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守る力①

 静まり返った法務官の執務室で、筆記具の走る、かすれた音だけが響く。

 署名の一文字一文字が、心身を引き裂く刃のように思えて、息が詰まった。しかし、主家の命は絶対だ。苦悩など、一切表に出さずに、淡々と為すべきことを為していく。

 長女ルチナと、商務官従家メクラトル家の次男エアネストとの婚約の覚書。エアネストが出所してから二年後、ルチナが十五歳になる年に結婚する、という内容だった。

 婿を取って手元に置いておくつもりだった愛娘が、身代わりとはいえ、罪人として収監される男の元に嫁ぐことになるとは。妻は弁えて何も言わなかったが、特に仲のいいエルドウィンやアドルフは、承知しないだろう。

 それでも、違法賭博で軍の権威を失墜させたメクラトル家を、放っておくわけにいかない。内側に入り込んで、目を光らせる監視役が必要だった。

 元締めとして甘い汁をすすったのは嫡子だが、すでに結婚していたから、兄の身代わりとなった次男に、娶せる運びとなったのである。

 署名を終えると、対面に座るメクラトル家当主と確認し合い、それぞれの主家当主が目を通した。

 最後に、法務官が一読する。そして、ひとつ頷いてから、用意してあった封筒に入れて、封蝋を垂らした。印璽が押されると、梟を象ったシエンティア家の紋章が浮かび上がる。

 法務官が、静かな低い声で告げた。

「――これで、全て揃いました。明後日より裁判が開廷しますが、合意した通り、一年の懲役で判決を出します。繰り返しになりますが、異例の措置ということをお忘れなきよう」

 彫りの深い青色の双眸が、すっと細まり、厳格な鋭い光が閃く。梟に狙われた鼠のように、メクラトル家当主が縮こまる。

 嫡子の暴走を知らなかったとはいえ、他家の領域に手を伸ばして、不当な利益を得たのだ。当然の報いだと、冷ややかに思う。

「法務官。骨折り、感謝する」

 隣で響く重低音。法務官が厳しい面持ちで頷くと、総帥が立ち上がる。憤怒に燃える群青の双眸。巨躯から見下ろされて、ますます震え上がる情けない姿。

 冷たく一瞥し、総帥と連れ立って、法務官の執務室をあとにした。


 春の到来を感じるぬくもった陽光が、薄絹の窓掛けから、淡く透けている。久しぶりの何もない休日の、のんびりとした昼下がり。

 札の山から一枚引いて、手札と見比べる。かなり強い絵柄だ。対面に座る親友をちらりと見て、勝負の掛け声を上げる。二人同時に表にして、すぐに卓に突っ伏した。

「……どうして、そんなに強い札持ってるわけ」

「すぐ顔に出るから。最初、あまりいい手札じゃなかったよね」

 微苦笑する秀麗な面立ち。無表情でいたつもりだったのに、どうやら感情が表に出てしまっていたようだ。

 率直さは長所だと、親友は言ってくれるものの、常に冷静沈着であることが求められる近衛騎士団の騎士にとって、あまり好ましい性質ではない。訓練を兼ねての札遊びですら、この有り様だ。悔しさに呻く。

「もう一回! 今度は絶対勝つ!」

「いいけど……たぶん、あと二回くらいだよ?」

 伸び上がって、机上の置時計を確認し、小首を傾げる。

 今日、エルドウィンは遅番なのだ。確かに、風呂に入って身支度する時間を加味すると、あまり時間がなかった。

「だから、次は勝てばいいんだろ」

 起き上がって、気合いを入れる。札をまとめ、混ざるように切っていく。強い絵柄が来るよう、気持ちをこめて、凝視する。

 と、扉を叩く音がした。はいと答えると、声変わり前の甲高い少年の声が返ってくる。

「次代様、兄上。アドルフです」

 手を止めて、親友と顔を見合わせる。

 従騎士は、前期と後期の課程で当番が異なる。睡眠は、身体の成長に必要不可欠だから、前期は昼間の早番のみだ。こんな時間に訪ねてくるはずがなかった。

 怪訝に思いながらも、札を置いて立って行く。

 引き開ければ、若緑の瞳が見上げていた。前期課程の従騎士を表す、濃い黄色のマントの裏地が、目に眩しい。

「どうしたんだ? その格好、今日は当番だろ」

「父から伝言です――エルドと、従家当主の執務室におこしください、と」

 エルドウィンが隣に立つ。意外そうに、新緑の瞳が瞬く。

「父上が? 二人でって?」

 小さな子供の頃は、一緒にということも多かったが、そもそも主家と従家では、担う役割が違う。従騎士になって以降は、それぞれの立場に応じて、教授されるようになっていたから、二人まとめてというのは、久しぶりだった。

「うん。大事な話だから、すぐにって言ってました」

 さらに謎が深まって、思わず顔を見合わせる。新緑の瞳が頷いて、同じように目顔で返す。向き直ると、微笑んで告げた。

「わかった、ありがとう。着替えたら、すぐに行くよ」

 にっと、いつもの明朗な笑顔。

 面差しは兄弟でよく似ているのに、表情が違うと、印象がこんなにも変わるとは。毎度のことながら、心中で感嘆する。

「はい。じゃあ、おれはもどります」

「――待って、アドルフ」

 礼をして立ち去ろうとするところを、エルドウィンが引き止める。おもむろに腕を広げて、優しい声が囁く。

「父上に、何か言われたでしょ。そういう顔してる」

 明るくへらへらしていた表情が、一気に歪む。

 まだあどけなさの残る顔。迷子が親を見つけたように抱きつく。

「……しょうがないんだ。おれ、いらない子だから……」

 エルドウィンが、ぎゅっと抱き締める。金色の髪を撫でながら、柔和な声で話す。

「父上は、立派な騎士になってほしいだけだよ。ちゃんと、愛してるから」

 小さく、うんと呟く声。軽く背中を叩いて身を離すと、優しく微笑んで促した。

「さあ、頑張って。今はできないことが多くても、少しずつ、できるようになるよ」

 不安そうに揺れていた若緑の瞳が、少しだけ元の明るい色を灯す。改めて礼をすると、部屋の連なる長い廊下を駆けていった。

 その後ろ姿を見届けて、ひとつ頷いてから、エルドウィンが強い口調で告げる。

「支度しよう。きっと、何かあったんだ」

 目顔で応えて、扉を閉める。

 衣装棚から仕官服を取り出し、私服を脱いで着る。用事の済んだあとに大浴場に直行できるよう、大判の手ぬぐいなどを揃えている親友に尋ねる。

「ブラッツって、どうしてアドルフにだけ、やたら厳しいんだ?」

「たぶん……そりが合わないんだと思う。小さい頃から、父上の言うことの真逆を行く子だったから」

 入浴の揃えを入れた籠の金具を留める、弾けた音。支度が済んだと頷き合って、部屋を出て、鍵を締める。

「アドルフには、アドルフなりの考えがあるんだけどね。でも、主家様の命を受けて忠実に動くのが、従家の務めだから。真夜を支える補佐官であることを、一番の誇りにしてる父上からしたら、我慢ならないんだと思う」

 深い溜め息。新緑の瞳が、憂いて揺れる。

 主家の訪問は、非常に気を遣う負担のかかることだから、屋敷を訪ねたことは、数回ほどだ。それでも、アドルフに対してだけ、ことさら冷たいと薄々察していた。いくら主家といえども、家族のことに首は突っ込めない。

 屋敷で――寄宿してからは執務館で、浴びせられる厳しい叱責。あどけない若緑の瞳が、泣かないように、必死に反抗心を燃やす様子は、見ていてつらかった。

 薄暗い宿舎の廊下から、扉を押し開けて外に出ると、一瞬目が眩む。冬の名残りの冷気が、頬をさすっていく。

「俺は好きだよ。アドルフのこと。あいつがいると、楽しくて飽きないもんな」

 歩道を行く先輩や同期、後輩と挨拶を交わしながら、明るく笑んで告げる。

 新緑の瞳が、柔らかく形を変える。

「うん、僕も大好き。一緒にいるだけで、本当に楽しい気持ちになるよね」

 薄青い空を仰ぐ。刷毛で描いたような、淡く広がる雲。

「父上も、きっとわかってると思うんだ。ただ少し、留め具の掛け方が合わないだけで」

「いつか――わかり合える日が来るといいよな」

 秀麗な顔が、温かく微笑む。

 執務館前の浅い階段を上ると、両開きの扉に手をかけた。


 一階の従家当主の執務室に入り、エルドウィンと並んでソファに座る。

 対面に腰かけたブラッツの、感情のない秀麗な面立ち。いつになく厳しい色に、思わず背筋が伸びる。

「次代様。休日のところ、お呼び立てして申し訳ありません」

 淡々と改まった口調。張り詰めた緊張感に、言葉が泳ぐ。

「え、あ……うん――大事な話があるって、聞いたけど……」

「はい。例の事件の処分が、決定しました」

 息を呑む。違法賭博事件の決着がついたのだ。

 昨年の初冬に一斉摘発が開始され、ペクニア街の金融商人が、元締めとして捕縛されたのが、年末の頃。一件落着かと安堵したのも束の間、金融商人の供述により、黒幕がいることが発覚したのである。

 そして先々月、商務官従家メクラトル家直系の嫡子が、真の元締めであると判明し、処分について、秘密裏に話し合いが行われてきたのだった。

「これからお話しすることは、くれぐれもご内密に。前回も申し上げましたが、嫡子の務めとして知るべきことのひとつと、お考えください」

 明緑の瞳を、真っ直ぐに見て、強く頷く。視線が隣に向くと、エルドウィンも、同じように首肯した。

 そうして語られた話は、さして驚くものではなかった。

 家にとって、嫡子は、何物にも代えがたい大切な宝だ。身代わりに次男を差し出すことは、当然の帰結と思われた。

 心情的には、刑期の短さも、真犯人が収監されないことも、納得いかなかったが、従家直系の嫡子の関わりが明るみになれば、それこそ、王宮中を震撼させる大事件に発展しかねない。事を平らかに収めるには、正しさを曲げなければならない時もある。ざらついた心持ちで、ひたすらに耳を傾けた。

 話が一区切りすると、エルドウィンが口を開いた。

「それで――〈迎える〉のですか? 〈送る〉のですか?」

 意図がわからず、思わず親友を振り見る。

 何かを怖れるような色の横顔。ブラッツの静かな声が、鼓膜を震わせる。

「今回は〈送る〉。ルチナが、エアネストに嫁ぐことになった」

 親友の秀麗な顔から、さっと血の気が引く。身を乗り出して、驚愕に震えた声を上げる。

「ルチナを⁉ でも父上、そんな……そんなことっ……!」

「弁えなさい、エルド」

 冷淡な低い声。エルドウィンが俯いて、口を引き結ぶ。新緑の瞳が、微かに滲む。

 話の流れが掴めなくて、視線が二人をさまよう。ブラッツが、静かに告げた。

「……監視役です。また何か不穏な動きがあった時、間者の役割を果たします」

 物騒な言葉に唖然とする。同時に、短い刑期の理由を理解した。

 一年程度であれば、病を得て、王都郊外で療養していると誤魔化せる。メクラトル家の関与を悟られないよう、法的な裁きは下しつつ、そうと知られずに間者を送る。男子が生まれれば、母方の血筋を盾に、騎士見習いとして兵舎に入れるのだろう。

 一時の刑罰ではなく、恒常的な制裁を課すことで、丸潰れにされた面目を保つ方を選んだのだ。

 俯いて、膝に乗せた拳を握り締める、親友を見遣る。薄絹の窓掛けに透ける光に、淡く輝く新緑の瞳。同じ色の、明朗な瞳の少女を思う。

「でも、何もルチナじゃなくったって……」

 双子の妹が、エクエス家の籍から外れると――ましてや、全く愛情の見込めない結婚をすると知ったら、アドルフはどんなにつらいだろう。

 それに、人手の関係上、フォルティス家とエクエス家の息女は、嫁がず傍系や他家から婿をもらうのが、通例である。末に生まれた子ならともかく、長女が嫁ぐのは、あまりないことだ。

 ブラッツも、目に入れても痛くないほど、可愛くて仕方ないはずなのに。

「直系当主の息女でなければいけません。メクラトル家は、それだけのことをしました」

 静謐に満ちた声。冷淡な色の灯った、明緑の瞳。おもむろに、口元だけが、いつもの穏和な微笑みを浮かべる。

「次代様。これは従家の者にとって、とても栄誉なことです。真夜である主家様のお役に立てることこそ、我らの誇りなのですから」

 不均衡な表情に、寒気が背筋を這う。

 瞳の奥底に揺らめく、凍てついた哀しみ。覚悟の裏にある本心が見えた気がして、胸が詰まった。

「アドルフは、知ってるの……?」

「……あれは、次男ですから」

 冷えた口調。視線がわずかに逸れ、眉根が微かに寄る。その形容しがたい表情に、言葉が継げなくなる。

 重い沈黙が覆う中、エルドウィンが、意を決したように顔を上げる。強い光を湛えた新緑の瞳が、真っ直ぐにブラッツを見つめる。

「父上。詳しい事情はともかく、嫁ぐことはお話しいただけませんか? 何も知らずに過ごすなんて、アドルフがあまりにも可哀想です」

 アドルフは騎士舎、ルチナは従家息女の入る寄宿学舎。会う機会は冬と夏の長期休暇に限られるが、だからこそ、惜しんで大切に過ごせるように、という思い。

 親友の真摯な心を後押ししたくて、同意をこめて、明緑の瞳をじっと見つめる。

 と、張り詰めていた糸が、ふっと切れたように、ブラッツの表情が、いつもの優しく穏やかな色に変わる。秀麗な顔に、どこか泣きそうな微笑が浮かんだ。

「……そうだね。そうしよう」

「ありがとうございます」

 ほっとして、エルドウィンの表情が緩む。こちらの視線に気づいて、顔を見合わせる。嬉しそうな安堵の笑み。目顔で返すと、新緑の瞳が柔和な色を灯した。

 そして、ふと思い出したように、視線が逸れる。執務机の置き時計。背を向けていて、盤面が見えない。

 ブラッツが、穏やかな声音で言う。

「今日は遅番だったね。――行きなさい。話はこれで全部だから」

 エルドウィンが返事をして立ち上がるのに合わせて、腰を上げる。

 見上げる明緑の瞳。穏やかな低い声が告げる。

「次代様も。お時間を割いていただき、ありがとうございました」

「アドルフのこと――抱き締めてあげて」

 微かに瞠った目。淡く揺れたあと、柔らかに滲んでいく。

「……お約束いたします」

 一瞬迷って、結局頷いた。

 そういう主命に従う言い方ではない形で返してほしかったのだが、壊しがたい隔たりが少しでもなくなるのなら、それでいいと思った。

 挨拶をして、執務室をあとにすると、廊下の薄暗さが際立つ。

 館の正面玄関の扉に手をかけた途端、大きく声を上げた。エルドウィンの身体が、びくっと跳ねる。

「ど、どうしたの?」

「課題やるの、忘れてた……」

 持ち手を握ったまま、がっくりとうなだれる。

 先週の、高等算術の講義で出された課題。

 苦手なものは、後回しにしたら必ず後悔すると思って、当日すぐに取り組んだものの、全く歯が立たなかった。記号だけの紙面を眺めていると、だんだん生き物か何かの絵に見えてくる。

 苦手意識で耐えきれず、記号がぐにゃぐにゃと蠢き始めたものだから、エルドウィンに質問しようと諦めて、そのままだった。

 今日は、せっかくの好機だったのに、親友と遊べる嬉しさで、すっかり忘れてしまっていた。しかも、提出期限は明日の夕方までだ。

 絶望的な気持ちで、そっくり伝える。愁眉を寄せて、心配した声が返ってくる。

「大丈夫? あれ、結構難しかったけど……」

「全然だめ。ブラッツに聞くよ」

 首を振りながら、さっきの今で、気まずさに呻く。

 とはいえ、主家直系の嫡子は、誰よりも秀でていなければならない。こんな醜態を晒せるのは、エルドウィンとブラッツくらいだ。

 ヘンリクスも、頼めば協力してくれるが、俺の実家は法務官なんだぞ、と苦笑いされたことがある。沽券のためにも、算術に関してはあまり頼らないと決めていた。

「それがいいね。頑張って」

 柔らかい声に頷く。

 励ますように、肩に置かれた手。その温かさに、気力が湧いていく。

「答案用紙、上に置いたままだから」

 優しく微笑んで輝く、新緑の瞳。上体を起こして抱き合い、早めのおやすみの挨拶を交わす。次に顔を合わせるのは、遅番と早番の交替時だ。

 少しだけ低い肩に、鼻をうずめる。子供の頃から慣れ親しんだ、日溜まりのような朗らかな匂い。温かな安心感とともに、心が奮い立つ。

 身を離して、主家直系の嫡子の執務室に向かうべく、階段の方へと向かう。背中越しに手を振ると、柔和な笑みとともに返事がある。

 開いた扉の隙間から漏れる、初春の陽光。余すところなく浴びて、うねる短い金色の髪と新緑の瞳が輝く。

 その綺麗な様が、乳白色の光の中に消えるのを見届けて、薄暗い廊下を歩いていった。

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