方がいいと思う。もしかしたら、何か分かるかもしれない」
「そうか、じゃあ僕も行こう」
「いいの?危ないかもよ」
「危ないところで君を一人で行かせられるか。少しは僕の心痛も考えろ」
不安でたまらなかったが、若人が横にいてくれたからなんとか目的地までたどり着いた。そこは本当に視界に埋め込まれたような、今さっき見えた景色と一緒だった。
「あの…二階の気がする」
「分かった。行くぞ」
「ちょ、ちょっと待って。何て言うの?誰か住んでたら」
「心配するな」
階段を上った先の部屋は、何の変哲もないアパートの一室だった。若人がチャイムを押すと、誰かが開けてくれるなり滑り込むように中へ侵入した。
「すいません警察です」
吹き出しそうになったのを必死でこらえたが。
「あれ、卯月?」
その結果も無駄に終わった。危うく声ではなくて別のものが出るかと思った。
「水無瀬君!?」
現れたのは何の偶然か、スエットを着た水無瀬だった。よりによってこいつの家か、焦った卯月が何か言い訳を必死で考えていたその時だった。
まただった。また化け物がいた。
似てるようで、でも違う巨大な化け物が、水無瀬の後ろにいた。
化け物に呼ばれたのか倒すべき呼ばれたのか分からないが、放っておくわけにはいかない。どうせすぐ時間も止まるだろうと卯月が剣を出した。
「…っ、卯月、何だよそれ」
「え?」
風が止んでいる。近所迷惑のような選挙の声が不自然に止まった。アパートなのに人の気配がしなくなった。確実に時間は止まったのに、どうして水無瀬が動いているのか。
「水無瀬君、どうして」
「どうしてじゃない、こっちの質問に答えてくれよ。一体なんなん」
鈍い音がしたと同時に、化け物の爪が水無瀬の左肩を裂いた。彼は呻きを上げると同時に膝をつき、卯月たちは慌てて彼に駆け寄った。傷はそう酷くないようだが、出血が少なくはない。
「いてて…何だよ、かまいたちでもいるのか!?」
「化け物は見えてないみたいだな…どうなってるんだ」
「分からないよ。水無瀬君、とりあえず止血」
言った瞬間、声が喉の奥で小さく詰まった。彼の腕には、信じられないものがあった。今、産声を上げたばかりのような、小さい小さい剣が蛍のような光を発していた。
「水無瀬君、その剣…」
「え?何?何の話だよ」
剣は見えてないんだ、状況を整理する間もなく、また化け物の爪が容赦なく飛んできた。必死に剣で止めると、化け物は小さく呻いた。どうにか切れたようだが、傷は浅かったらしい。
また誕生日を祝う歌声が聞こえた気がしたが、必死で聞こえないふりをした。冗談じゃない、異形は一人で十分だ。
「…っ、卯月!」
「おい…どうしたんだよ、泣いてるのか?」
「大丈夫」
泣いてる場合じゃない、ぐっと涙をぬぐい、しっかりと水無瀬の顔を見た。
「水無瀬君、何か願い事ないかな。もしあったら、もう願わないで。きっとろくなことにならないから」
「あるとしたら、何だ。叶えば、あいつが出てくる可能性はなくなるかもしらん」
それはそうかもしれない、水無瀬の顔を見ると、彼はなぜか顔を少し反らした。笑うから言わない、と小さく呟いて。すると若人はちょっと苛立ったように、彼を軽く蹴った。水無瀬は渋々、口を開いた。
「…っ、恋がしたい」
「…はい?」
化け物の爪を必死で塞いでいた卯月の力が抜けかけ、若人が小さく吹き出した。彼なりの爆笑だろう、珍しいものを見た。そして水無瀬もまた、彼にしては珍しいだろう顔をしていた。首まで赤い。
「悪いかよ!告白されるばっかりで、自分から好きになったことはないんだよ!」
何の嫌味か、呆れさえ生じた卯月の後ろで、化け物がいきなりゼリー状の液体へ変化した。そしてそれはやがて人を模したような形に変わり、素早く彼の口元へ近づいていった。
「…おい、待て。まさか今ので100回目か!?」
「冗談でしょう!?」
それは絶対させない、卯月が呼吸を整え、化け物へ一気に切り込んだ。
「ああああああ!!」
鈍い音がした瞬間ゼリー状のものが弾け、そしてそれは全て室内へ降り注いでいった。息を吐き、水無瀬に声をかけようとすると、彼はゆっくりと倒れ込んだ。
「水無瀬君!」
「ほおっておけ、倒れただけだ」
「そう、だね…」
風が吹き始め、選挙のうるさい声が聞こえ、そしてアパートの喧噪が戻り、水無瀬の傷がふさがっていき、あれだけあったゼリー状のものが消えていく。剣もなくなってくれたようだ。
彼には申し訳ないが、夢ということにしてもらおう。してもらえたらいい。そっと扉を閉め、若人と供に彼と部屋を出た。
特にどちらからも言い出さなかったが、今日の映画は自然に中止への流れになった。さすがに落ち込みを隠せない卯月を見て、若人が帰る方向を変えた。慌ててついていったら、そこはレンタルDVD屋だった。
「家で見るか」
「…うん!」
自分の喜びようを感じ、自分で呆れてしまった。家でも外でも、結局は若人と見られたらなんでもいいのだ。
「何が見たい」
「あ、あれ!あの新作がいい」
「ああ…あれは、最後に死ぬぞ」
「だから何で言うの!?」
結末を言われたにも関わらず、興奮してなかなか眠れなかった。寝不足の翌朝、おぼつかない足取りで登校していると水無瀬が後ろから現れ、横へ並んだ。
「昨日さ、なんかわけわかんないのが来たのか?よく分かんねぇけど、それからさ。卯月が守ってくれたんだ」
「へえ、ファンタジーな夢」
「ありがとうな」
「夢なのに律儀ね」
「まあ聞かねえよ、言いたくねえなら」
上から見たような笑顔にも、もうあまり腹が立たなくなった。こっちも負けないくらいの顔で、笑い返してやる。
「そう、それでさ。卯月にキスされそうな気がしたんだけど。それも卯月も斬っちまった」
「え?」
そういえば。自分の唇を重ねてきたものは初恋の人の形をしており、そして若人は誰か分からないが、ここにいるはずのないものだと言っていた。見る人に対して形が違うのか。
どうして水無瀬には自分の顔に見えたのかは分からないが、今はただ、彼の手から再び剣が産まれないことを祈るばかりだった。