暴動①
とことこと軽やかな足音を鳴らしながら、馬車が王宮へと向かっていく。よく晴れた新年の朝の光が、円かな藍色の瞳を煌めかせている。
寒いのだから、隣に座ればいい、と言ったが、奥方様の場所ですから、と辞退した。そういう慎ましさに触れるにつけ、下賜してくれた主家を有難く思う。
長年連れ添った大切な家人。馬車を包む、穏やかな沈黙。王宮で、これから起きるであろうこと。心が痛んで、苦しかった。
期待できないと承知していたとはいえ、エルドウィンには、可哀想なことをした。ルチナにとっても、つらい結果となるにちがいない。
そして、あるいは、フェリックスやアメリアにとっても。
「――ご主人様」
円かな声。物思いから戻ってきて、柔らかな微笑みに出会う。
「あまり、ご自分をお責めにならないでくださいな」
「アリーセ……しかし……」
いくら家のためとはいえ、子供達に重荷を背負わせてしまった。覚悟と誇りと思っても、親心は割りきれない。
「ご子息様方は皆、お勁くあられます。どんな困難があっても、ご自身で幸せを掴む力をお持ちです。暁の私には、わからないことも多くありますが、それだけは確かでございますよ」
ふくよかな声が、緩やかに語る。じんわりと、温かな気持ちが、心を満たしていく。
雪の轍を進む馬車。がたりと弾んで、アリーセが前に倒れる。受け止めて、丸い藍色の瞳を見つめる。頬に触れようと手を伸ばすと、さっと身を起こした。
「いやですわ、私ったら――失礼いたしました」
円かな白い頬が朱に染まる。可愛いらしい様に、顔が綻ぶ。
「君はいつまでも、少女のようだね」
「あらあら、ご冗談を。贅肉ばかり蓄えてしまって、きっと幻滅なさいますわ」
ほらこんなに、と言いながら、腹を触る姿。若い頃とさして変わらないだろうに、おどけて明るい調子に、思わず吹き出す。
「本当に幻滅するか、試してみるかい?」
首を緩く傾げ、微笑んで見つめる。まあ、と呟きながら、ふくよかな手が、紅潮した頬を包む。藍色の瞳が、潤んで煌めいた。
「こんな朝から、恥ずかしいこと――せっかくですが、ご遠慮いたします」
「おや、それは残念だ」
わかっていたことだから、わざと大仰に返す。
アリーセの願い通り、子が三人できたら、夜はともに過ごさない。下賜の日、妻を含めた三人で決めた約束だった。
おもむろに、馬車の速度が落ちていく。柔らかな微笑みが、円かで愛らしい顔に浮かぶ。
「若くて一番綺麗な私を、どうぞ覚えていてくださいな。奥方様だけと決めていらしたのに、大切にしてくださったこと――今でも、幸せに存じます」
温かな思いが満ちていく。落ち込んでいた気力が、沸々と奮い立つ。
そっと、ふくよかな両手を包み込むように重ねる。柔らかに握り返して微笑む、藍色の瞳。見つめて告げる。
「エクエスの家名を名乗る以上、家族だからね。みんなで力を合わせて、この日を乗りきろう」
「――心に宿る、騎士の剣をもって」
藍色に、勁い光が灯る。
大切な家族を、主君を――何があっても守り抜くと、固く決意した。
雪と石の無彩色の中に、うねる金色が、際立って輝く。いつ見ても綺麗なものだと感嘆しながら、家人と降り立つ光景を眺める。こちらに気づいて、挨拶する。
「おはようございます。ご用でも?」
「いや、馬車が見えたからな。このまま仕事に入るのは……どうにも落ち着かん」
なるほどと納得して、秀麗な顔が微笑む。隣で待っていたアリーセが、腰を少し下げて挨拶した。
「おはようございます、お婿様。今日はお天気がよくて、お祭り日和でございますね」
「おかげで、子供達がうるさくてな。ヴィクトリアが叱っても聞かないから、朝から怒鳴るはめになったぞ」
盛大に溜め息をつく。その白さ。寒さを思い出して、執務館の扉に手をかける。
三人で中に入ると、王殿に続く渡り廊下へと歩き出す。壁のおかげで、いくぶん寒さが和らいで、ほっとする。
アリーセが眉根を寄せて、気遣わしげに言う。
「お可哀想に。普段の状況でしたら、お子様方には、本当に楽しい行事でしたでしょうに」
「ああ、下の子達には泣かれた。さすがに従騎士連中は、察したようだがな」
頭に手を当てて、乱雑に髪を掻く。お父様、ちちうえ、どうして、と泣く声が、まだ耳に残っている。少しだけと、思わず甘やかしそうになったところを、青藍の鋭い視線で耐えた。
大人ですら、混乱の最中で転倒し、踏み潰されて、命を落とす場合だってあるのだ。今日は一歩も、外に出すことはできなかった。
「可哀想ですが、仕方ないですね……こればかりは」
愁眉を寄せて、ブラッツが呟く。
四人いる子息達は、後期課程の従騎士以上で、全員出仕するのだ。そういう方がよほど心配だろうにと、痛ましく思う。
「民は当然だが、俺達の方も、怪我人は出さないぞ。悪くて軽傷だ。死人は、絶対に出さん」
「……絶対はありませんよ、ヘンリクス」
諫めるというよりも、苦しさのこもった声音。あえて、自信たっぷりに言う。
「俺とお前の力をもってして、できんことなんてあるか? しかも、アリーセの協力もあるんだぞ。全く、無敵ってどころじゃないな」
にやりと笑う。
渡り廊下に出ると、再び寒さが頬を刺す。ひとつ身震いして、示し合わせたように、三人で足早に抜ける。王殿に入り、高い天井に靴音が響き出す。
明緑の瞳を見つめて言う。
「信じてやれ。自慢の部下で、家族だろう」
はっとする秀麗な顔。おもむろに微苦笑して告げる。
「いけませんね。先程、アリーセにも同じことを言われました。どうにも心配で、決心が鈍ってしまう」
和らいだ表情に、心の内で安堵する。あえて調子に乗って、ふざけた態度で話す。
「まあ、お前の慎重な手綱さばきのおかげで、脱輪せずに済んでいるがな」
「手綱を引かずとも、きちんと轍を進んでほしいものですね?」
温和な口調。しかし、明緑の瞳に、冷たい怒りが閃く。
「俺はちゃんと、進んでいるつもりなんだがな。おかしな話だ」
のらりくらりと、適当な調子で喋る。秀麗な顔の笑みが深くなり、寒々と凍てつく空気が立ち上り始める。
「まともに進んでいたら、未決裁の書類が、あれほど溜まるはずないんですよ? 大掃除もしていませんし――絶対に、片付けましょうね」
「絶対はないって、さっきお前」
「つべこべ言わない! もう、あなたって人は」
「ご主人様。ここは響きますから」
ふふと、口元に手を当てて笑いながら、アリーセが窘める。気まずそうに唇を引き結び、白い頬が、うっすら朱に染まっていく。
あえて追い討ちをかけるように、にやりと笑う。
「怒られたな、ブラッツ」
ぎん、と音でもしそうな勢いで睨まれる。真冬の猛吹雪のような、身体の芯から凍てつく声が、鼓膜を震わす。
「……では、馭者らしく鞭打ちますから――必死に働いてくださいね、馬車馬さん」
調子に乗り過ぎたかもしれないと、少しだけ後悔する。それでも、いつもの感じになってきたな、と、そっと安堵した。
冴えた朝の光の中で、透明な液の滴る紅色が、鮮烈に目を楽しませる。執務室に響き渡る喘ぎ声。歓喜に震える玩具を眺めて、群青の瞳が喜悦に嗤う。
「いよいよだね、テレジア」
両手を水浸しにして、兄が優しく囁く。
そして、埋めていた指を激しく滑らせ、柔らかく撫でていた指先で、強くつまんだ。高く嬌声が上がり、可憐であえやかな肢体が、跳ねて痙攣する。
兄は、ひとしきり反応を楽しむと、手を引いて、妹の肉つきの薄い尻を掴んだ。
喘ぎながら、振り返って泣く、藍色の大きな瞳。だらしなく滴らせる紅色を眺めながら、兄が柔らかく微笑む。
「わかってるよ、物足りないね。でも、そろそろ時間だから。弁えのあるいい子なら、我慢できるね?」
「……はい……お兄、様……」
答えつつも、平らかな腰が、もどかしそうに揺らめく。兄が、音を立てて尻を叩く。歓喜の声が上がり、揺らぎが止まる。
「成功したら、ご褒美をあげるからね」
骨張った指が、妹に埋まる。白い肢体が、震えて跳ねる。
「お前のここに、僕の愛の場所をうずめてあげよう。愛の贈り物を、たっぷり注いであげるよ」
藍色の瞳が見開く。確かに頷いて、兄の淡白な顔が、いとおしむように微笑む。妹が、幸福に満ち溢れた笑顔で、恍惚として囁く。
「ああ、お兄様……必ず果たしてご覧にいれますわ……テレジアを、愛して……満たしてくださいまし……」
「楽しみにしてるよ。お前の愛の入口に、うずめられるその時を――だから今は、我慢するんだよ。長らく耐えて、熱く火照ったお前のここで、僕をじっくり感じてほしいからね」
焦らすように、ゆっくりと掻き回し、喜びに震えながら兄を呼ぶ姿を楽しんで、骨張った指を引き抜く。
尻を撫でる刺激に、細かく身体を跳ねさせて、妹が歪んだ幸福に笑む。
「お兄様の愛の場所をうずめていただけるのなら、いくらでも耐えますわ――熱く……熱く、敏感に愛を感じる入口で、お待ちしております……」
「可愛いテレジア。全て終わったら、たくさん愛してあげよう」
兄が優しく囁いて、紅い膨らみを指先でつつく。
高らかに嬌声が上がり、平らかな腰から手が離されるとともに、床に崩れ落ちる。痙攣する様を見下ろして、柔らかく促す。
「さあ、行っておいで」
「……はい、お兄様……」
戦慄く脚で立ち上がり、侍女服を着て、出仕の支度をする、動く玩具。
交わるつもりなど、毛頭なかった。真夜でも真昼でもない遊び道具に、人としての価値はないのだから。
侍女が出て行ったあと、次代当主は入念に手を洗って、王殿へと向かった。
毛織の厚い内着を被る。しんしんと冷える朝の空気の中で、今日の流れを反芻する。
警護と警備の配置、交替の人員と時間、〈太陽の剣〉の居場所――流麗な柔らかい手蹟が、頭に巡っていく。
初冬の澄んだ淡い朝日に煌めく翠緑の瞳が、胸に浮かぶ。
(君のしてくれたことを、決して無駄にはしない――トリーナ)
脛丈の上衣を着て、ベルトと剣帯を締める。最後に、マントをつけて、姿見で確認する。ひとつ頷いて、衣装棚を振り見た。
濃茶色の額縁の中で、銀色に輝く真冬の満月。紺青の冴えた夜空が美しく広がる刺繍画。
(必ず、守ってみせる)
数々の鮮やかな思い出が、心に満ちる。名を呼んで微笑む、碧色の瞳。胸元に手を当て、神の片眼を感じて祈ると、自室をあとにした。
下着を外すと、肩に、ずっしりと重みが乗る。手を伸ばして、侍女頭の掲げる昼用の胸覆いに腕を通す。
背中の金具が、きつく留まっていく感覚。断りの声がかかって、下着と胸の隙間に手が入る。正しく収まって、肩が楽になり、ほっと息をつく。
どんなに天気のいい朝でも、この瞬間だけは、背丈に栄養がいってほしかったと、厭わしくなる。
それから、長袖の脛丈の絹の肌着に始まり、床まで届く長さの、刺繍が全面に入った毛織物の内着、そして、長袖の紺青の引き裾つきの上衣と着せられていく。
幅広の飾り帯が締められたあと、椅子に座る。内履きを脱ぎ、手渡された腿丈の脚覆いを履いて、布の紐を膝下で締め、革の平靴に替えて、金具を留めてもらう。
立ち上がると、裾が整えられる。正装として、丈の長いマントを羽織れば、ようやく着替えの完了だ。
次は、鏡台の前に座り、髪結いが始まる。
未婚の下げ髪だから、さして時間はかからないが、侍女頭の梳いてくれる所作が、柔らかくて好きだった。
ふと、髪飾りの乗った盆を持って控える侍女の様子に気づいて、鏡越しに声をかける。
「テレジア、顔が赤いけれど……大丈夫?」
「……このような大きなお祭りは、初めてでございますので……」
小さく可憐な声が答える。そわそわと落ち着かない様子。不安を覚えながらも、微笑んで応じる。
「あら、そうなの。今日は出店が来ているから、休憩時に、みんなで見に行くといいわ」
「はい……御心遣い、痛み入ります」
薄く笑む、あえやかな顔。どこか、むずむずするような響きの音色に、たまらず腿の上に置いていた手を握り合わせる。髪を編んでいた侍女頭の動きが止まる。そして、
「殿下、少々失礼いたします」
と、固い口調で告げた。流れるような所作で、テレジアから盆を取り上げて鏡台に置き、隣の居室へと連れ出した。
しばらくして、侍女頭だけが戻ってくる。
「――申し訳ございません。お待たせいたしました」
髪を取って、再び編み始める。よく知る、落ち着いた静かな空気。強ばっていた心が解ける。飾られていく様を見つめながら問う。
「ねえ、テレジアはどうして……」
「……御夜のご覧になっていない時間に、お話しすることではございません」
ふくよかな、しかし厳しい声音。やはりそうなのかと、胸がさざめく。
成人の始まりに立って、少し経った頃だろうか。
珍しく暑くて寝苦しい夜、薄手の掛け布団を抱えて寝ていて、体勢を変えようと、何気なく脚を動かした。
その瞬間、溶けるような甘い痺れが、全身を駆け抜けた。夢中になって我に返り、その場所と意味を思い出して、恥ずかしくてたまらなかった。
夜勤に就くフェリックスに気づかれたのではと、明くる朝は、不安で仕方なかったものだ。
不穏な予感。テレジアは今まで、言動が多少怪しくても、露骨な振る舞いをすることはなかった。それなのに、今日という日にどうして。
髪結いの完了を告げられて礼を言い、侍女頭の藍色の瞳を見つめる。
「アリーセ、今日は頼むわね」
「承りましてございます」
恭しく答える、円かな顔。歳月を経た落ち着いた姿に、問いかける。
「……不安に、ならないの……?」
藍色の瞳が、ゆっくりと瞬く。穏やかな微笑みが、柔和な面差しに広がった。
「信じておりますから。フォルティス家の息女として、エクエス家の家人として――御身と皆様が、ご無事に一日を終えられると」
温かな、誇りに満ちた声。重苦しい曇天が燦々と晴れるように、心が澄んでいく。自然と、明るい笑顔が広がった。
「そうね。みんながいるものね」
優しい笑みで応えるアリーセに、ありがとうと告げて、謁見の間へと向かうべく、立ち上がった。
王殿中央の大きな扉から、一直線に伸びる道。
王宮正門を抜ければ、王都最大の中央通りに出て、中央広場に突き当たる。
そこから放射線状に、各街区に向かって通りが走り、細かな道路が張り巡らされていた。王宮は、まさに王都の要だった。
普段は厳重に閉ざされ、王家しか通ることの許されない正門。今日は特別に開放され、多くの人々が出入りしていた。
道には出店が立ち並び、商人が、威勢よく呼び込みをかけている。その料理を買って食べながら、最高峰の技術で丁寧に手入れされた庭を、民達は楽しんだ。
和やかな景観の中、王宮騎士団の警備は、巧妙に配置されていた。精鋭の騎士達が、油断なく目を光らせる。
フォルティス家執務館の二階に設けられた、軍と王宮騎士団の指揮所。
外の回廊に続く窓の前に、総帥は佇んでいた。賑やかな景色を眺めて、ただ彫像のように。
その本望の成就する時が、刻々と迫っていた。




