3-1 : ー学院が壊れる日ー
アストラム魔導学院は、美しすぎた。
磨き上げられた石床。
よく通る鐘の音。
白い旗は、一定のリズムでたわみ、戻る。
規則正しく、整っていて、乱れがない。
この三年間――
その「乱れのなさ」そのものが、アイザック・フォルティアには気味が悪かった。
*
午前の講義。
大講堂の最上段。
生徒会長席から見下ろす景色は、今日も変わらない。
黒板に、整った魔術式が並ぶ。
「魔術とは、魔力を威力として出力する技術である」
教師の声は淀みない。
生徒たちが一斉にペンを走らせる。
誰も疑わない。それが“正しい”から。
――少なくとも、表向きは。
(本当に、そうだろうか)
アイザックはノートを閉じたまま、目を伏せていた。
威力。
詠唱速度。
魔力総量。
この三つを極限まで鍛えた先――何があるのか。
答えは出ている。
“強い魔術師”。
軍は喜ぶ。
国は安心する。
学院は成果として誇る。
だがその「強さ」は、世界の脅威に釣り合うのか?
(脅威は、いつもこちらの想定の外側から来る)
街一つが半壊した魔族の襲来。
英雄たちが命を削って、辛うじて退けたという戦い。
敗因は――“威力不足”ではなかった。
情報がなく、理を知らず、価値観ごと踏み抜かれていた。
威力の外側から、負けた。
(威力に答えを求め続ける限り、俺たちはいつか同じ穴に落ちる)
だから、生徒会長になった。
権力が欲しいわけではない。
学院の「正しさ」を、内側から解体するためだ。
三年間――
膨大な授業記録。
訓練データ。
術式構造の推移。
成績上位者の魔術傾向。
すべて目を通した。
結果は予想どおり。
(美しい。だが、揺れがない)
誰もが威力を伸ばす。
詠唱を短くする。
既存の式を磨き上げる。
どこにも「別の理論」が生まれない。
どこにも逸脱がない。
まるで学院そのものが、箱庭であるかのように。
アイザックが息を吐いた、その時――
空気が、唐突に軋んだ。
――キン。
遠くの結界が、音を鳴らした。
金属を爪で弾いたような、小さく、しかし鋭い警告。
誰も気づかない。
アイザックだけが顔を上げた。
(まさか――)
大講堂の静寂。
その底を、何かが擦り上げる。
息が止まる。
――轟。
世界が破裂した。
壁が揺れ、窓が割れ、生徒たちが悲鳴を上げる。
結界の防膜が閃光を走らせ、床に魔力が降り注いだ。
視界の端で、空間が裂ける。
黒い影――“何か”が降り立つ。
魔族だ。
誰かが叫ぶより速く、アイザックは立ち上がった。
「全員退避!」
怒号が走る。
炎。
氷。
雷。
学院の“正しさ”のすべてが、一斉に放たれた。
轟音。
爆裂。
閃光。
しかし魔族は――歩く。
焼けない。
凍らない。
止まらない。
それどころか、ゆっくりと笑った。
(足りない――)
威力が足りないのではない。
“届いていない”。
魔族の身体には「深さ」がある。
人間の魔術は、表面で弾かれる。
努力では届かない。
天才でも届かない。
詠唱速度を極めても、威力を鍛えても――越えられない“壁”がある。
魔族の腕が振られる。
防壁が砕ける。
生徒たちが吹き飛ぶ。
アイザックは風を纏い、最前線に出た。
「退がれ!」
ウインド。
衝撃波。
風刃。
しかし魔族は、微動だにしない。
(……この三年間の結論が、今ここにある)
学院が育てた“正しさ”は――脆い。
風が震える。
魔族の身体が沈む。
(負ける)
確信。
その瞬間――魔族の腕が見えた。
速い。
速いのではない。
“深い”。
魔力が螺旋状に回転し、演算速度が人間の比ではない。
アイザックはその流れを「理解しないまま」見た。
(これが、種の差……!)
その時――後方から声が飛ぶ。
「生徒会長、下がって!」
炎が走る。
氷が縫う。
ルミナ・ウッド。
ルシアン・ド・レオンハルト。
学院の“正しさ”を体現した二人が、前に出た。
フレイムランス。
アイスジャベリン。
多重詠唱。
氷と炎が重なり――爆ぜた。
爆煙。
閃光。
視界が揺れる。
アイザックは息を吸った。
(届かない)
煙の中で――魔族が歩いていた。
笑っていた。
足音が、絶望を刻む。
アイザックは理解した。
この三年間の結末。
学院の努力の終着点。
研ぎ澄まされた“正しさ”の限界点。
その答えは、あまりにも残酷だった。
威力では、勝てない。
努力では、届かない。
詠唱速度を上げても、壁は壊れない。
魔族の手が掲げられる。
空気が黒く歪む。
死が落ちてくる。
アイザックは風を纏い、二人の肩を掴んだ。
「退くぞ!」
光が弾ける。
教室が崩れ、壁が砕ける。
三人は血だらけになりながら、瓦礫を飛び越えた。
背後で結界が破れる。
学院の鐘が、悲鳴のように鳴った。
――その時だ。
魔族が、一歩後退した。
まるで何かを“観測”し、終わったように。
背を向ける。
壁を破壊し、消えた。
残されたのは瓦礫と焦げ跡だけ。
沈黙。
誰も理解できない。
「……逃げた?」
誰かが呟く。
違う。
逃げたのではない。
“偵察”だ。
学院という箱庭の「強さ」を測っただけ。
戦いですらなかった。
目的は――研究。
その瞬間、アイザックは悟った。
学院は“試されている”。
威力の箱庭が、外側から観測されている。
魔族は――本当に来る。
(このままでは、壊される)
生徒たちの悲鳴。
血。
焦げた石床。
そして――誰より悔しそうに、拳を握る二人。
努力の象徴、ルミナ・ウッド。
天才の象徴、ルシアン・ド・レオンハルト。
彼らの魔術では届かなかった。
この世界の“正しさ”では届かない。
だから――
アイザックは、静かに言った。
「……外側へ行く」
二人が顔を上げる。
「学院の中に答えはない。
威力を積んでも、詠唱を削っても――届かない壁がある」
視線が交わる。
ルミナは震えながら言った。
「でも、外側なんて……誰が……?」
アイザックは一度だけ目を閉じた。
(この日が来ると、ずっと思っていた)
そして答えた。
「――ラピダス・ノックスだ」
瓦礫の中で、鐘が鳴り続けていた。
世界が変わる音で。




