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ささがに

作者: 香坂

わが背子が来べき宵なりささがにの蜘蛛のふるまひかねて知るしも――『古今和歌集』、墨滅歌巻第十四。

 袂にさはとうごきてあるは、一匹の蜘蛛ささがになめり。おぼえず毛の太るここちぞそこはかとなくして、夢もさめてうちおどろきぬ。

 寝覚めの枕にかよふ夢のにあくがれたるにや、蜘蛛もにげず。手で払ひのごひてければさと隅ににけり。昔見し人と夢のかよにて逢ひけるとはまさしくこれにや、とおもひて寝るに、いとすさまじことかぎりなし。

 夏の夜の常夏の花の庭のあたりより匂へる風に、床の塵の積りだに吹きてうごくかとおぼゆ。寝くたれ髪の乱れもしらず、のきより漏れいづる月の光はさやかにて、されどものく、片敷かたしころもの狭き中に臥して天井を打ちまもりたり。

 おぼえず、透垣すいがいのあなたに人の声す。いとど懐かしげなる撫子の花の前栽せんざいの向かひにて、随身ずゐじん、童部なんどの夜なればとてひそやかにざざめいきたるも、にし方おもひやられて胸のつぶれるここちこそ。

 このむぐらの宿に人のおとなひたるはいかなる由縁にか、と怪しうおもふ方もなきにしはあれど、こは今見し夢のうつつにかはりたるよ、とおもへば嬉しさかぎりなく、夢うつつのけしきにて廊までまろびてでにけり。

 庭に蛍の飛ぶ、いときよらなる夜に吹く風も涼しげなり。わが身の貧しきも、くたしたる姿も、世を背きたる法師ばらのごときにはあらじ。かく荒れたる宿を住みかとするもただ世をすぐす運のつたなきにてこそあんなれ、守りゐる人のあらば、とおもひ上がりてありけり。

 車のとまりたるはかどの前なり。汗ばみて風の生絹すずしの内にかよひたる、いとなり。長夜ちやうやの闇にまどひたりけむ、ひたごころに恥づかしき人を待ちてあるに、我かのおもひせまりて苦しうおぼゆ。

「くはや、『昔とまりせし宿のしのぶもまた興のありつる、とおもひきや』と見えては君に片腹痛しな。はやいでよ、こや」とて随身ならむ男荒らかにののしりけり。牛飼童のわびことせし声も聞こゆ。車のうちならむ人の語りたるは、音(はつ)かにしてしかとは聞こえず。ただおぼろげなる声のみにて、何と言ひにけるやらむ、廊にひそみて打ち見たる女は、何と聞きにけるやらむ。

 女息をひそめてありけるに、ふと足にさはるものありて、見れば大なる蜘蛛なり。われからおどろかされて、わめきののしりて踊りあがりぬ。たちまち目の当たり曇りて、たふれ臥しぬ。蜘蛛は空知らずしてまた隠れけるとぞ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 誠に勝手ながら、感想を書かせていただきます。 正直、感服いたしました。中世文学の古典の中に一緒に並んでいても違和感なく読めてしまうと思います。 それでいながら、現代的な感覚もする気がします。…
[気になる点] 前栽≪ぜんざい≫ ⇒ 前栽≪せんざい≫ かな。 [一言]  面白かったです。  文章に広がりを感じるのはなぜだろうと考えさせられました。  で、結論は、一つには懐古文であること。古語は…
[良い点]  大多数の方はその難解さにしり込みをしてしまいかねない文章ですが、そういう方は何度かすらすらと、意味を考えずに読んで見られるといいかと思います。言葉の音の響きから来る情景描写はなかなか趣き…
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