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〈太陽の剣〉①

 扉を閉めて、礼をする。ソファに座って喫茶する館主に近づき、静かに声をかける。

「お呼びでしょうか」

 手で柔らかく促されて、対面に腰を下ろす。

 茶が注がれる弾んだ音。昼下がりの日差しに、赤褐色が、きらきらと煌めいて落ちていく。

 目の前に置かれた茶器を、礼を言って受け取る。立ち上る湯気が、甘い花の香りを運んでくる。

 軽く口をつけて湿してから、おもむろに、館主が告げる。

「主家様から、〈離縁〉が申し入れられたよ」

 驚いて固まる。一気に血の気が引いていく。

 確かに、約束を破ったことは、これまで幾度もあった。その度に、責め苦を受けて許しを乞い、最後には、優しく抱き締めてくれていた。

 任期明けまであと一年。そんな時期にどうして。

「……次代様、が……?」

 声が震える。緑青の瞳が瞬き、微苦笑する。そうして告げられた名は、遠傍系の嫡子だった。

 少し安堵し、渇きを覚えて、そっと茶を一口飲む。優しい甘さが、心をほぐしていく。

 息をつくと、館主が柔らかに話した。

「不備があったわけではないから、安心おし。主家様側のご事情だよ。今後は、身体に障りがある子の替わりとして、出てもらうからね」

「承知しました」

 頷いて答えながら、言葉の区切りに、詳細は話せないのだと察する。

 これで、受け持つ子息は、ただ一人になった。

 もともと、任期明けに向けて、少しずつ人数を減らしていたから、いつかこういう日が来ると予期していたが、まさかフェリックスとは。

 想定外の展開に、嬉しく思う前に戸惑う。最も身分が高く、結婚も早いはずなのにと、普段は考えないようにしている疑問が、沸々と湧く。

 そして、わざわざ〈離縁〉を選んだ事情。何かが動き出していると、心がさざめく。

 不安な気持ちで物思いに沈んでいると、ふと、母の温かな声が、鼓膜を震わせる。

「そうだ、トリーナ。お前の好きなお菓子を買ってきたんだよ。今ちょうど、手が空いたから、食べていかないかい?」

 小首を傾げて、優しく微笑む姿。ほっと心が緩む。

 食べたいわ、と答えると、母が立ち上がって、執務机に置いた紙袋を持ってくる。再び腰かけて、中から小さな包みを取り出した。

 受け取って開くと、大粒の砂糖が、きらきらと光っている。大好物に、思わず声が上がる。

「揚げ玉!」

「さっき、買ってきたばかりだから、できたてだよ」

 にこにこと、嬉しそうな母の笑顔。

 小さな玉をひとつ口に入れると、揚げた小麦粉の生地の甘い香ばしさが、柔らかく広がっていく。まぶされた砂糖の堅い食感が楽しくて、いつまでも噛んでいたくなる。

 遅い昼を摂ったばかりだというのに、あっという間に、ふたつみっつと、手を伸ばしてしまった。

「ああ、やっぱりここのが一番だねえ。他のお店は、こんなにお砂糖がついていないから」

 ゆっくりと喫茶しながら食べる母の感嘆に、明るく笑んで頷く。もう少し食べたかったが、調子に乗ると気持ち悪くなるから、ほどほどで切り上げる。

 ふと、母の手が伸びて、顎先に触れた。

「ほら、お砂糖がついているよ。いつまでも、子供なんだからねえ」

 一粒つまんで、茶器の受け皿に落とす。布巾で手を拭いながら、苦笑する。

「こういうお菓子だもの。来月、二十四歳になるのよ。もう来年には、独り立ちするんだから」

「そうだね。早いものだね――」

 緑青の瞳が優しく滲む。その奥にある、深い悲しみの色。

 進路を告げられたあの日、酷いと、大嫌いと、詰ってしまった記憶が心を突き刺す。ずっと後悔していたこと。伝えたいと願っていた思いが、身の内に広がっていく。

「――お母さん」

 そっと呼びかける。柔らかく応じる、母の声。

 立って行き、隣に座る。盛夏の光に輝く、緑青の瞳を見つめて告げた。

「私、恨んだことなんて、一度もないわ。お母さんも、そうして生きてきたんだもの。あの時――嫌いなんて言って、ごめんなさい」

 はっとして、瞳が見開く。緑青が滲んで、はらはらと雫がこぼれていく。こらえるように、白い手が口元を押さえる。抱き寄せて、温かく告げる。

「お母さん、大好きよ。愛しているわ」

 震える腕が、背中に回される感触。応えて、しっかりと抱き締める。堰を切ったように、悲痛な叫びが耳元で響く。

「ああ、トリーナ! お母さんを許してっ……!」

 心を振り絞って泣く声。母の歩んできた苦しみが、心に迫る。

 許しを乞う涙の言葉に、何度も大好きと応えて、強く抱き締める。

 生み出し育んでくれた優しい体温を感じながら、これから何が起こっても、後悔のない日々を過ごそうと、心に誓った。


 巨大な獣が、牙を剥いて唸っている。群青の双眸が、獰猛に炯々と光り、今にも飛びかかってきそうだ。

 足元には、重く冷たい枷。怖れに心が戦慄くが、傍らには、守ると誓ったひとがいる。そっと腕に触れている感触に、奮い立つ。

 背に庇うように後ろに下がらせて、柄に手をかけ、剣を抜く。鞘走る金属音。重低音の咆哮が轟く。

 気迫を腹に溜め、構えを取る。躍りかかってきたところを、逃さず踏み出す。音を立てて、枷が外れる。体勢を低くし、その分厚い胸に、鋭く斬撃を浴びせた。

 耳をつんざく断末魔のあと、巨体が、どうと倒れる。

 解放感に、全てが震える。

 緩慢に流れていく真っ赤な鮮血。これで終わったのだと、安堵した。

 と、ぐずぐずと、獣の骸が崩れ始める。巨大だった身体は小さくなっていき、華奢な(かたち)が現れる。

 その、豊かな曲線。広がりうねる、金褐色の長い髪。命を失った、碧色の瞳。

 手から剣が滑り落ちる。赤々と、濡れた刃。背後から、ようやくだと讃える声がする。

「……っ違う! 違う、俺は……ッ!」

 腕を伸ばして、華奢な身体を掻き(いだ)く。

 力なく、がくりと揺れる、表情の失せた顔。豊かな胸が裂けて、赤い命が流れている。金褐色の頭を支え、力をこめて、抱き締める。

 その、冷たさ。

 背後で、歓喜の咆哮がこだまする。

 だらだらと広がる血溜まり。温かな日々が、宝物が、赤に溶けて消えていく。腕の中で、冷たい。冷たい――熱い。

 真昼の業火が燃え盛り、華奢な身体を包んでいく。決して離さないと、ともに無になりたいと、力をこめても、炎は燃え移らずに、ただ一人を黒々と焦がしていく。

「嫌だッ! やめてくれえっ! せめて、せめて――!」

 丸い炭が手からこぼれて、ぼろりと落ちる。途端、腕の中で粉々に砕け、破片となって崩壊した。

 風が、白い灰をさらって吹き飛ばす。必死に伸ばした手から、さらさらとすり抜けていく。

 追いかけようとして、ぬるつく感触に足を取られた。倒れて、粘る水音が、耳元で鳴る。

 掌についた、鮮烈な赤。視界一面に広がる、赤い、赤い、命の泉。

「……いや、だ……そんな……っ」

 無に、なってしまった。

 この手で。守りたいと願って鍛練した、この剣で。

「……あ――ああ……」

 名を呼んで微笑む、いとしい笑顔は。

「アメリアぁあああッ――!」

 絶叫と狂喜の声が、響き轟いた。


 盛夏とはいえ、例年にない汗の滴るほどの暑さに辟易しながら、近衛騎士団団長の執務室へと向かう。

 夜勤明けの朝寝から起こされて、あまり気分もよくない。大抵は配慮されるから、よほどのことだろうと思いつつ、酒の一本くらいは、ねだってもいいはずだと、鬱々とする。

 重厚な装飾の木扉を叩いて、誰何に名を告げる。入れ、との短い返事に押し開けると、いつものように、書類の山に埋もれていた。

「起こしてすまんな」

「……何か、あったんですか?」

 ソファに座って尋ねるが、生返事しかないので、仕方なく待つ。

 筆記具の走る、硬質な響き。柱時計の秒針の規則的な音に、思わずうつらうつらする。

 ややして、乱雑に椅子を引く音がしたあと、目の前で手を打たれて、身体が跳ねる。両手で顔を拭い、目を固く瞑って見開く。

 鮮明になった視界で、薄青の双眸に出会う。

「大丈夫か? ここ最近、よく眠れていないだろう」

 不思議に思って瞬く。彫りの深い顔が、気遣うように微苦笑する。

「眉間のしわだ。お前は眠いと、誤魔化そうとして、目に力が入る」

 とんとんと、長い指が、自らの眉間に触れる。

 癖は自覚していたから、出さないように気をつけていたが、やはりヘンリクスには隠し通せないようだ。いつまでもかなわないと、苦笑が漏れる。

「気づいていましたか」

「何年、家族をやっていると思っているんだ。そのくらいわかる」

 にやりと得意げな表情に、顔が綻ぶ。夜ごと悪夢にうなされて荒んでいた心に、温かさが宿る。

 真っ直ぐな薄青の視線。少しばかり見つめてから、さて、と呟いて、笑みを収める。彫りの深い顔が、厳格な色に染まる。

「わざわざこんな時間に呼び出したのは、人の出入りの少ない方が、都合がよくてな」

 そして、卓に置いた封筒から、書類の束を取り出す。

 紐で綴じられた報告書。〈黄色の者達〉について、という表題に、はっと顔を上げる。〈太陽の剣〉を示す符丁。薄青の双眸が、厳しい色を宿して頷く。

 いよいよ来たか、という思いが湧く。ブラッツとエルドウィンの進めてきた下地が形を為し、確証として、主家に上がったのだ。

 公開で摘発か、秘密裏に存在を消すか――いずれにしろ、ようやく懸念事項に片がつくのだ。安堵とともに、高揚感が胸を満たす。

 しかし、発せられた言葉は、意外なものだった。

「この調査の続きをしてくれ」

 驚いて、彫りの深い顔を、思わず凝視してしまう。

 ふと、薄青の双眸が逸れて、軽く溜め息をつく。再び視線が合うと、淡々と語った。

「エルドウィンが、この秋に結婚するのは、知っているだろう」

 頷く。ようやく決まったんだ、と話す親友の声が、頭に過る。

「嫡子の結婚は、家の一大事だからな。そっちに時間を割きたい、というわけだ」

 言いつつ、長い指が、報告書の一点を指し示す。

 符丁を解読して現れた名に、息を呑む。親友が、結婚の話題になる度に複雑な顔をする、もうひとつの理由を知った。

「……そういうことだ。まだ、確たる証拠はない。ただ、例の事件の刑期終了から、度々不審な挙動があってな。十分な動機もある。どれだけ抑止力になるかはわからんが……何もしないよりは、ましだろう」

 その意味が、暗澹と、心に重くのしかかる。

 親交を深めるという目的で、エルドウィンは定期的に会っていた。

 小鳥みたいな可愛らしい人なんだ、と優しく微笑む秀麗な顔。温かで、穏やかな好意に満ちた話は、聴いていて、幸せに和むものだった。

 何もなければ、仲のいい夫婦として添えるだろうに、従家の務めを果たすための結婚になってしまった。

 そして、親友の助けは得られない。これほどの重大事を一人で為せるのか、不安が沸々と湧いてくる。

「そんな顔をするな。俺も、可能な限り協力する」

 和らいだ声がかかって、苦笑する。ヘンリクスが、書類の束から、二枚取り出す。

 覚書と通行許可証。意図を察して、胸がざわつく。

「潜入には〈花蜂〉を使え。館主の了承は得た。お前は、目立ちすぎるからな」

 〈太陽の剣〉は、真夜の民を敵視している。〈誰時の民〉は平民だが、真夜の容姿である。仲間として受け入れられる可能性は低い。

 何より自分は、平民だというには背丈が高すぎる。同じ真昼の民を使って、内部を探れ、ということだ。

 しかし、危険を伴うため、拒否権が与えられている。承諾を得られるよう、うまく事を運ばなければならない。

 恋慕う翠緑の瞳を思う。頼めば、拒まないだろう。それが、約束だから。

(でも、それは……)

 ほっそりとしたあの儚い身体に、あらゆる全てを吐き出してきた。快楽も怒りも苦痛も――激情を、全て。暗い淵に突き落として、貪り壊してきた。

 長年考えてきたこと。あの直向きな心に、残してやれるもの。

 慣例とは異なるが、今がその時だ。意を決して、口を開く。

()()(うえ)。ひとつ、お願いがあります」

 目顔で促されて、言葉を継ぐ。儚く微笑む美しい顔が、胸に浮かぶ。

「称号は、俺が考えてもいいですか?」

 薄青が、意外そうに瞬く。少しの間のあと、軽く頷いて言う。

「そうだな、お前は付き合いが長い。〈奥方〉も、その方が喜ぶだろう。()()(うえ)には、俺が話しておく」

「ありがとうございます」

 ほっと安堵する。

 当主と比べて格が一段落ちるから、反対されると思ったが、そこは柔軟なようだ。

 さて、と呟いて、ヘンリクスが、おもむろに書類を広げ出す。そして、具体的な調査内容を話し始めた。

 そうやって散らすから、片付けが大変になるのではと、一瞬思うが、よけいなことなので、黙って聴く。

 声に出せない事項は符丁でやり取りし、賄いきれないところは書類を読め、ということで、流れとやるべき事柄を一通り把握する。

 なかなか細かい上に、量も多い。体力は問題ないが、職務をこなしながらとなると、時間的にかなり厳しい。

 頭の中で配分を計算していると、思い出したように、ヘンリクスが話し出す。

「そういえば、言い忘れていたがな。早番の警護は、外れる手筈だ。書類の決裁は、俺が帰れなくなるからやってもらうが――しばらくは、こっちに集中してもらう」

 驚いて目を瞪る。

 確かに、レクス隊の指揮の権限は、隊長である自分の他に、三人が持っている。補佐として、的確に動ける優秀な部下達もいる。

 しかし、昨年の夏のような一大事が起きたら、対抗できるのは、同格の自分だけだ。もし、間に合わなかったら――あの下衆の手に落ちて、そして。

 途端、激烈な怒りが全身を突き抜ける。天板を叩き、身を乗り出して訴える。

「嫌ですっ! 全てきちんとやります! だから、当番は外さないでください!」

「ほざくなッ!」

 腹の底から響く怒号。びくっと、身体が跳ねる。悔しさと反発心が頭をもたげて、薄青の双眸を睨む。

 有無を言わせない厳格な色。座れと目顔で示されて、渋々腰を下ろす。言い返したいが、口を引き結んでこらえる。

 盛大な溜め息が落ち、深みのある低い声が、鼓膜を震わせる。

「全く……落ち着け」

 やれやれ、といった調子。子供扱いされているようで、苛立ちが募る。彫りの深い顔が緩み、苦笑を浮かべて、諭すように話す。

「お前が思いつくことを考慮しないほど、俺もブラッツも、間抜けじゃないぞ。さすがに、事が事だからな。殿下の了承を得て、義父上に話した」

 そんなことをしたところで、と顔をしかめる。

 ヘンリクスは、事情を知る者が増えたことへの嫌悪だと解釈したのだろう。淡々と話を続ける。

「釘を刺すと仰って、すぐに実行されたから問題ない。……方法は、聞くなよ」

 思い出したのか、ぶるりと戦慄く。その様子に、何となく察しがついて、血の気が引く。

 伯父は、その分厚い巨体から、素人目には鈍重に見える。しかし、本気を出した時の機敏さは、恐ろしいものだ。

 多少の体術を行使し、法務官からの借り物をちらつかせて――いい気味だと思う前に、あまりの恐ろしさに思考を止める。

「……まあ、有難いことに、馬鹿ではないからな。不利だと察して、帰っていったぞ」

「そう、でしたか……」

 伯父がアメリアのために動いたという意外性やら、中背の痩躯で巨体に体術をかけられるという空恐ろしさやら、当然の報いだとわずかばかり下がる溜飲やらで、気持ちの持って行き場に混乱する。

 ヘンリクスも苦笑いして、気分を切り替えるように書類を片付け出す。そして、封筒に入れて差し出した。

「とにかく、そういうことだ。現実問題、あれも宰相の嫡子だから、新年祭の準備で、そんな暇はないだろう。根回しも地固めも、全部済んでいる。だから、遅くなったんだが――まあ、心配するな。部下達を信じてやれ」

 しっかりと頷いて、封筒を受け取ると、ずっしりとした重みが手に乗る。

 エクエス家の尽力の結晶。務めの責を、ひしひしと感じる。真剣に決意を固めていると、ヘンリクスが立ち上がって、伸びをする。

「さあ、俺は仕事に戻るぞ。二日連続で、ブラッツの小言を聞くのは、ごめんだからな」

 言うが早いか、どかりと椅子に腰を下ろして、書類の山に埋もれる。筆記具の軽やかで硬い音が響き出す。

 邪魔しては悪いと、静かに礼をして、扉に手をかける。すると、

「ちゃんと寝ろよ。若者らしく、たっぷり寝て、たっぷり楽しんでこい」

 と、声がかかって振り返る。

 相変わらずの人の悪い笑みが、書類の山から覗いている。本当に困った人だと苦笑しながら、そうします、と返事をして、執務室を辞した。

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