2: ー評価されない努力ー
試験の翌日。
学院の広場には、ただ一つの掲示板が立てられた。
大きくはない。
木枠は古く、板面には無数の傷が刻まれている。
毎年、希望と絶望を貼り替えてきた歴史の痕跡。
そこに貼られる紙は一枚だけ。
「初級魔術実技試験・合格者名簿」
それ以外の情報は、何もない。
魔術の評価は、順位ではない。
“生と死”に近い線引きだ。
合格 —— 生存。
不合格 —— 不在。
紙一枚が、生徒という存在を社会へ接続する。
その資格を持つかどうかで、人生のルートすべてが決まる。
紙の前は、すでに人だかりだった。
歓声。
安堵の涙。
抱擁。
揺れる肩。
崩れ落ちる膝。
喜びも、絶望も、同じ一枚の紙から生まれる。
だがその中心に、一人だけ静かな人間がいた。
ラピダス・ノックス。
掲示板から少し離れた場所に立っていた。
近づかない。
名前を探さない。
探す必要がない。
その代わりに、視線だけが紙の端を追う。
文字を一つずつ、舐めるように追いながら――自分の名前だけを避ける。
受け入れたくないわけではない。
受け入れるまでもない。
最後の一行まで目線が到達した。
“ラピダス・ノックス”
——ない。
胸が熱くもならず、冷たくもならなかった。
“わかっていた”
文字ではなく、概念だけが静かに落ちる。
努力が届かない。
その事実を、昨日の火花が証明した。
ほんの一瞬魔術が走った気がした。
誰も知らず、誰も評価できない火花。
存在しなかった魔術。
ノックスは悟る。
> “努力は評価されなければ、存在しない”
どれだけ血が滲んでも、
記録されなければゼロになる。
世界は慈悲深くできていない。
背後から声が飛び込んできた。
「ノックス!」
幼馴染のエリオットが駆け寄ってくる。
息が荒い。
目が赤い。
何か言うべき言葉を求めて、言葉が迷子になっている顔。
「見てないよな、名簿……その……」
彼は言葉を探した。
慰めたいのに、慰める材料がない。
励ましたいのに、励ませない。
この世界で“努力は救う”という信仰は正しい。
だからこそ、ノックスへ掛ける言葉が見つからない。
ノックスはふっと笑った。
「大丈夫。……僕には、まだ続きがあります」
その言葉に嘘はない。
だが、この学院の文脈では 意味がない。
エリオットは拳を握り締めた。
「いつか絶対に撃てる!諦めなければ……!」
それは正しい。
この世界では。
努力は初級魔術に届く。
届かなければ努力が足りない。
それが学院の正しさだ。
だがノックスは思う。
> (僕は、“諦める”という言葉では説明できない場所にいる)
努力しても届かない事実。
努力では届かない領域が、確かに存在する。
エリオットの言葉は正しい。
だから否定はできない。
ただ、その言葉はノックスに届かない。
ノックスが、住んでいる河原近くの借家。
家と言っても、ボロ小屋のようなものだ。
玄関扉の隙間、一枚の白封筒が置かれていた。
今朝、投函されたものだ。
封筒には、硬く印刷された文字。
> 「欠員枠による繰り上げ合格通知」
ノックスは眉を寄せた。
それは、“合格”ではない。
“拾われた”だけだった。
誰かが辞退した。
誰かが怪我をした。
誰かが死んだかもしれない。
理由はわからない。
ただ、その“穴”に名前が置かれた。
穴を埋めるための文字。
空白を隠すための紙。
選ばれたのではない。
必要とされたわけでもない。
学院にとってノックスは“欠員”。
ノックスにとって学院は“欠陥”。
封筒を握りしめ、強く指に力が入る。
紙が少し歪む。
破り捨てない。
捨てれば逃げになる。
持てば嘘になる。
ノックスは封筒を机に戻した。
音はほとんどなかった。
ただの紙切れが、
ただの人生を選んだ。
ノックスは小さく息を吐く。
> (この場所では、僕は“評価される存在”にはなれない)
魔術とは“威力”だと教わった。
評価されない魔術は存在しない。
存在しないものは価値がない。
この世界の正しさは、個人の感情とは関係ない。
たった一枚の紙が、
たった一つの考えを確信に変えた。
> “ここには僕の未来はない”
窓の外には、学院の旗が揺れていた。
紋章は魔導砲の象徴。
威力の誇り。
未来への軌跡。
風を受け、旗は誇らしげに弧を描く。
成果は威力。
価値は破壊。
魔術師は兵器であり、
学院はその製造工場だ。
ノックスは目を閉じた。
炎の色も、風の香りも感じない。
あるのは、ただ一つの答えだけ。
速度に未来があるかもしれない
だが、ここではそれは“間違い”として処理される。
だから――
ここにいてはいけない。
旗の影が、ノックスの部屋まで差し込んでいた。
その影は長く伸び、
ノックスの胸を暗く塗りつぶした。
未来を奪ったわけではない。
ただ、この場所に未来がなかっただけ。
ノックスは、小さく笑った。
「評価されない努力は、存在しない」
だから、評価される場所へ行く。
彼はその決断を――深く静かに受け入れた。
ここで、少年の“学院の物語”は終わる。
そして、魔術の物語が始まる。




