3: ー正しさの外へー
翌朝。
寮の廊下は、驚くほど静かだった。
昨日の歓声も涙も、もうどこにもない。
“結果”は、昨日で終わったからだ。
ノックスはベッドの端に座り、机の上を見つめていた。
そこには二枚の紙が並んでいる。
片方は白い封筒。
> 「欠員枠による繰り上げ合格通知」
朱色の刻印が、過剰なくらい鮮明だ。
もう片方は、薄い灰色の用紙。
> 「退学届」
名前を書く欄は埋まっている。
堂々とした字ではない。
しかし、震えてもいない。
両方とも、ただ静かに机の上に存在していた。
**“世界が与えた未来”と、“自分が捨てる未来”**が、同じ水平線上で並んでいる。
ノックスは思う。
(これは合格じゃない。存在補填だ)
選ばれた未来ではない。
掴んだ未来でもない。
ただ――空いた席に置かれた名前。
敗者に与えられる“慰め”ではなく、
システムが欠けた穴を埋めるための“処理”。
封筒を手に取る。
紙の端が指に冷たい。
その冷たさが、妙に現実的だった。
破ろうと思わなかった。
鞄に入れる気もなかった。
代わりに――そっと机に戻す。
封筒の横に、退学届がある。
その光景は、滑稽でも、悲劇でもない。
> 捨てれば逃げになる。
持てば嘘になる。
だから、置く。
ただそれだけが、最後に残った選択だった。
ノックスは、静かに息を吐いた。
胸の奥は、不思議なほど静かだ。
荷物は少ない。
着替え数着。
古びた魔術書が一冊。
靴。
そして――灰色の石が一つ。
昨日、川で拾ったただの石。
何の価値もない。
だが、指で触れた瞬間、胸がわずかに揺れた。
魔術の核でもない。
魔力炉でもない。
ただの石。
……だからこそ、“意味”になれる気がした。
ノックスはその石をポケットに入れる。
> (これは昨日の自分の“欠片”だ)
誰にも理解されなくていい。
世界の端っこで拾った可能性。
寮を出る。
廊下は冷たい。
足音だけが、自分の存在を証明してくれる。
校舎の裏へ回る。
正門は使わない。
見送ってくれる人はいない。
祝福も慰めも、どちらも要らない。
裏門へ。
石壁に朝露が宿り、苔が暗い緑を帯びている。
指先を添えると、少しだけ冷たい。
その冷たさが、妙に気持ちいい。
誰にも会わない。
名前を呼ばれない。
止められない。
ノックスは歩く。
誰かが気づくことはない。
だが、それでいい。
> 「止めてほしい旅立ちほど、間違いは深い」
そんな言葉が、どこか遠くで聞こえた気がする。
門番が立っていた。
ノックスが来ると、眉を上げる。
不審でも驚きでもない。
ただの挨拶。
「今日は早いな」
ノックスは微笑む。
その何気ない一言が、意外なほど胸に沁みた。
「はい。……これで終わりです」
報告のような言葉。
決意でも別れでもない。
ただ、“事実”。
門番は意味を深く理解しない。
それでも頷き、
「そうか」
と言った。
たった一言。
だが、それだけで十分だった。
世界は残酷だが、世界そのものは優しい。
人は結果で人を測る。
世界は存在を受け止める。
学院は“威力”で人を値付けする。
門番は“挨拶”で人を迎える。
その差が、ノックスの背中を押した。
学院の旗が風に揺れる。
魔術は威力。
その価値観の中心。
未来を決める理。
昨日まで、ノックスはこの旗の下で生きていた。
この旗に価値を決められていた。
だけど今――風の中で揺れる旗が、別のものに見えた。
(あれは、僕の未来じゃない)
ノックスは背を向けた。
一歩踏み出す。
空気が変わる。
鳥の声が近い。
川の音が遠い。
人の声は届かない。
風が頬を撫でる。
学院の“正しさ”が遠ざかるほど、胸が軽くなる。
逃げでもない。
戦うでもない。
ただ一つ。
> “速度は、ここにはない”
それだけ。
革命は、いつだって外側から来る。
“正しい世界の外”に落ちた者だけが、新しい正しさを作れる。
ノックスは歩き出した。
川原へ。
昨日、理由もなく拾った石の場所へ。
灰色の世界に、わずかな色が差し込んでいた。
その色はまだ名前を持たない。
でも――確かに“未来”だった。




