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夜昼の夫婦①

 しんしんと冴え渡る空気の中、謁見の間の木扉が、重々しい音を立てて開いていく。

 この日のためにあつらえられた、銀色に輝く広大な式場。隣には、紺青の花嫁衣裳を纏ったアメリアが、銀細工の花束を手に佇んでいる。

 壮麗な装飾の扉が開ききると、普段よりもずっと長い引き裾を擦る歩幅に合わせて、絨毯の敷かれた道を、ゆっくりと進む。

 祭壇の後方に高く切られた窓。煌々と白銀に輝く真冬の満月に、深く礼をする。

 それぞれの父親役の元に分かれ、祭司を務める宰相に、揃って一礼した。父親として、伯父とヘンリクスが願い出る。

「ノクサートラ家が嫡子、フェリックス・レクス・ノクサートラ」

「ノクサートラ家が高王女、アメリア・レガリス・ノクサートラ」

「――この両名の結婚をご承認いただきたく、真夜の祭司に謹んで申し上げます」

 宰相が、左手を差し伸べて花婿の名を、右手を向けて花嫁の名を復唱し、承認する旨を宣言する。そして、本来ならば、宰相が神に祈り、結婚する二人は、神の名の下に添い遂げることを誓う。

 しかし、再婚する可能性があるため、行われなかった。代わりに、絆を結んでくれた神に感謝し、それぞれの父親に、互いを思いやり、大切に過ごすことを誓った。

 助祭司のダヴィドが、四角い銀の盆を差し出す。銀糸で、精緻な刺繍が施された絹布。

 その中央には、王家と王太子を示す紋章があしらわれていた。立太子したのだと、深い感慨が、改めて心に広がっていく。

 絹布を受け取ると、アメリアと向き合って、綿入りの敷物に膝をついた。

 幸福に満ちた、美しく聡明な面立ち。妃に立てられないもどかしさが閃いたが、この瞬間ほど、温かく幸せなものはないと思った。

 金褐色の頭に髪覆いを被せ、アメリアに頭帯を乗せてもらう。事前に練習したから、締め具合はちょうどよかった。

 正面に向き直り、それぞれの父親から、留め輪を戴いた。

 父親役の二人が、宰相とダヴィドから、銀の器を受け取る。そして、柄のついた玉を浸し、参列者に向かって強く振った。月の雫が灯りに煌めきながら、式場と参列者達に振り注ぐ。

 清めが終わると、ダヴィドが先導して、神を讃える(ことば)を歌った。声変わりの終わった、澄んだ低音が響く。

 どんな祭祀でも必ずするように、例に漏れず、声は出さずに口だけ動かす。

 すると、隣から気配を感じる。視線を向ければ、碧色の瞳と目が合った。祈って合わせた手が、小さく符丁の形を取る。

 ――歌わないの?

 ――歌わないよ。

 同じく符丁で返す。きちんと意味がわかったようで、悪戯っぽい笑みが浮かぶ。

 大方、教えたのはアドルフだろう。当番表を思い起こして、次に会うのは明後日だと確認する。

(絶対に締めてやる)

 アメリアが、微笑を残して視線を戻す。同じように前に直りつつ、控え室でのやり取りを思い出す。

 真昼の民であるため、参列できなかったエクエス家。式の前に訪ねてきて、祝辞を贈ってくれた。

 我が事のように、心から喜ぶ姿。様々な緑が、綺麗に輝いていた。

 窓を仰ぐ。冴えて光る、白銀の満月。多くの絆を与えてくれた神に、心から感謝した。


 入浴から居室に戻ってきて、寝室に入る。

 天蓋付きの大きな寝台。傍らの小さな棚に、手提げの灯りを置いて、腰かける。まるで、十五歳の少年に戻ったように、落ち着かない心持ちで、アメリアを待った。

 〈仮初めの奥方〉とは違い、手ほどきのない真にまっさらな清い身体。決して痛い思いはさせないと固く決意しながら、うまくいくだろうかと、不安が募る。

 永遠に思える時間の中、扉の持ち手が、ゆっくりと回る気配がした。立ち上がって、出迎える。灯りを提げた華奢な姿が現れた。

 しかし、扉を閉めて数歩進んだまま、動かない。いつもは(つよ)い光を宿す碧色の瞳が、頼りなげに揺れていた。

 歩み寄って、灯りを受け取り、つまみを絞る。緩やかに消えていく炎。

 手を繋いで、寝台の灯りを頼りに、歩を進める。すると、半ばでぴたりと止まった。穏やかに問いかける。

「怖いか?」

 ふるふると、首が振られる。金褐色の長い髪が揺れ、甘く華やかな香りが鼻をくすぐる。

 ほのかに震えて息を吸う音のあと、微かな声がこぼれた。

「……不思議なものね。ずっと、あなたがいいと思ってたのに……なんて言ったら――いいのかしら……」

 言葉を探すように揺れる、碧色の瞳。ただ静かに見守り、続きを待つ。

 ややして、俯いていた顔が見上げて、目が合う。促すように微笑むと、小さな声が告げる。

「……そうね……やっぱり、少し怖い……でも――」

 そっと腕に触れる、華奢な手。おもむろに、揺れていた表情が定まっていく。

「あなたと……夫婦に、なりたいの……」

 張りのある頬が朱に染まり、潤んだ碧色が煌めく。まだほのかに不安は残っていたが、いつもの勁さが宿っていた。

 柔らかに抱き寄せる。すっぽりと胸に収まる、小柄な身体。

 生涯をかけて守り抜きたいと、いとしさが全てを満たしていく。

 頭を撫でて、洗いたての豊かな髪に、口づけを落とす。見上げた瞳が、何かに気づいたように瞬く。

「爪先立ち……すればいいのかしら……?」

 なるほどと思って、軽くしゃがむと同時に、腰に腕を差し入れる。そして、背中を支えながら、抱え上げた。

 顔の距離が、一気に縮まる。仰いで微笑んだ。

「これで近くなった。君は本当に軽いな。剣の方が、ずっと重いんじゃないのか?」

「もう、それは言い過ぎよ」

 おかしそうに笑う顔。潤んで微笑む碧色の瞳を見つめて、口づけを交わした。


 厚織りの窓掛けから漏れる、冴えた朝の白い光。

 静かな寝息を立てる、可愛らしい寝顔を眺める。夫婦になったのだという実感が、じんわりと心を温めた。

 想像以上の深い喜び。いとしいひとと心身ともに繋がって、全てが溶け合うような感覚は、言葉に表しきれないほどの幸福だった。小柄で華奢な身体で受け入れてくれたアメリアには、ただただ感謝しかなかった。

 そっと、頬に触れる。今日はもう、ずっとこうしていたかった。

 しかし、光の差し込む角度は、起床時刻を告げている。長年の不規則な睡眠のせいか、起きると決めた時間に、きちんと目が覚めてしまうのだ。

 寝坊して、知らぬ存ぜぬを決め込めればいいのにと、少し口惜しい気分になる。

 薄紅色の頬を指先で撫でながら、そっと呼びかける。うっすらと碧色が覗き、緩やかに閉じていく。

 昨夜は、かなり長い時間をかけたのだ。おかげで、痛い思いはさせずに済んだが、やはり体力は、それなりに消耗したようだった。

 寝かしておこうかと、逡巡する。

 今日の王議は、定例報告が主だから、一人でもなんとかなる。昼から始まる結婚披露の祝宴に間に合えばいいのだから、朝寝しても問題はないのだ。

 ただ、初夜の翌朝に、一人置いて出ていくという状況は、あまりいいとは言えなかった。

「アメリア、もう起きる時間だよ」

 今度は、明確な声で話しかける。淡く返事があるが、瞼は開かない。そして、暖を取ろうとしたのか、無意識にすり寄ってきた。

 ふと、悪戯心が起きて、口づける。甘く唇を食みながら、徐々に深くしていく。

 切れ切れに名を呼ぶ声。離れると、朱に染まった顔に出会う。不服そうな音色が告げる。

「……こんな……起こし方、ある?」

「君が起きないからだろう」

 からかうように笑えば、ぷうと頬が膨れる。可愛い様に微笑んで、仕切り直す。

「おはよう、アメリア」

 丸くなった頬をつつく。碧色の瞳が一瞬逸れて、元の形に戻る。

「……おはよう」

 いささか不機嫌な口調。それでも、しっかりと目を合わせてくる。大丈夫だと判断して、起き上がる。同時に、扉を叩く音と侍女の声がした。

「お(やす)みのところ、失礼いたします。そろそろ刻限でございます」

「わかった。今行く」

 少し声を張って応える。扉から離れる気配がして、聞こえたと知る。

 寝台から下りようと(ふち)に腰かけ、軽く反って止まる。振り返れば、アメリアが、寝巻きの裾をつまんでいた。

「……ちゃんと、起きたから」

 そして、甘えるようにすり寄ってくる。

 じっと見つめる碧色の瞳。微笑んで、挨拶の口づけを交わす。

「御機嫌は、直られましたか?」

「……仕方ないわね」

 到底よくなったようには聞こえない口調。

 しかし、差し込む朝日に煌めく潤んだ瞳が、恥じらいのせいだと教えてくれる。素直ではない様子がむしろ可愛くて、顔が綻ぶ。

 立ち上がって、手を差し伸べる。触れて繋がり、すぐに掌がぴったりと合わさる。少し含んで微笑むと、耳まで真っ赤に染まっていく。

「……ずるいわ……」

 小さな呟きは、あえて拾わずにおいて、寝室の扉を引き開けた。


 朝食を摂って、身支度を整えたあと、いつもより遅く王議が始まった。

 アメリアとともに定例の報告を聴き、当主達の相談に乗る。

 自分の意見と提案を出しつつ、隣に助言を乞う、という手順を導入してからは、会議の流れをむやみに止めることは減っていった。そして、謙虚に学ぼうと、傾聴する姿勢で臨んだ。

 すると、回を重ねるごとに、当主達の態度は和らいでいった。むしろ安心して、胸襟を開いてくれるようになった。

 食堂での酒宴の翌日、アメリアから、避けていた理由を聴いた。

 相変わらず能力は足りないし、自信もないものの、卑屈な気持ちはなくなった。少しずつ経験を積んで、補っていけばいいのだ。

 順番の回ってきた商務官が、話し出す。数字の羅列と専門用語を散りばめた文章が、早口で滑っていく。息継ぎを見逃さず、割って入る。

「――商務官。勉強不足ですまないが、もう少しゆっくり話してくれないか? きちんと理解した上で、会議を進めたい」

「失礼いたしました。どのあたりから、お話しいたしましょう?」

 不快な色を一切見せず、恭しく応じる態度。

 半端なところで話を遮ってはいけない、という親友の助言は、効果てきめんだった。当たり前にできていたことなのに、本当に視野が狭まっていたのだと痛感した。

 ――確かに君は、数字が苦手だけれど、解説を聴けば、ちゃんとできるから。ゆっくり噛み砕いて話してもらえれば、大丈夫だよ。

 優しく笑う、秀麗な顔。消し飛んだ自信が灯る感覚に、その偉大さを改めて実感した。

 話始めを指定すると、今度は聴き取りやすい速度で言葉が紡がれる。専門用語は書き取っておき、最後に質問した。

 難解で嫌悪感のあった話が、するすると頭に入っていく。最近は、フォルティス家の分野とはまた違う楽しさを、感じるようになってきた。

 最後に、行政官の報告を聴き、全体の質疑応答を行って、滞りなく王議は終了した。


「アメリア、大丈夫か?」

 人が途切れたところで、隣を見遣って尋ねる。響かないよう、小さな声が答える。

「大丈夫……でもないかもしれない」

 結婚披露の祝宴。贅をこらした料理と酒を堪能しつつ談笑する光景が、眼前に広がる。

 移動式の暖炉を上限まで設置しているが、縦にも横にも広い謁見の間は、暖まりにくい。開始から何も口にできず、じっと座っているから、凍えてたまらなかった。

 もともと鍛えていて暑がりな自分はまだいいが、寒がりなアメリアには、つらい環境だった。

「手を貸して」

 丈の長い袖が差し出される。手を入れて繋ぐ。ひんやりとした感触。ほっとしつつも、微かに震える声が落ちる。

「さすがのあなたも、少し冷えているわね。いつもなら、熱いくらいなのに」

「今年は、鍛練にあまり時間を割けなかったからな。寒さには弱くなったよ」

 途端、アメリアの頬が、さっと朱に染まる。よく聴いていなければ、逃してしまうほど、ほのかな囁きがかすめる。

「……昨夜も、似たようなこと……」

 そういえばと、思い出す。

 寝巻きの上を脱いだ時、あまりにも凝視するものだから、どうしたのか、尋ねたのだった。

 あの頃より、ずいぶん逞しくなってるから、と甘く呟く声。

 これでも細くなった方だと返しつつ、好みを知って、もう少しちゃんと仕上げておけばよかったか、と思ったものだ。

「身体を動かした方が、調子がいいからな。今後も、鍛練は続けるつもりだよ。――楽しみにな」

「……もう……」

 恥じらって潤む、碧色の瞳。凍えていた手が、ほんのりと熱くなっていく。可愛らしい様に、触れたいという思いが募る。

 首を巡らせて、背後に控える警護の近衛騎士の方を向く。いつの間にか、エルドウィンでなくなっていたが、構わず耳を指差しながら呼ぶ。

 身をかがめて近づいてきたところで、耳打ちする。

「一度下がって、食事を摂る。用意してくれ」

 真顔で頷いて、承知の旨を伝えた次の瞬間、懐で素早く符丁が紡がれる。

 ――鼻の下伸びすぎだろ。気持ち悪いんだよ、ばーか。

 ――十歳下の幼妻をもらうくせに、気持ち悪いのはどっちだよ。

 片手のところを口の動きで補足しつつ、やり返す。

 自分が王家に戻れば、同期で未婚なのは、ウィンケンスだけになる。さすがによくないと思って、こっそり義伯父(おじ)に話したのだ。

 次代様がいるから、すっかり安心していた、と苦笑い。それは安心材料ではないだろうと、脱力したものである。

 そして、慌てすぎたのか、来年の春に寄宿学舎を卒業する息女を、娶らせることにしたのだ。

 ずいぶん遠い縁者で、エウゲニウスから聞いたところでは、やけ酒に付き合わされた挙げ句に泣かれて、面倒なことこの上なかったという。

 苦々しく歯噛みして、言い返せず、職務に戻る後ろ姿。あながち大仰ではないのだと知る。

 空いた配置に、静かな足取りでエルドウィンが立つ。

 職務中の無表情。しかし、新緑の瞳が優しく、おめでとうと微笑んでいた。ありがとうと目で返すと、正面に向き直り、宴に興じる人々を眺めた。

 ほどなくして、用意が整ったと報告があり、居室へと戻った。

 できたての温かな料理を食べ、香草を入れて煮た果実酒を、アメリアは茶を飲むと、かなり身体が暖まった。

 小休止で暖炉にあたりながら、ソファに座って二人で談笑していると、訪いがあった。名乗りに、アメリアと顔を見合わせて微笑む。

 扉が開き、見慣れた姿が現れた。近寄ると、きっちりとした礼をして言った。

「御祝いを申し上げたく、参りました。改めまして、御夫婦になられた由、誠におめでとうございます」

 王家に対する言葉遣い。むず痒いが、今纏っているのは騎士服だから、公的な立場になる。

 それでも、職務の合間を縫って、わざわざ訪ねてきてくれたのだ。嬉しくて、心から感謝する。

「ありがとう。本当に、あなたのおかげだ」

「私からも礼を言うわ、ヘンリクス。あの時、あなたが私の希望を叶えてくれたから――それからずっと、誓いの通りに行動してくれたから、フェリックスとこうしていられる」

 鮮やかに、初春の日が甦る。

 あの日から、全てが始まった。そして今、妻として隣にいる。この上ない幸福が、全身を満たしていく。

 聡明で澄んだ声が、優しく告げる。

「ありがとう。あなたこそ、最高の近衛騎士よ」

 薄青の双眸が、昼下がりの光に柔らかく輝く。滲んだ温かな色。微笑んで、ほのかに掠れた声が告げる。

「僭越ながら――私にとって、殿下は大切な家族でございます。どうか末永くともに歩み、添い遂げてください。御二方なら、必ずや、御夜(みよ)が雫をもたらしてくださることでしょう」

 繋いだ手に、華奢な手が重なる。その上に包み込むように置いて、見つめ合った。アメリアが、薄青の双眸を真っ直ぐに見て頷く。

「――そうね。そうなるよう祈るわ」

 勁く凛とした横顔。漆黒の神の結んだ絆だ。きっと授けてくれると、信じられた。

 ふと、職務用の真顔が、人の悪い笑みを浮かべる。

「殿下。励むことは大いに結構でございますが、あまり夢中になりすぎませんよう」

「……もちろんだ」

 溜め息まじりに答えながら、一番これが言いたかったのではと、思わず疑う。

 そして、隣はきょとんとしている。問いを発すると察してか、ヘンリクスがすかさず、

「それでは、私は職務がございますので。失礼させていただきます」

 と、流れるように礼をして、部屋を辞した。

 扉の閉まる音と同時に、繋いだ手が熱を帯びていくのを感じる。

「ねえ、フェリックス……励むって……」

 確認するように、碧色の瞳が見上げる。含みを持たせて微笑む。

「夜になればわかるさ」

 一気に耳まで赤く染まる様。可愛くて、たまらなくなる。瞬時に、窓に目を走らせて時刻を計る。戻るまで、まだ少しあった。

「――アメリア、来て」

 立ち上がって手を引く。戸惑いつつも、ついてくる姿。寝室の扉に手をかけると、声がかかる。

「……何も……しないわよね……?」

「戻らなきゃいけないからな」

 言いつつ押し開く。

 閉めた瞬間、抱き締めて抱え上げ、たっぷりと口づけて味わった。

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