好きでも嫌いでもなく、もうどうでもいい。~聖女に寝取られたあなたに何の価値があるのですか?~
「リーシア様、よろしいのですか?」
一緒に歩いていた親友でもある子爵家の令嬢であるルミナ嬢が、不安げに私の顔をのぞき込む。
そしてそのあとチラリと見た彼女の視線の先には、よく見た顔の人たちがいた。
王宮の中庭、色とりどりの花咲く回廊の先。
白い石で造られ、背の高いガゼボには一人の少女と、彼女を取り巻く数名の男たち。
「ええ……」
「ですが……あのお方は、リーシア様の婚約者である……ダレン様なのですよね」
「そうですわね。彼は今、あの聖女キララ様の護衛任務中なのだそうですわ」
そうは言ったものの、誰が見ても護衛任務になど見えはしない。
まるで恋人たちが戯れるように、楽し気に彼らはお茶会をしている。
しかもその距離はかなり近く、聖女は笑いながら、その場にいる男性たちにペタペタと触れていた。
「護衛って」
「聖女様はこの世界とは違う世界から来られたお方。この世界のマナーなどを知らないのだそうよ」
「ですが」
「そうね」
私はそう言いながら、そっとため息をつく。
聖女様はこの世界では珍しい、黒い髪に黒い瞳。
バラ色の唇に、色白く滑らかな肌。
ドレスも普通の令嬢たちが好む裾の長いものよりも、膝が出るほど短くふわふわしたものがお好きらしい。
ダレンは私の婚約者にして騎士団長。
彼が異世界から来た聖女様の護衛に選ばれたのは、ある意味名誉なのかもしれない。
だけどこの世界の仕組みなどが全く分からない彼女のために、数名のお付きの人間もずっと付いている。
その姿はある意味、少し異様だ。
言ってはいけないとは思っていても、彼女が男を王宮ではべらせている。
聖女様がこの国に転移されて以来、すでに数か月経過し、令嬢たちからはそんな言葉が上がるようになっていた。
「あんなはしたない」
「……」
私は彼らをもう一度だけ見る。
確かに目には余る。
余り過ぎるほどだ。
ダレンは一体、何を考えているのかしら。
今はもう彼の心の中が、私にはまったく分からない。
私たちは次の春。
あと半年もすれば結婚だと言うのに。
貴族間の結婚に愛を求めたことはない。
だって、みんなそういうものだから。
でも口数は少ないものの、誠実な彼と結婚すればきっと幸せになれると思っていた。
思っていたはずなのに……。
そう思っていたのは私だけだったの?
ジッと彼らを見つめていると、ダレンと一瞬視線がぶつかった。
モスグリーンの瞳が、私を見ている。
「ダレン様」そう声をかけようとしたものの、ダレンはすぐさま私から視線を離した。
そして何もなかったかのように、聖女と微笑み合う。
何も見なかった。そんな風に思われたのだろうか。
どこまでもその真実が、胸のどこかを痛くさせる。
この感情が悔しさなのか、さみしさなのか。今の私には分からない。
「行きましょう、ルミナ嬢」
「……ええ」
彼女の方が、後ろ髪を引かれているようにさえ思えた。
何度か彼らの姿を非難するように見たあと、ルミナは諦めたように私の横を歩き始める。
私たちはどこから間違ってしまったのだろう。
どうすれば良かったのかしら……。
私はやや冷たくなりつつある風に吹かれながら、考えずにはいられなかった。
◇ ◇ ◇
数日後、やっとの思いでダレンとの約束をこじつけた。
この約束だって、何度破られてきたかもわからない。
いつだって彼は「仕事なのだから、聖女様の側を離れることが出来ない」と私の誘いを断ってきた。
聖女様が来る前は、何か月に一度は一緒にお茶などしていたというのに。
私の屋敷の自室で、彼にお茶を振舞う。
甘いものが苦手なダレンのために、お茶菓子は昨日私が作ったものだ。
スコーンにはベーコンとチーズが練り込まれていて、いい匂いを放っている。
「落ち着かない様子ですが、大丈夫ですか?」
私の言葉に、ダレンはようやくこちらを見た。
茶色く短い髪に、モスグリーンの瞳。
久方ぶりの交流だというのに、彼の眉間にはややシワが寄ったまま。
声に出さなくても、機嫌が悪いことはなんとなく分かる。
これでも私たちが十歳からの付き合いなので、七年ほど一緒にいるのだから。
「今日急ぎの用があると聞いたんだが?」
ダレンはそう言いながら、目の前の紅茶を一気に飲み干した。
前はこんなにも礼儀のなっていない人ではなかったのに。
本当に変わってしまったわね。
「ええ。結婚式のドレスの打ち合わせですわ。一着目はもちろん白ですが、その後のお披露目会に着るドレスを何にしようかと思って」
「ああ」
その言葉の後に「そんなことか」とでも付きそうなほど、ダレンは退屈そうな顔をして見せた。
「ダレン様の瞳の色に合わせてグリーン系がいいのではないかと、父たちは言うのですがどうでしょう?」
「それでは君の髪の色には合わないだろう」
「そうですわね」
一応、自分の婚約者である私の髪色くらいは覚えていたのね。
私の髪色は薄紫色で、瞳はそれよりも赤みを帯びたピンクに近い。
彼の髪色に合わせてドレスを選ぶと、なんだか浮いてしまっていたのだ。
「では何色がいいと思います?」
「好きな色にすればいい」
「ですが」
「君の結婚式なんだ。君が着たいものを選べばいいだろう」
その言葉は、私には吐き捨てているように思えてしまった。
確かに私の結婚式だ。
そして花嫁は私で、私には選ぶ権利もあるのだろう。
でもそうではない。
そんな言葉を聞きたかったわけじゃないのに……。
「他の花や飾りつけも君の好きにすればいい」
ダレンは私の方を向くこともなく、立ち上がる。
「今は仕事で忙しいんだ。君が上手くやってくれ」
「そうですか……分かりました」
分かったとは口にしたものの、自分でも何が分かったのか、分からない。
でもそう言うより他に、言葉が見つからなかった。
彼に縋ったところで、きっと嫌な顔をされるだけだから。
仕事なのでしょう、仕事。
だったら邪魔しちゃダメよね。
父たちに言いつけたところで、きっと私がワガママだと言われるだけでしょう。
ダレンはもう、一度も私を見ることもなかった。
そしてそのまま私に何を言うでもなく部屋を出て行く。
「あなたはもう、私の名前すら呼んでは下さらないのね」
私の言葉は誰の耳に届くこともない。
だけど不思議と自分の感情を口にしたその後、前のような胸の痛みはもうなかった。
ただテーブルに残されたスコーンが、すっかり冷めきってしまっていた。
◇ ◇ ◇
ダレンと会った日の翌日、ルミナ嬢から連絡があり彼女の屋敷へ私は向かった。
そこには二人の令嬢がいた。
一人はルミナ嬢の従姉であるという、子爵家の令嬢ユーリナ。
もう一人は男爵家の令嬢ティナ。
ルミナの部屋に入ると、やや重苦しい雰囲気が漂っていた。
彼女たちはハンカチを手にし、最後に来た私をじっと見つめている。
「リーシア様、急にお呼びして申し訳ありません」
ルミナが椅子から立ち上がり、私に頭を下げる。
「いいのよ。予定など何もなかったのだし。それにしても、彼女たちは?」
ルミナが一通り彼女たちの紹介をしたあと、ソファーに座るように促された。
そしてルミナの隣に座ると、急に二人がぽろぽろと泣き始める。
「ルミナ嬢、これはどういうことなの?」
「彼女たちの婚約者は、国王陛下よりキララ様のお付きに選ばれた者たちでして」
その言葉に、私は数日前の光景を思い出す。
彼女たちの涙のわけも、聞かなくともすぐに理解出来た。
「リーシア様、お願いいたします。どうかキララ様の態度について国王陛下にお口添えしてもらえませんか?」
「不躾なお願いなのは承知しております。ですが、先日彼から婚約を保留したいと言われてしまって」
涙ながらに必死に訴える彼女たちを見ていると、ちゃんとお相手の婚約者のことを好きだったのだということが分かる。
そしてきっと、まだ彼女たちはちゃんと好きなのだろう。
「私とて意見出来るような立場ではないのよ?」
この中では、確かに私が一番言える立場には違いない。
私はこの国唯一の公爵家の令嬢であり、母は現国王の妹。
つまり私は国王陛下の姪にあたる立場だ。
だけど……。
「みんなも知っているでしょう? この国に聖女様が馴れるまではお付きの人間を付けて過ごしやすい環境を整えるよう提案したのはうちの父なのよ」
この国の宰相である父は、異世界から来たというキララに興味津々なのだ。
他国では、異世界から来たものが魔物を退治したり、向こうの世界の知識や文明で国を豊かにしたという事例が過去にもあったかららしい。
父はこの国の利益となるならば、多少の犠牲などは厭わないような人。
冷徹宰相などと呼ばれており、家でも絶対的な存在である。
聖女がこの地に降り立ってから何か変化があったとは聞いたことがないけれど、誰もがその恩恵に与れると思っているのだ。
だからこそ、あそこまで彼女が好き勝手していても誰も口を出せないでいる。
「ですがこのままでは」
「もう、もう限界なのです。リーシア様」
泣きはらした顔には、確かに大きな隈も浮かんでいる。
今日ここに来たのだって、思いつめてのことだろう。
だけど私が父に何か言ったところで、変わるとも思えないし。
ため息をつきたい気持ちを抑え、私は額を押さえる。
「すみません、リーシア様」
隣にいたルミナがまた頭を下げる。
「一度、王女様に言って、キララ様への面会を申し込みます。その席で、婚約者のことを言ってみましょう」
今はそれより他にいい方法は思いつかない。
父も婚約者も当てにならないのならば、キララから婚約者たちに言ってもらうより他はない。
気は少しも進まないものの、泣いている彼女たちを見捨てることも出来ずに、私は話し合いの場を引き受けたのだった。
◇ ◇ ◇
すぐさま王女殿下に手紙を送ると、彼女は快く私の願いを聞き入れてくれた。
そして聖女様が逃げられないようにするために、自分のお茶会に彼女を呼び出すのだという。
王女殿下自身も、最近の聖女様の行動には呆れ返っていたらしい。
お茶会に先についた私に、聖女様の話をし始めた彼女の口は止まることを知らなかった。
「まったく男たちは見る目がないと思うわ」
「見る目ですか?」
「だってそうでしょう? お兄様もあの聖女に熱を上げているのよ」
「殿下までですか?」
「物珍しいからか何か知らないけれど、あんな下品な女のどこがいいのかしら。呆れてものも言えないわ」
肩にかかる長く赤い髪を自分の手で払いながら、王女殿下は鼻を鳴らす。
本来王女なる彼女がすべき行動でも発言でもないのだが、今は私しかいないから気にも留めていないのだろう。
昔から歯に着せぬ物言いで、よく怒られていたのを覚えている。
だけど私はスパっと言いたいことを言ってくれる彼女が心から好きだった。
「でも意外だったわ。あなたが、あの聖女に物申すだなんて」
「他の令嬢たちに泣きつかれたので、仕方なくですよ」
「ふーん。仕方なくねぇ。あの聖女の一番のお気に入りはリーシアの婚約者でしょう? 腹が立たないの?」
「どうなんでしょう」
そう言われてふと考える。
確かに前までは彼の行動に腹を立てていた。
いくら仕事とはいえ、距離感も近いし、聖女が来てからというもの、ダレンは私を見なくなっていたから。
だけど仕事だと言い続けられるうちに「腹が立つ」という感情はどこかに置いてきてしまった気がする。
「どうなんでしょうって、あなた」
「他の令嬢たちが自分の婚約者を取り戻したいと泣いていた時に、彼女たちはちゃんとまだ好きなのだと気づいたんです。でも私は……」
自分の胸に手を当てる。
やはりあの痛みはもうどこにもない。
「あーあ。ホント、馬鹿ね」
殿下の言葉の意味が分からず聞き返そうとした瞬間、部屋をノックする音が聞こえてくる。
「どうぞ」
殿下がそう答えると、にこやかな笑みを浮かべながら聖女が部屋に入ってきた。
「きゃー、女子会に呼んでくださり、ありがとうございますぅ。あたし、向こうでも女友達っていなくって、こういうの初めてだから嬉しぃ」
ルンルンで入って来たキララは、私たちに挨拶をするわけでもなく、向かい側の席に座った。
そしてテーブルに並べられた色とりどりのお菓子たちを、眺めている。
女友達がいない……か。
つまりはそういうことよね。
確か彼女がこの世界に来たばかりの頃、付き人には歳の近い令嬢たちがなるはずだった。
しかし女性はいつも仲良くなれたことがないと言い出し、今の形になったんだっけ。
どうしてこういう人って、同性の友達がまったく出来ない原因が自分にもあると思わないのかしら。
私だって別に多い方ではないけれど、少なくとも同性から毛嫌いされていることはない。
「この世界にはなれましたか、聖女様」
私がそう切り出すと、彼女はお菓子を食べながらようやくこちらを見た。
「ええ。ダレンたちのおかげで、だいぶ寂しくなくなったわ」
挨拶も名乗ってもいないのに、ダレンの名を出すと言うことは、私が誰だか知っているのね。
知っている上で、わざと言っているという方がいいかしら。
「そうですか。それは良かったです」
「でもごめんねー? ダレン、あなたの婚約者なんでしょう? あたしがずーっと一人占めしちゃってて」
ごめんと言う言葉と、その表情はまったく一致しない。
むしろ私の反応を楽しむかのように、彼女は小首を傾げながら下から私の顔をのぞき込む。
ダレンからキララの話は何度か聞いていた。
彼女は自分の故郷とは全く文化などの違う異世界に飛ばされた身。
誰も知る者もなく、常に不安で、さみしがっていると。
その上にか弱く、誰かが支えていなければいけないような少女だと言っていたっけ。
だけど私の目には、まったく逆にしか映らない。
これのどこがか弱いのかしら。
「私は構いません。ですが、他の者たちにも婚約者がおります。節度を弁えてもらえませんと、聖女様の品位にも関わりますかと」
「品位ねぇ。そうね、あまりはべらかせてもねぇ。なんか、他の子たちが勝手にヤキモチ焼いているみたいだし?」
知っていてやっていたのね。
それに最近気づいたことがある。
彼女は婚約者がいない男にはまったく興味がないのだ。
たとえ顔が良くとも、性格が良くとも、彼女にとっては守備範囲外。
つまり人のモノが好きなのだという。
完璧な略奪系女子よね。
あれ、そんな言葉どこで覚えたのかしら。
急に思い浮かんだけれど、変ね。
「あなたは嫌じゃないの? ヤキモチ焼いてない?」
「いえ、別に」
「ふーん。じゃ、今度の夜会はダレンにエスコートしてもらうね」
隣で堪えるように黙っていた王女の怒りが噴出しそうな雰囲気を察知した私は、隣にいた彼女の腕をそっと掴む。
私のために怒ってくれているのは分かっている。
だけどここで怒れば、余計に聖女の思うつぼだろう。
夜会のエスコートは、本来その婚約者のつとめ。
確かに婚約者のいないキララをエスコートする人間はいないのだから、誰かがその役目を果たさなければならない。
もっとも、わざとダレンを指名しているのも分かっているけれど……。
他の付き人たちを指名されるよりかは、ずっとマシだ。
「どうぞご自由になさって下さい」
そう言い切った私の顔をのぞき込み、聖女はただ鼻で一度笑った。
「じゃ、自由にしちゃうわ。ありがとう。王女様、今日はとぉーっても楽しかったです」
どこまでも満足したかのように満面の笑みでそう言うと、嵐のように聖女は部屋を去って行く。
その後王女殿下が烈火のごとく怒っていたが、私はため息をつくことしか出来なかった。
◇ ◇ ◇
王子殿下の生誕を祝う夜会は、聖女とのお茶会のちょうど二週間後に行われた。
それまでの間、ダレンが私の屋敷に訪ねて来ることも、手紙をよこすことも一度もなかった。
本来ならば夜会のエスコートのために、衣装などの打ち合わせ連絡があるはずなのに。
大方聖女からエスコートの件は話をつけたとでも言われたのだろう。
それでも私に一言、伺いを彼の口から立てるべきなのに。
それすら必要ないと思っているのかもしれない。婚約者とは、彼にとってなんなのだろう。
考えても仕方のないことだとは思っても、考えずにはいられなかった。
仕方なく私は、父と夜会へ行くことに。
父は王宮まで向かう馬車の中でも、ずっと無言だった。
親子仲はそれほど悪くはなかったものの、父は昔から口数が家でも少ない。
兄たちのように私は父から怒鳴られたことはなかったけれど、表情の読み取れない父は苦手でしかなかった。
今日だってエスコートはしてくれているけれど、実際何を思っているのだろう。
不甲斐ない娘だと思っているのかな。
思われたところで、父が彼と聖女をセットにしたのでしょう、と言ってしまえばいいだけなんだけど。
感情論で話せば、理詰めで返されるのがオチよね。
父が何も言い出さないからこそ、私からも何も言うことをやめた。
正解ではなくても、これが最適解だと思っている。
「ガーラント公爵家様」
そう名前を呼ばれ王宮の広間に入ると、その場にいた貴族たちの視線が一斉に降り注ぐ。
今までにはない反応ね。
彼らはどこまでも好奇の目で私を見ていた。
そして私と彼らを見比べるように、次の視線は広間の中央にいる二人に向けられる。
モスグリーンのドレスに大粒のエメラルドのネックレスを付けた聖女キララと、黒い衣装に身を包んだダレンだった。
婚約者ではなく、彼女と衣装を合わせてきたのね。
暗黙のルールであっても、それがどういう意味になるか知っているでしょうに。
観客たちは二人をどう見ているのかしら。
お似合いの二人? それとも仕方のないこと?
数名の知った顔たちは、私の代わりに泣きそうな顔をしている。
婚約者と揃えるべき衣装を、わざとしていないのだもの。
誰が見てもおかしいとは思うだろう。
私自身も、彼の色をまったく身に着けていないのだから。
まるで向こうの方が婚約者同士みたいね。
「あー、リーシア様!」
なぜかそう言いながら聖女がこちらを向き、手を振った。
そしてダレンと腕を組んだまま、にこやかな顔で近づいて来る。
「あれぇ、パートナーはお父様なんですの?」
彼女は口元を押さえ、嬉しそうに私に尋ねる。
「ええ。他に適役がおりませんでしたので」
「えー。それじゃあ、この先も困っちゃうじゃない」
「そうでしょうか」
「やだぁ、もしかして強がっちゃってる感じぃ?」
どこまでもこの人は神経を逆なでする人ね。
わざとだと分かっていても、腹が立つ。
この先もダレンを返すつもりはない。そう言いたいのでしょう。
だけど顔になど感情を出してはあげない。
少なくとも彼女の思い通りになんてならないんだから。
「ダレンが婚約者である以上、他を立てるなど不誠実になりますので」
「ふーん。なんか大変ね」
ケラケラと笑う彼女を無視し、私はダレンを見上げる。
ダレンは困った顔をするわけでもなく、また私から視線を逸らした。
きっとこれが答えなのね。
そう思った私も、わざと彼から視線を外す。
私の視界の端で、聖女がニタリと笑ったのが見えた。
その後どこまでも上機嫌な聖女は、各国から集められたお酒を振舞われるままに飲んでいた。
そしてそれは、彼女と組んでいるダレンも同じ。
ダンスを踊らないキララのせいもあってか、二人はあっという間に酔ってしまったらしい。
顔を真っ赤にしている二人を危惧した王女殿下の手配で、二人は休憩室へと消えていく。
私は二人がきちんと部屋に入室したのを確認したあと、柱の陰からそっと部屋を外から見ていた。
時間にしてどれくらいだろうか。
広間から流れる優雅な音楽が、一曲、二曲と終わっていく。
「ああ、そろそろ頃合いね」
そして三曲目が始まる頃、私はゆっくりと動き出した。
曲はゆったりとして優雅なメヌエットから、テンポが良く小気味よいワルツに変わる。
その曲に合わせるように動けば、なんだか心は一気に晴れやかになった。
私はキララとダレンが入った休憩室を、ノックすることなく一気に開ける。
予想していた通り、中では裸で絡み合う二人がベッド上にいた。
私はそれを確認すると、躊躇なく一気に大声を上げる。
いくら王宮内で音楽がかかっているとはいえ、女性の大きな悲鳴が上がれば、誰もが立ち止まった。
そして慌てふためく彼らに一度微笑みかけたあと、私はその場にへたり込み、両手で顔を覆い尽くす。
「な、何よあんた!」
「リー、リーシア、こ、これは違うんだ!」
二人の怒号など誰も気にしない。
ただ私の悲鳴を聞きつけた多くの参加者たちが、急ぎ部屋の前に駆けつけてくれた。
布団でキララたちは自分たちの裸を隠そうと躍起になっている。
しかし隠したところで、だ。
ここで何が行われていたかなど、誰が見ても分かることだろう。
あまりの光景に叫ぶ令嬢や、彼ら以上に慌てふためく大臣たち。
全ては私の計画通りだった。
勧められるままに二人が飲んでいたお酒には、私が用意した媚薬が混ぜられていたのだ。
そうとも知らずに、ガバガバとよく飲んでくれたわね。
もっとも、飲まなかったとしても結果はほぼ同じだと私は思っている。
ただこの方が、みんないろいろと納得すえるでしょう?
「あんたが勝手に部屋を開けるからこんなことになったのよ! わざとでしょう!」
どこまでも怒りが収まらない聖女は、私を非難し続ける。
そんな言葉を投げかければ投げかけるほど、みんなはあなたの本性を知ることになるというのに。
馬鹿は扱いやすくていいわね。
「私はただ……休憩室に二人が入ったまま戻らなかったから心配で……」
顔を覆い尽くしたまま泣きまねをすれば、すぐさまいろんな令嬢たちが私を取り囲んでくれた。
そして彼女たちの手を借りて、よろよろと立ち上がる。
「まさか聖女様がこんなお方だったなんて……」
「穢れてしまっても聖女だなんて言うのかしら」
「それにダレン様はどう償うつもりなんです?」
「ほんと、汚らわしい」
一気に他の令嬢たちから睨みつけられ責め立てられた二人は、言葉に詰まる。
「私はもういいのです。ダレン様が私ではなく聖女様のことを愛していたのは知っていました。だから……」
「違うんだ! 違うんだ、リーシア! おれの話を聞いてくれ。これは違うんだ」
下半身に布団を巻きつけた状態で、ゆっくりとダレンが近づいてくる。
しかし他の令嬢たちが私を庇うように壁を作りガードしてくれていた。
でもそうね。
せっかく最後なんだもの、言っておいた方がいいかもしれないわね。
私たちはそっと彼女たちに触れて顔を見たあと、ダレンの前に立った。
「リーシア、おれが愛しているのは君だけなんだ。これはそう……ただの間違いで」
身振り手振りでダレンは私に説明をし始める。
いかに婚約者として私を愛してきたのか。
今もまだ愛しているのか。
婚約は取りやめたくない。
結婚しよう。
この過ちは全部聖女のせいだと……。
後ろでキララが「ふざけるな」と激怒していても、ダレンは気にも留めなかった。
そして縋りつく様な瞳で私を見つめる。
「リーシアはまだおれのことが好きなんだろう? だからこんなことまでして……」
「もういいです」
「ん? 許してくれるのか?」
希望に満ちたダレンの笑みに、私は満面の笑みで返す。
そして彼にそっと近づき、その耳元で囁いてみた。
「私はダレン様のことを好きでも嫌いでもありませんわ。むしろもう、どうでもいいんです。あなたがこの先どうなろうと、どうでもいい。だから私の目の前からとっとと消えて下さいな」
「リー……シア」
ダレンは顔を蒼白にしながら、私を見て小刻みに震えていた。
ああ、うん。これでよかった。
「どうでもいい」この言葉はピッタリね。
ずっと考えていた。冷めた情は、どうなるのかと。
初めは嫌いになるのかと思っていたけれど、それ以上ね。
嫌いと思うことすら面倒なほど、とっとと視界から消えてもらいたい。
でもこれで国は一気に動き出すだろう。
穢れてしまった聖女の地位のために、きっと彼らはキララを女しかいない教会に収容するはず。
女が大嫌いな彼女にはピッタリの仕打ちよね。
そこから聖女としての力があるのならば、利用でも何でもすればいい。
ダレンはまぁ、知らないけれど。
廃嫡は免れないだろうし、この先結婚も無理。
そこまでのことをしてくれたのだ。
後ろで額に手を当てる父には、きっとあとで説教を食らうわね。
だけど怒ったところで、自分たちの失策を認めるようなものよね。
男たちはみんな、彼女に踊らされていたのだから。
ああでも、私ももう、この国では良縁は難しいかもしれないわね。こんなに注目を浴びてしまったし。
でもいいわ。そんな些細なコトたちなど、まったく気にもならない。
今はこんなにも晴れやかな気分なのだから。
鳴り止まない音楽たちが、今の私の心の中をどこまでも高揚させてくれていた。




