赦し①
綿と毛の混織の下衣を履き、共布の立ち襟の上衣を着る。本来ならば、ここで脛丈の袖のない上衣を重ねて、ベルトを締める。佩剣はしない。
それが仕官服――祭儀のない平時に、六貴族や従家が出仕する時の衣服だった。
低い卓の上で、鈍く光る短剣を見下ろす。
よく磨かれた鞘に収まったそれは、王宮騎士団の警備兵が装備する得物だった。書庫などの狭い場所で取り回しやすいように、刃が薄くて軽い。そして、鋭利に斬れる。
警護の長剣は膂力で打ち斬るが、この短剣は触れて引いただけで、身を深く裂く。首に滑らせて断つには、最適だった。
嫡子の権限で、在庫数をひとつ誤魔化して、手に入れた。何もなければ、折って廃棄し、帳尻を合わせればいい。
本来の順序ではないところに、剣帯を締める。短剣を拾い上げて差すと、その上に上衣を着た。ベルトを締めて、姿見で確認する。予想通り、長い裾に隠れて見えない。
衣装棚の上に置いた、小さな刺繍絵を手に取る。紺青の絹糸で刺繍された、真冬の満月の夜空が美しい。昨夜のことが、心に浮かぶ。
夜勤を終えた朝の出迎えの時、もし都合がよければ、就寝前に本を読んでほしいと、アメリアに頼まれた。
不安に揺れる、碧色の瞳。最後の夜になるかもしれない。考えるまでもなく、快諾の意を伝えた。それから、積まれた書類を手早く片付け、湯浴室で汗を流して、遅めの午睡をし、夜を迎えた。
さすがに、昔と同じようにはできないので、居室のソファに隣合って腰かけて読んだ。
子供向けの短い物語。アメリアがまだ小さかった頃、お気に入りで、せがまれて何度も読んだ思い出の詰まった本だった。
本を繰る度に、昔はこう思っていた、今は感じ方が違うと語りながら、過ぎし日の記憶を分かち合った。
肩にもたれかかった、華奢な重み。腕に触れた手のぬくもり。洗いたての髪に馴染んだ、香油の華やかで甘い香り。
子供の頃に感じていた慈しむいとおしさとは違う、深いいとしさが、心を満たした。
読み終えると、頭を撫で、髪を梳いた。耳に触れ、擦り寄る頬を包み、指先で、その美しい輪郭を感じた。言葉は交わさず、ただ見つめ合って、時を過ごした。
幸福に潤む碧色の瞳。薄紅色に染まった、白く張りのある頬。小さな耳をなぞれば、唇から淡く吐息が漏れた。
その、艶を帯びて震える様。恥じらいの色が、灯りに煌めく瞳に浮かぶ。愛撫に身を委ねる美しい姿を、目に焼きつけた。
(どうか……生きて、幸せに――)
そっと絵を棚に戻すと、静かに自室をあとにした。
王議室に入ると、張り詰めた空気が身を刺した。
六貴族の当主が大きな長方形の卓を囲み、各従家当主が後方の椅子に控える。ブラッツの隣には、フォルティス家の関係者として、ヘンリクスが沈痛な面持ちで座っている。
外輪に設けられた次代当主の席に、腰を下ろした。
ややして扉が開き、アメリアが、警護の近衛騎士達を伴って入ってくる。皆一斉に立ち上がり、出迎えた。
中央に据えられた王太女のための豪奢な椅子に、優美な所作で座る。周囲にはわからないほどの一瞬、碧色の瞳と目が合った。
一同が腰を下ろし、ざわめきが収まるのを認めて、宰相が王議の開始を宣言した。
やけに緩慢に感じられる時間の中、定例の報告がなされ、議題が論じられていく。全ての次第が終了すると、宰相が定例会を閉会することを宣言し、臨時会を開くとともに、議長を法務官に委任する旨を告げた。シエンティア家当主が、深く頷く。
名を呼ばれて腰を上げ、質問を受ける者の位置に立った。対面のアメリアと、視線を交わす。
表情は、王太女らしい平静で聡明な色だったが、碧色の瞳は、不安に揺れていた。固い決意と深い覚悟に、心が静謐で満たされていく。
法務官が、静かな声で尋ねた。
「周知の通り――かの裁判にて、君はルキウス前王太子の嫡子である、という証言があった。現在、近衛騎士として仕官しているが、どういう事情か説明してもらいたい」
「仰ることの意味がわかりません。戸籍の通り、私は、フォルティス家直系の嫡子――総帥の実子です。罪人の戯れ言で、このような問いを受けるなど、甚だ遺憾なことです」
淡々と、しらを切る。自分でも驚くほど、心が揺らがなかった。
「では、王家の中でも希少な――その瞳の色を、どう説明するのかな」
あくまでも、静かな問いかけ。感情の凪いだ青色の双眸を、真っ直ぐに見つめる。
「私の祖母は、高王の御姉上です。そうした偶然もあるでしょう」
ふむ、と青色が瞬く。視線が逸れて、宰相に向く。
「人違い、ということでよろしいかな。このような問答をしたところで、ただ時を浪費するのみ。咎のない者を追及するのは、私の職分ではないのでね」
宰相が青ざめた顔で、口を開こうとする。しかし、法務官が遮るように静かに告げる。
「――閉会を」
初めて、青色の双眸に感情が灯る。有無を言わせぬ厳格な色。彫りの深い横顔が、ヘンリクスに重なる。
宰相が、浅く頷いて宣言しようとした、その時。
「殿下ッ!」
椅子が急激に押し出される音が鳴り響く。
立ち上がった伯父が、憤怒の形相で、こちらを凝視している。巨躯から、轟くような怒号が発せられる。
「なぜ、正しきを為さないのですか⁉ このままでは、真昼の娘が即位してしまうというのに、あなたはそれを看過するおつもりですかッ!」
法務官が、はっと振り見る。ヘンリクスの強ばった薄青の双眸。ブラッツの秀麗な顔が、みるみる青ざめていく。
「――ブラッツ!」
強い語気で呼びかけられて、身体が跳ねる。遠目でもわかるほどの戦慄き。凄まじい圧で、総帥が命じる。
「お前は、ルキウス王太子にお会いしただろう! 話せ!」
明緑の瞳が、酷く揺れる。蒼白になった顔。祈るように見つめる。しかし、苦渋に満ちた声が、語り出した。
「……総帥のご命令でお探ししていた時、マニュルムの古本市で、お会いいたしました……私は行商人に扮し、ルキウス前王太子は平民に身をやつし――そこで、まだ幼い御子息にもお目にかかりました。それが、そちらにいらっしゃるフェリックス王子でございます」
一斉に、全ての視線が集まる。
驚きの少ない数多の目。年若い者だけが、唖然としている。
「火事のあと、王子だけが生き残られて――恩寵の証が見つからず、悪戯に時が過ぎるのを案じて、やむを得ず戸籍を作成し、家系登録いたしました」
理解の表情が、緩やかに広がっていく。もはや押し通せないと知る。
上衣の留め具を一気に外して首をはだけ、裾を払って、柄に手をかける。ブラッツが、蒼白な顔で悲鳴を上げる。
「フェリックス! 剣から手を離しなさい!」
「嫌ですッ!」
強く首を振って拒絶する。身体が、戦慄いて止まらない。
「俺が王家に戻れば、殿下が! 殿下をっ……!」
対岸のアメリアを見つめる。
息が詰まって、視界が滲む。喘ぎながら叫ぶ。
「この手で殺すくらいなら、この首を断つ! たとえ御夜に悖るとしても、俺は――ッ!」
短剣を抜き放つ。首に宛がおうとした、その時。
けたたましい音を立てて、豪奢な椅子が倒れる。悲泣の声が、部屋にこだまする。
「馬鹿なこと言わないでっ! 私がそんなこと、喜ぶとでも思ってるの⁉」
茫然と、涙に濡れた碧色の瞳を見つめる。怒りと哀しみの混ざった色が迫る。
「あなたが死んだら、誰が私の頭を撫でてくれるの? 誰が私を抱き締めてくれるの? 諫めて慈しんで、守ってくれるの? ――ねえっ」
華奢な身体を乗り出して、必死に訴えかける声。
アメリアと過ごした日々が去来する。幸福で、温かな、かけがえのない宝物に満ちた日々。
「こんなにも愛しているのに、どうしてわからないの? あなたが傍にいなければ――あなたじゃなければ、私は生きていけないのにっ……!」
美しい碧色の瞳から、大粒の涙が溢れる。その、澄んだ雫。いとしいひとの心を知る。
剣を構えたまま、茫然と立ち尽くす。喘ぐ呼吸音が、張り詰めた空気に響く。濡れた碧色の瞳と、ひたすらに見つめ合う。
どのくらい、そうしていただろう。緩やかに、誰かが声を発した。
「総帥の次代よ。どうか、剣を収めてはくれまいか」
目を向けると、行政官が、こちらを見ていた。
歳月を重ねた穏やかな顔が、柔らかく語る。
「去る日、従騎士として、殿下の警護をする貴方の顔を見て、つくづく後悔したのだよ。また、過ちを犯してしまったと。謝って許されるものではないが――苦しませて、本当にすまなかったね」
優しく悲しみを湛えた、深い白藍の双眸。ゆっくりと、伯父の方へ向いていく。
「総帥よ。我らの代から始まった憎しみは、我らで終わらせようではないか。貴方も、十分苦しんだ。甥御が命を賭けて守ろうとしたものは、貴方が守りたかったものでしょう」
群青の双眸が、はっと瞠り、おもむろに滲んでいく。食い縛った歯から、呻きが漏れる。
「……アグネス……」
巨躯が、力なく崩れ落ちる。
とめどなく溢れる涙。伯父が守りたかったもの。守れず、壊れてしまったもの。
強ばっていた心が溶けていく。短剣が床に当たり、甲高い音を立てる。一気に身体の力が抜けて、膝をついた。
「――フェリックス!」
駆け寄ってきたアメリアに、抱き締められる。柔らかな髪の香り。ずっと感じたかった体温。華奢な身体を掻き抱く。
強く抱き返す、その細い腕。縋るように抱き締めて、声を上げて泣いた。
涙の潮が引いた頃、行政官の提案で、一度休憩にして、昼食後に再開することとなった。
何年ぶりかわからないほど久しぶりに号泣し、茫然としていると、宿舎で休んだらどうかと、行政官は言ったが、アメリアが頑として承知しなかった。
「だめっ! 絶対にだめ! 騎士舎には、刃物がたくさん置いてあるのよ! 私の目の届かないところに行くなんて、絶対にだめ!」
騎士にとって大切な剣を刃物呼ばわりされて、何とも言えない気持ちになったが、原因は自分だ。決して離すまいと頭を抱えられ、豊かな胸の中でぼんやりとしていると、そうですな、と行政官の優しく微笑む声がした。
それから、短剣と鞘、剣帯は、ブラッツの手に回収された。叱られると思ったが、頭をひとつ撫でただけで、何も言わなかった。
昼食は、アメリアたっての希望で、ともに摂ることになった。
かろうじて立ち上がったところに、触れて繋がった手。いつもなら諌めるが、そのぬくもりに安堵して、されるがまま居室へと歩いた。
出迎えた侍女達は驚いた顔をしたが、ひと騒動あったのだと察して、すぐに洗面の用意をしてくれた。
正午にはまだ幾ばくか早く、ソファに座って、食事の支度を待っていると、目の前に陶の器が差し出された。
いつの間にか、アメリアが、侍女に頼んで用意させたらしい。礼を言って受け取る。
温められた牛の乳の香り。そっと口をつけると、蜂蜜のほのかな甘みがした。ゆっくりと、飲み下していく。
乳と蜜の優しい甘さ。心が柔らかにほぐれ、思考を覆っていた霧が、おもむろに晴れていった。
ほっと息をつくと、アメリアが、穏やかな微笑を湛えていた。
「よかった。少し顔色が戻ってきたわね」
「……ありがとうございます……」
自分のものとは思えないほど、か細く掠れた声。そっと、頬に手が伸ばされる。
柔らかな温かさ。血の通った、命の温かさ。包み込むように、手を重ねて告げた。
「愚かなことを……いたしました……」
碧色の瞳から、はらはらと澄んだ雫が伝い落ちる。涙を含んで震える声が、鼓膜を打った。
「誓いを破るなんて、許さないわ――ずっと、私の傍にいて。もう二度と、離れようなんて思わないで」
胸が詰まって、ただ、はい、とだけ答えると、美しく優しい微笑みが花開いた。
食事をしながら、ゆっくりと会話をしているうちに、元の調子が戻っていった。食後の喫茶のあと、改めて礼を言うと、安堵した笑顔が返ってきた。
暖かな春の昼下がりの光に照らされた廊下を歩き、王議室に入る。着席していた当主達が、アメリアの姿を認めて、一斉に立ち上がる。
二手に分かれ、午前と同じように、対面へと向かう。
誰かが移動してくれたようで、椅子が置かれていた。だいぶ気力は戻ってきたとはいえ、怠さはまだ残っていたから、有難く腰を下ろす。
王議の再開が宣言されると、まず事実確認として、ブラッツが、改めて詳細な経緯を話すことになった。
知っていたこと、知らなかったこと――六年もの間、どうして平民として暮らしていたのか。
「馬車は、使用前に必ず点検が行われます。事故に遭った時点で、何者かが謀ったと気づかれたそうです。濁流から、ようやく岸にたどり着いた時、溺れて青ざめた幼い我が子を見て、とても戻ろうとは思えなかった、と――」
宰相の藍色の双眸が伏せられる。ブラッツが深く息を吸い、ゆったりと吐き出して、言葉を継いだ。
「それで、弟に王位を託し、事が落ち着くまでは身を隠そうと、王太子妃と話し合い、マニュルムに落ち延びた――とのことでした」
明緑の瞳に、強い自責の念が灯る。まるで、目の前にルキウスがいるように、ひたと中空を見つめる。
「私は苦言を申しました。子は、いくらでも替えが利く。民が苦しんでいるとわかっていて、なぜ悪戯に時を費やしたのか、と。殿下はただ微笑んで、何もお答えにはなりませんでしたが――今なら、その御気持ちがよくわかる」
秀麗な顔が、こちらを向く。ともすれば、涙しそうな明緑の瞳を見つめ返す。
「替えが利くと言われて、心の底からそう思える親など、この世界のどこにいましょう。愛する我が子を危険に晒してまで、穏やかな生活を捨て去ることなど、決してできない」
物思いに沈む、当主達の面持ち。非難を告ぐ者はいなかった。皆、同じ子を持つ父だった。
それから、家系登録までのいきさつを話し終えると、ブラッツが静かに問いかけた。
「次代様。恩寵の証を、お持ちではないでしょうか」
「――ここにあります」
胸元に手を当てる。襟の留め具を外し、銀の鎖を首から外した。黒い袋を掌に乗せる。
「父は、御夜の片眼だから、決して日光に晒してはいけない、と言いました。決して人に見せてはいけない、とも。ですから、この袋を開けることはできません。しかし、間違いなく、恩寵の証だと確信しています」
伯父を、そっと見遣る。静かな群青の双眸。
不意に、もしかしたら気づいていたのかもしれない、との思いが、心に浮かんだ。
他の当主達も、異議を述べなかった。そして、確証を得るためとして、漆黒の剣が収められた宝剣の間には、三日後の宵に行くことが決まった。
それから、短剣を隠し持っていた理由を語った。
伯父に課せられた使命。アメリアへの誓い。その狭間で、ふたつの選択肢のうち、ひとつが消えれば守れると、考えたこと。
「生きるために必死でした。自分は、総帥の嫡子なのだと刷り込んで、その名に恥じないよう励んできました」
突然持たされた、多くの引き出し。正解はたったひとつだったのに、首飾りは恩寵の証だとどこかで気づいていたのに、ただひたすらに、逃げ続けた。
アメリアのことだって、剣を振るうことを拒否すればいいだけだったのだ。
「恐ろしかった……! あの書斎で……たった、二人きりで……」
年嵩の当主達を見渡す。
様々な色を宿す、それぞれの顔。涙が、頬を伝い落ちる。
「……助けて……ほしかった……」
伯父の群青から、溢れて雫が一筋こぼれていく。獰猛に吼える巨大な獣は消え、そこには、憎悪に焼かれて苦悶した一人の男がいた。
「伯父上を……そして、あなた方を、責めるつもりはありません。もう、こんなことは終わりにしたい。私はただ、殿下の御身と御身分が保障されれば――それが、王家に戻る条件です」
こうして、アメリアの処遇について、話し合いが行われた。
コンシリウム家当主となった嫡子は、主人の子息として、アグネスとアメリアの所有権を放棄した。その上で、現状の戸籍と家系登録を元に、議論がなされた。
そして、行政官の提言により、アメリアは廃太子されることが決定した。
行政官が、五ヵ月にわたる調査により確認した制度で、ノクサートラ家が王となった最初期に定められたという。規定通り、アメリアは真夜の王の称号を返上し、前王の息女――高王女として、未婚のまま生涯を過ごすことになる。
議論が終結する頃には、すでに日が傾きかけていた。戸籍と家系登録の変更時期など、具体的な手続きに関わることは、恩寵の証を確かめてからとし、日中全てに及んだ王議は、幕を下ろした。
各々が散っていく中、安堵してアメリアと話していると、ヘンリクスが声をかけた。
「殿下。私は、こいつに話したいことが山ほどあります。宿舎には、きっちり送り届けますので、どうかお貸しいただけませんか」
言い様に、おかしそうにアメリアが笑う。そして、調子を合わせて、大仰に言った。
「煮るなり焼くなり、お好きにどうぞ」
「ありがとうございます」
きっちり礼をすると同時に、首根っこを掴まれる。頭半分ほど背丈が違うから、思いきり前かがみになって、反射的に呻く。
きっと、凄まじい勢いで叱られる。少年に戻ったような情けない気持ちでいると、アメリアが、そっと腕に触れた。
「今日はゆっくりお風呂に入って、よく寝てね」
優しい微笑みに和む。しかし次の瞬間、悪戯っぽい笑顔で、
「私の分も、よろしく頼むわね」
と、ヘンリクスに言った。
「お任せください。絶品に料理してごらんにいれましょう」
言うが早いか、文字通り連行された。
夕食から帰って、宵に沈む宿舎の廊下を歩いていると、自室の扉の前に、人影があった。
硝子越しの灯りに輝く金色の髪。親友の、すらりとした姿。
今日は早番で、職務はとうに終わっているはずだ。いつから、そうして待っていたのだろう。その心に、胸が詰まった。
歩み寄りながら、名を呼ぶ。はっとして、こちらを向いた秀麗な顔が、安堵と悲哀に歪む。
「父上から聞いたよ。本当に、なんてことを……」
新緑の瞳から、涙がこぼれる。こらえるように、それでも、とめどなく頬を伝い落ちていく。
「……無事で……生きて……」
近づくままに抱き合う。
服を握る、震える手。存在を確かめるように、腕に力がこもる。
「君がいなくなったら……僕は――」
しゃくり上げて泣く声。子供の頃から親しんだ、日溜まりのような朗らかな匂い。
もし、立場が逆だったら。世界が砕け散るような恐ろしさが、心を刺す。
団長の執務室で、ヘンリクスに、こっぴどく叱られた。涙の浮かんだ薄青の双眸。抱き締めて、泣いて謝るブラッツの声。
どれほど思われて、どれほど大切な人達を悲しませたか。切なく温かな涙が、頬を伝う。
もう二度と、決して命を投げ出しはしないと、心に誓った。




