束の間の休息①
医務官に頼みこんで、王の葬儀と納棺に出席した翌日、無理がたたったのか、高熱を出して寝込んだ。
葬儀までだとあれほど言ったのに、と医務官がぶつぶつ文句を言うのに苦笑しながら、刺されたという事実の重大さを、今さらに実感した。
最初の一週間は、とても静かなものだった。療養に障りがあるからと、限られた者のみ見舞いが許された。
家族としてヘンリクスとヴィクトリア、従家の代表としてブラッツが来てくれた。
伯父が見舞うことはなかったが、王が弑され、カンチェラリウス家に三人も捕縛者が出る、という大事件が起きたのだ。総帥の務めで身体が空かないことは、よく理解できた。
医務院は、フォルティス家の敷地と隣接しているから、帰りがけに寄れたかもしれないが、伯父なりの気遣いだろうと受け止めた。
ブラッツの話によれば、ユリウスは、押収された短刀を護身用だと供述し、無罪を主張しているという。しかし、刃に毒が塗られていたことから、シエンティア家の監視棟に留置されている。
しかも、収容前の検査で、次妹の妊娠が発覚し、兄に強いられた上、総帥の次代を殺すよう脅された、と話している。
また、長妹も同様に検査が行われたが、やはり純潔の証が見られなかった。その発言から、犯行は、ユリウスの指示によるものと推察されたものの、心を患っていると診断されたため、慎重に取り調べが進められている。
おぞましい顛末に吐き気がしたが、とりあえず、ユリウスが王殿をうろつくことはない。アメリアの安全が確保されたことが、何よりのいい知らせだった。
そしてアメリアは、一日の務めを終えると、必ず訪れた。二人きりの療養室。警護は、廊下で待っているという。そんな中で、まるで小さな子供に戻ったように甘えた。
隣に寝転んできた時は、さすがに慌てたが、繋いだ手に縋りついて泣いたり、安心してうとうとと微睡んだりする姿を見るにつけ、諫めるなど到底できなかった。
起き上がれるようになると、今度は膝枕をして、髪を梳き、頭を撫でた。
とろとろと潤む、碧色の瞳。交わす言葉は少なかったが、少しずつわずかな歩みで、心が癒えていく様子が伝わった。
ただ、何かを越えてしまいそうで、抱き締めはしなかった。アメリアも、抱き締めて、とは言わなかった。
どこかふわふわした時間を過ごす日々。人づてに聞く、捕縛者達の供述や、王都の暴動の状況が、遠い夢のように感じる。
そんな中、ようやく見舞いの制限が緩和されて、エルドウィンとアドルフがやってきた。
久しぶりの賑やかな会話。この一週間余りの出来事を、身振りを交えて語る、アドルフの名調子。声を上げて笑い、傷に響いて悶絶した。
慌てるアドルフと窘めるエルドウィン。言い合う兄弟がまたおかしくて、皆でけらけらと笑った。あまりの騒がしさに、看護長が叱りに来たほどだった。
笑いの残滓を噛み締めながら、目尻に浮いた涙を拭う。ふと思い出して、エアネストの容態を尋ねた。アドルフが珍しく鼻で笑って、苛立たしげに話す。
「出血が多くて、回復に時間はかかりそうですが、命に別状はありません。斬ったあと、ちゃんと手当てしましたからね」
通った鼻梁に、細かいしわが寄る。苦々しい声が語る。
「あんなびくびく怯えて、挙げ句漏らして。大した覚悟もないくせに、大馬鹿ですよ。右手だけで済んで、感謝してほしいくらいです。ルチナが情報なら、俺は剣術だと思って――何かあれば、殺すつもりだったんですから」
ふん、と口を引き結んで、座ったまま苛々と椅子を揺らす。行儀の悪い所作。普段なら注意するエルドウィンが、何も言わずに苦笑する。
確かに、アドルフの気持ちはよくわかったから、親友に倣う。そして、穏やかに告げた。
「お前が駆けつけてくれたおかげで、殿下の元に行くことができた。ありがとう、アドルフ」
ぴたりと、椅子を漕ぐ音が止まる。俯いた顔。口が、むぐむぐ動く。淡く紅潮する頬。若緑の瞳が、ほのかに潤んで逸れる。
「……次代様の、お役に立てたなら光栄です」
「ああ、本当に助かったよ」
温かな気持ちで微笑む。照れて縮こまる様。次男坊の特権というか、可愛げたっぷりな姿に心が和む。エルドウィンも微笑ましく、弟を眺める。
「――ああ、もうっ!」
視線に耐えきれなくなったのか、急に声を上げる。溜め息をつくと、一気に話し始めた。
「そうそう、兄上だって、すごかったじゃないですか! 施術が終わって、次代様が意識を飛ばしそうになってるところを口づけて」
わけがわからず、まじまじと新緑の瞳を見つめる。これ以上ないほど慌てて、おろおろとする親友の姿。
「待って! 待って、語弊が……! 薬を飲んでもらわないといけなかったからっ!」
「でも、口移しなんて、よく思いついたなって。全然、ためらわなかったですもんね」
すごいよなあ、とアドルフが大仰に感心して、何度も頷く。
事情を知って、納得する。咄嗟の時の頭の速さは、さすがというものだ。心底感心して言う。
「やっぱりお前は、状況判断と行動力が抜群だな。助かったよ。ありがとう」
「えっ、ちょっ……フェリックスっ⁉」
さらに動揺して、秀麗な顔が真っ赤に染まる。そして、急に立ち上がり、
「――ちょっと、飲み物買ってくる……!」
と、言い残して、部屋から出ていった。
途端に静かになった室内で、アドルフが、じっとこちらを見つめてくる。目顔で促すと、何とも言えない表情でこぼす。
「……想像の斜め上を行くって、こういうことを言うんですかね……」
「なんだ、お前の考えていた方向は、外していないだろう?」
首を軽く傾げて、微笑んで返す。
無欲な親友のことだ。全く他意のないことは、よくわかる。そして、記憶を振り返って、都合のいい意味づけをしないことも。だから、そこに特別な思いが加わるなら、ある意味僥倖というものだ。
「いやあ、まあ……そうなんですけど……」
感情の定め場所がわからない、といった笑み。あーと唸って、歯切れ悪く言葉を継ぐ。
「まさか、兄上が、あんなに動揺するとは思ってなかったんで――なんていうんですか、家族の……その、致してるところを見ちゃったような、そんな感じというか……」
なるほどと理解する。
普段、決して閨事の絡まない家族に、そういう側面があるのだ、と意識した時の、むず痒さといたたまれなさ。ヘンリクスが散々からかいに使うから、もう慣れてしまったが、少年の頃は、恥ずかしくてたまらなかったものだ。
「次代様も、あっさり受け入れすぎですよ。まあ、変に驚かれても、困るんですけど……」
椅子を漕ぎながら、ああ調子狂う、と、ぽつりと呟く。
それでも、意図が叶って、嬉しそうに輝く若緑の瞳。兄を思い慕う弟の振る舞いに、心が温まる。
「同室の頃、散々悩んだからな。どうにかできないものかと、何度も想像した」
「そんな前から、気づいてたんですか」
感心しきりといった口調で、アドルフがしみじみ息をつく。
「わかるさ。大切な親友の考えることくらい」
次々と、思い出が心に去来する。
嫌悪して、避けてしまった日々。突き離して傷つけて、自分も傷ついた。
久しぶりに抱き締めた温かさ。ほんの数週間だったのに寂しくて、慣れ親しんだ日溜まりのような朗らかな匂いに、本当に安心した。
頭が痛くなるくらい折々に考えて、見つけた罰則の記述。自分には無理だと打ちのめされた、あの夕暮れ時。
「ずっと、気に病んでいたんだ。それが叶ったんだから、俺も本望だよ」
穏やかに微笑んで告げる。アドルフの秀麗な顔に、おもむろに笑みが広がる。
「……ああもう、本当に……」
そのどこか、泣きそうな色。温かな声が告げる。
「次代様にも、かなわないですね……」
ありがとうございます、と呟く声に、微笑んで頷く。真冬の昼下がりの陽光に、若緑の瞳が、明るく煌めいていた。
それから、エルドウィンの買ってきた焼き菓子を食べ、牛の乳で割った茶を楽しんだ。他愛ない話で談笑して、久しぶりに現実の手触りを感じた。
留置室の並ぶ廊下に、高い嬌声が響き渡る。待機室に詰める壮年の看守が、舌打ちする。
「薬が切れたか――ったく。おい、枷嵌めてこい」
短く返事をする少年の声。若さの輝く顔立ち。昨年の冬至に、王宮騎士団の騎士として、叙任したばかりだった。
宰相次代の長妹が収容されてから、この女人専用の区画を担当するのは、既婚の年嵩の騎士と定められた。しかし、一連の騒動で人繰りができず、この若い王宮騎士が当番に回されたのである。
無造作に、古ぼけた卓に放り投げられた手枷と足枷。〈暁の家人〉とはいえ、宰相の息女に嵌めるのだ。ためらって固まる少年に、壮年の騎士が、厳しく急かす。
「早く行け。とっとと黙らせろ」
「はい、すみません!」
若い騎士は、枷を手に待機室から出て、長い廊下を歩いた。念のため、ついでに他の収容者の様子も見ておく。
ただ、ほとんどが空室だった。いたとしても、盗みや横領などの金銭絡みの罪を犯した平民である。男は身分によって振り分けられるが、女は人数が少ないため、王宮のシエンティア家の敷地内にある監視棟に収容されていた。
最奥の留置室。嬌声と水音が、絶え間なく反響している。石畳に散乱した衣服。全裸の若い女が、両手を水浸しにして、喘いでいた。
跳ねて痙攣する白い身体。あえやかで可憐な顔が、涙と唾液に濡れていた。
若い騎士が、鍵を開けて中に入る。どんな状況でも構わず、枷を嵌めて行為を止めろ、という命令だった。
王太女を弑逆しようとした大罪人。鎮静効果のある薬は、記憶を失う作用もあるため、投与する量が制限されていた。
女が少年に気づいて、うつ伏せになり、腰を突き上げる。鮮烈な紅色に、あえやかな指が忙しなく動く。だらしなく滴る透明な液。欲して哀願する声。
少年の手から、枷が滑り落ちた。
高く上がる歓喜の嬌声と破裂音に驚いて、壮年の騎士が駆けつけた時には、すでに遅かった。理性の崩壊した少年の顔を蹴りつけて昏倒させ、なんとか放出は免れた。
しかし、〈暁の家人〉は、従家の所有物だ。紛れもない姦通罪だった。
壮年の騎士は、収容者を手刀で気絶させて服を着せ、枷を嵌めると、少年を担ぎ、監視棟の管理長に身柄を渡した。
その日のうちに、法務官の召集により、総帥と王宮騎士団団長、そして、主人であるコンシリウム家次代当主との間で、話し合いが持たれた。
立ち会った医務官は、覚えた快楽を再び求めて、あらゆる手を尽くして繰り返すだろう、と告げた。その言葉に、法務官は裁判にかけることを断念し、満場一致で、投薬量を限界まで増やすことが決定された。
「それで、王宮騎士の方はどうなったんですか?」
果汁で割った茶をすする。温められた柑橘の香りが、鼻に抜けていく。
卓に置かれた揚げ菓子を放り込んで、また茶器に口をつける。油のうまみと爽やかな甘さの茶が、最高にうまかった。
対面に座る兄が、盛大に溜め息をつく。
「騎士の資格を剥奪し、家系登録を抹消して、平民に移籍することになった。手続きが済んだら、北部の僻地に左遷される」
「主人の許しが出たんですか」
去勢刑のない寛大な対応。驚いたふうに感嘆しながら、そうだろうと納得する。経緯を考えると憐れだが、とうとう見境がなくなったと、呆れるしかない話だ。
「あっさりな。今さらどうなろうと、関知しないということだろう」
溜め息をつきながら、菓子に手を伸ばす。さっきから、同じ味ばかり食べている。
医務官の次兄がいれば、今頃いつものように取り合いの喧嘩になるが、特に好きな味ではないから、そのままにしておく。
「まあ確かに、実の兄の手垢が、べっとりついていますからね。今じゃ、弑逆未遂の大罪人ですし」
「……気持ちの悪い言い方をするな」
眉間に深く刻まれたしわが、さらに谷を増やす。一方で、菓子に向かう手は止まらない。好きな味に行きかけたところで、皿を回す。
「兄上。それ、俺のです。兄上のは、こっちです」
「いいだろう、ひとつくらい。あの厄介者ではなく、重要人物を斬り殺した詫びだと思え」
言いつつ伸びる手。すかさず、今度は皿をずらす。
睨む青色の双眸。構わず反論する。
「ワルターの家人のことですか? だからあれは、殿下をお守りするためだと、説明したじゃないですか」
アメリアを真昼の王として担ぐため、拉致しようとしたクラウス。エルドウィンに斬られて昏睡状態だったが、先日死亡した。
二週間近くもったのだから、目覚めるかと期待したが、次兄が言うには、出血多量で頭の血が少なくなると、しばらく生きていても、そのまま死んでしまうことは、珍しくないらしい。
結局、書類による死後審判により、反逆罪、弑逆幇助罪及び略取未遂罪が認められ、火葬刑が宣告された。遺灰はすでに、〈罪人の河〉に流されている。
眉間の渓谷が浅くなり、青色が逸れる。淡い溜め息。
「……わかっている。わかっているが――」
やりきれないといった口調。
法務官として、真実を余すところなく追求したい気持ちはよくわかったから、議論は返さずにおく。とはいえ、菓子は別の話だ。
「わかっているなら、この味は諦めてください。そもそも、俺の喧嘩は腕っぷしですからね。投げ飛ばされたいのなら、どうぞお召し上りください」
あえて満面の笑みで、皿を向ける。
艶々と光る茶色から覗く、果実の瑞々しい鮮やかさ。乾燥した樹皮を砕いた甘い粉末がまぶしてあって、それがとてつもなくうまいのだ。
子供の頃からの、大好きな味。自宅の厨房で、砂糖と混ぜて、こっそり舐めていたら、いつの間にか瓶が隠されていて、心底がっかりしたものである。
兄の手が、他の味に伸びる。交渉成立だった。
残りの数個を二人で夢中で食べて、茶を飲み干し、息をつく。激務で疲れた心身に、甘さが沁みる。
こんなに最高な気分になれるのに、フェリックスは、甘い茶に甘い菓子はつらいと言う。
ヴィクトリアも菓子は好きだが、茶に砂糖や果汁は入れない。しかも、歯を悪くするからと、子供達の前では禁止だ。心置きなく楽しめるのは、自宅と団長それぞれの執務室、それから、実家の敷地にいる時だけだった。
同じように、満足げに息をついて、茶器を受け皿に置いた兄に尋ねる。
「それで結局、何の用だったんですか?」
急に、用事があるから来い、と部下伝いに言われて、急いで訪ねたのだ。扉を開けてソファに座った途端、喫茶の世話話が始まったのだった。
茶器におかわりを注ぎながら、兄が淡く微笑む。
「これで終いだ。近衛には、なかなか降りてこない話が聴けて、面白かっただろう」
ただ他愛なく話したかっただけなのだと察する。
嫡子として家督を継いだ兄からすると、他家に婿入りした自分は、しがらみなく話しやすいのだろう。脈絡なく呼び出されて、茶飲み話をすることがよくあった。
甘い物を存分に飲み食いできて、情報収集もできるのだから、こちらにとっても、いい時間だった。今日も、ほどよく肩の力が抜けて、爽快な気分だ。
「そうですね。興味深い話でした。ご馳走様です」
笑んで礼を言い、腰を上げる。そろそろ戻らなければ、怒りの吹雪で凍えるはめになる。
扉に手をかけて、ふと思い出す。危うく、大事なことを忘れるところだった。
両面を焼いたほかほかの生地に、塩気の効いた牛酪をどっさり乗せて、蜂蜜と練り乳をたっぷりとかけた菓子。きらきらと輝く光景を思い浮かべただけで、唾液が滲んでくる。
合わせるのは、牛の乳で煮出して、大量に砂糖を入れた茶だ。重たくも幸せな、冬の定番だった。
「そろそろ食べたいので、今度お願いします」
「わかった。いつものを用意しよう」
想像したのか、普段は厳格な兄の表情が緩む。楽しみにしています、と返事をして、法務官の執務室をあとにした。
一週間の投薬ののち、物言わぬ人形となって、テレジア・クラーラ・コンシリウムは、主人の元へと帰った。
ほとんど顧みられず、最低限の生活の中で、緩やかに命をすり減らしていった。そして、長い冬を越す前に、十九歳という短い生涯を閉じた。
遺体は、法定通り、弑逆未遂の大罪人として火葬され、〈罪人の河〉に放り込まれた。
遺灰は流されることなく留まり続け、その年の夏至に、新たな灰が投下されると、絡みつくように沈んでいったという。




