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露呈②

 家に着いて、鍵を差し込む。開ける方向に回すものの、動かない。

 締め忘れていないはずと怪訝に思いながら、鍵を引き抜いて、持ち手を回す。金属の軽い音がして、扉が開く。

 ゆっくりと様子を窺いつつ押すと、細身の男が立っていた。驚いて、息を呑む。抱えていたパンを取り落としそうになり、慌てて持ち直す。

「……どなた……?」

 かろうじて言葉を振り絞ると、冷ややかな声が返ってくる。

「それは、あなたの方だ。誰の許可で、この家に立ち入っている」

 濃青の瞳と栗色の髪。真夜と真昼がくっきりと分かれて、同時に存在する不思議な容姿。

 久しぶりに聞いた王宮特有の複雑な格変化に、もしかしたら〈太陽の剣〉を創設した当主の関係者かもしれないと、予感する。

 困ったように眉根を寄せて、苦笑する。

「すみません。地方の言葉は、ちょっと……」

 フロス街出身やペクニア街の大商人ならともかく、ただの平民の妻が、王宮の話し方を知っているはずもない。

 勘違いしている演技が効いたらしく、はたと気づいて、平民の言葉で、同じ内容が返ってきた。さらに困り果てた表情をつくる。

「誰の許可って……ここは、私の家ですけど」

「そんなはずはない。この家には、男一人しか住んでいない。――名は。ここの男とは、どういう関係だ」

 矢継ぎ早に浴びせられる質問に、さすがに戸惑う。

 主家でも従家でもない、王宮の関係者。とりあえず落ち着こうと、話を逸らす。

「あの……これ、片づけてもいいですか? 手が痛くて……」

 籠を軽く持ち上げる。ずっしりとした、大量の食料の重み。実際、そろそろ限界だった。

 逡巡する間。そして、

「重いのか。すまなかった」

 と言って頷いた。

 籠を食卓の上に置き、すぐに使うものを取り出して、厨房の貯蔵棚や小さな籠に仕舞う。残りは入れたまま、家の北側に位置する食料庫へ向かう。

 背後についてくる気配。上の棚から順に、定位置に収めていく。油断なく追ってくる視線に、怯えが増す。

 しかし、不審に思われている今、下手に騒ぐわけにはいかない。こらえて、いつものように、一番下の棚の箱を引き出そうとかがみかけて、はたと止まる。

 男は、真後ろに立っている。このまま上体を下げれば、腰が当たる。ぞわりと、激しい嫌悪が、背筋を駆け抜けた。

 ゆっくりしゃがんで、箱を引く。わずかな隙間。これでは仕舞えない。

 突き刺さる視線。井戸端会議で聞いた話が、頭に過る。

 最近、鍵を壊して待ち伏せし、帰ってきたところを襲う事件が起きているという。抵抗して殺されたとか、孕んでしまったとか、大仰な尾ひれに、内心苦笑していた。

 しかし、マニュルムの外で暮らす以上、他人事ではないのだ。まさかとは思いつつ、心がおののく。

(早く、帰ってきて……)

 行きつけの食堂が、冬至祭りの準備のために休暇に入ったということで、昼食は、家で摂ることになっていた。

 もう、帰宅してもいい頃だ。祈るような思いで、玄関の鈴が鳴らないか、耳をそばだてながら、隙間にどう押し込むかを考える。

 と、願いが通じたのか、軽やかな澄んだ音が響く。

 素早く立ち上がり、振り向いて半身になった隙間をすり抜けて駆け寄る。

「――ウィリアム……!」

 そのままの勢いで飛びつく。

 おっと、と呟きながら抱きとめる、広い胸。背中に回される、逞しい腕。よく知った体温に安堵する。

「どうした、ケイト。季節外れの虫でもいたか?」

 しがみついて、強く首を振る。背後で、上等な革靴の硬い足音が聞こえる。耳元で、ウィリアムの固い声が話す。

「ご家人様。こんな粗末な拙宅に――お呼び立ていただけましたら、出向きましたのに」

 滑らかな王宮の言葉。ペクニア街でも有数の、金融商人の三男だったことを思い出す。

 落ち着いた、しかし、どこか軽蔑の混ざった声が返す。

「その女は誰だ。まさか、この家に住まわせているのではないだろうな?」

「女と暮らしてはいけないと、契約書には書かれていなかったはずですが?」

 悪びれる様子もなく、淡々と話す、低い声。平静な気持ちが戻ってきて、少し身を離す。

 改めて、家人と呼ばれた男を眺める。やはり何度見ても、真夜と真昼が同じ人に存在する奇妙さに、落ち着かない気分になる。

 問いかけるように見上げると、青緑の双眸が優しく微笑む。そして、当然のように平民の言葉に切り替えて、説明した。

「驚かせてしまったな。このお方は、クラウス・クラーラ・コンシリウム様といって、宰相の従家様の従僕をなさっている」

 わざわざ氏名と身分を伝える。その意味を悟って、苦しくなる。

 ウィリアムは、教えてくれているのだ。今まではぐらかしてきた、最も重要な一片を。

 まさか、素性を明かされるとは思っていなかったのだろう。クラウスが、はっとしたように口を開く。しかし、すかさず厳しい声音で、ウィリアムが告げる。

「見知らぬ男と、たった二人きりでいることが、女にとって、どんなに恐ろしいことか、どうかお察しください。こんなに怯えて、可哀想だとは思われませんか」

 途端、淡白で知的な細面に、複雑な表情が浮かぶ。ほのかな溜め息。濃青の瞳が、申し訳なさそうに歪み、こちらを見遣る。

「確かにそうだ。怖がらせて、すまなかった」

 ウィリアムに優しく促されて、離れる。違和感のないよう、少しぎこちない所作で、平民式の礼をする。

「こちらこそ、コンシリウム様のお方とは知らず、失礼しました。ケイト・ハワードと申します」

 頷いて、しかし、ウィリアムに不快のこもった視線を向ける。淡々とした声が応じる。

「届けは出していませんよ。ただ、夫婦という体裁を取らないと、外聞が悪いもので」

「そのような危険を冒してまで、ともに暮らす理由がどこにある。この家は、御夜(みよ)の御意思を叶えるために、ご当主様がお与えになったものだ。戯れをするためではない」

 憤りを含んだ声音。気にも留めず、造作の鋭い顔に、含みのある笑みが浮かぶ。

「仕事を終えて、疲れて帰ったあと、女を抱いて、慰めてもらいたいと願う――男なら、当然の感覚だと思いますが」

 濃青の瞳に、強い不快の色が宿る。口を開く前に、淡々と言葉が継がれる。

「――ともかく。昼食を摂って、職場に戻らなければなりません。ご用件を、お聞かせ願えますか」

 一瞬、苛立ちが閃くも、淡白な細面が、おもむろに平静な表情になっていく。そして、

「ご当主様が、ご決断なされた。集合は来週末だ」

 と告げた。ウィリアムの、息を呑む声。

 とうとう、この時が来てしまった。鋭い苦しみが、胸を刺す。言葉がわからない体で、ぼんやりと二人を見ながら、動揺が表情に出ていないか、不安になる。

 言葉を押し出すように、苦い声が話す。

「……その前に、休暇を二日ください。ケイトには、身寄りがありません。託す先と話してきます」

 濃青の瞳に浮かぶ、不快な色。強い口調が警告する。

「何もせずに放り出せば、違法な街娼が増えるだけです。警邏に捕まったら、ぼろぼろになるまで犯され続ける。私は部下に、そんなことは決してさせませんでしたが――屑は、どこにでもいますからね」

 すーっと、淡白な細面が青ざめていく。

 視線が、こちらに向いて見つめてくる。きょとんと、小首を傾げて瞬く。濃青の瞳に、男に頼るしかない無学で平凡な女の姿が映る。

 少しの沈黙のあと、苦い声が落ちる。

「……わかった。調整しよう」

「ありがとうございます」

 礼を言うとともに、横にどくよう、そっと促される。

 傍らに立って、次の成り行きを見守る。しかし、先手を打つように、ウィリアムが口を開いた。

「本日は、わざわざお越しいただき、ありがとうございました。どうぞお気をつけて、お帰りください」

 そして、玄関の扉を引き開けた。

 クラウスは、半ば睨むように一瞥したものの、邪魔をした、とだけ言って、出ていった。

 扉が閉まるとともに、険しい表情が、一気に柔らかくなる。低く渋い声が、帰宅を告げる。

「ただいま」

「おかえりなさい」

 微笑んで、触れるだけの軽い口づけを交わす。

 見つめる、青緑の双眸。小首を傾げると、再び唇が落ちる。次第に絡み、深くなっていく。

 意図がわからず、それでも受け止める。

 そして、身体が甘く溶け出した頃、不意に離れた。荒く息をつく。大人の男の色気を帯びる面立ち。低く渋い声が、鼓膜を撫でる。

「腹の立つ奴に会ったあとの口づけは、格別だな」

「……もう、何よ……それ……」

 足腰に力が入らなくて呻く。真っ昼間だというのに、身体が期待してしまってどうしようもない。

 余裕のある笑みが、含みを孕んで告げる。

「夜まで待たせてしまう詫びに、外に食べに行こう。北側の街区境の店で、奮発した昼をな」

 帰ってくるまでおあずけなんて、と身体が疼いて、顔が熱くなる。恥ずかしさと、一緒に外食を楽しめる嬉しさとが、同時に来て、つい、尖った口調になってしまう。

「仕事はいいの? それに、北側はすごく高いのに」

 六貴族のうち王宮西側の三家と、その従家の屋敷がある街区との境。

 当然、高級な店が多くなる。しかも、西南の端に位置するペクニア街とは、逆方向だ。馬車に乗るにしても、それなりの時間がかかる。

 造作の鋭い顔に、悪戯っぽい笑みが浮かぶ。

「いいさ。来客の応対も、仕事のうちだ。その分、休憩がずれこんだと思えば」

 そして、行くぞと促される。途端、まだ仕舞っていない食料があると思い出して、貯蔵庫に飛んでいく。

 いつも通り、箱を引き出して収めながら、あえて奮発する本当の理由に、涙が滲んだ。


 いよいよ、冬至祭りの初日が、来週に迫った頃。

 ウィリアムが仕事に出かけたあと、掃除をしながら、家捜ししていると、封筒が置いてあった。いつものように、封のされていない口を開けて、取り出す。

 中身は、一枚の契約書だった。広汎な取り決めが細かく記された文言の最後に、ウィリアムの署名と、独特な形の署名が並んでいた。

 どこかで見たことがあるような――ふと、遠い記憶が閃く。

 まだ少女だった頃、〈仮初めの奥方〉の教養として、習い覚えた形。ひとつひとつ、解読しながら読む。

「……ワル、ター……カー、サ……コン、シ、リウム――」

 鼓動が、強く跳ねる。

 カンチェラリウス家従家コンシリウム家直系当主の名。先週の突然の訪問が、頭を過る。

 クラウスは、コンシリウム家の従僕だと、ウィリアムは言っていた。つまり、〈太陽の剣〉を創設した当主というのは、宰相従家の当主なのだ。

 王宮で、昼間に焚き火をしている――その証拠が、目の前にある。

 ようやくここまで来たという喜びと、ついに来てしまったという苦しさで、全身が震えた。

 ウィリアムとともに暮らし始めて、一週間余り経った頃のこと。

 家に、封筒が置かれるようになった。場所はまちまちで、しかし、掃除を丁寧にしていれば、必ず見つけられるところにあった。

 中身は決まって、機密の印の押された書類が数枚。警備兵の名簿や当番表、装備の管理表など、多岐にわたった。

 同じ書類は一度きりで、兵士長と頭領の権限で、ウィリアムが密かに持ち込んでいるようだった。

 さすがに専門的で、読み解くには知識不足だったから、写し取って、フェリックスに逐次報告した。

 どういう意図で、ウィリアムが、そんなことをするのかはわからない。惚れているからと結論づけるには、あまりにも大それたことだ。

 ただ、導かれるように、核心に近づいていることは確かだった。

 そして、明日から、二日間の休暇に入る。この封筒は最後なのだ。

 主家が掴みたいと切望していた証拠。これを渡せば、称号と報奨が――恋慕う人と過ごした証が、手に入る。

 ――けれど、それと引き換えになるのは。

 滲む涙を手で拭う。薄い白紙と筆記具を用意し、契約書と紙を重ねる。

 薄い窓掛けを開けて、硝子に紙を宛がう。初冬の冴えた光に透ける文字。湧き上がる嗚咽をこらえ、筆記具を動かして、転写していった。


 翌朝、普段通り起床して、食事をした。

 いつものように、うまかったありがとう、と微笑む優しい声。喫茶しながら本を読む、見慣れた姿を横目に、皿を洗って片付け、洗いたての布巾で、手を拭いた。

 そして、日常から外れて、ウィリアムの傍らに立った。

 身体ごと向いた腿の上に乗る。一言も交わさず見つめ合い、引き合うように口づけた。絡んで深くなり、立ち上がる動作に合わせて、しがみつく。

 ひたすらに口づけを交わし、抱えられたまま、二階の寝室へと上がっていった。

 それからは、夢中で時を過ごした。

 甘く溶かされて果て、眠っては起きて食事をし、寝室に行く間も惜しんで、激しく優しい心を受けた。ただただ全てで愛されて、締めきった窓掛けの隙間から差す光に移ろう、青緑の双眸を見つめた。

 肌を柔らかく撫でる、乾いた大きな手。名を呼ぶ、低く渋い声。きつく抱き締める、熱い重み。

 今、感じている、あらゆる全てが、無になってしまう。

 こんなにも、温かく優しく激しい心が――全て。

 まるで、命を燃やし尽くすかのように、奔流の赴くまま、愛して果てる。その姿を、幾度も全身に刻みつけて、とうとう終わりの時を迎えた。

 最後は笑っていようと思っていたのに、結局たまらず泣いてしまった。

 寝そべって、広い胸に収まりながら、引き止められたらどんなにいいかと、苦しく悶える。

 頭を撫でる、優しい手。逞しい胸の中で、低く渋い声が、響いて聞こえる。

「お前の〈主人〉に、感謝しないとな」

 瞬いて見上げる。穏やかな青緑の双眸が、傾き出した淡い陽光に輝く。

「人生の最後に、こんないい女を貸してくれた」

 そっと、頬に触れる大きな手。額に柔らかく、口づけが落ちる。

「ケイト……可愛い女だ……」

 いとしんで微笑む、造作の鋭い面立ち。その、澄んだ静けさ。

 行ってしまうのだと、苦しさが胸を締めつける。優しい声が、鼓膜を撫でていく。

「笑ってくれ。お前の笑顔ほど、心を温かくするものはない」

 涙を飲み込んで微笑む。手を重ねて、名を呼ぶ。

「ウィリアム。ありがとう――」

 見つけてごらん、というように、置かれてきた封筒。決して口にはしない、心の言葉。

「あなたのおかげで、私の一番欲しかったものが、手に入るの」

 青緑の双眸が、おもむろに滲む。優しい笑みが広がる。

「そうか――それはよかった」

 真摯な眼差しが語る思い。それで十分だった。

 ひたすらに見つめ合い、時を計ったように、引き合って口づける。味わうように食んで、寝台から下りた。


 館に帰ってすぐに、母に頼んで、主家の当主に手紙を書いてもらった。通常の郵便では遅いから、明日の朝早くに、人を遣いにやって届けるという。

 猶予は三日間。意気込んでいると、集中しすぎて、身体を壊さないようにと、釘を刺された。寝食は忘れず、まとめの作業に取りかかった。

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