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転校初日 1

 

 春眠暁を覚えず。今日から学校だということは分かっていたんだが、起きなければならない時間になっても卯月は熟睡していた。要するに寝坊真っ最中なのである。先ほどから永遠扉を叩かれ続けているが、卯月は返事も出来ない。

 「おい、起きろ!」

 若人の声だ、かなり怒っている。それでも目が開かない。

 「おい、早く起きないと、君の恥ずかしい寝言を録音して学校で流させるぞ」

 「ふべ!?」

 

 寝起きが覚醒するには十分すぎる脅しだった。用意されてあった朝ご飯を食べ、皿を片付けながら若人を睨み付けていると、彼は何事もなかったような顔で着替えていた。

 「寝言なんて言わないよ」

 「そうか、知らないことは幸せなことだな」

 もしかして本当に何か言っているんだろうか、急に不安になりながらも、若人にあごで促され立ち上がった。

 「おい、早く行くぞ。学校への道はまだ分からないだろうからな、覚えるまで車で送ってやる」

 「え、いいの?ありがとう」

  

 なんて。感謝した私が馬鹿でした。



 ああ指さされてる。勝手に写真撮るな馬鹿。ああもう騒ぐな、芸能人じゃないよ。

 もう恥ずかしくて穴にでも入りたい卯月の前で、担任だと自己紹介した男は同情したように苦笑いしていた。

 「初日から大人気だな」 

 「あはは」

 もう乾いた笑い声もろくに出ない。


 結論から言って、若人との登校は最悪だった。

 車に興味がない卯月でも分かるような高級車で学校まで送り届けてくれた上、そこからカリスマ美容師若人が降り立たったのだから、目立たない方が不自然だ。

 ものすごい悲鳴と視線の中、先生が迎えに来てくれなかったらどうなっていただろうか、考えるのも恐ろしい。

 若人の親切はありがたいが、これくらい予想してくれてもいいだろうに、と多少恨みながらふと顔を上げると、なぜか先生は少し涙目だった。

 「…いや、大変だったな」

 「え?」

 「かわいそうに…中学校にも行かせてもらえないで」

 「え!?」

 何の話、訳も分からない卯月の前で、先生のテンションはどんどん上がっていった。

 「心配するな、先生が1から教えてやるからな!大丈夫、大人は怖い大人ばかりじゃないぞ!さあ、教室へ行こう」

 「は、はい」


 先生の目を盗みながら若人へメールを打っていると、時間が空いていたのか、すぐに返事がきた。どうも自分は親に先立たれ、親類に見捨てられ、学校にも通わせてもらえてない不幸な少女という設定らしい。親戚にもたらい回しにされ、今は遠縁の若人の家に落ち着いていると。

 確かにそれで学歴が消えていることも一緒に暮らしていることも話が繋がるが、なんかもっといい理由はなかったのだろうか、怒る相手がいないから、やけくそ気味に空を仰いだ。

 するとまだメールには続きがあった。

 『その男は僕が世話になった教師だ。頭は空だが人はいいから安心して不幸ぶれ』

 なるほど、おっしゃる通り。一人頷いた卯月が携帯を閉じると、どうも教室についたらしく、彼が白い歯を見せて笑った。

 「よし、着いたぞ。1-Eだ。ここが君の教室だ。読めるか?い・ち・の」

 「だ、大丈夫です」

 どれだけ馬鹿にされてるんだ、怒る気持ちさえ沸いたが、彼の笑顔を見て何も言えなかった。



 教室に入った瞬間、すごい騒がれようだった。ただの転校生だったらこんなにも騒がれない。覚悟はしていたが、もう帰りたくなった。しかしぐっと我慢して、無理矢理笑顔を浮かべた。若人が入れてくれたんだ、この高校で無駄な敵を作るわけにはいかない。

 「静かに!静かに!ええと、彼女は今日からみんなの新しい仲間だ。彼女は家庭の事情でずっと日本にいなかった」

 ここにきてまた新しい嘘が出てきた。卯月はもう倒れそうだった。頼むから覚えられる設定量にしてくれ。

 「だからみんな力になってくれ。おい、水無瀬」

 「はい」 

 呼ばれて手を挙げた男子に笑顔を浮かべられたが、うまく返せなかった。恐らく外国の血が入っているのだろう、座ってもいてもかなり身長が高いことが分かり、髪も目も色素が薄い。全体的に整いすぎていて少し怖いくらいだった。

 「彼はうちの学級委員だ。水無瀬、彼女を助けてやってくれ」

 「はい、分かりました」

 そう返事するなり、教室あちこちから小声で批判の声があった。きっと彼のファンは大勢いるのだろう、自分は男運があるのかないのか分かったものではない。

 「卯月君、彼の隣に」

 「はい」

 しかも隣かよ、卯月はゆっくりと水無瀬の隣に座ると、彼が小さく笑ってくれた。

 「よろしく」

 「よろしく」

 教室中から注ぐ女子からの視線が痛い。出来ればあまりよろしくしたくない。



 休み時間になるなり、自分は動物園の動物のようにあっという間に囲まれた。

 「今までどこにいたの?日本にいつ来たの?」

 「帰国子女だよね、かっこいー!ねえ何かしゃべってみてぇ」

 「若人様と一緒に暮らしてるって本当?若人様、家ではどんな服着てるの?」

 五月蠅い、卯月は机をひっくり返したい衝動を必死で我慢しながら、なんとか笑顔を浮かべ続けていた。外国にずっといたという設定に甘え、ワタシニホンゴワカリマセン、とばかりに何も答えずずっと笑っていた。

 すると授業がいつの間にか始まったらしく、教師が黒板を叩き、慌てるように女生徒たちが帰っていった。先生の登場がこれほどありがたいとは思ったことがなかった。



 しかしありがたいはずの登場は、最初だけだった。見た目意地悪そうな英語教師はしゃべると予想以上に意地悪で、質問に答えられない生徒を淡々と叱り続けた。

 決して難しい問題ではないが、なんというか問題がひねくれている。正義感はないが教師に多少なりとも反感を抱いていると、目が合ってしまった。

 「あなた、下の文章訳して」

 「え?」

 いきなり差され、慌ててしまった。それでもなんとか分かるような単語ばかりで助かった、なんとか訳しながら答えていると、緊張のせいか最後に自分でも分かるミスをしてしまった。

 「あなた、外国にいたのよね。何をしてたの」

 その設定は嘘だが、馬鹿にされたことが許せなくて。怒りと羞恥で泣きそうになると、隣の水無瀬がいきなり立ち上がった。

 「先生。彼女がいたのはギニアビサウ共和国です」

 「…っ、は?」 

 「なので英語が分からないのは当然です。どこにある国か、先生なら当然ご存じですよね」

 「も、もちろんよ…さあ。次の質問-」

 教室あちこちから黄色い声が上がると、怒りで顔を真っ赤になった彼女が一喝してあっという間に静まりかえった。お礼を言うことが叶わなかった。涙も引いてくれたし。ちらり、と水無瀬をみると、何事もなかったような顔して座っていた。


 昼休みになり、さてどうしようかとカバンを開けると、見慣れない弁当箱が入っていた。え、と呟きながら風呂敷を開くと、メモが入ってあった。

 『コンビニで済ませたら殺す』

 「…っ、はいはい」

 ありがとう、感謝をしながらいただきますをした。


 別に気を使ってくれなくてもいいのに、何人か女子が集まってきた。追い返す理由もないから、彼女たちと昼食を食べた。

 「卯月さんのお弁当、すごく美味しそうだね。お母さんが作ってくれたの?」

 「…え、っと」

 「馬鹿、日本語分からないんだってば」

 「あ、ごめん!」

 いや分かるんだけど、今の場合は助かった。張り付いたような笑顔のまま彼女たちの話を聞いていると、ふと手前の女生徒が目を輝かせた。

 「さっきのさあ、かっこよかったよね。水無瀬君」

 「まあ…でも、私はやっぱり苦手かなあ」

 「あっちゃんは若人様の大ファンんだもんね」

 「や、止めてよ!」

 「ほらほら」

 あっちゃんと呼ばれる女生徒の携帯の待ち受けを他の女子から見せつけられ、口からウィンナーが飛びそうになった。ものすごい営業スマイルの若人がそこにいた。失礼な話だがちょっと気味が悪い。

 「もうこの子さぁ、若人様に髪切ってもらいたくて、お菓子も服も我慢して、ずっと貯金してんの。馬鹿だよねー」

 「しょ、しょうがないじゃん!それしか話す手段が」

 「…そんなに高いの?」

 しまった、と思ったときはもう遅かった。


 しゃべると分かった途端、どこからともなく女生徒たちが一斉に集まってきた。

 「日本語しゃべれるじゃん!」

 「分かる?言ってること分かる!?」

 「ねえ、若人様の写メとかないの!?」


 駄目だ完全に見せ物パンダ状態だ、もみくちゃにされながら、卯月が必死で弁当箱を守っていると、おい、と一喝があった。場が静まりかえると、そこには水無瀬が立っていた。

 「行こうよ。学内を案内する」

 「う、うんっ」

 彼と歩くなど避けたかったが、今はどんな場所にも逃げたい。慌てて彼についていくと、なぜか男子たちから一斉に冷やかされた。



 学内は狭くはなかったが、比較的分かりやすい造りで助かった。前にいた学校とあまり大差ない。

 「歩き疲れたでしょう、そこに座って。飲み物を買ってくるから」

 「い、いいよ」

 「遠慮しないで」

 流れるような彼の姿勢に、卯月は感心さえしてしまった。顔が綺麗すぎるせいもあるかもしれないが、なんというか、本当に同じ年か疑わしい。

 すると彼の腕元が少しはだけ、彼らしくない傷が少し見えた。

 なんだろう。見たことがある-…


 「なんだよ」

 

 気がつけばずいぶん長いこと見ていた。慌てるように視線をそらすと、なぜか彼が鼻で笑った。今までと雰囲気がまるで違う、声も、目つきも、しゃべり方も。

 「なんだよ。お前も俺が好みなのか」

 「…は?」

 「付き合ってやってもいいぞ。お前はまあまあ可愛いし、転校生という肩書きがいい」

 

 「馬鹿にしないでよ」


 このときのことはずいぶん後になっても後悔していたが、多分何度やり直しても、同じことをしていいただろう。

 ジュースを頭からかけられた水無瀬は呆けていたが、そんな顔を見てもまだ怒りは収まらなかった。


 「お前が好きなのはあの騒がれてる美容師か?」

 「そうよ」

 肯定した自分に驚いたのもまたずいぶん後だったが、今はただ、怒りに燃えて、声が止まらなかった。自分は何を言われても構わないが、若人への痛みまで疑われたくなかった。

 「それからお前お前言わないで。私には卯月って名前があるのよ」

 「いい名前だな。俺は水無瀬」

 「知ってる」

 「よろしくな」

 握手を求められ、かなり迷ったが、最終的には握手をしてしまった。すると今度こそ彼の傷もとが完全に見えた。


 握手をなかなか離せなかった。

 どうして彼の腕から、剣が見えるんだろう。食い入るように彼の腕を見つめていると、ふと彼が笑った気がして、顔を上げた。

 「なんだよ。やっぱり俺とつきあくなったか?」

 

 握手から解放した手は、そのまま平手打ちへ変わった。


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