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若人の章


 「ね、ねぇ、あれ、ワカ様じゃない!?」

 「えー嘘っ…って、マジじゃん!やば、超かっこいい!ねぇ、写メってもらおうよ!」

 「きゃあ、こっち見たぁ!」

 五月蠅い。

 「こんにちは。お嬢さん方…少し、毛先が跳ねてますね。今度、是非、私の店にいらしてくださいね」

 「はい!」

 「あ、あの…写真、一枚だけ…」

 「…参ったな。私でいいんですか?」

 笑えば悲鳴が上がる。写真を撮らせてやれば舞い上がる。店に来いと媚びればいくらでも金をばらまく。女という生き物は実に愚かだ。そしてそれにいちいち面白くなさそうにする男はもっと愚かだ。

 

 人はよく、僕に運があるという。高い身長、人目を惹く容姿、器用な手先。特にこれといった努力もなく、何気なくなった美容師で、あっという間に人気カリスマ美容師、など妙な肩書きが付いた。

 冗談でも何でもなく、いい寄ってくる女は履いて捨てるほどいた。笑って優しくすれば勝手に勘違いして勝手に好きになり、そして勝手にその妄想を加速させていく。

 影で騒いでいるだけなら害はそれほどないが、どこの世界にも過激派というのはいる。帰り道を尾行する、家に侵入しようとする。正直そこまでいかれると面倒なので、抱けば満足なら抱いてやらないこともなかったが、残念ながら。


 -お兄ちゃん。

 

 俺は産まれてからずっと、妹にしか欲情したことがなかった。

 そして。


 「…うん。やっぱり違う。あなたいつも予約でいっぱいだから、この前我慢できなくて、つい浮気しちゃって…でも、やっぱり駄目ね。あなたじゃないと駄目ね。あなたのハサミの動き、他と全然違うもの」

 「ありがとうございます」

 「ねぇ、何を考えながら切ってるの?」

 「どうしたらお客様が、より美しくなるか、ですよ」

 「もう、またそういうこと言う」

 教えてやろうか。何を考えながら切ってるか。

 お前のその首を、どんな風に切り刻んでやろうか、ずっと想像しながら切ってるからだよ。


 でも、痛くはしても、殺してはやらないよ。

 妹以外は、殺してやらないよ。



 妹は、俺が6歳のときに産まれた。生まれつき体が弱く、入退院を繰り返していた。外にあまり出れず、当然ろくに学校に通えない中友達もなかなか出来ず、すっかり僕にべったりだった。

 両親はといえば、別に問題はあったわけではない。むしろ、妹のために働き続ける姿勢は尊敬さえした。そのせいであまり妹に懐かれないのは気の毒でさえあったが。

 体が弱く、一人で何も出来ない、弱く可愛い、僕だけの妹。僕を見れば騒ぐ女子と、それをいちいち妬む男子、なんともくだらない世界の中で、彼女だけが僕の全てだった。彼女が笑えば、世界が少しだけ明るいものに見えた。


 最初に違和感があったのは、僕が中学生のときだ。突然高熱を出したような衝動に襲われ、妹のことを考えながら自身を慰めてしまった。

 戸惑いしかなかった。実の妹に欲情するなんて、何を考えているのだろう。当時はかなり気が動転してたのだろう、クラスの中で比較的仲のいい男子にぶちまけてしまった。

 すると彼は悲観するでも馬鹿にするでもなく、笑ってこう言ってくれた。

 -俺もエロ本のネタ切れで、姉ちゃんの下着で抜いたことあるぜ。


 そうか誰にもあることなんだ、とほっとした当時の自分はなんと浅はかだったんだろう。翌日学校に行ってみると、黒板に刻まれていた文字に、僕は軽く絶望した。

 -王子様は、毎晩妹で抜いてます。

 ばれたことよりも、その事実を漏らしてしまったことを、どこまでもどこまでも後悔した。


 噂はどこまでも広まり、教師に呼び出された。彼は気にするな、と慰めてくれただけだった。噂を微塵も信用してないようで、多少は救われた。成績が上位だといいこともある。

 両親もその噂をどこからか聞いたのだろう、さすがに信じはしなかったようだが、妹と僕の部屋を離してしまった。


 僕は怒った。たまに病院から帰ってきた妹と、朝が来るまで話すのが楽しみだったのに。両親はいい機会だからと宥めたが、僕の怒りは収まらなかった。

 しかし妹に欲情していることを悟られたくはなく、僕は結局、折れた。妹と離れた部屋はあまりにも寂しく、どんなに日を入れても、僕の視界が晴れることがなかった。

 けど、その寂しさも、怒りも、全て無意味に終わった。妹が家に帰れることはなくなった。


 

 彼女が次の春まで生きられないだろうという話を聞き、母は泣き崩れ、父は膝をついた。そして僕はといえば、ただ、怒っていた。街を平和に歩いている全ての人間が憎かった。あいつら全員殺して、その分の人生が、妹に与えられたらいいのに。


 妹の集中治療が始まった。彼女は毎日チューブに繋がれ、か細い呼吸を必死で続けていた。苦しそうな彼女を見て、両親は、担当医師と、泣きながら安楽死の相談をしていた。

 僕はそれを止めるにはあまりにも無力で、このまま妹と逃げてしまおうか、なんて馬鹿なことを一人で思い描いていたが、彼女の体力と自分の金銭を考慮して、そんな考えはすぐ消えた。子供のくせに無謀にも、馬鹿にもなれなかった。

 

 ふと振り返ると、彼女が笑っていた。そして手を振っていた。僕は始めて、彼女の為に泣けた。


 その夜、僕は彼女を抱いた。

 彼女は何をされてるか分からない様子で、それでも嫌がるでも怖がるでもなく、ただ淡々と、僕の熱を受け入れ続けた。


 翌日、少し顔色がいい彼女が告げた。

 「よくなったら」

 彼女は、自分の病気を知らなかった。

 「よくなったら、好きな人が欲しいな」

 彼女は。

 僕の気持ちを、知らなかった。


 気がついたらチューブを抜いていた。彼女の心拍数がどんどん乱れ、僕が慌ててチューブを戻そうとすると、それを握りしめて止めたのは、彼女の細く白い手と彼女の笑顔だった。


 

 彼女は自殺ということで片付けられてしまった。僕が殺したとどんなに泣き叫んでも両親は抱きしめてくれるだけだった。

 僕は罪人になりたかった。妹を殺した罪で閉じ込められたかった。一生、彼女の名前と一緒にいたかった。

 「時計!!」

 同級生に馬鹿にされたこともあるんだ、と気恥ずかしそうにしていた彼女の名前。珍しい名前。けど僕は知っていた。両親がその名前に込めた意味を知っていた。

 いつまでも、時間を止めてでも、君と一緒にいたかった。

 僕は出来れば、君の兄になりたかった。



 「…ワカトさん?若人さん」

 僕がはっと我に返り微笑んで、ブローの仕上げに入ると、彼女は歓声を上げた。

 「すごい、綺麗。さすが若人さん」

 「お客様の髪が素直だからですよ」

 

 客は嫌いだが、仕事は好きだ。懸命に働いていれば、少しでも時計のことを思い出さずに済むから。

 

 「…あの、若人さん。この後…その時間ありますか?よかったら…」

 けど。やはり客は嫌いだ。

 早く帰れ。傷をつけるぞ。



 「申し訳ありませんお客様。この後、後片付けが-」

 作り笑顔が失敗したのは、ずいぶん久しぶりだった。


 「時計?」


 嘘だ、と最初に思ったのに。名前を、呼んでしまった。そこにいるのは確かに時計だった。微笑んで立っている時計だった。

 呆然と立っている僕の目の前で、つまらそうに口をつぐんだ女性客が無言で帰っていくが、今はそんなことが問題ではなかった。

 彼女はそのまま笑って近づいてくると、小さい背を懸命につまさきで伸ばし、僕の唇に近づこうとした。

 「何のつもりだ」

 我に返れたのは、助かった。力任せに顔を掴んで止めてやるが、彼女は痛がる様子もなく、ただ微笑んでいた。

 「誰だ、お前は。僕の妹はこんなことはしない」

 

 「誕生、失敗しました」

 

 機械のようなしゃべり方なのに、その声色だけで心臓が跳ね返った。情けない話だ。妹の声と姿がここにあるだけで、こんなにも熱が上がる。

 「私の名前は、時計ですか?」

 「違う、それは妹の名前だ」

 「私は女で、合ってますか?」

 「知らん、さっきから何の話-…」


 妹の体が急変するのを見るのは二度目だったが、本物よりも驚いた。生身の人間だと思っていたものが、あっという間に液体へ変わっていった。そしてそれはゆっくりと固体へ変わっていき、様々な姿になっていった。

 目を疑いながらも、ただじっとその様子を伺った。

 

 それは最初母になり、そして父になり、そしてどんどん、見知った顔になっていった。僕を見て騒いでいた女子、それに妬んでいた男子、そして僕を裏切った級友、妹の担当医師、専門学校時代の級友、店のスタッフ、客、また客、そして今日の客-…

 めまぐるしく性別、体型を変えていきながら、次に瞬きをすると、それはようやく妹の形に落ち着いた。

 「これが一番、強いね」

 「何がだ」

 「あなたの思いが」

 「思い?」

 「あなたが殺したいと思った人が100人になってね、私が産まれたんだよ」

 だから一体何の話だ、より困惑する僕の耳に、信じられない歌声が響いた。


 「ハッピバースディトゥーユー ハッピバースディトゥーユー」


 静かな歌声に動揺した。言うまでもなく今日は僕の誕生日ではないが、僕は妹に誕生日を祝われる機会はなかった。よく分からない羞恥と嬉しさと、騙されるなと拒絶する理性との間で、脳がぐちゃぐちゃになりそうだった。

 そして彼女は笑って、僕の手を取った。彼女の肌は一度触れただけだったが、その感触は明らかに違うと自信があった。

 こいつは妹じゃない、激しくはねのけると、彼女はやはり笑っていた。

 

 大きな違和感に翻弄され、少し落ち着けると、ようやく小さな違和感に気づけた。

 彼女の表情は変わっていない。まるで写真のように、ずっと笑い続けていた。そしてこの笑顔は、僕が最後に見た彼女の笑顔に違いなかった。

 

 彼女ではない。彼女の亡霊のわけもない。亡霊なら、もっと早く会いに来たはずだ。では彼女は何だ。

 

 「…君は一体、何だ。僕が人を100人殺したいと思ったから、なんだって言うんだ。僕に何の用があるんだ」

 「そんなに人を殺したいなら、私と一緒に行こう」

 「どこへ」

 「早く行こう」

 「待っ」


 止める声も聞かず、瞬間、僕の意識は飛んでいた。



 翌日、僕が消えたニュースは一斉に流れた。そしてそれに便乗するように女子高生が消えたニュースも流れていた。成人男子の失踪も、女子高生の家出騒動も、よくありそうな話だったが、たまたまこれといってニュースもなかったため、連日これでもかと騒がれていたらしい。

 らしいというのは、僕も彼女も、当時そんなニュースを見ていなかったからだ。


 自分の置かれた状況も分からず、ただ眠っていた。

 やがて覚醒する、非日常へ向けて。


 

 

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