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2-7: ー速度は革命になるー

――速度は、まだ名前を持たない


森は、湿った重さを纏っていた。

風が通らない。

音が籠もる。

地面の土が、獣の大きさを吸い込んで震えている。


その前に立つ少女の姿だけがまっすぐだった。


ルミナ・ウッド。


両手が赤く染まり、息が荒い。

掌が擦り切れているのは、詠唱を何度も短くしようと繰り返した証だった。


視界の先、倒木が焼け焦げる。


> 「――《フレイムランス》!」




光ではなく “刃” が走る。

紅い槍が空気を貫き、角を焼く。

ホーンボアが軋んだ鳴き声を吐く。


焦げた匂い。

土が跳ねる。

ルミナが一歩下がる。


「……っ、まだ……!」


追撃の詠唱が喉で止まる。

二体目が森影を割って出てくる。


角。

突進。

重量。

一歩後ろの世界を黒く塗り潰す 本能の塊。


逃げるという選択は、彼女にはなかった。

膝が震えても、立ったまま魔術を構築しようとしていた。


だが――間に合わない。


詠唱の“間”が、世界を遅くする。

突進の軌道が、一直線に迫る。


その瞬間だった。


土が爆ぜた。


> ぼん。




音が遅れて届く。

目に入ったのは、土が浮いた光景だけ。


ホーンボアの巨大な足が、 空を踏み外したように 歪む。

突進の角度が狂う。

木の幹へ肩から叩きつけられる。


「……え?」


ルミナは声を漏らした。

理解が追いつかない。


一瞬だけ止まった。

たったそれだけで――命が繋がった。


息を吸った瞬間、

もう一度 爆ぜる。


> ぼん。




二体目の足元。

土が跳ね、角が逸れる。

突進が、二体の身体同士をぶつけた。


世界が、 強制的に混乱させられた。


そこに――走りこんでいた影があった。


黒い髪。

粗末な服。

手には石。


ラピダス・ノックス。


彼は何の構えもなく、ただ走っている。

肩を揺らし、息を荒げ、石を投げているだけ に見える。


いや――違う。


投げた瞬間、

石は“現象”になっていた。


詠唱はない。

術式の線も見えない。

魔力の収束も、集中の気配もない。


ただ 動作と結果だけ がある。


投げる。

爆ぜる。

土が跳ねる。

ホーンボアの脚が乱れる。


それだけで、戦いが組み直される。


ルミナは目を見開いた。

彼が何をしているのか、言葉にならない。


(ただ投げてるだけじゃない……!)


動きが“先”にある。

結果が“後”に来る。

世界が、順番を間違えたようだった。


理解が追いつかない速度。


ノックスは走りながら、荒い息のまま声を出した。


「……無事、ですか!」


返事はできなかった。

言葉より先に、身体が反応する。


ルミナは詠唱を走らせる。

この**“一瞬”**があれば、届く。


> 「――《フレイムランス》!!!」




炎槍が、黒い巨体を貫いた。

角の根元。

致命の場所。


ホーンボアが崩れる。

土が揺れ、森が震える。

焦げた匂いが一気に広がる。


終わった。


戦場に、ようやく「終わり」が落ちた。


ノックスは、石を握ったまま膝をついた。

肩で息をしながら、ただ土を見ている。


言葉も、誇りも、説明もない。

自分が何をしたか分かっていない のは、本人の目に現れていた。


「あなた……」


ルミナがゆっくり近づく。

その口から、名前が零れた。


「ラピダス・ノックス、よね」


退学した落ちこぼれ。

欠員枠。

初級魔術すら撃てないと噂された少年。


その人物が、今、戦場を変えた。


それがどういう意味か、まだ誰も理解できない。


そのとき――

森の奥から足音がした。


剣を下げた、銀髪の少年。


ルシアン・ド・レオンハルト。


彼は静かに戦場を見渡した。

土が抉れた跡。

爆ぜた地点。

ホーンボアの死角に残った石の散り方。


理解できない現象を、理解しようとしていた。


口を開く。


「……詠唱はなかった」


ただ、それだけを言う。

感情も、驚きもない。

事実だけ。


「術式も、見えなかった」


空気に揺らぎはある。

それは魔術の痕跡か、ただの乱気流か――判断がつかない。


彼はルミナの肩越しに、ノックスを見る。


「“何をした”のか、君自身も分かってない顔だな」


嘲りではない。

観測者の声。


ノックスは、息を整えることしかできない。

言葉にできるものがない。


代わりに、ルシアンが言う。


「説明は要らない」


その言い方は、まっすぐだった。


「ただ――“起きた”ことだけは確かだ」


土が跳ねた場所。

崩れた角度。

詠唱のタイミング。


全てが一瞬の**“止まり”**を繋げた戦いだった。


ルシアンは視線を逸らさず、言葉を落とす。


「……“速度”と呼ぶしかない現象だ」


速度。

それは、まだ “名前になっていない言葉”。


世界のどこにも定義はない。

ただ、この戦場でだけ通じる言葉。


速度。

その一言で、全てが説明された気がする――

だが何も説明されていない。


理解は後回し。

現象だけが先に存在する。


ルミナは、燃え残る木の影で拳を握った。

悔しさでも、嫉妬でもない。

ただ純粋に――努力では追いつかない何か を見た震え。


その横で、ノックスは自分の手を見つめていた。

土。汗。刻まれた小石の痛み。


何が起きた?

それは、本人にも答えられない。


ただ分かるのは──


> 投げた瞬間、世界が変わった。




それだけ。


森は静かだった。

誰も言語を持っていない光景が、ただ空に残っていた。


速度はまだ、名前を持たない。


しかし、この瞬間から――

世界はその現象を、いつか“魔術”と呼ぶ日へ向かい始めた。


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