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里帰り 2


 ごめんなさい、叫びたい喉は言うことを聞かなくて、すぐ前を歩いているはずの若人の背中はなんだかとても遠くて。泣きそうになったとき、ふいに向こうから女性が手を振っていた。

 どことなく若人の面影がある女性は、すぐに若人の母親だと分かった。慌てて慣れないおじぎをすると、彼女はあら、と笑ってくれた。

 「お帰り若人。疲れたでしょう…え、と、このお嬢さんは?以蔵ちゃんのお友達?」

 「いえ。今、一緒に暮らしてる子です」

 若人の台詞は短く的確で、逆に言えば言葉が少なすぎて誤解を呼ぶのは十分だった。固まってしまった彼女の横で、卯月は怒ることもできず、一緒に固まってしまった。



奥で男性の怒鳴り声が聞こえる。きっと若人の父親が若人を叱っているんだろう、止めに入りたいが自分が行っては余計に場を悪化させるだろう。けどそれでも落ち着かない、そわそわしている卯月の元へ、若人の母親がお茶を持ってきてくれて、慌てて姿勢を正した。

 家の事情で若人に養ってもらっているという話を、彼女はびっくりするくらい簡単に受け入れてくれた。一瞬彼方の力だろうかとも思ったが、彼女は本当に理解してくれたらしい。驚いてはいたようだが。

 「大変でしょう、若人と暮らすのは。あの子、気むずかしい子だから…」

 「いえ、よくしてもらってます」

 若人の性格が変わっているのは本当だが、自分も人のことは言えないし、それに彼の優しさは十二分にもらっている自惚れはある。

 「そうね、若人も楽しそうだし」

 「た、楽しそう…ですか?」

 自分と暮らしていて若人は楽しいのだろうか、思わず真剣に考えてしまった卯月の向かいで、母親は声を出して笑った。

 「分かりづらいからねあの子は…でも、ありがとう。あの子の側にいてくれて。私たちは遠くに暮らしていて、何も出来ていないから」

 「そんな」

 自分は育ててくれた両親よりも若人を望んでしまった最低の子どものくせに、彼らから愛をもらって育ててもらったことは自信がある。自分のことは忘れてしまっていても、好物だと思い込まれていた食事を彼方に与えていること、そんな小さなことで、もうどこにもないはずの愛を信じたくなる。若人だって、彼からは両親の話を聞いたことがないが、彼の優しい目が、愛されて育って出来たものだと、そう思わせるには十分だった。

 「若人が優しいのは、お母さんの愛情がよかったから」

 彼女がきょとんとなり、顔から火が出るかと思った。いくらなんでも生意気すぎた。どもりながら必死で謝る言葉を探していると、大きく笑ってくれた。

 「ありがとう、そう言ってくれると、少しは救われるわ。もう若人しかいないもの」

 「え…?」

 じゃあ、妹さんは、という質問をしようかしまいか迷っていると、ふと不機嫌そうに若人が帰ってきた。そしてその後ろには、若人の父親だろう男がまた不機嫌そうに現れた。母親とは対照的に、顔全体から厳しさが伝わってくるような男性だった。卯月が自分の出来る限りで頭を下げると、彼はこちらをじっと見て、そしてため息をついた。若人と似てるため息だった。

 「可愛いらしいお嬢さんだな…卯月さん、と言ったか」

 「はい!」

 はじめまして、の声は小さい代わりに、返事はものすごく大きくなってしまった。恥ずかしくてたまらない卯月の向かいで、彼は全く気にしていない様子で話を進めた。

 「君の事情は詳しく追求しないが…年頃のお嬢さんが、若い男と一緒に暮らしているというのは環境がよくない。私は比較的、この近辺では立場がある方だ。君さえよければ、近くの寮に住まわせることが出来る」

 「え…と」

 言ってることは正しいが、突然の話についていけない。否、ついていきたくないの方が正しいか。困惑する卯月の正面で、彼は更に話を続けた。

 「一人が不安ならば、うちに下宿するといい。部屋なら余っているから」

 「あなた」

 彼女がたしなめるように言ってくれるが、彼女もなんだかどこか嬉しそうに、よかったらそうしたら、と呟いた。好意はありがたいが返事が出来ない卯月の後ろで、若人の盛大なため息が聞こえた。

 「はっきり言ってやれ、卯月。枯れかけの夫婦の孫代わりにさせるくらいなら、僕の部屋の方がまだマシだと」

 「え」

 「「若人!!」」


 

 それからほどなくして食事となり、父親から怒られながらお酒を飲んでる若人はどこか子どもの顔に見えて、笑いをこらえるのが必死だった。

 若人の母親はどんどん料理を持ってきてくれて、美味しくてお腹いっぱいで倒れそうだった。若人の器用さは彼女に似たのだろう。

 宴会のような食事が終わり、楽しさに酔いながら廊下へ出ると、ふと若人と二人だけになった。楽しい雰囲気から急に解き放たれ、緊張が走った。

 「あの…」

 聞きたいことはたくさんある。初恋のこと、そして妹さんのこと。聞きたいけど、けどそれは聞いてはいけないこと。けどそれでも、聞きたくてたまらなくて。そして昼間のことを謝りたくて。

 卯月が必死で言葉を探していると、向かいの若人はいつもの調子で、そしていつもの声だった。

 「すまなかったな。やかましい両親で」

 「…っ、う、ううん。楽しいよ」

 「そうか。よかった」

 そう言って笑ってくれた若人はどこか寂しそうで、無理をしていることくらいは分かった。言葉は見つからず、どうしようもなく、ただ手を握った。若人は少し驚いていたが、離しはぜず、ただじっとこちらを見ていた。

 「あのね。若人。何かあったら言ってね。私何も分からないし、何も教えてあげられないけど…一生懸命考えるから。だから、一人で泣いたりしないでね」

 そう言った瞬間、完全に自己満足だが、少し心が軽くなった。言いたかったことが半分でも言えた、そして、自分のしたいことが分かった。ずっと自分が不安だった理由が分かった。ここに着いた頃から、若人はずっと、笑いながら泣いてるように見えていたんだ。

 「それなら、腕枕でもしてくれるのか?」

 からかうような若人の口調に一瞬どういう意味か分からず、卯月はゆっくり考え、そして真っ赤になった。

 「すけべ!」

 「なんだ、何も言ってないぞ。何を考えていた」

 「…っ、馬鹿!!」

 あらかじめ案内されていた客室に閉じこもると、若人の笑い声が聞こえた気がして、ふすまの向こうから睨みつけてやった。そして照れが少し引き、また気持ちが沈んでいった。やはり、話してはくれないのだ。何を期待していたんだろう。

 ゆっくりと布団を敷いていると、ふとふすまの向こうから間の抜けたノック音が聞こえていた。はい、と返事すると、思いもしなかった人が立っていた。若人のお母さんだった。

 「ねえ、よかったら並んで寝ていい?」

 「は…はい」

 


 思わず緊張して身を固くする卯月の隣で、横になった彼女はまるで学生のようにはしゃいでいて、緊張はあっという間に揺らいでいった。

 「ごめんなさいね、女の子なんて久しぶりで。おばさん嬉しくて」

 「いいえ」

 「あの子も大きくなってたら、こんな風に、一緒に寝て、彼氏の話でも出来たかしらね」

 卯月が思わず体を横にして彼女の方を見ると、彼女は照れたように笑った。

 「若人から聞いてない?あの子の妹…私の娘を亡くしてるのよ」

 「そう…なんですか」

 ある程度予想はしていたが、亡くなってしまっているんだ。昼間の若人の言葉とその事実が平行し、ゆっくりと卯月の胸が締め付けられていった。

 「病気でね…かわいそうだった。若人もすごく落ち込んで。だから、家を出るって聞いたときも、あまり反対しなかったのよ。以蔵ちゃんも近くにいるって言うし、ここには、あの子との思い出が詰まってるから」

 若人は、どんな気持ちで、家を出たのか。想像するだけで胸が痛くなった。そのときの若人の側にどうしていなかったのか、嫌になるくらい悔しくなった。けど、いたところできっと何もできなかっただろうと思って、余計に胸が痛くなった。 

 「でも寂しくてね…だから、私、以蔵ちゃんが女の子になるって聞いたとき、なら若人と結婚して、うちで暮らしちゃえばって言ったのよ」

 「………はい!?」

 胸の痛みが一瞬飛んだ、そろそろお母さんの顔を見ると、彼女はどこまでも本気らしく、なぜか誇っているようでもあった。

 「そしたら若人に怒られちゃったのよ。若人、彼女出来ないみたいだし、ちょうどいいと思ったんだけどなあ」

 「…っ」



 一階から卯月と母親の大きな笑い声が聞こえ、思わず立ち止まったが、さすがに覗きには行かなかった。女の子がいることをあんなにも喜んでいる母親を責める資格など、自分にはない。

 この世界から彼女を奪ったのは、自分だから。

 久しぶりに戻った自室は、恐怖が走るほど当時と一緒だった。下を向けたままだったはずの妹の写真が、きちんと立てられていること以外は。

 もう、写真を見ても、当時ほど心が揺らぐことはなくなった。罪の重さが薄れていくが怖い。彼女を、忘れてしまうのが怖い。彼女の声も、顔も、仕草も、薄れていってしまう。

 どんな声だった。どんな顔だった。どんな風に動いてくれていた。

 違う、こんな声じゃない。こんな風に元気に動かない。誰だ。君は誰だ-…


 -若人!お腹空いたぁ!


 「…ぅ、づき」

 待ってろ、今、何か作るから。

 そう小さく呟いた若人は倒れ込み、そのまま寝てしまった。



 翌朝、卯月はすっかり寝坊してしまった。若人の実家なのに、自室並みの熟睡だった。慌てて身支度を調えて居間へ走っていくと、母親が笑顔で迎えてくれた。

 「おはよう。よく眠れた?」

 「す、すいません…おはよう、ございます」

 「あ、そうだ…ねえ、卯月ちゃん。一緒に料理、作らない?」 

 「え?」


 

 「そうそう、だんだん上手になってきた」

 「うう…そうです、かね」

 震えるように包丁を握る手は泣きたくなるほど不器用で、人参がどんどん無様な恰好になっていく。怒られながら母親にりんごむきを指導されていた時とはまた少し違う恥ずかしさと、言い表しようのない慌てがある。

 じっと無言のまま笑顔で見守られているのが妙に気恥ずかしくて、必死で話題を探した。

 「そ、そうだ。若人は?」

 「ああ、きっとお墓参りよ。お父さんも行っちゃった」

 「そうですか」

 ああ話が終わってしまった、汗さえかきそうになりながらまた話を探していると、ふと場の雰囲気が変わったことに気づいた。何気なく彼女の方を振り返ると、変わらず彼女は笑っていた。変わらず。

 時間が止まっている、そう確信した。



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