第一章 『水無月火奈美』
バイトが夜十時に終了し、疲れ果てた身体でバイト先を後にする。
夜十時過ぎの道。
普段であれば特に何も気にしないのだがバイト先の女子大生が俺に話してくれた最近、街中で起きているという、猟奇殺人事件について聞いてから仕事にもあまり集中出来ないで要らぬ神経をすり減らしていた。
次のターゲットは、自分。
そんな事を冗談でも言われてしまったら、いくら襲われないと思っていても、本当に襲われる気がしてくる。
人一人の精神なんてたかが知れている。そうさ、人間の精神は意外と脆いんだ。虐めとは違うが、これもある意味、虐めと言っても過言でもない。
本当に冗談であって欲しいものだ、と呟いていると向かい側に立ちはだかる人影が現れた。
立ちはだかる人物は、意外と小柄だが手には、月明かりを浴びて鈍く光るナイフがコートの袖から見え隠れしている。
「げっ……マジかよ」
俺は、先ほどまで歩いて来た道のりをダッシュでUターンをする。そして、軽く後ろを振り返ってみると現れた通り魔は、しっかりと自分の後を追って来ていた。
嘘だろ、冗談じゃない、と思い速度を上げてヤツを振り切る作戦に出る。
だが、それでもぴったりと背後にくっついてくる。
街中に入ろうかと考えもしたが、凶器を持った人間を引き連れて街に入ったら辺りは、パニックになる。あえて、街に入るのを避け、街外れにある河原に引き連れて行く。
河原には、大きな鉄橋がある。そこに向かった。
鉄橋の周辺に設置されている外灯はチカチカと点滅と薄暗く辺りを照らす。
その影響で人気の全くない橋は、不気味に演出されていた。
俺は、鉄橋の上に差しかかると一瞬、立ち止まり振り返って後を見ると、通り魔は、背後でナイフを持った右腕を振り上げ迫り来る。
焦った俺は、咄嗟に通り魔の右腕に手を絡ませ、相手の勢いを利用し、投げ飛ばした。
通り魔は、身体を一本背負いで宙に投げ飛ばす。
そして、奴は地面に叩きつけられ、呻き声をあげた。
顔を隠していたコートのフードが捲れ、自分を襲った人物が露わになる。
「……女?」
フードの中から現れたのは、栗色の髪をした可愛らしい少女だった。
◆
とりあえず、鉄橋の上に少女を放置する訳にもいかず、例え四月に入って温かい気候に近づいているとしてもまだ、夜の肌寒さというのは消えない。
だから、この場に少女をそのまま置き去りにするのは、いろんな問題があるのでTake outする事にした。
まあ、普通に自宅まで連れ帰るのもいろいろと問題はあったが、自分を襲った理由というものに多少だが、興味が沸いてきてしまった俺は、彼女を自分の家に連れて帰る事にしょうと考えた。
彼女の持っていた凶器―ナイフを取り上げるが、これも持ち帰る訳にはいかない。
流石にこんな物をふらふらと持ち歩いていたらすぐに巡回中の警察官に見つかって補導されて仕舞うのがオチだ。
なので俺は、鉄橋の下の川にナイフを放り込む。幸にも川の流れが速いおかげで凶器は、絶対に見つかる事がないだろう。
まあ、何故、命を狙われた俺が凶器を処分しなければいけない、という考えに至るのだが、補導が怖いので考えている暇があるならさっさと帰ろうと思い、少女を抱きかかえて帰る事にした。
◆
時間は、零時を回っていた。
少女が気を失ってからかれこれ一時間ちょっとが経過したいる。彼女は、起きる気配がなく、すやすやと気持ち良そうに寝ている。
俺もいろいろあり過ぎて疲れていて寝たいのだが、流石に命を狙われている人間が命を狙っている側の前でそう易々と寝るわけにもいかず、朝まで部屋で読書でもして時間を潰そうと考えた。
「んっ……」
少女を寝かせているベッドに寄りかかり読書をしていたら、彼女が目覚めた。
「おはよう……起きてすぐで申し訳ないのだけどなんで俺を襲おうとした?」
俺は、寝起きの少女に問う。
「うっ……うわぁーん!」
少女は、いきなり泣き出した。ごめんなさいごめんなさい、と何度も唱えるように俺の顔を涙を零しながらも必至に見ようとする。
「ちょっ……泣くな、すぐに警察とか言わないから泣き止んでくれ」
「ほんと……ですか?」
彼女は、泣くのを堪えようとして涙を目じりに溜める。
それが少しだけ可愛らしいと不覚にも思ってしまった。
「じゃあ、早速だけどなんでナイフを振り上げ、俺に襲いかかって来たんだ?」
再度、俺は彼女に質問した。
そうすると少女は、恥ずかしそうに頬を赤らめてこちらを見つけてくる。
「あの……私の事……覚えていませんか?」
「君の事……さあ?」
「……えっ」
一瞬、殺意を感じたのか背筋に悪寒が走った。
彼女の眼を見るとナイフのように鋭く冷たい視線を俺に向けてくる。
「待て、待ってくれ!」
「忘れたなんて……忘れたなんて言わせない……言わせない」
彼女は、ベッドのシーツを強く握り締める。そして、凄みを増して行く。
俺は、必死に考えた。
目の前にいる少女と自分との関連性をひたすら脳内から洗い出そうとする。たぶん、思い出せなければ今日以降の朝日をこの眼で二度と拝む事が出来ないと無意識に感じ取りながら。
「……あっ!思い出した」
「良かった……私、先輩に忘れられたと……」
少女は、そう言って涙が頬をを伝い、零れ落ちる。
俺は、彼女のことを少しだが思い出す事が出来た。
彼女の名前は、水無月火奈美。
同じ学校の後輩、ちなみに一個下だ。肩ぐらいまである栗色の髪をふわふわ風に漂わせ、丸い大きな瞳が印象的な少女。俺は、去年の夏に水無月から告白された。
だが、俺は断った。
生まれつき家は、貧乏だった。そのため学校が終わったらすぐにバイト、休みの日もバイト。なぜ、ここまで高校生である俺が、働かなくてはいけないのか。それは、うちの家には父親がいないからだ。
俺の小さい頃に親父は、がんで死んだ。
母は、幼い俺を一人で育ててくれた。しかし、最近では体調を崩し、無理をさせているのがつらくなった俺は、母が少しでも楽になるようにアルバイトを増やすようになった。その結果、誰かと付き合う余裕がなかった俺は水無月を申し出を断ったのだ。
「水無月・・・・・・どうして俺を?」
「ごめんなさい、私私・・・・・・」
「・・・・・・」
泣き続ける水無月は、少しずつだけど何故、俺の命を狙おうとしたのか話してくれた。
その内容は、正直、普通の人が聞いて信じられる話ではなかった。だけど、何度かそういう体験に見廻れた俺には、多少ながらそれに心当たりがあった。
それは、『狂気感染』と呼ばれている。