第一話:後悔
柔らかく差し込む日差しに包まれ読書をする一人の三つ編み少女。
彼女の名は『椿』。よく趣味で小説を手がけており、仲間たちからは『文豪の魔女』、『小説家ネキ』と呼ばれている物静かな魔女だ。
また、毎日三時間以上は本を読んでいるため『本の虫の魔女』なんてあだ名もつけられている。
そんな彼女に近づく、魔法少女が一人。
「つーばき先輩!何読んでるんですか!?」
「…歴史書です。最近、新しく帝国ができたでしょう?あそこの国は色々と文明が面白そうなので、少し調べていたんです。」
椿が本から視線を上げ、声をかけてきた魔法少女__ビビアンを見やって、こう言った。
「ビビアンは、難しいことが苦手ですから、歴史書なんて読まないかもしれませんけど…過去を知る、というのは面白いことですよ。今まで、誰がどういうふうに生きてきていたのか__それは、いくら聞いていても飽きないものです。」
そう言って本のページを撫でる椿の目は、愛らしいものを見るような、でもどこか哀愁の漂う色をしていた。
ビビアンはそれが不思議でたまらなかったが、魔女の多くは昔の話を他人に聞かれても、のらりくらりと躱してしまう。
それはこの椿も同じで、素直に聞けど笑って流されるのは、そこまで頭の良くないビビアンでもすぐにわかった。
でもビビアンは、どうしてもそれが知りたくて仕方がない。
だって、椿はもう悲しいことなんてないはずである。
仲間もいて、自分のことを認めてもらえて、尊敬されていて…。
そんな恵まれた椿が、どうして悲しそうに本を見つめるのか、ビビアンには少しもわからないのだ。
「…じゃあ、椿先輩にも歴史はあるんですか?」
「…私に、歴史?」
ビビアンは、小賢しい子である。
「…あるにはありますけど、大層なものじゃないですよ。」
「うーん…でも、椿先輩は『今まで誰がどういうふうに生きてきたのかを知るのは面白い』って言いましたよね?私も、その面白さを知りたいです!」
椿がひらりとかわすはずだった足場を、ぐちゃりとビビアンは潰してみせた。
椿は『知ることの楽しさ』をとてもよく知っている魔女である。
楽しいものをとことん語れる人を増やしたい、と思っている魔女でも、ある。
そんな椿にこんな立ち回りをしては、彼女は逃げに徹せなくなってしまった。
「…、…、……はあ、仕方ないですね…わかりました、一つだけですよ…ビビアンに話すなら…そうですね、愚者が失敗する話にでもしましょうか。」
そうして椿は語り出した。自分がまだ魔法少女だった頃のことを……。
________________
あれは、私が小説家として売れていた時のことでした。
私がお世話になっていた出版社は、何せ特殊な場所でして。
色々な小説家さんたちと、一緒に執筆をする…という様な時間があったんですよ。
なんでも、そっちの方がいいアイデアが浮かぶからだとか。
でもまあ、そこに来ている小説家さんたちって、必ずしも『売れっ子』というわけではなくて。時折、今人気の作家さんに毒付くような方もいました。
…私は、なにぶん無愛想でしたから。そういう方々の標的によくされましたよ。
まあその度に『そんなことを言う暇があるとは、先生もお暇ですね。私にはそんな暇ないので、お引き取りくださいます?』と…まあ憎たらしく返していたんです。
そんなものですから、その時間は大体一人だったんです。
ですが、そんな私にも話しかけてくださる人がいまして。
私より三つ下の、十歳の子。御藤さん。
彼女は正真正銘の天才でした。なんの苦労もせず、全世界で大絶賛されるような、非の打ち所がない小説を何個も書き上げるんです。
…当時の私は、一番を目指していましたから。最初は妬んでいましたよ。
でも彼女は……私のことを真摯に見続けてくださいました。
ですから、『ああ、こういう人こそ共感されるんだ』と…その時は、幼いながらに、思っていました。
御藤ちゃんは、すごく達観した子で。とても十歳とは思えないほどに。達観した子だったんです。
だから……みんな彼女の小説は絶賛するけれど、彼女は不気味だっていう人たちが、たくさんいたんです。
いえ、たくさん増えていった、と言った方が正しいでしょうか。
彼女は何も言わなかったんです。いくら悪口を言われても、何も。
ニコニコ、笑うだけ。
だから…そう、大丈夫だと…思っていたんですよ。
彼女なら、大丈夫だと。
その日は、やたらと蝉がうるさい日でした。
空が青くて綺麗だから、って屋上でご飯を食べていた時に。
「椿ちゃんのこと、私大好きだよ。だって、私のことを人間として見てくれるんだもの。
…みんな、私のこと神様だっていうのよ。決して人間として、扱ってやくれないの。」
そう、彼女が言いました。
「…多くの人は、言葉を扱うのが苦手ですから。きっと、ただの褒め言葉で、あなたのことを本当の神だなんて思ってないですよ。」
「…そう言ってくれて、嬉しい。ありがとう、椿ちゃん」
彼女はいつもより穏やかに笑いました。
「…でもね、そんなことを言ってくれるのは、あなただけなのよ」
「…は?」
その瞬間、彼女ひらりと宙に舞いました。
オレンジ色のワンピースを、花弁みたいにヒラヒラさせて。
「ありがとう、椿ちゃん。私を最期まで人間として扱ってくれて。
__だいすき。」
それだけ言って、落ちていった。
…私が、もしあの時彼女と飛び降りて。
そうして、魔法でも使っていれば。
彼女は死なずに済みました。
でもどうしてでしょう?
彼女は__椿は飛べなかったのです。
彼女の前でだけは、人間の友達でありたかったから。
バカな話。
椿はもうとっくのとうに、人間なんかではないのに。
そして、それを彼女に知られても、この関係は何も変わらないのに。
椿は、ないものを恐れて、あるものを失ったのです。
椿は、その場に膝をついて涙をボロボロ流しながら。
ああ、君が早く死んでよかったな。
そんなどうしようもないことを思ったのです。
________________
「…どうです、愚者の話だったでしょう?」
けろり、と椿はそう言ってのけた。
彼女にとっては過去のことでしかないのだろう。
「…そうですか?十分、頑張ったと思いますよ。」
でもビビアンには、どうしても。
どうしてもそれが、彼女の深い深い膿んだ傷に見えてしまうのでした。




