2-10: ー速度の設計図ー
森は静かだった。
葉擦れが低く、川が薄く光る。
湿った土の匂いが肺に落ちていく。
ノックスは、一つの岩の上に立っていた。
手には小石。
指先には薄い傷。
そして胸の奥には――**“速度の設計図”**がある。
(速くなるには、理由がある)
偶然速くなったわけじゃない。
努力で速くなったわけでもない。
**“設計して速い”**のだ。
それを言葉にできない。
説明するための理論がない。
だが――結果がある。
“あの日”の戦い。
ホーンブルの突撃。
群れの脚が、一秒だけ止まった。
その“一秒”がすべてだった。
(速度は――止める力になる)
倒す力じゃない。
止める力だ。
誰かの一撃を届かせる、一秒。
誰かを生かす、一秒。
戦場を変える“一秒”。
ノックスは息を吐いた。
手の中の石には、かすかに刻印がある。
外からはほとんど見えない。
それが“エングレイブ”――刻印魔術。
石自体が魔術になるわけではない。
魔術という“動作”を、石に代入しているだけ。
(師匠が言った)
> 「速さには仕組みがある」
仕組み。
つまり――再現性。
速さは、偶然では弱い。
速さは、運では無理。
速さは、“起こす”ものだ。
ノックスは目を閉じた。
川の音、風の匂い、土の重さ。
余計なものが消えていく。
(速度は、思考を殺すこと)
思考が入った瞬間、速度は死ぬ。
学院では逆だ。
考え、詠唱し、構築して――魔術が成立する。
でもそれは“遅さの魔術”。
速さは――考える前に成立する魔術だ。
師匠が言っていた。
> 「考えるから遅い。 考えようとするから、失敗する」
ノックスは目を開く。
一つ目の石を放つ。
――ぼん。
土が跳ねる。
音が遅れて届く。
その瞬間――二つ目の石が手にある。
考えていない。
動作が先で、脳が後。
(今だ)
二つ目を放つ。
――ぼ……ん。
遅い。
二投目が遅い。
思考が混ざった瞬間、速度は崩れる。
ノックスは理解する。
(“二つ目を考えた”から遅い)
“考えない”という命令。
でも、それを意識した時点で――遅い。
矛盾。
無理難題。
だから、師匠は言った。
> 「理解してからやるのは凡人。 やってから理解するのが――加速だ」
ノックスは、理解しないまま投げる練習を始めた。
考えないための練習。
「理解を捨てる練習」。
意味が分からない。
でも――やる。
手を開く。
落ちた石を拾う。
そして――投げ続ける。
止まらない。
止まった瞬間“考えてしまう”から。
考えた瞬間“遅さ”になるから。
止まらない――それが速度。
数十回。
数百回。
ぼん。ぼん。ぼん。
視界が滲む。
息が荒い。
痛みも疲労も――どうでもいい。
重要なのは“一秒を作る”こと。
たったそれだけ。
(……思考が消えた)
その瞬間――脳内で“何もなくなる”。
失うのではなく――“空白になる”。
過去も未来もない。
今だけ。
身体が先に動く。
脳は遅い。
石が飛ぶ。
空気が跳ねる。
音が遅れて届く。
一連の動作を理解“していない”。
ただ**“起きている”**だけ。
そして――
――ぼんッ!!
二連の爆ぜる音が一つの音に重なった。
一拍。
ただ一拍だけ。
二連が成立した。
理論はない。
理由はない。
説明できない。
だが、身体が答えを返した。
(……今、速かった)
ノックスは膝をついた。
指が震える。
腕が痺れる。
でも、笑っていた。
> 「速さには必ず理由がある。 理由は、“やった後に理解する”」
師匠の言葉が胸に刺さる。
理解はあとでいい。
今は、できればいい。
できた事実が先。
理論は、事実の後から追いかけてくる。
結果が先。言葉が後。
それが速度。
ノックスは立ち上がる。
足が震えても――止まらない。
石を見る。
土を見る。
指を見る。
「……次は、三連だ」
速度は“瞬間”では武器にならない。
速度は“連続した瞬間”で武器になる。
森の奥へと消えていく影は、
今誰も知らない速度を作っていた。
速度は偶然ではなかった。
速度は設計できる現象になり始めていた。




