2-6: ー速度が戦場を割った日ー
森に火の線が走る。
「――《フレイムランス》ッ!」
ルミナ・ウッドの掌から、炎の槍が迸った。
熱線が倒木に突き刺さり、木肌が黒く裂ける。
焦げる匂い。
立ち昇る煙。
ルミナは深く息を吐き、指先を睨む。
「……まだ、遅い」
詠唱短縮。
術式密度。
魔力の流速。
その全てを何百回も繰り返してきた。
平民から学院に入り、努力だけを頼りに――天才の背中を追うために。
だから。
ホーンボアが現れた瞬間、逃げなかった。
灰色の毛並み。
一双の角。
大地を砕く重量の突進。
本来なら撤退すべき状況。
だがルミナは正面から受け止めようとした。
(私は“努力が届く世界”の証明でなきゃいけない)
一体倒した。
汗と魔力が搾り出される。
だがその先に――二体。
巨体が並んだ瞬間、空気が変わった。
詠唱はもう間に合わない。
魔力も枯れかけている。
(――間に合わない)
その瞬間だった。
ぼんッ!!
土が爆ぜ、ホーンボアの脚が沈む。
蹄が滑り、突進が一瞬だけ乱れた。
「……え?」
視線が揺れる間に、もう一度。
ぼん!
二体の間で地面が跳ねた。
衝撃で足場が崩れ、歩幅が狂う。
方向性がズレ、圧力が分散する。
そこに――走る影。
黒髪の少年。
片手に石。
ただ、投げている。
投げる。
起動。
爆ぜる。
詠唱なし。
光なし。
術式の形跡もない。
それなのに――止まる。
「なに……?魔術?」
ルミナには理解できない。
でも戦場は変わった。
“止める”という一瞬が、彼女の魔術に“届く場所”を作った。
ルミナは再び魔力を掴む。
「――《フレイムランス》!!」
槍が肩を貫き、巨体が崩れる。
土煙が舞う。
もう一体が呻くように暴れ――
その足元でも、ぼん、と土が跳ねた。
逃れようと体勢を立て直した瞬間を、ルミナは見逃さない。
「《フレイムランス》!」
首の付け根に突き刺さる。
炎が骨を焼き、巨体が崩れ落ちた。
静寂。
焼けた毛の匂い。
土の焦げる匂い。
ルミナは肩で息をしていた。
指先が震える。
その視界の端に――少年が立っている。
石を握った右手が震えていた。
息も荒い。
余裕なんて、どこにもない。
それでも少年は言う。
「……無事、ですか」
その声音に、奇妙な安堵があった。
ルミナは彼の顔を見て――名前を思い出した。
「あなた……ラピダス・ノックスよね。
欠員枠で入って……退学したって噂の」
噂は酷かった。
初級魔術も撃てない落ちこぼれ。
火花しか出せなかった少年。
その少年が――戦場を変えた。
「今の……魔術?」
問いは、半分は拒絶。
半分は恐怖。
努力では届かないものが存在する可能性そのもの。
ノックスは即答できない。
だが嘘もつけない。
「……まだ“魔術”と言える形には、届いていないと思います」
ルミナの視線が鋭くなる。
その奥には震える感情――“努力の世界を守りたい”心があった。
「努力では届かない魔術があるなら、私は許せない」
ノックスは言葉を失った。
彼女は間違っていない。
正しい。
努力は価値だ。
努力が報われない世界は――地獄だ。
(だから速度は、彼女の敵になる)
それでもノックスは静かに言う。
「僕は……僕の“努力”を積むだけです」
速度は奇跡じゃない。
天才の閃きでもない。
努力の別の形。
ただそれを、まだ彼女に言葉で説明できない。
その時――空気が切れた。
銀色の髪。
鋭い眼差し。
剣を携えた少年が茂みから現れる。
ルシアン・ド・レオンハルト。
学院二位。
誰もが認める天才。
「……派手にやったな」
ルシアンは二体の死骸と、抉れた地面を目でなぞる。
焦げ跡。土柱。石の散乱。
その全てを、**“戦場の軌跡”**として読む。
「威力はない。術式もない。詠唱もない」
淡々と事実を並べる。
否定ではない。
純粋な観測。
そのうえで――、
「……だが、“倒せる状況”を作ったのはお前だ」
それは、天才からの評価だった。
努力の価値を信じるルミナとは違う。
理解の魔術を信じるルシアンは――形を見ている。
視線がノックスに向けられる。
「さっきのは一回きりの現象だ。偶然も含んでいる」
ノックスの胸が小さく揺れる。
その言葉は痛い。
でも正しい。
「魔術は“再現性”だ。
誰が見ても、何度やっても同じ現象が起きる。それが魔術の定義だ」
ルミナが息を呑む。
それは、彼女が信じている努力の体系そのもの。
ルシアンは言う。
「ルミナの前で見せた現象は……まだ“魔術”とは呼べない」
言い切る。
だが、その声にはわずかな熱があった。
「――だから、“もう一度”見せろ」
ノックスとルミナの視線が交差する。
「一回じゃ足りない。証明にならない。
“偶然”じゃなく、“魔術”として再現してみせろ。
その瞬間――速度は術式になる」
ルシアンは背を向ける。
「学院は威力しか見ない。
だが俺は“形”も見る。」
去り際に、ただ一言。
「次は――自分の理論を証明してみせろ」
足音が森の奥に消えていく。
静寂の中、ノックスは自分の手を見る。
震えている。
それは恐怖ではない。
期待でもない。
――可能性そのものが、身体を震わせていた。
森の静けさが戻る。
だが、今までと違う。
ルミナの胸に残ったのは、言いようのない悔しさ。
ノックスの胸に残ったのは、“作る側になる”決意。
ルシアンの胸に残ったのは、“新しい魔術体系を観測した”高揚。
速度が――三つの思想を同時に揺らした瞬間だった。




