完璧な生徒会長 2
幾分か経ち会話が終わったのか異形は消えていき、雪香がこちらを振り返った。彼女は驚く様子もなく、ただ静かに微笑んだ。水無瀬も逃げ出すつもりもなかったし、ゆっくりと会釈しながら保健室の中へ入っていった。
「すいません、覗くつもりは」
「いいのよ。誰かいないのを確認しなかった私も私だし」
ここに来たときから、否、彼女と始めて合ったときから、水無瀬にはある違和感があった。美しく完璧すぎる彼女の存在を。恐らく男子からは色目を使われ、女子からは覚えのない陰口をたたかれているにもかかわらず、ずっと張り付いたように穏やかに静かに笑っていること。
揺るがない笑顔が教えてくれる。彼女もまた、人格を演じているのだと。
「そんなところに立ってないで、入ってきたら?」
あれからずいぶん時間が経った気もするし、全然時間が経ってないような気がする。恐らくもう誰も残っていないだろう学校の中で、水無瀬と雪香が向き合っていた。彼女はただただ微笑むばかりで、水無瀬はなんだか人形とにらみ合いをしている気分だった。
正体不明の恐怖に押しつぶされそうだったが、水無瀬はじっと耐え、雪香の目を見て口を開いた。
「先輩。今のはなんなんですか」
「聞いてどうするの?」
当然の質問だ、全く聞いてどうするつもりなんだろう。しかし怯むわけにはいかなかった。脳裏に一番に浮かんだ不純な動機なら、すぐに並べられる。
「もしかしたら、俺の知り合いが戦っているものかもしれません」
「あら」
演技かもしれないが雪香が軽く驚いた声を出してくれて、妙な話だが少しほっとした。ようや人間と話しているような安心感が芽生えた。
「それが何なのか分かりません。戦っている理由も分かりません。ただ俺は、その子が好きです。だからできれば、それが何なのか知りたい。俺にもできることがあるかもしれない」
自分でも驚くほど流れるように言葉が出た。やはり-というかなんというか、自分は卯月が好きになったのだと再確認し、幼稚な正義感に情けなくさえなったが、彼女に出来ることといえばそれしか思いつかなかった。泣きながら辛そうに戦っている彼女にそれくらいしか思いつかなかった。
しばらく黙っていた雪香が、小さく頷き、そしてふと立ち上がった。
「私にもよく分からないのよ」
真実だという保証もないのに、なぜかその言葉は少しも嘘に聞こえなかった。
「ただ、ずっと私の側にいて、ずっと私の願いを叶えてくれるの」
「願いを?」
どこかで聞いた話だ、記憶はすぐによみがえった。
-何か願い事ないかな。もしあったら、もう願わないで。きっとろくなことにならないから。
そうだ卯月の言葉だ。一体何の話なのかそれは今となっても分からないが、一つだけもしかしたらと思えることがある。今まさに目の前にいる雪香が、そのろくでもないことになっているのではないだろうか。
だったらもしかしたら、願いが叶えば道は開けるかもしれない。手探りだらけの希望にすがるしかなかった。
「願いは、なんですか?」
「そうね…完璧になりたいってことかしら」
「完璧に?」
それは簡単なようで難しい話だ。今これで自分が完璧だと思えばそこまでだし、もっと完璧になりたいと思えばそれはいつまでも努力しなければならないだろう。
「私ね、自分で言うのもなんだけど、昔から頭もよくて、顔も可愛い方だったの。運動神経もよくてね。お母さんがいつも褒めてくれたわ。あなたは完璧ね、完璧ね、私の自慢だわって。私嬉しくてね。もっと頑張ったの。家庭教師もつけてもらってね。そしたら、その家庭教師が素敵な人でね。いわゆる、初恋の人。けどねしばらくしたら、彼は私の先生を辞めて、新しいお父さんになってたわ」
まるで歌うような話の展開に少なからず水無瀬が驚いていると、顔を上げた先の雪香の表情の変化にもっと驚いた。別人かと思うほどの鋭く怒った顔だった。
「許せなかったな」
彼女はこんな声で、こんな顔が出来るんだ。驚きを通り越して少し怖かった。ふざけるように人格を演じていた自分とは次元が違う。彼女はあの美しい笑顔の下に、こんな狂気を隠していたのだ。
「そんなときにね、あの子が現れたの。すごいのよ、みんな殺してくれたのよ」
まるで当然のように話すから一瞬聞き流したため、汗ばんだ顔を上げるまで少し時間がかかった。
「なんですって?」
「先生を奪った母も。私を選んでくれなかった先生も。私にヤキモチ焼いて、私の通知表を5にしなかった担任も。私を捨てた彼氏も」
途方もない話だった。吐き気さえ出て来た。これ以上関わっていい次元ではないことは分かっていたが、まだ口は律儀に言葉を紡いだ。そしてなぜか、こんなことを聞いた。
「何人…くらい?」
「そうね」
なんだ、鈍い音がする。
「100人くらい?」
いつからそこにいたのか異形が現れ、その一部が這い出るように保健室を出ていった。しかしそれを目の追うことも叶わなかった。雪香の美しく冷たい目から反らすことが出来なかった。
焼き肉屋から帰ってきた若人は頭痛が止まなかった。決して飲み過ぎたわけではない。酒に弱いわけではない。むしろ強すぎて困るくらいだ。ビールなんて水だ、水。
いや、今はそんなことではない。卯月の寝室の前で、若人は動けないでいた。部屋の向こうから卯月と育美の寝息が聞こえる。電車で帰らなければならない育美を起こしてやるために開けられないでいる。
焼き肉屋は育美のオンステージだった。鬼に金棒、育美に酒だ。卯月は育美の一挙一動に狂ったおもちゃのように笑い続け、肉がなくなってきたころには目を輝かせて育美ちゃん育美ちゃん連呼し、すっかりファンになっていた。
食べ放題飲み放題のラストオーダーとなり、仕方なく帰ると飲み足りない育美が部屋で二次会をやろうなどと言い出した。冗談ではない、叫びたいのは山山だったが、卯月が嬉しそうだったため、そっと諦めた。
あいかわず物がないだのオシャレじゃないだのさんざん文句を言ったあげく、よりによって自分をパシリに任命した。卯月の手前無言でコンビニに行った俺は表彰されるべきではないだろうか。
酒と一緒に睡眠薬でも買ってやろうかと本気で思ったが、残念ながらコンビニにおいてなかった。どうせ酒がなくても大騒ぎしているのだろう、嫌々扉を開けると、そこには二人の姿がなかった。
時間が時間だったため育美は帰り卯月は寝ているのかと寝室前を何気なく通ると、二人分の寝息が聞こえたというわけではある。
説明が長くなったがつまりはそういうことだ。この寝室の扉を開けていいか否か。
一緒に暮らしている上で若人が気をつけていることがある。それは卯月の寝顔と万が一にも着替えを見ないようにしていることだ。どんなに返事がなく熟睡していようと返事がないうちから扉を開けたことはないし、風呂場には鍵どころかセンサーまで付けようとした。なぜか卯月が止めたからそれは設置しなかったが。
更に育美の存在だ。女の恰好をしているとはいえ元々は男だ。心は女性だとしても、卯月の身に危険がないなどどうして言い切れよう。おまけに今日は卯月もずいぶん彼女を気に入っていたようだし-
馬鹿らしい。
迷い始めてこれくらい経ちましたよとばかり時計が深夜を教えてくれて我に返った。いい加減自分の馬鹿らしさに腹さえ立ってきた若人は、ノックを何度かすると、扉を開け放った。
「おい、育美起きろ!いい加減に帰」
そこには予想していたよりも酷いのかいいのかよく分からない光景があった。熟睡した卯月が育美を抱きしめ、彼女が苦しそうだがなんとか耐えながら眠っていた。微笑ましいような気がしなくもない光景だったが、女性のものではない足が卯月の足と絡まっているだけで台無しだった。
「-っ、以蔵、離れろ!!」
「ごめんね育美ちゃん。苦しかったよね」
「ううん、いいのよ。楽しかった、また来るわね」
さっさと帰れ、というか二度と来るな。若人の視線での訴えに育美は嫌な笑顔で返事をし、そして卯月にはとびきりの笑顔で手を振った。
「育美ちゃん、本名イゾウさんって言うんだね」
「やだあ、だっさいから忘れてね。じゃあ、終電まずいから帰るわね。まったねー」
高いヒールがやかましく帰っていき、やっと帰ったかと息をついた若人がしっかりと部屋の鍵をかけた。さすがに怒るべく振り返った先の卯月は、眠そうに船をこいでいた。説教は次回に回した方がよさそうだ。
「早く寝ろ」
「うん、そうする」
そう返事した卯月がゆっくりと膝をつき、若人がため息混じりに彼女の顔を覗き込んだ。
「おい」
寝室まで運ぼうか、いやそこまで甘やかすのは教育者としてどうか、微妙に迷う若人の前で、卯月の顔はとても眠そうな顔に見えなかった。目をこらしてみると、線のように細いゼリーが彼女の首を絞めていた。
「-っ、卯月!!」
慌ててゼリーを払うと、卯月が激しく咳き込んだ。ゼリーはうねるように、卯月を狙い続けている。しっかりと狙いを定め、卯月だけが標的のようだ。
「大丈夫か」
「うん」
睡魔はすっかりどこかにいってしまった。卯月の手から剣が産まれるが、それは剣をかざすより早くゆっくりと砂へ変わっていってしまった。
消えてくれたかとほっとしたつかの間、それはいきなり一束になり、卯月の首をしっかりと掴んだ。
「ぐっ…!」
「おい…この、離れろ!」
「ま、…っ、て、若人」
「何!?」
なんだ誰かの声がする。誰だ。誰の声がするんだろう。砂から誰かの声がする。この声は-…
「…雪香先輩?」
名前を呼んだ瞬間、脳の中に雪香の記憶が流れ込んできた。完璧でありたいと願い続けたために、たくさんの命を奪ってしまった。彼女の完璧さを、彼女の存在そのものを否定する命たちを。異形たちがどんどん彼女の周りの命を奪っていく。中には大きい恨みもあったが、とても小さな恨みの方が目立った。
小さな雪香が、泣いている。
-違う、違うもん。こんなことしてほしかったじゃないの。返してよ。返して。みんなを返してよ。
「かえ、してよ…」
涙が流れてきた、声も溢れてきたが、これは全て雪香のものだとすぐに分かった。それはすぐに引いたが、次には自分の涙が流れてきた。
確かに彼女の願いは叶い続けているかも知れないが、こんなことが続くことを、彼女が望んでいるとは思えない。思いたくなかった。