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例えばこんな男女の出会い 1

 


 ふ、とまばたきすると目の前に母がいた。どこかへ電話していた。卯月が声をかけようとしたが、母はすごい剣幕で電話していた。何かあったの、と小声で声をかけると、母は気づきもしない。よほど何かあったんだろうか、心配しながらも、邪魔にならないように居間の椅子に腰掛けた。

 時計は9時過ぎていた。とっくに学校が始まっている。さすがにぎょっとしたが、慌てて学校に行くには躊躇われた。なんたって昨日の今日だ。

 昨日-…


 唇の感触を思い出し、羞恥よりも怒りがこみ上げてきた。大変なことをようやく思い出した。昨日、初恋の人とは違う誰かに訳の分からないことを言われ、かと思えば唇を奪われたのだ。あいつ絶対許さない、怒りに燃えたのはいいが、彼が今どこにいるのか、もっといえば、あれからどうなったのかよく思い出せない。

 怒りは割とすぐに冷めた。キスの一つや二つ、小学生じゃあるまいし。けど今度もし会ったら絶対殴る、卯月は固く決心すると、自室へ歩いた。

 もうどう見ても具合は悪くないだろう、遅刻でもさすがに学校に行かなければ。ため息まじりに自室のノブに手をかけた。

 「あれ?」

 開かない。いや、違う。


 触れない。


 「なんで?」

 もう一度試してみるが、ノブには触れない。何度試みても、まるで空を握っているようで、いつまでも触れない。まだ夢でも見ているんだろうかと思ったが、まだ冷たさが残る床も、春の強い日差しも嫌になるくらい現実だった。

 ふと向こうから電話が切る音がした。母の電話が終わったらしい、助かったとばかりに、走り出した。 

 「お母さん!」

 しかし母は振り返らない。何かをぶつぶつ言いながら、座り込んでしまった。無断で学校を飛び出したことがばれたのだろうか、だから怒っているのだろうか。返事もしてくれないくらい。

 「お母さん」

 もう一度呼んでみて彼女の前に踊り出てきたはみたが、母は顔を上げようともしない。これはおかしい。どんなに怒っても、目も見ないなんて。

 「おい」

 すると、脇から信じられない声がした。父だった。平日の朝に会社に行かずに何してるんだろう-しかし彼もまた、卯月を見なかった。

 「あなた…会社、いいの?」

 「そんなこと言ってる場合か。警察は何だって?」

 「それが…女子高生のお嬢さんが一日帰ってこないくらいじゃ、本格的に捜査できないって…調べるとは言ってくれたけど、どこまで本気か」

 「家出か何かと勘違いしてるんだろうな…気持ちは分からないでもないが。携帯は置いてる、服も何も持っていってないんだろう。これが家出か?もういい、私が直接行ってくる」

 「落ち着いて、そんなことしないでよ」

 「これが落ち着いてられるか、一人娘がいなくなったんだぞ」

 見たことがないような両親の言葉遣いと表情に、卯月はついていけなかったが、二人の会話内容で、ようやく話が見えてきた。

 私が消えたと思ってる。

 「お母さん!お父さん!」

 無駄だと思ったが、叫ぶだけ叫んだ。しかしやはり二人はこちらを見ない。服でも引っ張れば気づいてくれるだろうかなんて幼稚な考えは、すぐに消えた。手をどんなに伸ばしても、先ほどのノブと一緒で、触れることも出来ない。

 そして、怒りで顔を赤くした父が、自分の体をすり抜けていった。もう声も出なかった。



 家にはとてもいられず、卯月はどこに行くでもなくふらふらと道を歩いた。もしかして私は死んだのだろうか、絶望よりも疑問が体内を疼いていた。いつ、どうやって死んだんだろう。

 そしてふ、と足を止めた。そうだ、もし今ここに在る自分が魂だというのなら、体はどこにいったんだろう。

 最後の記憶は自室だ、もしかしてまだ体はそこにあるかもしれない。

 走って自宅まで戻ると、玄関に触れられず、もう家に入れなくなっていた。苛立ちと焦りから、軽く地面を蹴ってみたが、むなしく着地するだけだった。

 幽霊なら空を飛んでくれてもいいのに。もどかしい怒りはどこにもやり場がなく、卯月はまた、どこへともなく歩き出した。

 

 電車に乗り、一番最寄りのショッピングモールへ出た。誰もいないと不安に押しつぶされそうになり、なるべく人の多いところを選んだ。

 平日の朝の為混んではいないが、それでも人が通っている。誰か一人でも私が見える人がいないだろうか、あてもなく一人一人に話しかけようとしたが、むなしすぎてやる気も起きなかった。

 それでも駄目もとで一人一人の前に壁になってみて、避ける人がいないか、希望を持って立ち続けたが、老若男女、全ての人が自分をすり抜けていった。


 もう、手詰まりだった。あの後、色んなところに行った。霊能力占い師なら見えるかもしれないと訪ねたが誰も自分が見えてくれなかった。カメラになら映るかもしれないとあらゆるコンビニを渡り歩いたがどこのカメラにも映れなかった。

 どうしていいのか分からない。これから一体、自分はどうなってしまうんだろう。どう、なりたいんだろう。

 ふと、馬鹿にしていた女子たちの会話が耳の奥から聞こえてきた。

 『私、-のお嫁さんになる!』

 携帯の新機種CMに抜擢された俳優。名前は忘れたが、その人の名前をいいながら目を輝かせた彼女が、急にうらやましくなった。自分はやりたいことが何一つ浮かんでこない。

 これなら死んでもしょうがないや、そう思った途端、涙がこぼれてきた。幽霊でも泣けるらしい。誰にも見られないから、好きなだけ泣けた。


 いくらか歩いていると、すごい行列に思わず足を止めた。そこは美容室のようだった。すごい人気、近くに美容室がいくらでもあるのに、そんなにいいんだろうか。

 特にやることがないため前の方まで行ってみると、何やらもめていた。

 「ちょっと、ワカ様がいないってどういうことよ!」

 「ワカ様が行方不明って本当なの!?」

 違う、彼女たちは並んでいるのではない。誰かを求めてここにいるんだ。しかしすごい騒ぎよう、まるで芸能人の追っかけのようだ。

 ワカ様-どこかで聞いたことあるけど誰だっけ。

 流行に疎いどころか全く興味がない卯月が思いだそうとするが、なかなか思い出せない。何気なく頭を上げると、あ、と思い出した。

 美容室の屋根にでかでかと貼られたポスターに映る美青年の下に、洒落た字体で若人があなたをお待ちしております、と書いてあった。

 思い出した。人気カリスマ美容師、若人だ。どうも彼がいなくなり、ファンが騒いでいるらしい。実際予約客もいたのだろう、大勢の女性に騒がれ、まだ幼さが残る青年は泣きそうになっていた。

 

 「使えん…戻れたら、あいつクビだな」


 冷たい言葉に思わず振り返ると、そのまま制止するかと思った。そこにいるのは、若人その人だった。

 ちょっとここにいますよ、と教えてやりたいところだったが、彼女たちは騒ぐばかりで、すぐそこにいる彼も、もちろん自分も見えてなかった。

 そして同じように自分が見えないだろうと思っていた彼は、こちらを見て、そして視線を外した。この感覚に卯月は思わず小さく叫んだ。今、確実に私を見た。

 「あの…私が、見えますか!?」

 「…見えるが」

 冷たく短い言葉だったが。

 「…お、おい!?」

 ほっとして力が抜けて、大泣きするには十分だった。



 「すいません…取り乱してしまって」

 「いや、構わない」

 喫茶店にでも入ろうと誘ってくれたが、二人は当然誰にも見られない為、おちおちお茶も出来なかった。仕方なく案内されたところは、CMでしか見たことがないような高級マンションの一室だった。俺の部屋だ、と彼は短く説明してくれた。

 広く洒落ているとはいえ男性の部屋だ。緊張しないといえば嘘になるが、今はただ、誰かと関われているというだけで安心し続けていられた。

 「座りなさい」

 「はい」

 どうも彼も何も触れないらしい、ヤカンに手をかけようとすると、それはむなしく宙を泳いだだけだった。お構いなく、と卯月が呟くと、若人は少し悔しそうにこちらへ戻ってきた。

 「失礼だが、名前と年を教えてもらえるか」

 「卯月といいます。高校一年生です」

 「ぼ…っ、俺は若人。美容師だ。とりあえず君が俺を見て、騒ぐような子じゃなくて助かった」

 「大変ですね…」

 嫌味はなく、素直に同情できた。一日行方が知れないだけであの騒がれようでは、彼の普段の苦労ぶりが少しは察せる。

 「すいません…私、あの。あまり流行りとか疎くて」

 「いや。むしろ助かっている。すまないが、君の状況を教えてくれないか」

 「はい」


 

 学校であったこと、いきなり男子(と思われる)に唇を奪われたこと、気心知れた仲にも躊躇われるような内容なのに初対面の彼に話すこと、躊躇はあったが、もう恥ずかしがっていられる状況ではなかった。

 最悪な誕生日をおおまかに話している間、彼はずっと黙って聞いてくれていた。話し終えると、彼は納得したように小さく頷いた。

 「君」

 「はい」

 「敬語に慣れてないだろう」

 「は…」

 いきなり何の話だ、呆けてしまった卯月の向かいで、全てを見透かしているような彼の目が、なぜか恥ずかしかった。

 「無理してかしこまる必要はない。俺はそういうことは気にしない」

 「…じゃあ、あなただって」

 「なんだ」

 「俺、って。言いづらいんでしょう。歯に何か挟まったみたいに、俺俺言ってる」

 思わず仕返しのように反論してしまうと、若人は少し怒ったように、しかしそれ以上に照れたように目を反らした。

 「子供は察しがよくて嫌いだ」

 「…私も大人嫌い」

 妙な沈黙な後。


 「ぶっ」

 

 思わず吹き出した卯月の向かいで、若人の空気がいくらかやわらいだ。やっと誰かと話した安心感の中で、笑いが止まらない卯月を見て、若人はほっと息を吐いた。

 「すまない、こんなものしかないが」

 ふと彼がテーブルの上に飾っている花を、ほら、と指さした。

 「これを君に。渡すことも出来ないが」

 「え?」

 「誕生日だったんだろう。昨日」

 じんわりと、胸の奥から嬉しさが広がった。胸が広がるようにいっぱいになった。正直花をもらっても喜ぶほど可愛くないけど、おまけに直接渡されることも、受け取って触れることも叶わないけど。

 「あ…ありがとうございます」

 こんなに嬉しい誕生日プレゼントは始めてかもしれない。自然と顔がほころぶ卯月を見て、若人も小さく笑ってくれた気がした。

 「さて今度は僕の話だが…なんか腹が減ったような気がするな。体もないのに。おい、どうにかして出前を取る方法を考えろ」

 「ええ!?それもし上手く行っても、どうやって受け取るの!」


 これからどうなるか全く分からないし、体さえないけど。

 とりあえず騒ぐことも、お腹が空くような気分も、ちゃんと出来た。


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