裁判①
軍が騒動の終結を宣言した日と週を同じくして、王の警護の是非を問うために、軍法会議が開かれた。通常、フォルティス家の役職者のみで行われるところ、事の重大さから、他の六貴族の当主らを交えての開会となった。
まず、近衛騎士団団長とレクス隊隊長により、状況説明が行われ、レクス及びパラレ両隊配下の近衛騎士から、証言が取られた。そして、王太女が事実に相違ないことを認めると、総帥は、警護計画は事前に全ての六貴族の承認を得ていることを強調した。
結果、近衛騎士団団長とレクス隊隊長に責はない、と認められた。加えて、王の意向に従って顔を検分せず、その身を危険に晒したことは、不問に付された。
居室に戻ると、一気に心がほどける。溢れそうになる涙をこらえて、側仕えの近衛騎士に、気分が優れないから、昼食まで休むと告げて、寝室に入った。
寝台まで駆けて飛び込み、熊のぬいぐるみを抱き締める。何度も洗って補修して、だいぶくたびれてしまった。それでも、ふかふかした温かな抱き心地は、昔と変わらない。
父が贈ってくれた、あの日から。
ぽろぽろと涙が溢れる。心が痛くてたまらなかった。
予定調和のような軍法会議。愚かな王のために、正しい人を裁かなくて済んだと、安堵する六貴族当主達の五つの顔。死を望まれるほどに疎まれた父を思うと、苦しかった。
神の元へと還って一ヵ月余り。もっとできることがあったのではないかと、後悔ばかりが心に浮かぶ。
もし、もっと早くにフェリックスに引き合わせて、生きていたのだと説得できたら。まやかしの裏に隠れていた弱さを、孤独を、理解して、抱き締められていたら。
――ほおら、アメリア。熊のヌーヌーだ。お友達だから、大切にするんだよ。
どうして、可愛い娘でいられなかったのだろう。優しい父は、そこにいたのに。
「……お父様……! お父様ぁっ!」
大切な友達をひたすらに抱き締めて、抉れた心から血を流すように泣いた。
軍法会議の翌週、騒動に関わった者達の裁判が開廷された。
宰相次代当主とその次妹、そして、宰相従家当主の審判は、通例通り、シエンティア家敷地内の王宮裁判所で行われた。
また、〈太陽の剣〉の頭領は平民であったが、機密保持の観点から、同じく王宮裁判所で審理されることとなった。
商務官従家当主の次男は、医務官の立ち会いの下、医務院の療養室で審問がなされた。
その他の〈太陽の剣〉の関係者も、傷の程度によって同様の措置が取られ、無傷の者は、その住所を管轄する王都の街区裁判所で審理された。
傍聴は、王宮裁判所については厳しく制限され、六貴族及び従家の身分を持つ者のみが許された。一方、街区裁判所は広く公開され、民は長蛇の列をつくって、成り行きに聴き入った。
宰相次代当主の次妹カロレッタ・フルメン・カンチェラリウスの裁判は、法務官のみで審理が行われ、鑑定人として、産務官が同席した。傍聴は、既婚の女人に限定され、人数も制限された。
次妹は、調書の通りに経緯を述べて、潔く罪を認めた。
また、産務官は、次妹は確かに妊娠していること、陰部に複数の裂傷が見られ、日常的に暴行されていたことを説明し、極度に心を追い込まれた状態にあったと鑑定した。
以上のことから、殺人未遂罪ながら減刑され、斬首刑のところ、執行猶予三年の懲役刑二年六ヵ月が求刑された。
宰相次代当主ユリウス・クラン・カンチェラリウスについては、近衛騎士団団長の申し立てにより、非公開の事前審理が行われた。
王太女に長年仕えてきた近衛騎士達の証言から、傷害罪及び凌辱未遂罪が認められ、被告の主張は虚偽であるとして、退けることが決定された。
裁判当日、被告は一貫して事件への関与を否定し、無罪を主張した。しかし、医務官及び産務官による被告長妹の病に関する鑑定書、被告次妹の証言及び宰相従家当主の調書を根拠として、有罪と判定された。
そして、凌辱罪、近親相姦罪、弑逆未遂罪及び殺人未遂罪により、鉄交刑、去勢刑、斬首刑及び火葬刑が求刑された。
なお、嫡子の地位は、判決の確定をもって、宰相の次男に変更される。
宰相従家当主ワルター・カーサ・コンシリウムは、取り調べから一貫して罪を認めていたが、王の死は当然の報いだとして、悔悟の意思は示さなかった。
動機に情状酌量の余地はあるものの、神の寵愛を受けた真夜の王を弑逆した重大性から、刑の減軽は不相当であるとして、反逆罪及び弑逆罪により、火刑が求刑された。
商務官従家当主の次男に対し、総帥次代当主の殺害を指示した動機について、被告は、総帥次代当主はルキウス前王太子の嫡子であり、王太女が真昼の王として即位するには障害となると考えた、と答えた。
また、宰相より前王太子一家の暗殺を命じられた、とも証言した。六年後、生存していることが判明し、連れ帰るよう指示があったが、宰相への復讐として、前王太子妃を刺殺し、放火により前王太子を殺害した、と述べた。
前王太子の嫡子が生き残っていたことについて、被告は、
「失策以外の何物でもない。あの時殺していれば、と酷く悔やまれる」
と、苦々しげに語った。そして、総帥次代当主が前王太子の嫡子であると、判断した理由を問われると、次のように説明した。
「前王太子を知る者なら、誰が見てもわかる。六貴族や従家の年嵩の面々に、尋ねてみるといい。――特に、総帥に。病がちだった奥方に、子を為し産む力が残っていたと、考える方が難しい」
この返答に聴衆は驚き、あるいは胸中で同意した。
ざわめく傍聴席に対し、法務官は静粛にするよう求めたが、動揺は収まらず、その日の審理は打ち切られた。
職務を終えて宿舎で着替え、王宮裁判所のあるシエンティア家の敷地へと向かう。
今日は、親友が休日を利用して、ワルターの裁判を傍聴するというから、久しぶりに呑もうと話していたのだ。
しんしんと降る雪で、石畳の道が再び覆われ始めている。隣合っているとはいえ、敷地は広大だ。もどかしく思いつつも、転ばないよう、ゆっくり小股に歩く。
ようやくたどり着くと、ちょうど終わったのか、中から続々と人々が出てくるところだった。
正面口の堅牢な木製の扉の前で、外套の雪を払いつつ、親友を待つ。見るともなしに、粉雪の舞う白銀の景色を眺めていると、
「今の背の高い方が……?」
「確かに、紺青の瞳だわ」
と、囁き声が聞こえた。そして、ちらちらと視線が向けられる。皆一様に同じ反応で、何かあったのだろうかと、怪訝に思う。
ほどなくして、エルドウィンが現れた。すぐにこちらに気づいて、人の流れから外れてやってくる。
秀麗な佇まいの長身が、優雅な所作で歩く様は、人々の目を惹きつけた。どこか嫌な感情のこもった視線が、一気に惚けて柔らかくなる。特に、若い娘達は、寒さではなく頬を上気させて、熱い眼差しを向けている。
さすがだな、と感心しつつ、新緑の瞳に宿る真剣な色に、気を引き締める。親友の策があると踏んで、何もせずに待つ。
すると、いつもの距離ではなく、少し離れたところで立ち止まった。腰を折って礼をし、澄んだ声で言った。
「次代様。寒い中、お待たせいたしまして、申し訳ございません」
やはり、何かあったのだと悟る。顔を上げたところを頷いて、調子を合わせる。
「構わない。行こう」
促される方へと向けて歩き出す。
宿舎とは逆の方向。執務館前の道を、ただ黙々と歩く。ただならぬ空気に、たまらず声をかけた。
「なあ、エルド――」
「……ごめん。少し待ってて。今すごく、混乱してるから」
いつになく固い声音。自制心の強い親友の動揺に、再び口を閉ざしてついていく。
最も南の通用口から、フォルティス家の執務館に入ると、ようやく立ち止まる。振り返った面立ちは、雪のように白かった。小さく、声が落ちる。
「……事実だけ、話すね」
言い方に戸惑いながらも頷く。長い溜め息が、淡く形を為して消えていく。
「義父上が――君を殺そうとしたのは、ルキウス前王太子の嫡子だからだと証言した」
息を呑む。鼓動が、早鐘を打つ。震えた声がこぼれる。
「そんなこと……あるわけないだろう――そもそも、取り調べの時は……動機を、黙秘していたじゃないか」
何かを察したように、新緑の瞳が揺れる。信じてほしいと願って見つめても、不安の色は増すばかりで、ついに逸れた。
「……ごめん。今日は帰る。頭を冷やして、整理したい」
「整理って、何を」
心が怖れて戦慄く。詰問するような口調になってしまった。秀麗な顔が、渋面に歪む。
「わからないよ、僕だって。情報が少なすぎる。父上は遅番だから、聴けないし――でも、真実なら大変なことになる。考えなきゃいけないことが、たくさんあるから……」
苛々と棘のある声。険を含んだ調子に、動揺が深まる。口が妙に歪んで、不自然な笑顔をつくっているとわかっているのに、止められない。
「だから、そんなわけ――」
「もう黙って! お願いだからっ!」
新緑の瞳が、冷たく燃え上がる。激しい悲憤の色。必死に抑えた感情の奥底に、ずっと嘘をついていたのかと、責める叫びが閃いた。
息が止まる。ぷつり、と何かが切れる音がした。
不意に、金色の睫毛が伏せられて、秀麗な顔がそむけられる。苛立ちに戦慄く、深く長い溜め息。穏やかな声が告げる。
「……とりあえず、僕は父上に状況を報告しに行く。君は、何か言われても、裁判記録にありましたね、とだけ答えて。事実と違うことは、言ったらだめだからね」
ただ、頷く。自分のことを、自分よりも知っている、親友の言葉。
それは、何を庇うためなのだろう。沈むように悟った途端、掠れた声が、滑り出ていた。
「……主家を――父上を、守ってほしい」
新緑の瞳が歪んで滲む。悲痛な声が、白い喉を裂く。
「フェリックス……ごめんっ……!」
そして踵を返すと、真っ直ぐに長い廊下を駆けていった。
朝の静けさの中、靴底が石畳を叩く硬い音が、高い天井に反響していく。夜勤明けの霞む頭で、やり残していることはないか、順に確認する。
アメリアには状況を伝えた。宿舎に帰る部下に頼んで、アドルフにヘンリクスの屋敷へ向かうよう指示した。
エルドウィンは、フェリックスは――心配でたまらなかったが、その前にと、ひとつ頭を振る。
王殿を出て、執務館に続く渡り廊下を足早に抜ける。館に入ると、二階に上がり、総帥の執務室の扉を叩いた。
当主の朝は早い。予想通り、返事があった。名乗ると重く低い声が、入れと告げる。
断って扉を押し開けると、重厚な装飾の執務机に向かう巨躯があった。近寄って、礼をする。
「ブラッツ。ちょうどいいところに来た。これを、法務官に渡してくれ」
一通の封筒。受け取ると、言葉が継がれる。
「申し入れ書だ。昨日、エルドウィンから聞いた。――証言は事実無根。フェリックスは、血を分けた我が子だ。甚だ遺憾だ、と記してある」
思わず、主の双眸を見つめる。
全く疑いのない群青。完璧な父親の面立ち。心に躊躇が閃くが、意を決して口を開く。
「今こそ、真実を明かすべき時ではないでしょうか。陛下がお還りになり、もう何も憚ることはございません。殿下からは、真夜の王家が即位すべきだと、言質を得ています。戸籍と家系登録を修正するよう、行政官様に申し立てて――」
おもむろに、怪訝の色が、群青の双眸に滲んでいく。悟って言葉を切る。
封書を軽く掲げて、早急に法務官に渡す旨を伝えると、平静な口調で返事がある。いつも通り礼をして、執務室を辞した。
シエンティア家の館に続く外回廊を目指して、廊下を歩く。苦しさに、心が喘いだ。
(……もし、父上がいらっしゃったら……)
病を得て、早くに逝ってしまった父。
当主の生まれた頃から補佐官として仕え、まるで本当の兄弟のように、深い絆を築いていた。静かに還った父の身体に縋りついて号泣する姿を、二十年以上経った今でも、鮮明に覚えている。
そして、もう一人、厳しい冬を越せなかった。
もともと身体が弱く、難産から、なんとか細々と命を繋いできた奥方。まだ九歳だったヴィクトリアを慮って、涙を見せずに葬儀を取り仕切る様は、本当に痛ましかった。
兄と慕う腹心と最愛の奥方を立て続けに喪い、心の抜け落ちた姿を目の当たりにしながら、支えになれなかった。
二十歳になったばかりで代替わりした若輩者に、何が為し得ただろう。経験を積むほどに、あれ以上は無理だったと顧みながら、後悔が心を苛んだ。
(私は……誰の支えにもなれない――)
最も重んじるべき当主の孤独を癒すことができず、戻りたくないと縋って泣くハンナを見捨て、弟として大切にいとおしんでいたヘンリクスを選ばなかった。
そして今、エルドウィンとともに、我が子のように育んできたフェリックスを追い詰めようとしている。
法務官がこの封書を受け取れば、きっと疑念を深める。自分と同年代なのだ。あのよく似た顔立ちを見て、何も思っていないはずがない。
ヘンリクスが協力を依頼したというが、法をたわめるわけにはいかない。執られる措置は、よくて裁判中を理由とした通達程度だろう。そんなもので、人の口を塞ぐことはできない。
外回廊への木扉を開ける。冬の凍てつく寒さが頬を刺す。鼻をすすって、南へと向かった。




