2-13: ー名前のない魔術ー
陽が傾き、川面が金色に揺れていた。
風は冷たい。
だけれど――胸の奥は、どこか温かい。
ノックスは土に散らばる石を見下ろした。
三連――一瞬だけ成立した“現象”。
偶然にも見える。
しかし、それは偶然ではなかった。
(身体が……先に掴んだ)
頭が理解する前に、指先が“答え”を選んだ。
それが、速度。
努力でも、必死の集中でもない。
設計と反射の“重なり”で生まれた一拍だった。
ノックスはゆっくりしゃがみ込み、石を拾った。
手のひらで転がすと、刻印の痕跡が光を継いでいるように見える。
「……僕は、魔術を撃ったのかな」
問いは空に溶けた。
答えはない。
誰も答えてくれない。
師匠がいた頃なら――
焚き火の煙の向こうで、
「それはまだ“現象”だ」
と笑ったはずだ。
でも今、それを言ってくれる声はない。
ノックスは石を胸元に握り、
目を閉じた。
(“現象”でもいい。今は、それでいい)
魔術ではない。
体系にも属さない。
評価もされない。
点数にもならない。
ただ――“できた”という事実だけが残る。
> 結果が先、理由は後。
それが師匠の言葉。
それが、速度の始まり。
ノックスは立ち上がり、川の流れを見た。
水は止まらない。
どんな形でも、ただ前へ行く。
“流れる”ために名前はいらない。
(名前は――後でいい)
速度にタイトルをつけるのは、今ではない。
誰も知らない革命に、先に名前を掛ければ、それは嘘になる。
速度という概念は、まだ息をし始めたばかり。
骨にもなっていない。
形でもない。
ただ、未来へ進むための“筋肉の震え”だけがある。
ノックスは石を地面に転がした。
「……僕は、“作る人”になる」
撃つ人ではなく。
威力で比べられる人でもなく。
正答と失敗で測られる側でもなく。
魔術を、“未来にデザインする人”。
川の音が返事のように響いた。
学院の塔に、人の影がうっすら揺れている。
あそこでは今日も――威力を磨き、術式を洗練し、努力で勝ち続ける人たちがいる。
(努力が報われる世界は――壊したくない)
ルミナの言葉は痛かった。
でも、それはノックスの願いでもある。
努力が届かない世界を作るつもりはない。
むしろ逆だ。
(努力で届かなかったところに、“届く橋”を作る)
速度は、努力の否定じゃない。
努力が“別の形”で息を吸う場所を作る技術だ。
ホーンブル戦で――それは、わずかに成立した。
ルミナの魔術が届く形を、速度が用意した。
ノックスは静かに息を吐いた。
「……あれは、魔術じゃない」
声にすると、怖さが消える。
否定ではなく、事実の確認になる。
魔術ではない。
だから――名前は要らない。
名前がつくのは、**“魔術になった時”**だ。
学院が認めるからではない。
ルミナが驚くからでもない。
天才が理解するからでもない。
戦場で、誰かが生き残った時――初めて名前が宿る。
その日までは、影でいい。
誰にも知られず、笑われて、理解されない形でいい。
(影のまま育つ魔術……それでいい)
ノックスは手を広げた。
空を掴むように――何もない空間に、形を探す。
師匠の手紙。
最後の一行。
> 「君に幸あらんことを」
時間がない、と悟った師匠が
“書き残した理論”。
それは日記でも、教科書でもない。
ただ、“未来へ投げられた石”だ。
(拾うのは……僕だ)
速度は、まだ魔術ではない。
でも、魔術になるかもしれない。
その可能性だけは、本物だ。
ノックスは川へ石を投げた。
――ぼん。
小さな音。
世界がほんの少しだけ跳ねる。
「……この音が、“名前”を連れてくる」
誰にも届かない言葉。
でも、自分には十分すぎる約束だった。
いつか、誰かが言う。
“あの速い魔術、なんて名前?”
その時――
ノックスは胸を張って言えばいい。
「僕じゃない。
君たちがつけた名前が、本物だよ」
――と。
だから今は、名前はいらない。
ノックスは歩き始めた。
学院とは逆方向へ。
塔が遠ざかり、夕日が長い影を落とす。
川の音が、背中を押すように響く。
(速度はここから始まる)
小さな一歩。
誰も知らない革命。
名前のない魔術が、確かに息をしていた。
そして――
物語は静かに次の季節へ向かう。




