第76話 少年たちを助けよう
「──お財布を盗んで、本当にすみませんでしたっ!」
グリークと名乗ったその綺麗な目をしたスリの少年は、深々と俺に対して頭を下げる。
市場の騒がしさは日常の雰囲気に戻っていて、もう立ち止まってこちらを見る者はいない。
青髪の冒険者が頭を下げる俺を見て、気に喰わなそうにグリークを解放して立ち去ってから、しばらくの時間が経っていた。
「それに、本来警吏に突起出されても仕方ないところを、助けてまでもらって……本当にすみませんでした……!」
「うん。謝罪の気持ちはよくわかった。もうするなよ……って言いたいところではあるんだが。そう簡単にはいかないよな」
「え、えっと……」
「どうしてスリをしたんだ?」
スリをするには、スリに至る理由があるだろう。
このグリークという少年には、特に。
謝り方を一つ聞いただけでも根が真面目そうだということがわかるから。
「実は……今朝、お姉ちゃ──いえ、姉が倒れて」
「えっ? お姉さんが? 医者には?」
「……行ったんです。でも、もっとお金が必要だから、診てもらえなくって」
「ご両親は?」
ブンブンと。首を横に振られた。
いないようだ。
それ自体は悲しくも、しかし珍しくはない。
そうやって一家の働き手を失くした少年少女たちが、他に頼るべき者もなくして、スリ集団に入って悪事に手を染めていく現状がこの世界にはある。
……だが、
「なあグリーク、お姉さんのところに案内してくれないか?」
「……! 助けて、くれるんですかっ?」
「助けられるかはわからないが、できることはしよう」
グリークはまだ、その道に落ちてはいないのだ。
俺に、この世全ての少年少女を救ってやろうだなんて傲慢な考えがあるわけではない。
そんなことができると過信しているわけでもない。
ただ、目の前の崖にぶら下がり苦しんでいる子どもから目を逸らす理由も、俺にはなかった。
* * *
おそらく、大きな病気ではないだろう。
それがグリークのお姉さん──フェヌを診た俺の感想だった。
「弟が、申し訳ありません……大げさに言ったようで。こんなところまでご足労いただいて、どうお詫びしたらいいか」
「いや、とんでもない」
フェヌはグリークに似た綺麗な瞳の女の子で、歳はオウエルよりも下だろう。
とても痩せ細っているようだった。
その物腰は柔らかながら、しかしその意志はオウエルに負けず劣らず強そうだった。
なにせ、本当にとんでもないことに、フェヌは俺たちが家に着いた頃には起き上がっていて、一度は倒れたらしいのに、懲りずに外に働きに出ようとしていたのだ。
今はなんとか俺とマチメでそれを諭して布団に戻ってもらうことに成功した。
フェヌは最初こそ起きていようと無理をしていたようだが、しかし体力が追いつかなかったのだろう、横になるやすぐに寝息を立て始めた。
「たぶん倒れたのは栄養失調のせいだろうな」
辺りを見渡してわかる、食料品の少なさ。
硬いパンの切れ端がいくつかあるだけだ。
「おっ、お姉ちゃんは……お姉ちゃんは治りますかっ!?」
「咳もないし、病気ではないと思うからそこは安心して。だが、食べるものがないんじゃ一向に体調は良くならない」
そんなわけで、俺はグリーク宅のキッチン……もとい、土間の真ん中に設けられた鍋置きへと向かい合う。
フェヌとグリークの自宅は、リデーの町はずれにある、山脈の端の森の中にひっそりと立てられていた小さな山小屋。部屋は分けられておらず、全てひとつながりになっていた。
「さっきの市場で新鮮なスパイスがたくさん手に入ったからな。これで栄養満点カレーを作るぞ」
「カリーなのですかっ!?」
「俺らが食べる用じゃないからな」
「あぅ、そうでした……」
肩を落とすシナモン。
ただそれでも調理の手伝いはしてくれるようだったので、土鍋でご飯を炊いてもらう。それには水瓶の中の水をたっぷりと使うので、一方のマチメには近場……とはいってもこの家からはだいぶ遠い井戸へと水を汲みに行ってもらっていた。
「普段からあまり食べられてないのか?」
ショウガを刻みながら俺が聞くと、姉の額に当てる濡れ布巾を替えていたグリークはコクリと頷く。
「最近、お姉ちゃんのいつもの仕事がなくなっちゃって、それで、代わりの仕事をいくつも掛け持ちしなくちゃならなくなったんです」
「いつもの仕事って?」
「ハバネリーパーの解体作業です」
思わず、俺とシナモンは顔を見合わせた。
「なくなったって、いつ頃……?」
「えっと、一ヶ月くらい前からです。その時からお姉ちゃん、朝早くから荷運びの仕事をして、夜は酒屋で働いていました」
「働き詰めだったのか。倒れた原因には過労もあったのかもな……」
「僕も、水汲みや木の実採りとかご飯の支度とか、家のことを手伝っていたんですけど……お姉ちゃんは僕に、外に働きに出る必要はない、って」
「ハバネリーパーの解体作業をしているときは、生活はそれほど苦しくなかったのか?」
「はい。ハバネリーパーの扱いには技術がいるので、それだけで生活はできていたし、だから僕も学校に……」
家の隅を見やる。
使い込まれたリュックサックが置いてあり、その中には粗い紙の束。ミミズのような文字が紙面を真っ黒に走っている。一枚の紙に板書の内容をこれでもかと敷き詰めて写したもののようだ。
「なるほどな。歳の割にしっかりとした受け答えをしていると思ってはいたが、君は学校に通っていたのか。どうりで優秀なわけだ」
「そんなことないんです……たった一人のお姉ちゃんすら守れないんですから。僕だけが勉強にかまけている間に、こんなことに……」
「……それは違う」
タマネギ、ニンジンと噛むのが楽になるように細かく刻む手を休めないまま、俺は言葉を続ける。
「グリーク、君が今学校で学んでいることは、将来必ずお姉ちゃんや君自身を守る力になってくれるものだよ。今はまだ、その時じゃなかっただけだ」
「……よくわかりません」
「学び続けていれば、いつかきっとわかる。お姉さんはそれをわかっているからこそ、君が学校に通うことを止めなかったんじゃないかな」
野菜を全て刻み終えると、俺は鍋に油を敷き、その上で豚肉のコマ切れを炒める。
ジュワッと香ばしいニオイ。
グゥ~ッと。グリークのお腹が低く鳴った。
「ご、ごめんなさい、つい」
「安心しな。ちゃんと君の分もある。おかわり分も含めてな」
こんがりと豚肉に色味がついたらいったん取り出して、もう一度油を敷くとホールスパイス (パウダー状ではないスパイス)を炒める。
焦げ付かないように木べらで鍋の中のスパイスを躍らせて、スパイスの中に含まれるオイルが揮発し、かぐわしい香りを放ち始めたところで野菜と多めの塩を。それに火が通ったら再び肉を入れる。
それからパウダースパイスを投下して、全てを一体に混ぜ合わせるように木べらを動かした。
「ただいま帰ったぞ!」
そう言って小屋の戸を開いたのはマチメ。
その両肩に背負った太い竹の両端にぶら下げているのは二十リットルサイズの大きな木桶で、その中いっぱいに水が汲まれていた。
「遅くなってすまなかったな。道中、山へ芝刈りにきて膝を痛めたおじいさんと、川で桃を背負って腰を痛めたおばあさんを乗せて家まで送っていたのだ」
「そうだったのか、ご苦労様だったな……川に桃? 山脈の方に果樹があったのかな……?」
「とても立派な桃だったぞ。まあそれはともかく、良いこともあったんだ」
そう言ってマチメが腰に吊るしていた袋の中から取り出したのは、手のひらに乗るサイズの茶色い壺。
「そのおじいさんとおばあさんはご夫婦でな。二人ともたいそう感謝をしてくれて、助けたお礼にとこれをくれたんだ」
「その壺、何が入ってるんだ?」
「ハチミツだそうだ」
「そりゃいいな」
ハチミツ、それは疲労に効くこと間違いなしの純然たる糖分。
「ちょっと分けてもらってもいいか? カレーに入れたい」
「もちろんだ。私もそのつもりでもらって帰ってきたのだ」
「ありがとう」
ハチミツを少量ずつ、味を見つつ混ぜ合わせていく。
食べやすい甘口になった。
さて、
「そろそろかな……」
俺はシナモンに任せていた土鍋のフタを取る。
ホワッ、と。
白い蒸気とともに姿を現したのは白い水面。
「おおっ、お粥というやつだな!」
マチメがめずらしそうに土鍋をのぞき込んで言う。
きっと食べたことがないのだろう。
体、頑丈そうだし。
「カリーはお粥のお供なのですか? 合うのでしょうか……?」
心配そうにカレーとお粥を交互に見やるシナモン。
まあまあ、案ずることなかれ、だ。
俺は土鍋のフタを開けて火にかけたまま、お粥の水分をある程度飛ばす。
その間に取り出したのは、先ほど市場で買っておいた鶏の卵。
殻を割って、中身を土鍋の中へと落とす。
「たっ、卵粥なのですかっ?」
「いいや、そのさらに上だ」
米と卵が混ざり合ったそこへと次に投入するのは──カレー。
「カッ、カリーがっ!!!」
「そう……俺が作りたかったのは最初からコイツだったのさ」
お粥とともにカレーを木べらで混ぜ合わせ続けながらグツグツと煮込む。
そして数分、水分がほとんど飛んでリゾット状になり……それはいよいよ完成した。
卵、ショウガ、タマネギ、ニンジン、豚肉、そしてハチミツ。一つ一つが栄養豊富なその食材らを使ってできたカレー、それが粥という消化吸収しやすい病人食とマリアージュして完成した最強栄養食──その名も、スタミナ満点カレー粥である。
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