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暁の月【長編・完結】  作者: 清水 朝基
番外編~暗い淵の底
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二人の証

 いつものように、前室の扉を押し開くと、トリーナが、引き裾を広げて、礼をしていた。

 上衣の裾から覗く、鮮烈な赤。そして、結い上げた、長い金茶色の髪。今夜は抱けないのかと、少し落胆する。

 それでも、〈奉仕〉を行う姿は、なかなかに見ごたえのあるものだ。気を取り直して、差し出された細い手を取って尋ねる。

「貧血は? 身体は、つらくないか?」

 翠緑の瞳が瞪って、おもむろに微笑みに変わる。幸せそうに潤む色。柔和な声が返ってくる。

「平気よ。ありがとう」

 よかったと笑んで頷くと、導かれて、奥の階段を上った。


 強い解放感に、呻く声が漏れる。荒い呼吸の中で、上目遣いの翠緑の瞳を見つめる。

 香りづけした食用の潤滑剤にまみれて、なまめかしく光る、柔らかな胸。そこから覗く赤黒い先端に口づける、紅色の薄い唇。

 じゅっと音を立てて、残滓を吸い取る。えも言われぬ官能に、息を詰めた。

 金茶色の髪をひとつ撫でて、優しく告げる。

「――トリーナ、もう十分だ。良かったよ」

 目顔で頷いて、おもむろに離れる。口の端から一筋、白濁が、ゆっくりと垂れていく。

 わざと見せるためだと知っていても、美しい顔が男の欲の象徴に汚れる様に、ぞくぞくと、支配欲が煽られる。満ち足りた心地で、平常に戻りつつあるそれを拭うように舐める光景を眺めた。

 ひとしきり舌で始末をつけると、傍らのぬるま湯の入ったたらいに手を伸ばす。

 縁にかけておいた手ぬぐいを浸けて、固く絞り、まずは、柔らかな胸や白い腹を拭いていく。なまめかしい所作が、目に愉しい。

 それから、新しい手ぬぐいを用意すると、寝台に上がって、背後に回った。

 丁寧に、しっかりと背中が拭かれていく感触。そして、細い腕が、脚の間に回り、潤滑剤と唾液にまみれたそこを、優しく拭き取る。柔らかい肌が背に吸いついて、心地よい。

 少年の頃に初めて受けた時は、後始末までも〈奉仕〉のうちなのだと知って、驚いたものだ。

 しかし、かしづく光景が、征服欲を刺激して、これほどに昂るものだと気づいてからは、ある意味、貴重な愉しみとなっていた。

 寝台から下り、膝をついて見上げる、艶やかな姿。いつの間にか、顔は、綺麗に拭われていた。

「拭き足りないところはない?」

 ああ、と答えて、寝台の傍らに据えられた、低い棚の上の寝巻きに手を伸ばす。綺麗に畳まれた下着を履いてから着る。

 そして、同じように寝支度を始めようとしたところを抱えて、寝台に引き倒した。

「フェリックス……⁉ ――んっ」

 驚いた形ごと覆って、口づける。舌を絡めても、不思議といつもの味だった。あれほど注いで飲み込んでいたというのに、これも〈奥方〉の技というものか。

 唇を食みながら、柔らかな胸を揉む。頂きを弄えば、おもむろに硬くなっていく。

 愛撫に応じて、敏感に跳ねる、細い肢体。甘い吐息。

 唇を柔く吸って離れると、淫らに潤んだ翠緑の瞳と目が合う。戸惑って揺れる色。手は止めずに、喘ぐ様を堪能しながら薄く微笑む。

「やっぱり、こっちの愉しみも欲しいと思ってな」

「そんな――っあ……! あ、んっ……あぁっ」

 ぴんと立った頂きを、舌先でつつく。淫らな嬌声が、鼓膜を打つ。

 白い肌が上気して、なまめかしい。下肢にも触れたかったが、月の満ちている今は禁忌だ。

 まだ数回〈奉仕〉を受けただけの頃、制止を振りきって、寝具を汚したことがあった。

 瞳いっぱいに涙を溜めて、屈辱とも羞恥ともつかない表情で震える様に、もう二度と規律は破るまいと、強く心に決めたのだった。

 指先で頂きをこね、口に含んで転がしつつ吸う。

 脚の間で、揺らめく細い腰。喉で嗤って揶揄する。

「欲しくてたまらないんだろう。本当に、いやらしいな」

 羞恥に震える吐息。肘で上体を支えて、腰を合わせる。赤い内着の中、下肢を押さえている下着がずれないように、ほのかに擦りつける。もどかしそうに乱れる呼吸。

 再び胸に顔をうずめると、思うさま、その吸いつく白い肌を堪能した。

 細いくびれをなぞり、円かな腹を撫でて、また胸に戻る。耳を食み、首筋を舌でたどった。上半身を余すところなく口づける。

 甘い嬌声。揺らめく腰。頂きを含んで、軽く歯を立てる。細い身体が跳ねて、高く声が上がった。

 ほのかな絶頂。淫らに溶けた美しい顔を眺めようと、上体を起こす。

 淫靡に惚けた表情。しかし、翠緑の瞳は、虚空を漂っていた。何か思案するような、もの悲しい色。

 集中していないことに、いささかむっとしながらも、名を呼んで尋ねる。

「……どうした。眩暈でもしているのか?」

 はっとして瞪る翠緑。瞬間、美しい顔が、怯えた色に染まる。

「……あ、ごめんなさい……私……その……」

 目顔で続きを促す。行為の最中に、注意が逸れるほどのこととは何なのか。

 ためらって揺れる瞳。ゆっくりと、吐息とともに、言葉が紡がれる。

「いつも……月が満ちると思うの――どうして、子ができないのかしらって……」

 そんなことと、責めたいところを、ぐっと堪える。

 切実な声音。月の満ちている時は、心身がとても弱ることを、付き合いの中でよく知っていた。そして、神が命を吸って寝むように、女の月が巡ることで、漆黒の雫が垂らされて子ができるのだ。無下にはできなかった。

 起き上がって、寝台の縁に座る。寝巻きと使っていない手ぬぐいを差し出して、話を聴く体勢を整える。

 意図を察して、身を起こして拭う細い背中。本当は泣きたいのだろう。鼻をすする微かな音は、聞こえていないふりをする。

 踝丈の寝巻きを被って、首元の紐を結わえる、衣擦れの音。乱れた髪をほどいて、細い手が梳いていく。ほのかに漂う、香油の艶やかな甘さ。

 汗と混ざって、なやましい女の匂いに、思わず触れたくなる。しかし、背を丸めて微かに震える細い身体に、これ以上、負担はかけられなかった。

 寝支度が整い、隣に座ったところで、改めて問う。

「……ほしいのか」

 少しの間のあと、小さく頷く。翠緑の瞳が、不安そうに見つめてくる。

「フェリックスは……?」

 静かに尋ねられて、返答に詰まる。

 交われば、子ができる。

 当然のことなのに、今まで考えたこともなかった。耳心地のいい言葉をかけたところで、見えすいた嘘だ。傷つけるよりはと、正直に吐露する。

「……わからない。トリーナは、どうして?」

「それは――……」

 じっと見つめる、翠緑の瞳。切実に縋るような色。言葉もなく、ただ視線を交わす。

 恋慕う色が、灯って揺れる。〈仮初めの奥方〉として、口にしてはいけない思い。二人で過ごした歳月の証がほしいのだと悟る。

 その、純粋で直向きな心に、残してやれるもの。

 しかし、こればかりは、神の意思に任せるほかない。人にはどうすることもできない領域だ。

 深く息をつくと、ゆっくりと、言葉を押し出した。

「……俺は――たぶん、そんなにすぐには結婚しないよ。心配しなくても、しばらくは通うさ」

 嬉しさと疑問の混ざる表情。一瞬、瞳が逸れる。

 しかし、思い直したように視線が戻り、微笑みが、おもむろに美しい顔に広がる。

「待っているわ……ずっと……」

 頷いて、優しく口づける。

 本当は、尋ねたいことが山ほどあるだろうに、何も問わずにいてくれる態度が有難かった。ここにいる時だけは、家名も何もない素のままの自分でいたかった。

 揃えた膝に手を差し入れ、もう一方で背中を支えて、そっと抱き上げる。ゆっくりと横たえると、布団をかけた。

 かなり疲れたのだろう。うとうとと、翠緑の瞳が微睡み始める。

 静かに、柔らかく声をかける。

「少し呑んでから寝るよ」

 起き上がろうとするところを、細い肩を優しく押さえてとどめる。白い手を取り、口づけて微笑む。

「――おやすみ」

「おやすみなさい……」

 安堵した笑み。滑り落ちるように瞳が伏せられ、ほどなくして、寝息が聞こえ出した。

 傍らの棚に置かれた、灯りのつまみを絞って火を弱め、そっと立ち上がる。

 壁の備えつけの灯りを頼りに、ソファに座り、酒の入った瓶の栓を引き抜く。

 精緻な紋様の刻まれたグラスの中で、淡く煌めく、濃厚な黄金。呑み下せば、独特の香りが鼻に抜け、度数の高い刺激が、心地よく喉を滑っていく。

 脚を組んで、背もたれにゆったりと身を預け、深く息をついた。

 〈教え〉を受けた頃は、結婚して子をつくり、家を継ぐ――そんなごく普通の道があり得るのではと、まだ朧気に希望を持っていた。

 しかし、それは、伯父の思惑から外れることだ。二十歳になれば、縁談のひとつやふたつ聞こえてくるのが通常だが、沙汰は全くない。

 結婚自体に、さして興味はなくても、その状況が、まざまざと現実を突きつけてくる。

 伯父が望むのは、王家の嫡子として、妃を娶ることだ。フォルティス家の嫡子としてではない。他家から縁談を持ちかけられたところで、決して進めはしないだろう。

 無邪気に笑う、碧色の瞳を思う。

 健やかに成長する姿を見つめながら、迫る時を、ひしひしと感じてきた。本格的に事が動けば、もはやマニュルムを訪れることはできなくなる。

 静かな寝息。薄明かりに浮かぶ、なだらかな曲線。縋るように見つめる、切実さ。

(――真剣に、考えなければ)

 恋慕う心に残してやれるものを――別れても、証として、抱き締めて生きていけるものを。

 酒を呑み干して、グラスを卓に置く。

 壁の灯りを落として、布団に潜り込むと、傍らの灯りも消す。闇が、静寂に部屋を包んでいく。

 柔らかな体温。そっと身を寄せると、抱き締めて、緩やかに眠りに落ちていった。

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