暴動③
昼下がりの光が降り注ぐ広間に響き渡る、新年の挨拶を交わす声。列に並ぶ人々を注意深く観察して、不審者がいないか、確認していく。
トリーナが頭領から入手した情報では、まだ時間に猶予はあるが、計画を変更してくる可能性もある。
しかも、今日は一段と寒い。防寒具で着膨れしていて、体型がわかりにくい上に、外套の頭覆いを被っている者もいる。
さすがに謁見の直前になると、皆下ろすが、最初から被るなと言っておけば、面倒は少なくて済んだのだ。
警護計画を報告した時の、自らに酔った王の声が頭に響く。
寒い中待たせるのに、可哀想だと。民の身体を気遣うのが、王の務めだと。
(せめて、並んでいる時に検分できれば……)
しかし、王は許さなかった。民を疑うなどもってのほかだと言って、伯父を詰ったのだ。
あの時ばかりは、心底腹が立ったし、伯父に同情した。そして、もし父だったら、こんなことは――そもそも、祭りを開催しないだろうと思った。
優しく穏やかな、紺青の双眸。頭を撫でる、温かで大きな手。
聴きたいことも、知りたいことも、たくさんあった。それなのに、あんなに早く逝ってしまった。気がつけば、来年の冬に、父の還った歳と同じになる。
誕生日が来るのが先か、出自が知れるのが先か――王の声が聞こえていた者が、はたしてどれほどいたのか。ただ無事に、記憶の奥底に埋もれることを期待するしかない。
目の端に、部下の従騎士の姿を捉える。近づいて敬礼し、口と手の動きで言葉を紡ぐ。
――宰相次代のご次妹様がお呼びです。謁見の運営について、共有したいことがある、とのことです。
同じように符丁で、年次の高い近衛騎士を挙げ、向かわせるよう指示する。すると、少し困った顔で、
――隊長と、直接お話ししたいそうです。
と、返ってきた。
今年叙任を控えたこの従騎士は、よく機転が利く。必要なことは打ち合わせたのだと知って、わかった、と頷いた。
同じ側の隅や、対岸に立つ部下の近衛騎士達に、離れると合図し、援護を頼む。
従騎士といったん配置を交代すると、カンチェラリウス家の執務館に続く扉へと向かった。
通用口に続く、小さな木彫りの扉を開くと、立番のアドルフとともに、小柄な少女が立っていた。
カンチェラリウス家よりは、母方のノクサートラ家らしい豊かな姿。兄に似ない張りのある顔立ちの中で、青藍の瞳が、不安そうに揺れていた。
外で何かあったのかと心配になるが、やけに静かだ。怪訝に思いながら、静かに尋ねる。
「共有事項があると聞いたが?」
「……は、はい――その……」
聞き取りにくいほど、か細い声。みるみる青ざめていく顔。
途端、ふっと華奢な身体が崩れ落ちる。慌ててしゃがみつつ、手を伸ばして支える。
「大丈夫か、――ッ⁉」
どす、と脇腹の隅に衝撃が走る。鋭い痛みが一気に走り、呻いてうずくまる。怯えて震えた声が、頭に落ちてくる。
「……ご、ごめんなさい……っごめんなさい……!」
何とか顔を上げた時、立ち上がって駆け去ろうとする姿が、視界に映る。息を深く吸って、鋭く叫ぶ。
「アドルフッ!」
夢から醒めたように、はっとして、すぐに飛びかかる。
床に引き倒し、腰に提げた鞄から縄を取り出して、後ろ手に縛った。失礼します、と声をかけてから裾をまくり、足首も縛る。
その流れるような所作を認めて、傷に触らないよう、ゆっくりと石壁にもたれかかる。
マントを肩に跳ね上げて確認すると、裁ち鋏の持ち手が、腹から突き出ていた。近寄ってきたアドルフを見上げる。
「うわあ……なんか生えてますね……」
言いように、思わず苦笑する。すぐに顔を引き締めて、指示を出す。
「まず、捕縛者をここに。副隊長に状況を伝え、ユリウスへの警戒度を上げる。最後に、医務官を――」
言い差して、激痛に息を詰める。アドルフは声を上げかけるも、冷静な口調で、最後を補って復唱した。かろうじて頷く。
短い返答。すぐに、うつ伏せで転がっているところに戻ると、声をかけて、手早く身体を探り、凶器の有無を確認していく。それから抱え上げて、楽な体勢になるよう座らせた。
跪いて長い裾を整えてから、立ち上がって、滑るように謁見の間へと消えていった。
繰り返し、ごめんなさいと呟き、すすり泣く声。痛みに弾む呼吸を、意識して抑える。静かに尋ねた。
「ユリウスに、言われたんだな?」
びくっと、小柄な身体が跳ねる。戦慄いて、引きつった声が答える。
「いいえっ……いいえ! 私が、一人で考えました!」
異常な怯え方。ユリウスが、アメリアにしてきたこと。あの好色な下衆と、ひとつ屋根の下で暮らす意味。おぞましさに吐き気がする。
傷に触れるようで苦しかったが、今は正確な情報が必要だ。真摯に穏やかな口調で話す。
「君が話したと、ユリウスに知られることはない。情報元は機密事項だから、たとえ宰相の嫡子でも、開示はされない。知っての通り、今日は普通の祭りではないんだ。陛下と殿下の御命を守るためにも、教えてくれないか?」
瞳孔が狭まり、怯えきった青藍の瞳を見つめる。痛みにしかめそうになる顔を緩め、真剣に、しかし、穏やかに微笑む。
じっと見つめる、涙に濡れた色。震える吐息とともに、緩やかに伏せられる。微かな声が告げる。
「……兄の、指示です――毒を塗った刃物で、刺し殺せ、と……」
「毒……? 何の毒だ?」
不穏な言葉に、鼓動が高くなる。動揺を抑えて、勇気づけるように、穏やかに尋ねる。ゆるゆると首が振られて、漆黒の長い髪が揺れる。
「……わかりません。ただ、少しの量でも、人を還せる猛毒とだけ……」
わずかばかり安堵する。それが真実なら、とうに意識を失っている。
鋭い痛みと、腫れてきたのか、熱を持ち始めているが、今のところ、命の危険は感じない。少年の頃、鍛練で、伯父に木剣で叩きのめされて、何度も死にかけたから、身体の限界はよく知っている。
痛みが走り、逃すように溜め息を長くつく。怯える顔に、微笑んで告げる。
「本当に、そんな猛毒だとしたら、俺はとうに倒れているよ。死んだりしないから、安心してくれ」
「でも……っでも……!」
涙に濡れた視線の注がれる先。金属が、鈍く光っている。
あえて苦笑して、軽口を叩く。
「関節を極められたり、木剣で殴られたり、痛みには慣れているんだ。それに、引き抜くと、大量に出血する危険がある。生えているみたいで、面白いだろう?」
一瞬きょとんとして、おもむろに笑みが広がる。吹き出して、軽やかな笑い声が響く。
「生えてるって……!」
そして、はたと口をつぐむ。かげる表情。苦しげな声が告げる。
「……申し訳ありません。笑うことではないのに……」
「いいんだ。君が、本心から望んでしたわけではないことは、よくわかっている」
柔らかく笑んで頷く。はらはらと、藍色の瞳から涙が落ちる。
「あなたに、もっと早くお会いしたかった……もし、お話しできていたら……私は――」
しゃくり上げて泣く姿。悲痛な音色に、胸が詰まる。
心を引き裂くような声がこぼれる。
「こんなことなら、私が死ねばよかった! 私が、無になれば……っ!」
華奢な白い手が宛がわれた先。神が漆黒の雫を垂らす、その場所。艶やかに揺れる、未婚の下げ髪。
視線を外して、天井を仰ぐ。灼けつく痛みに耐えながら、燃え立つ怒りを見つめた。
扉が開くとともに、ぱたぱたと、女物の平靴の音が、軽やかに近づいてくる。王殿内を精密に描いた地図から顔を上げて、ふくよかな姿に呼びかける。
「アリーセ、どうした? 何かあったか?」
「テレジアが……っどこにも、いないんです……!」
はっと息を呑む。椅子を持ち出して座らせ、正面に膝をつく。アリーセが、切れ切れの息の中で、言葉を継ぐ。
「遠方に行く、というので――目を、離したら……戻って、こなくて……」
「行ってから、どのくらい経つ?」
告げられた時間。女人の用足しとはいえ、確かに長すぎた。
それに、侍女服は、引き裾のない仕様で、全体的に簡素にできている。王家の息女のように、服を脱ぐ必要はない。
「手分けして、周囲を探したのですが――」
言いかけて咳き込む。よほど走ったのだろう。苦しげな姿に背中をさすって、部下が汲んでくれた水を差し出す。ゆっくりと飲み干すと、ほっと息をついた。
柔らかくなった表情に安堵して、必要な事項を尋ねる。
順序立った、明確な受け答え。フォルティス家では、下賜する子でも、軍事にまつわる教育を徹底的に行う。その意味を、深く実感する。
「――わかった。すぐに人を手配しよう。君は、少し休んでから戻りなさい」
「はい、ありがとうございます」
円かな顔に浮かぶ、不安げな表情。そっと、丸い頬に触れる。
「君のせいではないよ、アリーセ。構造上、尾行できない場所なのだから、自分を責めてはいけない。むしろ、君が監視してくれていたおかげで、人を他に割くことができたんだ。感謝しているよ」
緩やかに、柔らかな微笑みが広がっていく。頷いて応えると、顔を引き締め、立ち上がって、部下に指示を出した。
アドルフが伝令に走って間もなく、先程の従騎士と年次の高い近衛騎士がやってきて、次妹を近衛の指揮所に連れていった。
謁見希望者の監視にはアドルフがつき、立番には控えから出てきた近衛騎士がついた。
それからほどなくして、医務官と前掛けをつけた少女が到着した。まさか女人がいるとは思わず、戸惑う。
大きな鞄から器具を取り出しながら、医務官が早口に告げる。
「これは私の長女です。産務官を継ぐ子ですから、お気遣いなく」
納得する。それならと、されるがままに騎士服を脱ぎ、内着と肌着をたくし上げた。刺された箇所は、生地を切り、穴を広げて外した。
赤黒く腫れた皮膚。そこから、刃と持ち手が鋭く伸びている。幸い、冬季用の騎士服と厚手の内着のおかげで、傷は浅いようだった。
「刺されたとは聞いていましたが――」
医務官が呟く。傷口をしげしげと眺めて、息女が頷く。
「この腫れ方だと――ヘビ毒ですね、お父様」
そして、蛇の名を告げた。
怖くないのかと驚いたが、鍛練のあとに訪れた医務院の処置室で、走り回って遊んでいた小さな女の子がいたことを思い出す。
「実行者――宰相次代の次妹が言うには、刃に人を還せる猛毒を塗った、とのことでした」
ふむ、と医務官が軽く唸る。何かを確認するように、こちらをじっくり眺めてから、苦笑した。
「それはないですね。そんな猛毒なら、もうとっくに、御夜の御元に還っていますよ」
やはりそうかと思う。激痛に時折息が詰まるが、異常な乱れはない。腫れも、進み方が遅いように見えた。
「……ご次妹様が……?」
震えた声が落ちる。血の気の引いていく、あどけない顔。医務官が驚いて、息女に問う。
「どうした? 何かあったのか?」
「この前……宰相次代のご長弟様に聞かれたんです。重度の痺れや腫れを起こす生物毒はないかって」
薄青の瞳が、不安そうに揺れる。医務用の強い酒で、手と器具を洗いながら、医務官が怪訝に尋ねる。
「ご長弟様に? お前、そんないつの間に」
「……入舎一年目の、学舎祭の時にお話しして――それからずっと、文通を……」
少女の小さな頬が、一気に紅潮する。
可愛らしい様に、関係性を悟る。親の知らないところで育まれていた、幼い恋。
医務官も同じことを思ったようで、一気に父親の顔になる。わなわなと幾度か口を開閉したが、振りきるように声を上げる。
「――ええいッ! 今は患者が先決だ! ほら、手を動かせ!」
はっとして、息女の表情が、ぐっと引き締まる。すかさず応えて、手を洗い出す。医務官はその様子に頷くと、こちらに向き直って、傷の痛み方など質問を始めた。
問診が終わったあと、小さく畳まれた白い布と、綿が巻かれた木の棒を差し出された。
「今から鋏を引き抜いて、傷口を縫います。口に咥えて、食い縛ってください。棒は、握る用です」
理解して頷く。指示通りにして、準備完了を目顔で告げる。
息女が、酒に浸した布で、傷の周辺を拭ってから押さえる。医務官が、そっと鋏の持ち手に触れた。
「さあ、いきますよ――せーの!」
これまで感じたことのない激痛が、全身を駆け巡る。
押さえた傷口を、医務官が、素早い手捌きで縫っていく。
糸が皮膚を移動する度に、疼くような鋭い痛みが続き、暴れ出したくなる衝動を、棒を固く握り絞めて耐える。くぐもった呻きが漏れ、すすりきれなかった唾液で布が湿る。
どれくらい経っただろうか。おそらく、それほど経っていないのだろう。ぱちん、と糸を切る軽やかな音がして、医務官の声が、おぼろに聞こえた。
「――終わりましたよ。いやはや、全く暴れずに耐えるとは。さすがですね」
滲む視界の中で、彫りの深い顔が微笑む。
遠い昔、生傷をたくさんつくっては、医務院の世話になった記憶が甦る。
「傷だらけで……通ったかいが、ありました」
荒い呼吸の中で笑う。
医務官の片眉が上がる。そして、細い針を薬液に浸しながら、
「最初、ぼろぼろになってやって来た時は、こんな子供をと、驚いたものですよ。でも、弟があれだけ褒めちぎるくらいなんだから、そのくらいの厳しさがないと、やっていけないんでしょうね」
と言って、何気なく傷口に射す。
油断していたところに、鋭い痛みが走り、思わず呻く。しかし、医務官は構わず、刺しては抜いて、新しい針をと、繰り返していく。
「こういうのは、見ない方が痛くないですよ。少し、喋りましょうかね」
気になるが、酷い切り傷をこさえた時も、同じことを言われたと思い出す。息女の可愛らしい声がして、目を向ける。
「草木の茂るところに棲息しているヘビなので、庭師の方が、噛まれることが多いんです。薬液は解毒剤で、腫れと痛みを引かせる作用があります」
なるほどと頷く。
効果が出るまでの時間を尋ねたが、期待したほどの即効性はないようだ。どうしたものかと思案していると、医務官が手を洗ってから、茶色い小さな玉を、三粒差し出した。
「化膿止めです。身体の力を補強する薬と、体内に入った汚れの排出を助ける薬が、練り込んであります」
礼を言って、水筒とともに受け取る。口に放り込んで飲み下す。えもいわれぬ後味。思わず顔をしかめる。傷口に綿の布が当てられて、腹に白布が巻かれていく。
肌着と内着を下ろして下衣に入れ、騎士服を着ていると、
「絶対に、安静にしてくださいよ。傷口が開いて、汚れが入ったら、膿んで高熱で死ぬこともあるんですからね」
と、厳しい口調で告げられた。痛みが薄れた今、できない相談だと苦く笑う。
「留意します」
医務官は、じっと見つめていたが、やがて溜め息をついて言った。
「ご武運を。――しかし、身体は大事にしてください。命あっての務めですよ」
「ありがとうございます。うっかり開いたら、またお願いします」
やれやれと呟きながら、医務官が器具を片付け始める。
息女が、縫いましょうと言って、手早く騎士服の穴を繕ってくれた。幸い、左側だから、マントで隠れる。少し整えれば、支障はないだろう。
片付けを終えて立ち去る後ろ姿を見送って、謁見の間に戻った。
アドルフに礼を言い、心配ないと符丁で告げる。気遣う表情で、じっと見つめたものの、了解の意を返事して、元の立番の配置に戻っていった。




