3-10: ー速度の継承ー
柔らかい布の感触から、世界が戻ってきた。
ノックスは、ゆっくりと瞼を開けた。
天井。
白い。
石ではなく、木と布。
薬草の匂いが鼻を掠める。
「……ここは」
かすれた声が、思った以上にはっきり出た。
首を少しだけ動かすと、
視界の端に人影が見えた。
「気がついたか」
落ち着いた声。
年配の男。
学院の医務室に常駐する治癒術士――
ノックスは、名前を知らない。
それでも、相手はノックスの名を知っていた。
「ラピダス・ノックス君。
ここは学院の医務棟だ」
ノックスは、自分の身体を意識した。
動かそうとする。
――動かない。
腕。
脚。
指。
感覚はある。
冷たさ、温かさ。
布の触感。
だが、“命令”が届かない。
「……あぁ」
ノックスは、すぐに状況を理解した。
「やっぱり、そうなりましたか」
治癒術士は、苦い顔をした。
「自分で分かるのか?」
「はい。
心臓にまで刻印を繋いで、
外界魔力を全身の神経で回しました」
ノックスは、淡々と言う。
「動ける方がおかしいです」
術士は、溜め息をついた。
「……端的に言う。
君は、生きてはいる。
寿命も大きくは削れていない。
だが、“身体はもう魔術回路として焼き切れている”」
ノックスは、瞬きを一度だけした。
「歩行は不可能。
細かいリハビリで、
指先を少し動かせるようになるかどうか。
治癒魔術も、これ以上は“世界の理”に逆らうことになる」
ノックスは、すぐに頷いた。
「ありがとうございます。
それだけ、生き延びさせてくれて」
術士は少しだけ目を見開いた。
普通なら、絶望する。
怒る。
泣く。
だがこの少年は――
あまりにも静かだった。
「後悔は?」
問われて、ノックスは少し考えた。
世界中の線を見た。
結界の構造を掴んだ。
魔族を削り、学院長を倒した。
その上で、今ここにいる。
「ないです」
迷いのない一言だった。
術士は、小さく笑う。
「……なら、医者としては何も言えんな」
扉が、ノックもなく開いた。
「入るぞ」
アイザック・フォルティアだった。
後ろに、ルミナとルシアンが続く。
ルミナは、ノックスの顔を見た瞬間、目に涙を浮かべた。
「ノックス……!」
「泣かないでくださいよ、首席」
ノックスは、口だけで笑った。
「僕の方が、“落ちこぼれ”なんですから」
「落ちこぼれじゃない!」
即答だった。
「もう二度と言わないでください、それ!」
声が震えている。
ノックスは、少しだけ目を細めた。
「はいはい。
じゃあ、元・落ちこぼれってことで」
ルシアンが、少しだけ笑う。
「やっぱり口は達者だね」
アイザックは、ベッドの脇まで来て、ノックスを見下ろした。
目の奥に、深い疲労と、それ以上の決意が宿っている。
「ラングレイ学院長は、正式に“行方不明”ということになった。
魔族襲来に関する公的な発表も、
だいたい僕が書いた」
ノックスは首を少しだけ傾ける。
「僕は、どうなってます?」
「“学院を救った英雄”」
アイザックは、迷いなく言った。
「ただし、詳細はまだ伏せてある。
君の理論が、世界にとってあまりにも“鋭すぎる”からだ」
ノックスは、息を吐いた。
「……ですよね」
エングレイブ。
フラッシュシグル。
シグルアクセル。
処理速度を、才能から切り離す技術。
誰が使っても、同じ現象を起こせる刻印。
威力偏重の世界にとって、それは“革命”になる。
「革命は、ゆっくりやるべきだ」
アイザックは微笑んだ。
「一気にやると、反動で全部壊れるからね」
「じゃあ……」
ノックスは、唇を湿らせた。
この問いだけは、はっきりさせておきたかった。
「僕の理論は、どうなりますか」
ルミナが、前に出た。
「残します」
それは、誓いの言葉だった。
「私と、ルシアンと、生徒会長で。
あなたが教えてくれたエングレイブとフラッシュシグルを――
ちゃんと“世界に残します”」
ルシアンも頷く。
「危険すぎる部分は、封印して。
でも、“誰でも才能と努力の外側へ出られる入口”は、
絶対に潰さない」
アイザックは、短く息を吸った。
「アストラム魔導学院の新カリキュラムに、
“刻印速術式”という分野を立ち上げる予定だ」
ノックスは目を丸くした。
「早いですね」
「革命はゆっくり――とは言ったけど、
種は早いうちに撒いた方がいい」
アイザックは、真剣な目でノックスを見つめる。
「理論設計者の名は――
ラピダス・ノックス。
これは、絶対に外さない」
ルミナの目から、涙が零れた。
「あなたがいなかったら、
学院は、本当に壊されてました」
ルシアンは、照れくさそうに笑う。
「首席もナンバー2も、生徒会長も。
ぜんぶまとめて助けられちゃったわけだ」
ノックスは、少しだけ視線を逸らした。
「……助けたというより、
ただ自分の理論を“試した”だけですけど」
それでも――
胸の奥は、少しだけ温かかった。
(あぁ、本当に――
ここまでやって、よかった)
師匠の言葉が、また浮かぶ。
> 『模倣と仕組み化だ。
優れた技術を真似て、より早く、より効率よく自分のものにしろ。
それが、才能がない奴の戦い方だ。』
ノックスは、三人をゆっくりと見渡した。
「ひとつだけ、お願いがあります」
ルミナが涙を拭う。
「何でも言って」
「僕の理論を――
僕の名前なしでも構いません。
“普通の授業”にしてください」
三人が、目を瞬かせる。
「特別な人間だけが扱う秘密兵器じゃなくて。
才能がある人間だけが使えるチートスキルじゃなくて。
“努力していれば誰でも届く技術”として、
世界に降ろしてほしい」
それが、ノックスの願いだった。
落ちこぼれと言われ、
才能がないと笑われ、
それでも諦めなかった先で掴んだ答え。
それが、“誰かひとりの特権”になるのは嫌だった。
ルシアンが、ゆっくり笑う。
「君は、本当に“才能の敵”だね」
「敵って言い方、ひどくないです?」
「褒めてる」
ルミナは、強く頷いた。
「絶対にそうします。
あなたの理論を、“普通の選択肢”にします」
アイザックも、静かに言葉を重ねる。
「刻印速術式は、
“威力偏重の世界に対するもう一つの答え”として、
アストラムの正式カリキュラムに組み込む」
ノックスは、ほっと息を吐いた。
「それなら……
僕は、もう十分です」
動けない。
走れない。
魔術師として戦場に立つことは、もう二度とない。
でも――
(僕の“速度”は、ちゃんと世界に残る)
それなら、それでいい。
◇
三人が部屋を出るとき、
ルミナが振り返った。
「ノックス」
「はい?」
「また――
一緒に、外を歩きましょう」
ノックスは、一瞬だけ言葉に詰まった。
そして、笑った。
「車椅子、押してくれるなら」
ルミナも笑った。
「もちろんです」
扉が閉まる。
静かな医務室に、
薬草の匂いと、遠くの鐘の音だけが残った。
ノックスは、天井を見つめる。
(師匠)
心の中で、呼びかける。
(速度は、ちゃんと“世界”に届きます)
瞼を閉じると、
焚き火の音が聞こえた気がした。




