ラブソング 6
公ちゃんのところに行きたいと思ったけど、後は追えなかった。僕はどこまでも臆病で、子供だ。ようやく動けるようになった時、彼はもう、骨だけになっていた。僕が動けるようになるまで、と友人の何人かが気を使ってくれたらしいが、ご両親が反対したらしい。それはそうだろう。恐らく友人の一人だと思っている、こんな男一人の為に、公ちゃんの安らかな眠りを妨げるわけがない。そんなご両親のわけがない。あんなに素敵な人を、僕にくれた。
そして、僕がそれを奪った。
「…う…」
何もないよ。写真だけだよ公ちゃん。これじゃあ、ギターも弾けない。何か弾いてよ。また、ライブハウス連れていってよ。今度は海の見えるところがいいって、言ってたじゃん。
「…っ」
公ちゃんの位牌を抱いて、一生分泣いた。泣き疲れて目を覚ますと、いい加減、体を起こした。瞬間、何だか違和感はあったが、疲れているだけだろうと、この時はそう思っていた。
翌週あたり退院できそうだねと医者が告げてくれた頃、ライブ仲間たち数人が見舞いに来てくれた。みんな笑っていたが、どこか不自然だった。彼らは自分よりもずっと公彦と付き合いが長い。僕を少なからず恨んでいるか、もしくは、僕の命そのものを妬ましく思っているのだろう。
それでも彼らは笑うから、僕も笑う。
彼らが帰る間際、わざとらしく思い出したように、ギターを取りだした。
「これは?」
「公彦が前に使ってたもんだよ。俺たちより、お前が持ってる方が、あいつも嬉しいだろう」
「…ありがとう」
「いや、いいって。じゃあ、な」
「うん。さようなら」
また、とは言わなかった。なんとなく、もう二度と会わないことは分かっていた。公彦のギターを抱き、なんだか無償に弾きたくなった。彼の見よう見まねで弾いてみよう、となんとなく思ったのだ。
自分でも、驚いた。弾ける。公彦のように。この指使いは知っている。これでは真似ごとではなく、公彦そのもののようだ。
団体部屋に移された僕の周りには、いつの間にか子供たちが集まっていた。ヒーローものや流行りの歌をリクエストされるが、とても弾けない。しかし指がもう勝手に踊り、あとはもう、歌うだけだった。
よかった、音痴だけは譲ってないみたいだ。笑えて、そしてまた少し泣いて、そしてまた、僕は街へ行った。前とは違うところで演奏して、そして、顔を覚えてもらう頃、また場所を移動して、を繰り返していた。もう音楽で知り合いを作る気にはなれなかったのだ。もう公彦のようなことはたくさんだ。あれから何度かプロへ誘われたが、断り続けたら、もう声はかからなくなった。
「よう」
歌が終わって声をかけてきた人物に驚いた。よくライブ会場を手配してくれていた、バーのマスターだった。
「お久しぶり…です」
「だな。はは、相変わらずでかいな。よかったよ、お前、歌ってて」
「…です、かね」
彼は遠からず公彦を悼んでくれているのが分かっていた。それを直接聞きたくなくて、足早に去ろうとしたら、彼に呼びとめられた。
「なあ、お前、まだ中学生だろう。これからいくらだってやり直せる。音楽やるならやる、やらないならやらない、はっきりしないと、おじさんみたいになるぞ」
「…はい」
自分でも、空返事の自覚はあった。いつまでも公彦の形見と音楽を奏でいたのに、時間は勝手に進み、色んなことを迫ってくる。進路を、そろそろ、決めなくてはならない。
音楽をやっていることはいい加減両親にもばれて、母はすっかり自分のファンになってくれていて、CDいつ出すの、なんて言ってくれていて。父も父で、高校くらいは出なさい、なんて、最近は言ってくれるようになった。
音楽、高校、全然、ぴんとこない。公彦がいない未来は、何もしっくりこない。
「…公ちゃん」
会いたい。会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい。
「-え?」
赤信号がいつまでも青くならないなぁ、とのんびり待っていて、違和感に気付いた。いくらなんでも遅すぎる、と思っていたら、違うのだ。自分以外、世界が制止している。
「みぃつけた」
驚いて顔を上げると、そこにはさかさまに宙に浮かぶ男がいた。すぐに人間でないことは分かった。人を呼ぼうにも、世界は自分以外制止してしまっていた。公彦がいなくなった世界で死ぬのは怖くないつもりではいたが、情けない、震えが止まらなかった。それでもなんとか、声だけは出せた。これくらいの度胸ならなんとか、ライブでついた。
「…あなたは…?」
「悪魔ちゃんでーす」
「あく、ま?」
それはまたずいぶんファンタジーな、呆けた自分が、少しずつそれを信じていった。彼はいつまでも浮いているし、広がるように彼を支える漆黒の羽は、作りものには見えなかった。
「おめでとぉ。君が鬱陶しく願い続けた甲斐あって、君の願いは叶えたよ」
「え?」
何、この男は何を言っているんだ。
「ただし、タダってわけにはいかないからなぁ。もらうよ。君の精神を、半分こ」
「…え?」
-どくんっ!!
熱い。痛い。でも嬉しい。それはまるで、公ちゃんに初めて触ってもらった夜みたいだった。
気が付くと悪魔と名乗った男は消えていて、入れ違うように、今度は白い羽を生やした男たちが現れた。彼らは自分を見るなり、巨大な鎌を振り上げた。
「失礼、あなたの中の精神を取り除きます」
「…は?」
「あなたは悪魔と契約させられています。そのままでは、私たちが処罰することになってしまいます。あなたに危害は及びません。あなたの中の、余計な精神を、取りはらうだけです」
「せい、しん?」
余計、余計、あるはずのないものが、この中に、あるのか。
「…公、ちゃん?」
ギターが弾けるようになった指。少しだけ猫背が直った背中。なんだかブロッコリーがいきなり食べられなくなった味覚。
「…公ちゃん」
そこに、いてくれてるの?
瞬間、走り出した。
「お待ちなさい!」
体の中に公ちゃんがいるかもしれない、否、絶対いる。そう信じて、走り出した。これを奪わせるわけにはいかない。例え、悪魔との契約でも。
「止まりなさい!」
白い羽―恐らく今度は天使だろう、天使が鎌を振り上げた。僕は公ちゃんがいるかもしれない胸を抱きしめ、うずくまった。
「…っ、あーあ…ずっと我慢してたのによぉ」
自分の口から、公ちゃんの声がした。自分の体が言うことを聞かなかった。それでも、泣き叫ぶほど、幸せだった。
-公ちゃん!公ちゃん!
「はいはい、うるせぇな、俺も会いたかったよ…ったく、馬鹿が。俺なんかに惚れやがって。悪魔と契約するか普通」
動かない自分の足を見て、酷く焦った。なぜ逃げない。
-公ちゃん、早く逃げないと!殺されちゃうよ!
「もう死んでるっつうの。いいよ、お前、もう。俺なんかいたら、邪魔なだけだ」
-勝手に決めるな!
「…っ、おお!?」
「―!待て!」
勝手に走り出す足に焦りながら、『公彦』が、天使に追いかけられている。
「待ちなさい!」
「いや、俺は待ちたいんだけどさぁ…」
苦笑しながら、『公彦』が自分の足元を見る。すごい精神力だ、今は自分の方が優勢なはずなのに、志誓の強い思いが、走らせている。
「誓、もういって。無理だ、あいつら敵に回すのなんて」
-嫌だ!!
「あいかわらず頑固だなぁ…愛してるぜ」
『公彦』の足が、止まった。鎌が、振り下ろされる。
-公ちゃん!!!
彼を。彼をもう一度失うくらいなら、思った。消えればいいって。シンデシマエバイイ、って。
気が付いたら、目の前には、鳥の死骸のように、天使が横たわっていた。そしてその上からは、耳触りな笑い声と供に、黒い羽がいつまでもいつまでも降り続けていた。
公園でブランコをこいでいると、耳の奥から、ずっと公彦の声がしてきた。
-お前さ。悪いこと言わないから、今すぐ、天使たちにスライディング土下座してこい。連中だって鬼じゃない、まさしく天使なんだし?俺に操られてたとか上手いこと言えば、なんとかなるだろう。同胞殺しは、本当に死ぬ気で探すと思うぜ。
「…公ちゃん」
-ん?
「僕の気持ち、分かってるでしょう。どうせ」
少し間が空いて、耳の奥から大きな笑い声が聞こえた。
-じゃあ、いつか殺されるまで、暴れてみますか。
「うん」
もう抱きしめてももらえないし、二人一緒にいることは敵わないけど、泣きたいほど幸せだった。けどそれは間違ってるかもしれない、本当は、僕が公ちゃんを縛り付けてるかもしれないって。
-公誓君。
君の綺麗な笑顔を見て、そう思ったんだ。
話を聞き終わり目を開けると、知らず、自分は泣いていた。涙をぬぐうと、自分は公誓の肩を掴み、まだ空を飛んでいた。今はどっちかなんて、すぐに分かった。そして彼の嘘にもすぐに気付いた。志誓は公彦を無理やり精神に置いたのではない。悪魔が勝手にそうしたのだ。どうしてそんな優しい嘘をつかなければならいのか、答えは簡単だった。
「一つだけ、教えてくれる?」
「なんだよ」
「誓…志誓君のこと、本気だったの?」
「遊び、だったよ」
「…嘘ばっかり」
そんな泣きそうな顔をして。卯月が軽く肩を叩くと、公誓が睨みあげてきた。
「いいんだよ、それで」
彼はきっと、自分から志誓を解放したいんだ。志誓を傷つけてでも。志誓が誰より大事だから。守りたいから。けどそれは、大人の勝手な言い訳だ。
「志誓君の気持ちはどうなるの」
「うるせぇな、子供は黙って大人の言うこと聞いてればいいんだよ」
「大人はいつも決めつけて、子供の気持ちなんてちっとも分かってくれないじゃない」
「あーーー、うるせぇうるせえ。これだからガキは嫌いなんだよ。大人の言うことに間違いは」
「じゃあ、私がずっとここで、志誓君といちゃいちゃしてていいのね!」
それはまるで小学生みたいな脅し文句で、自分で恥ずかしくなる前に、公誓が大笑いした。
「無理だ、あいつ、俺にベタ惚れだからな」
「あんた本当に腹が立つ!」
「褒め言葉だよ、それ。あんたもさ、失恋してここにきたんだろう」
「え?」
「そういう顔してる」
どういう顔だよ、思ったが、すぐに言い返せなかった。完全に外れてはいないが、当たってもいない。失恋もさせてくれなかったのだから。
「さて、お姫様。困ったことになったぜ」
「何が?」
「お前の魂の匂いによく似てるやつがうろうろしてる。1、2…3?か?こりゃ大所帯だな」
何の話、雲をかきわけ、何かを見ている公誓をおしどけ、思わず目の前の光景を疑ってしまった。どうして、雪香が、水瀬が、滝が、そして、若人が、いる、いて、くれているんだ。
「…知り合いか」
「…うん」
「助けに来てくれたってか。はは、本当にお姫様みたいだな」
「五月蠅い」
彼方の奴め、失敗したな。後で、いっぱい怒ろう。そして、私もいっぱい怒られよう。もう二度と会わないと強く決めたくせに、ほら見たことか、今すぐ、全員を抱きしめたくて、たまらない。