ラブソング 7
「解決したらどうするんだ?」
「そうだね…」
若人を始め周りをまきこまないことだけに必死で、後のことは考えていなかった。百回怒鳴られても、例え叩かれても、彼の元に帰れたら、学校に行って雪香たちに会えたら、もうそれで十分すぎる。自分の幸せなんて、それで満たされるのだ。
なら、『公誓』は。
「…ねえ」
「ん?」
私はいいけど、あんたはどうなるの?
しかしそれは聞けない。聞いてはいけない質問だった。もし志誓が聞いていたら、想像するだけで震えてしまう。そしてその震えてしまう答えを予想してしまっている自分がもっと嫌だ。
聞きたくない、聞いてはいけないと思っているのに、唇が震えて勝手に最低な質問を紡ごうとしている。
「あ、あのね-」
「ひゃははははは!!」
頭上には悪魔が飛んできていて。
「危ねぇ!!」
気がつくと公彦に突き飛ばされ、自分は空をどこまでも、どこまでも落ちていっていた。驚くほど恐怖はなかった。それどころか、公彦がいなくなることの方がよほど恐かった。
「公ちゃ…公ちゃん!!」
「…っ、公ちゃん言うな馬鹿。じゃあな、お姫様」
抱きしめられた瞬間。
「いやあああああ!!」
鈍い音が、公彦の、志誓の背中を切り裂いた。
「…ぅ、ん…」
「…お、起きた」
「!?」
天使だ、慌てるように身構えると、相手の少年は慌てて両手を振った。
「待て待て落ち着け、俺はお前に危害を加えるつもりはないよ。上はあんたを追ってるみたいだけど」
「…え…?」
彼の言うことをもちろん信用できるわけがないが、こちらに何か危害を加えようとしているのならば、眠っている間も出来たはずだ。距離を取りながらも、警戒しつつ卯月が座り込むと、天使は苦笑していた。
眠っている間―卯月がばっと顔を上げた。周りをいくら見渡しても公彦―志誓がいない。
「公ちゃんは!?志誓君かもしれないけど!」
「え、な、何、2人?」
「いや1人なんだけど…」
ああもうややこしいなあ、焦ってしまうことと、短く上手く説明出来そうにない自分の頭の悪さが歯がゆかった。落ち着いて、軽く深呼吸して、卯月は頭を再度上げた。
「男の人と一緒だったんだけど。背の高い」
「いや、ここに落ちてきたのは君だけだったよ」
ほら、と少年が指さす方向へ顔を上げて、卯月は絶句した。小屋の屋根は、何かのコントのように、穴が大きく空いてしまっている。まさか自分が突き破って落ちてきたのか、敵ということも忘れ、思わず頭を下げた。
「ごっ、ごめんなさい!」
「いや、いいって。どうせボロボロだし」
ふと、自分の服に付いている血に気づいた。真っ赤に染みている血は、自分のものではないとすぐに分かった。生きているのだろうか。生きていて、くれているのだろうか。2人とも。
知らずに泣き出した卯月の向かいで、天使の少年は慌てていた。
「だ、大丈夫?ちょっと待ってね、今、タオル-」
瞬間、何だか鈍い音がした。自分はといえば、泣いてることに忙しく、すぐには何があったか分からなかった。涙をぬぐって、ようやく顔を上げると、目の前の天使の少年は、腕がなくなり、ぐったりしていた。
「 」
声なき声で叫んだ後には、天使たちがゆっくりと降りてきていた。
「見つけました」
「見つけました」
私を、匿ったせい?
彼の前にも、志誓が、公彦が、自分をかばって、確実に怪我をしてしまっている。そして恐らく、これから先も。
私がいては、駄目だ。
「大人しくして下さい」
言われる前に、卯月は両腕を差し出していた。
「いたたた…」
「いてて、どこだここ…」
2人が立ち上がると、そこは一面真っ暗闇だった。雪香と水無瀬が辺りを見渡すが、天使どころか、誰もいない。滝も見あたらない、はぐれてしまったようだ。
「ったく、使えねぇな…俺たちだけじゃどうしようもないじゃないっすか。ねぇ」
「そうだね…ていうか、あれからどうなったんだろう…連れてきてもらったっけ?まぁ、とにかく…これからどうしようか」
がしゃん!
「え」
「先輩!?」
何か音がして駆け寄ると、雪香の両腕には、銀の手錠が生えるように、しっかりと繋いであった。ふさわしくない感想だろうが、妙に美しかった。
「大丈夫っすか?」
「うん、痛くはないけど…どうしよう、これ。取れないや」
「無理に取ろうとすると、両腕が落ちますよ」
いきなり天使らしき男が現れ、水無瀬が慌てて雪香の前に踊り出た。優男だったが、違う生き物というだけで、戦闘力の判断が付きづらい。そしてやはり、別の生き物というだけで、恐い。
「どうしました、震えてますよ」
「うっせぇな、先輩を離せよ。何の真似だ」
「何の真似も何も…あなたはご存じないんですか?ご本人もきょとんとしているようだ」
「え?」
「お忘れですか?100人以上も人間を殺めたと言うのに」
水無瀬は絶句し、雪香は何度か瞬きを繰り返し、そして、やがて、記憶が壊れたビデオフィルムのように、再生され、巻き戻され、時には早送りされ、少しずつ、蝕むように思い出していった。
手荒な真似こそされなかったが、手足は拘束され、天界らしきところへ連れて行かれた。想像していたよりもずっと近代的な街で、羽が生えている以外は、ごく普通の町並みだった。
その最深部へと連れて行かれると、こんにちは、と男が微笑んできた。驚いて声が出そうになった。滝そっくりだった。しかし声から、雰囲気から、滝ではないことが分かった。
「今まで我々の仕事を手伝っていただき、ありがとうございました。しかし、もう十分だ。あなたはもう、十分すぎた。このままでは、完全に人間でなくなってしまう。そうなれば、私たちが消さなければならなくなる可能性もある」
「私はただ…周りの人を助けていただけで」
「それが悪いと言っているわけではありません。しかし、私たちは、あなたたちの世界を守る義務がある。普通に起き、普通に寝ていく人生を送っていただくように。君のような力が在っては難しくなるのだよ。全く、年々願いが具現化してきてとんでもないことになってきている…極めつけが君と、そして彼だ」
「…っ、志誓君!」
駆け寄りかけたが、周りに止められてしまった。離して、無駄だと思ったが、何度も叫ばずにはいられなかった。呼吸はしているようだが、背中に酷い傷がある。
「彼は…彼こそ被害者じゃない!悪魔に契約させられて、それだけで…好きな人と一緒にいたいだけなのに!」
「そう。好きな人と一緒にいたいだけ。それだけで、世界の均衡が崩されては困る。人間は人間として、生きていかなければならない。あなたは、その剣が生えてくるまで、黒星…化け物に襲われたことはありますか?」
「…いいえ」
「そう、それが自然、それが当然なのです。いつまでも、戦えてはならない。いつまでも、死人と一緒にいてはならない。あなたから力を奪います。正直に申し上げて、命の保証は出来ません。しかし拒まれた場合は、あなたをどこまでも追いかけます。周りを巻き込んででもね」
「…どう、して…どうして、そこまでして…そんなに普通が大事ですか?理解できない」
「そういうものでしょう。天使はこういう生き物なのです。あなたは空を飛べますか?記憶を消すことが出来ますか?出来ないでしょう。分からないでしょう。それが、別々に生きるということなのです」
駄目だ、話が通じる相手ではない-卯月はぎゅっと拳を握った。強がりだと馬鹿にされても構わない。死への恐怖はなかった。しかしそれでも、死んでしまえば、その後、若人たちの安否は確認できなくなる。無事に帰れたかどうか確認する前では、死んでもしにきれない。
「どうしますか」
しかし、周りは敵のみ、おまけにこうして手首を捕まれたままでは、とても逃げることは出来ない。質問されたが、もう選択肢はないに等しかった。卯月が頷くと、周りの天使たちがいなくなった。滝に似た男だけになった。
「では、服を脱いで」
「…え?」
「早く」
さすがに卯月が躊躇していると、後ろから聞こえてくる足音に、泣いてしまいそうになった。
「女性にそんな口を聞く子に育てた覚えはありませんよ」
「…滝さん!」
「すいません、遅くなりました」
何だかもう何百年も会ってないような気がする、泣きながら抱きつくと、彼は軽く抱き返し、そしてすぐに卯月を背中の後ろに隠した。男は滝を見るなり、大きく笑った。
「これはこれは、お爺様。随分若く化けましたね」
「…っ、お、お爺様?」
年上だとは思っていたが、まさかそれほど上とは思わなかった。しかし微笑んでくれる滝は、いつものよく知ってる滝のままだった。年など、どうでもよかった。
「彼女に近づく必要があったのでね」
「それで?彼女に恋でもしましたか?」
「いや?けど、な。こんな若い女の子一人、野放しに出来んような平和なら、要らんと思ったよ」
滝の言葉が少しずつ、老人のような声に変わっていき、そして、いつの間にか、彼の髪の毛は真っ白になっていた。
「お前も、こんな狭い世界にいないで、少しは広い世界を見なさい。人間はどうしようもないものだが、だからこそ、愛しいんだよ」
「何ですか、それ」
どうしてこの男がこんなに近くにいるのか、卯月が叫ぶより早く、滝の胸元は男に貫かれていた。
「滝さん!!」
抱き起こした滝は老人そのもので、驚きを隠せなかったが、それでも、泣くことは出来た。どんなに年老いても、この匂いも、この体温も知っている。
「やれやれ…やっとお荷物がなくなった」
卯月が男を睨み上げ、彼は構える。剣でも出すと思ったのだろう、しかし卯月は、衣服を全て脱ぎ捨てた。
「どうぞ。何をするのか分からないけど」
「では、遠慮なく」
瞬間、男が卯月を押し倒した。性的恐怖など、産まれて始めて味わった。
振り返るのが恐かった。雪香にどんな顔をして、どんな声をかけていいのか分からなかったからだ。それでもいつまでも背を向けているわけにもいかず、震えながら必死で振り返ると、そのまま、引き込まれるように見入った。
人が、壊れていくのを始めて見た。
「…っ、先輩!!」
目は開けているが、雪香の目の焦点が合っていなかった。いつの間にか水無瀬は泣いていて、涙が、雪香の顔に何粒も落ちていった。
「何で言うんだよ!何でだよ!」
「罪を忘れ、のうのうと生きているのが正しいと?」
「そうじゃねぇって言いたい気持ちも分かるよ!分かるけど!それでも、卯月は、俺たちは…この人に、笑っててほしかったんだよ!」
正義って、何だろう。罪って、何だろう。
確かに雪香は犯罪者かもしれない。なら、一緒に忘れたふりをして、一緒に笑っていた俺たちは?