例えばこんな男女の出会い 4
若人が入れてくれた高校には、明後日からの編入になる。今日は祭日だ。あまり遅くならないなら出かけてもいいと彼も言ってくれたが、とても出かける気分にはなれなかった。仕事に行く前に何やら携帯をいじっていた若人が、ふと思い出したようにこちらに顔を向けた。
「今から僕の知人が来る。足りないものが色々あるだろう、そいつと買い物に行け」
「…っ、え、な、何急に!」
「君に拒否権は」
「ない…です」
よし、と頷くと若人は早々と出かける準備を始めた。今日は恐らく予約が一杯なのだろう。彼が靴をはいている頃、チャイムが鳴った。やっと来たか、と若人がぼやきながら扉を開けると、そこには女性がいた。
年の頃は若人と同じくらいだろう、信じられないくらい美しい人だ。彼女を見て、若人の知人だと認知するなりまた胸が痛んだが、その痛みの収まりが早かった。
「-っ、あら!いやああん、可愛いじゃない!若人!どこで誘拐してきたの!?」
「失礼なことを言うな」
なんだか不自然に高い声。
「お名前は?」
「卯月…です」
「卯月ちゃん?やだ名前も可愛い!よろしくね、育美でぇす!」
なんだか妙にごつごつした手で握手を求められた。細いが妙にしっかりした太股、隠してはいるが肩も胸回りも女性のものではないと分かるまでそう時間がかからなかった。
「あまり触るな、怯えているぞ。卯月。見ての通り死ぬほど怪しいオカマだが、害はない」
「んもう、何よ若人ちゃん!浮気しちゃうわよ!」
「そうか勝手にしてくれ。僕はむしろ喜ぶばかりだ」
んもうんもう、と甘える育美の腕を払う若人は本当に嫌そうで、我慢できず少し笑ってしまった。
「も、申し訳ありませんお客様…男性に、女性更衣室は」
「あら、何!?私、女の子よ!あんたより胸あるわよ、見る!?」
「い、いいいい育美さん!育美さん!!」
彼-否、彼女との買い物は大騒ぎだった。下着やら洋服やら棚ごと買い占めそうな勢いで、次々と試着をさせられ、なぜかメイクまでさせられ、永遠連れ回された。センスが悪いと店員を怒鳴り、更衣室が狭いと女子更衣室に乗り込んできたときはさすがに全力で止めてしまった。
なんだか疲労困憊したが、不思議と嫌な気持ちはなかった。ようやく落ち着いて座ると、彼女がクレープを買ってきてくれた。
「はい。イチゴ、好き?」
「あ、ありがとうございます」
疲れたため甘いものが妙にありがたい、夢中で食べていると、彼女が笑ってくれた。
「ごめんね、私。うるさくて」
「いえ、そんな」
「あなたに元気がないから、買い物にでも連れてってくれって…若人の頼みなんて珍しいから、つい嬉しくてね。おまけにこんなオカマちゃんだから、女の子と買い物なんてテンション上がっちゃって。張り切り過ぎちゃった」
「…っ、そう、だったんですか」
若人が気を使ってくれたんだ、嬉しくて顔を下に向けると、なぜか笑顔の育美が覗き込んできた。
「いい子ねあなた…そうだ、連絡先交換しましょうよ。何かあったら女同士、相談に乗るわ」
「ありがとうございます」
正確には女性同士ではないのだが、自分よりよほど女性らしい彼女と知り合いになれることは、素直に嬉しかった。いそいそと携帯を取り出すと、慣れない画面に苦労した。
「すいません…買ってもらったばっかりで操作がよく」
「あら、そうなの?よかったら貸して、登録してあげるわ」
「助かります」
携帯を渡して、鼻歌交じりにいじっていた育美がふと笑顔になり、携帯電話を閉じてしまった。
「止めた。お邪魔しちゃ悪いわ」
「え?」
「なんかあったら若人を伝言板にすればいいわね。さて、今度は三階へいっくわよー!」
「ええ、まだ買うんですか!?」
聞いてもいない、すごい早さで行ってしまう育美を慌てて追いかけ、携帯電話をしまおうとすると、画面が見えた。開きっぱなしの電話帳には、当たり前といえば当たり前だが、若人の名前しかなかった。首まで赤くなってしまった。
買い物量は大変なことになったが、いいというのに育美が全部持ってくれた。こんなに綺麗なのに、こうしているとたくましい。
「そうだ、角のケーキ屋さん行きましょうよ。私、ずっと行きたかったのよ」
「え、でもあそこすごい並んでるって」
「いいじゃない。おしゃべりしながら待ってましょうよ。なんでも教えてあげる、若人の下着の色とか」
「ええ!?」
彼女といるとジェットコースターに乗ってるみたいだった。楽しくて激しくて、時間があっという間で。
自分の腕が異常になったことも忘れて。
「あ、やっと見えてきた…育美さん、何にしますか?」
育美が、答えない。
「…育美さん?」
世界が、応えない。
そうだ。私は、『そう』だったんだ。
何を、忘れたふりをしていたんだろう。
それは先日の化け物と同じようで、別の形をしていた。
「 」
相変わらずめちゃくちゃな四肢に、とんでもない大声。そして破壊力。すごい勢いであちこちを破壊していく。思わず呆けていると、ようやく我に返った。化け物の手先は、待ち飽きて泣いてた幼子だった。
「止めてぇ!」
思わず叫ぶと化け物がこちらを見た。止まっている時間の中で自分だけが動いているんだ、さぞ目立っているだろう。呼吸が荒くなり、足が震えてきた。逃げたくなったけど、ぐっと我慢した。震えながらなんとか利き手の袖をまくった。もう見たくないと思っていた剣が露わになった。
すると剣はまるで呼ばれるように腕から伸び、まるで大きく細い剣を持っているようだった。その感触に、思い出したことがあった。
これは、若人の剣だ。
間違いない。そう強く自信がある。握ってるだけで、こんなに心強いから。側に、いれくれてる気がした。
「怖がるな」
自分に命令し、きっと化け物を睨み上げた。すると化け物は手をふりかざし、その先に息を飲んだ。育美の方へ向いている。
「駄目!!」
耳の奥から声がした。
―助けるの?
化け物は動かない。自分だけ。動いてるのは自分だけだった。そして聞こえてくるのは、誰か分からない声だけだった。
-正義の味方になっても、誰も感謝しないのに?
そうだ誰も気づかない。今時間は止まっているし、また化け物を倒せばきっとまた全部元通りになるから。
-あなたは消えたいと思ってたんじゃないの?
そうだ、私は消えたいと思ってた。
-今、化け物に飛び込めば、消えられるよ。
そりゃそうだろうけど、他の人たちは?
-自分が消えた後のことなんて、どうでもいいでしょう?
「…それは、そうだ」
ふらつくように、剣を捨て、化け物の方へ向かうと。
「-卯月!!」
若人の声で我に返ると、捨てたはずの剣がまた手の中にあった。すると覚醒したように、また化け物がこちらへ向かってきた。
「怪我はないか!?」
「…っ、うん!」
「 」
「…やああああああああああああ!!」
化け物に剣を突き立てると、また砂となっていき、建物は少しずつ戻っていった。近くまできた若人は、店のものだろうエプロンを着けたままだった。きっと時間が止まったことが気づくなり、飛んできてくれたんだろう。
「早く店に戻って。お客さん、いっぱいいるんでしょう?」
「ああ、まったく暇人ばかりだ…今日は、大丈夫そうだな」
「うん、大丈夫だよ」
本当は駄目になりそうだったけど、若人の声が聞こえたから。それはさすがに、やっぱり恥ずかしくて言えないけど。
「私、分かった気がする。なんでこんな状況になるのか分からないままだけど、多分、選ばせられてるんだと思う。私が戦ってなければ、私、消えてたでしょう?願いの通りに」
少し驚いたように目を見開いた若人が、納得したように頷いた。
「そうか…それで、僕は殺せるのか。戦わなければ、自分を殺せるということか…しかし。剣がそんなところにあっては無理だな。おい、どうして僕の剣が君の中にあるんだ」
「いったい、引っ張らないでよ!若人にはハサミがあるからいいでしょう、早く切ってきなよ」
きっと、私の腕も、若人を求めたのだろう。所詮、私の腕だから。
誰か分からない声の言う通り、助けても感謝されない。けど時間が止まる前と同じく育美がこうして目の前で笑ってくれていることが、十分な報酬だった。
「うん、やっぱり可愛い!卯月ちゃん、よく似合うわよぉ」
「そ、そうかな」
自分の幼稚な敬語はまた見抜かれ、育美にも敬語なしを許されてしまった。
喫茶店の大きめのトイレを借りて、言われるまま選んで買った服に着替えた。春らしいワンピースは、自分がひっくり返っても買わなかっただろうものだ。なんだか人がすれ違う度に落ち着かない。似合わない、と見られてるようで。
そのまま帰って若人に見せるように命令され、マンションの前まで送られてしまった。着替える暇も与えてくれなかった。
あれから育美の買い物と食事ツアーは遅くまで続き、若人が帰ってきていてもおかしくない時間までになった。しかし今日は忙しかっただろうし、帰ってきてませんように帰って来てませんように、祈りながらノブを触ると、無情にも鍵は開いていた。そろそろ扉を開けると、奥から遅いという怒鳴り声がした。
「ごめんなさい!」
「遅くなるなら連絡くらいしろ、まったく何の為の携帯だ…育美から鬱陶しいメールが永遠送られてきたから無事は分かっていたが」
まったく、と怒っていた若人が、ようやく卯月の恰好に気づいた。
「…なんだ。あいつが選んだのか」
キタ。思わず赤くなり、ごまかすように慌てて靴を脱いだ。
「そ、そう。似合わないでしょう。着替えてくるね!」
「いや、あいつ趣味はいいからな。とても-」
そこまで言った若人は、なぜか顔をしかめて、卯月の顔を覗き込んだ。
「おい。可愛いと綺麗、どっちが嬉しいんだ」
「知らない!!」
「おい、待て。書庫を改装して、君の部屋を用意した」
「…え!?」
いつの間に、慌てるように振り返ると、ほら、と若人が扉を開けてくれた。勉強机とベッドとソファとテーブル、シンプルな部屋だったが、奥にはいつかくれた花が飾ってあった。
「いつまでもリビングのソファで寝せて、風邪でも引かれてはたまらないからな」
「…ぁ」
「…?気に入らなかったのか?今度家具屋に行くか?」
出来ることなら、若人の視界を真っ暗に潰してしまいたい。きっと今自分は、とんでもなく酷い顔をしているだろうから。
「…あり、がとう」
やっと言えた。絞り出すようにお礼を言うと、ようやく顔を上げられた。溢れ出すような感謝が、止められなかった。
「あの…若人。何か、お礼できないかな。お金もないし、家事も出来ないけど…私が出来ることがあったら言って。私、頑張るから」
きっと何も言ってくれないのだろう、それでも何かしなければ気が済まなかった。すがるように若人の目を見ていると、彼は少し困ったように目を伏せたが、すぐにこちらを見てくれた。
「そうだな。じゃあ、出来るだけ笑っていてくれ。泣いた方が信用できると言ったのは僕だが、笑顔が嫌いな接客業はいない」
「…それ、だけ?」
「ああ。また何か思いついたらまた望む。それから…挨拶はこまめに、今まで通りしてくれ」
何があっても笑顔で。
「ただいま」
「おかえり」
この人の部屋へ帰ろう。これからは。