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ラブソング 9

 


 なんだろう、体が軽いや。

 ふらつきながら志誓が、自宅を目指す。なんだろう、何かとても大切な用事があったような気がするが、上手く思い出せない。

 家に帰り着くと、母親が半泣きで玄関まで走ってきた。

 「無事だったの!無事だったのね!?」

 「…無事?」

 何を言ってるんだろう、頭が割れるように痛い。下駄箱上のカレンダーを見て、軽く驚いた。いつの間に、この月になっていたんだ。

 カレンダーに付いてないなずの、赤い丸が見える。


 -記念日なんて、女じゃねぇんだからよ。

 -だって、祝いたいじゃんか。


 誰。これはだぁれ?

 「ぁ…たま、痛い」

 「大丈夫?お父さん、救急車!」

 「怪我は?怪我あるのか?」

 ああそうだ、思い出してきたように父が走ってきた。見覚えのないギターケースには公誓と書いてあった。見覚えがないはずなのに、その名前が、どうかなりそうなほど愛しかった。

 「友達が届けてくれたよ」

 「もう!そんなのいいわよ!今!」

 ギターケースを抱くと、まるで、長年使っていたもののようにしっくり腕に馴染んだ。ふいに涙が出てきた。何だろう、何に対して、泣いているんだろう。

 「どうしたの?やっぱりどこか痛い?」

 「ううん、平気…」

 何とか笑ってみせると、両親はようやく安心してくれた。

 「あ、そうだ、また、レコード会社の人から連絡あったわよ。CD出さないかって」

 「…ええ?」

 歌なんて冗談じゃない、必死で首を横に振った。

 「なんで、よりによって僕なんか…何かの間違いじゃないの?」

 「でも、随分熱心よ。会うだけ会ってみたら?ん…あら、また、電話ね」

 ぱたぱた走っていく母親を背中で見送り、父親も続こうとしたが、すぐにまたこちらを振り返った。

 「高校くらいは出なさい」

 むすっとした顔も、この言葉も、僕は知っていた。聞いたことがあった。

 何だろう、首をかしげていると、一瞬、唇が何かに触れたような気がしたが、すぐに消えた。なぜかまた涙が出てきてしまったが、泣いていてはいけない気がして、ギターケースを抱いて、立ち上がった。



 数ヶ月後。


 あれから、世界は激変した。いや、元に戻ったというべきか。

 異形は見えなくなった。私は家に帰り、彼方はどこかへ消えてしまったままだ。失ったものもたくさんあったが、手に入ったものもたくさんあった。そう思わなければ、救われない。

 公ちゃんみたいな口調、そう笑って、男物シャツを撫で、いってきます、を言う。親が不思議がっていた、男の子ものの衣服。なんであるのかしら、何枚も出て来る度、可愛がられすぎだろうと笑えた。泣けた。

 育美ちゃんはまたオカマに戻ったらしい、らしいというのは、先日、ぶりぶりしたオカマさんたち集団とすれ違い、その先頭にいたのは、間違いなく育美だった。自分にも気づかなかった。

 

 助かったことと言えば、水無瀬には記憶が残っていることだ。力はなくなったが、精神的に自分を支えてくれている。

 「今日も行くだろ、先輩んとこ」

 「うん、お土産何買っていこう」

 あれから、まるで抜け殻のようになってしまった雪香を、毎日水無瀬とお見舞いに行くのが日課になっていた。


 「こんにちはー」

 「うーちゃん!」

 「わ…あれ、今日は、しゃべれるね」

 「今日は3歳くらいか?」

 雪香は精神が乳児になったり、幼子になったりを繰り返している。医者もとうとうさじを投げ、彼女の祖母が、泊まり込みでいたが、最近では、自分たちに任せてくれて、着替えを取り替える以外は、自宅で待機しているらしい。

 抱きついて甘えてくる雪香を撫でながら、どうしよう、とケーキ箱を見下ろした。

 「ケーキ、もうちょっと可愛いもの持ってくればよかったね」

 「ブランデー入ってても吐き出せねぇか?」

 「う?」



 お腹がふくれて、膝で眠る雪香を見守っていると、水無瀬が肩を叩き、雑誌を見せてきた。覗き込むと、手は塞がっているから、容赦なく水無瀬の頭を頭突いた。こういう彼の空気を読んでいない意地悪さは、助かっている部分もあるが、大概は腹が立つ。

 雑誌には、若人が映っていた。右端の方に、ドラマ出演決定と書いてあり、吹き出しそうになった。

 「あいつは何屋だよ」

 「ねぇ、台本なんてちゃんと覚えるのかな」

 あれから、若人とは会っていない。実家に帰ってくるなり両親に袋叩きに合い、落ち着いた頃、若人の部屋を訪ねたが、もうそこに彼はいなかった。

 彼なりのけじめだろうが、いくらなんでもあんまりではないだろうか。助けに来てくれた時に、キスしてくれたような気がしたのは、幻だったのか。

 「卯月、もう忘れて、いい加減俺と付き合えよ」

 「やです。せっちゃんの裸見て、鼻血出すような人は絶対やです」

 「お前、いつの話してんだよ!あれは、ばあちゃんが入っていいってタイミングがなぁ…」



 「じゃあな、気をつけて帰れよ」

 「うん、また明日ね」

 あれから変わったことと言えば、よく周囲を見渡すようになった。誰か戦っているのではないかと。自分の為に、誰かの為に、何も見えない、何も出来ないから、世界中に敬意を、礼をして、帰る。ただの自己満足だが、そうしないと駄目だった。


 ふと、ビルに映し出されるテレビから、大きな歓声が聞こえてきた。何気なく顔を上げると、そのまま、足を止めた。

 『続いては、デビューしてから驚異の速さで、ミリオンダウンロードを記録した、超天才新人アーティスト、公誓君です!』

 『…ど…どう、も…』 

 思わず顔がほころぶと、さすがに少し恥ずかしくなって顔を沈めようとしたが、周りの女の子たちも写真を撮ったり、騒いだりしていた。助かった。

 『いやー、おじさんも、君の歌声に感動しちゃったよ!本当にまだ中学生?』

 『もうすぐ、高校生ですけど…あ、ありがとう、ありがとうございます』

 受け答えもしどろもどろで、スタジオの観客が騒ぐ度に、律儀に彼はお辞儀をしている。変わってない、変わらないでいてくれている彼に、泣いてしまいそうだった。

 『あはは、真面目だね…あ、準備出来たみたいだね。それでは、張り切って、どうぞ!』

 『は…はい。聞いて下さい。ラブソング』


 先ほどまで虫のようだった彼の声が、一気に、街の人々全ての足を止める、歌声へと化けた。歌詞は英語で、自分のつたない英語力では何を言ってるのか分からなかったが、愛しそうに、楽しそうに、歌う彼を見て、スタジオで、街で、赤い顔して聞いている女の子たち全員に、ざまぁみろ、と言ってやりたかった。

 彼には、もう決まってる人がいるのよ。あれは絶対、忘れてないわ。これで、満足か、馬鹿公彦。今、ニヤニヤしてどこかで聞いてるんじゃないかと思って、軽く腹が立った。

 それにしても-

 「また、上手くなったなぁ…」

 「そうだな、店で使わせてもらおう」


 「わきゃっ」

 突然すぎて、噛んだ。

 「若人!」

 「大きい声を出すな」


 そうだ有名人だった。深い帽子も眼鏡も似合わないが、間違いなく彼だった。泣くのが悔しくて、素早く顔を下げた。久しぶりすぎて何を話していいか分からず、最初に出た言葉は。

 「…ど、ドラマ、おめでとう」

 「………はぁ」

 盛大にため息で返された。


 「何よ、その態度!」

 「やはり書かれたか…プロデューサーがしつこかったから、話だけでも聞いてやっただけなのに。僕はもう目立つような仕事をしない」

 「うわ根拠ゼロ!あんなにでかでか雑誌載って、偉そうに…」

 この怒りも、この熱も、この声も、全て、何も変わってないのは、こちらも同じだ。

 腹が立つけど、その何倍も好きだ。


 「もう、知名度も十分だ。店を出した」

 「独立したの?」

 「ああ」

 「そ、か…」

 また別の意味で顔が沈んでしまった。若人はどんどん先へ行ってしまう。自分はまだ、今度テストどうしようと悩む、子どもだ。いつか自分が独り立ちするまで、彼に待っていてもらおうなんて、とても思えない。

 「じゃ、じゃあね。頑張ってね」

 このままだと余計なことを言う、逃げるように去ろうとした腕を、若人がそっと掴んだ。


 「顧客が100人ついてから、迎えに来ようと思っていた」

 「…え?」

 「君と僕に縁がある数字だ。もう、自信も実績もある。僕が言うことは決まっている。お客様、ご注文は」

 「…っ、若人」

 「残念だ、気が合うな」


 こんな王子様がこんなお姫様を迎えに来る話は、絶対に童話になんかならない。自信と実績を両親に叩きつけて、付き合いを承諾するまで、毎日自宅に通い詰める王子様なんていたらたまらない。

 私の王子様は、12時も、ガラスの靴も、待ってくれない。

 自分の自信がついたら、周りの環境も、条件も関係なしに、それこそお姫様の都合もお構いなしに、迎えに来る。

 そしてお姫様もお姫様で、この王子様と一緒にいたいと、何度だって、そう100回だって、願うのだ。

 例えまたこの体が、異形に堕ちたとしても。





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