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凶行①

「――これにて、閉会す!」

 議長を務める宰相によって、王議の終結が宣言される。張り詰めていた空気が、一気に弛緩する。

 王の退室後、六貴族や従家の面々が次々に腰を上げ、三々五々散っていく。

 居室に戻ろうとしたところを呼び止められて、振り返る。

 宰相が、にこやかな笑みを湛えて立っていた。後方にはユリウス。なるべく視界に入れないように、背の高い宰相を見上げる。

「もしよろしければ、このあと、ご一緒に昼食でもいかがでございましょう。次男のダヴィドも十二歳になり、先日、仕官見習いを終えました。ぜひ、顔合わせの場を設けさせていただきたく」

「もう、そんな歳になったのね――ええ、もちろん。会いたいわ」

 柔らかく微笑む。

 全く気が進まなかったが、五年後のダヴィドの成人とともに、結婚することが決まっている。断るわけにはいかなかった。

「恐れ入ります。では早速、我々の館へ。心より、おもてなし申し上げます」

 宰相が、礼をして促す。応じつつ、傍らに控えるエルドウィンに、警護につくよう指示する。

 父方の義叔父(おじ)であり、母方の伯父でもある、宰相直々の招待なのだ。無闇に警護をつけるわけにはいかない。

 もう一人の近衛騎士は、意を汲んで、待機室に戻るべく、王議室を辞していった。

 そっと、秀麗な顔に目を遣る。強い光を宿す、新緑の瞳。一方で――胸や腰をねっとりと這う、群青の視線。嫌な予感が、背筋を寒くする。

 一抹の不安を抱えながら、宰相の隣に立って、王議室をあとにした。


 執務館の応接用の食堂に着き、侍従が扉を開くと、まだあどけなさの残る少年が立っていた。こちらを認めて、優雅に腰を折って礼をする。

「お初にお目にかかります、殿下。ダヴィド・フルメン・カンチェラリウスと申します。以後、なにとぞお見知りおきくださいませ」

 真夜の王族らしい、漆黒の髪と青藍の瞳。しかし、そこに侮蔑の色はなかった。

 カンチェラリウス家は、六貴族の中でも、真昼の民に対して最も差別的だ。少し意外に思う。

「はじめまして、ダヴィド。よろしくね」

 優しく微笑んで応える。宰相が、恭しく食卓を指し示して、促した。

「さあ、殿下。食事のご用意ができております。どうぞ、御席へ」

 軽く頷いて、上座につく。真隣にダヴィド、そして、正面に宰相、その隣にユリウスが座った。

 各々が腰を落ち着けるのを見計らったように、給仕が料理を運んでくる。

 旬の野菜を使った、彩り豊かな前菜。飲み物を尋ねられて、果汁を水で割ったものを頼む。

 用意が整うと、しんと静けさが訪れる。目を伏せ、左胸に右手を当てて、宰相が唱える。

「我らを生みし尊い親、()()の御恵みに感謝いたします」

「――感謝いたします」

 一斉に唱和し、指先で、右目、左目、唇、胸に触れる。最後に柔く手を合わせると、ざわめきが戻ってきた。

 供された料理を切り分け、口に運ぶ。酸味の効いた爽やかな味が、盛夏によく似合っていた。少しばかり遅い昼食。空腹も手伝って、思わず笑みがこぼれる。

「御口に合いますでしょうか」

 そっと、宰相が尋ねてくる。微笑んで返す。

「ええ、美味しいわ。ありがとう」

「それはよろしゅうございました。今日は、鴨が獲れてございます。様々工夫を凝らして、ご提供させていただきますので」

「まあ嬉しい! 大好物なのよ」

 和やかに会話が進む。当主の宰相が場を取り仕切り、兄弟にも話を振っていく。

 父親の前では本性を隠しているユリウスは、全くもって完璧に、求められている役をこなした。主賓を立て、ダヴィドがどんな人物であるか、冗談を交えながら、印象よく紹介する。如才のない態度だった。

 食後の喫茶の頃、ダヴィドに直接、声をかけた。

「ユリウスが、あなたは植物が好きと言っていたけれど――どんなものが好きなの?」

「え、あ……ぼくっ……わ、わたしは、キノコが好きなんです」

 緊張した面持ち。あどけない青藍の大きな瞳が揺れている。素直に、微笑ましく思った。

 十二歳といえば、ユリウスは、巧妙に自分を連れ出して、暴力を振るっていた。同じ腹から生まれた兄弟なのに、どうしてこうも違うのか。

 思考が逸れそうになり、ダヴィドの言葉を反芻する。樹木や草花ではない、意外な返答にきょとんとする。

「……キノコ……?」

「正確には、植物ではないのですが――草木や花とは、全くちがう性質で……観察する度に発見があって、とても興味深いんですよ」

 好きなことを話しているうちに、気持ちが高まってきたのか、白かった顔色に、赤みが差す。

 それから饒舌に、とめどなく語り始めた。青藍の瞳が、きらきらと輝いている。

 何がどう違うのかなど、詳しく説明しているが、よくわからない。それでも、頬を上気させて語る少年の姿は、純粋に可愛かった。

 微笑みながら、相槌を打っていると、不意に、ぱたりと口を閉ざす。恥じ入るように顔を赤くし、俯いた。

「……申し訳ございません。面白くありませんよね。本来なら、宰相の次男として、政事や祭儀に興味を持つべきなのに、こんな学者のような……おはずかしいです」

「いいのよ。夢中になれるものがあるのは、素敵なことだわ」

 瞳を潤ませて、丸い頬を赤く染めた姿が微笑ましい。温かく、心が和む。

(もし、このまま成人してくれたら……少しは、うまくやっていけるかもしれない)

 あと五年。この先、何があるかはわからない。それでも、人柄がまともであることに越したことはない。理知的なカンチェラリウス家の例に漏れず、普通なのだと安堵する。

 空になった茶器を置き、笑んで、優しく言葉をかける。

「また、話を聴かせてちょうだい」

「――は、はい……! もちろんです!」

 柔らかく頷くと、宰相の方に向き直る。

「美味しかったわ。私はそろそろ――夕方に、近衛の隊議があるから」

「左様でございますか。食事の方、ご満足いただけましたようで、何よりでございます」

 微笑んで宰相が答え、立ち上がる。それに合わせて、兄弟も腰を上げた。

 促されて、ともに食堂を出ると、ユリウスが口を開いた。

「父上、殿下をお見送りしてまいります」

「おお、そうか。頼んだぞ」

 宰相は鷹揚に頷くと、こちらに向き直って、礼をした。

「――殿下。貴重な御時間を頂戴し、深く感謝申し上げます。大変恐縮ながら、我々はこちらで失礼させていただきます」

「ええ、こちらこそ。楽しかったわ。ありがとう」

 心から謝意を述べて、微笑みかける。宰相は笑顔で応えると、ダヴィドを伴って、執務室へと続く廊下を歩いていった。

「――さて」

 その姿が消えるのを認めて、ユリウスが、傍らに控える近衛騎士を睨みつける。

「おい、お前。ついてくるなよ」

 侮った、ぞんざいな口調。差別的な視線に、エルドウィンの目が微かに歪む。

「ですが――」

「従家が口答えするな。真昼のくせに、真夜に逆らうのか」

 静かだが、強い語気。祈るように様子を見守る。

「私の主君は、殿下でございます。御下命がなければ、警護から外れることはできかねます」

 ユリウスの顔に、強い苛立ちが閃く。限界を感じて、静かに口を開いた。

「エルドウィン、そろそろ交替の時間でしょう。……行きなさい」

 信じられないといったように揺れる、新緑の瞳。ひたと見つめて訴える。エルドウィンなら、きっと理解してくれる。

 はたと気づいて、密かに目顔で頷く。そして、ユリウスに屈した口調で、礼をした。

「かしこまりました、殿下。すぐに、後続の者を寄越しますので」

「最初から、そうすればいいものを。これだから真昼は」

 横で吐かれる嫌味を聞き流し、辞して館の正面玄関へと向かっていく。外を斜めに突っきって、王殿への最短距離を行くつもりだと察する。

 居室に隣接した待機室。状況を共有して交替するから、遅番は隊議前に出仕し、早番はそのあとに明ける。ユリウスには、方便で嘘をついた。

 平静を装って歩く後ろ姿。祈る気持ちで見つめて、王殿に続く廊下へと足を踏み出した。


「……それで、何の用?」

 隣で歩く男に、冷たく言い放つ。その痩せた肩越しに、立ち並ぶ壮麗な石柱と、明るい夏の日差しに、燦々と照らされた中庭が見える。

 宰相の執務館と王殿を繋ぐ、渡り廊下。気持ちのいい午後の景色も、こんな男といたら台無しだ。

「ご挨拶だね。ただ、二人きりで話したいだけなのに」

 鼻を鳴らして、肩を竦める。思いが伝わらなくてつらい、とでも言わんばかりに、絡みつくような口調。気色悪さに寒気がする。

 きつく顔をしかめて呟く。

「……嘘」

「嘘じゃないさ。こうして――」

 ユリウスの顔に、凄絶な笑みが閃く。あっと思う間もなく腕を掴まれ、放り投げられる。石組みの壁に、したたかに背中を打つ。衝撃で、息が詰まった。

「――お近づきになりたいものでね」

 頭の両側に、骨張った手がつかれる。逆光の顔と相対する。

「どいて。叫ぶわよ」

「試してみればいい。どうせ、誰も来ないさ」

 下卑た嘲笑。手が伸び、腰を回り込んで、尻をさすられる。嫌悪が全身を駆ける。

「触らないで!」

 反射的に頬を叩く。まともに食らって、顔が勢いよく横に振れる。

 漆黒の前髪の奥――群青の瞳が、燃え立つように閃いた。

「……ッお前……!」

 途端、視界が急激に変動する。

 片頬に、硬く冷たい壁の感触。身体が反転したのだと知る。

 背中が重い。耳元で、荒い息遣いが聞こえる。必死に身を起こして逃れようとするが、のしかかられて動けない。

 骨張った手が、胸元に伸びる。ひとつひとつ、上衣の留め具が外されていく。強烈な嫌悪に、視界が滲んだ。

「いやッ、離して! ――あ……っ⁉」

 硬く熱を帯びた何かが、腰に押しつけられる。それが何であるか知覚した瞬間、激しい悪寒が、背筋を駆け上がる。苛烈な恐怖が、硬い鉄鎖のように心身を縛った。

 内着の留め紐が緩む音。肌着の紐が解かれ、手が差し入れられる。

 薄絹の下着越しに、ねっとりと粘りつくように、胸を撫でられる感触。ひっ、と詰まった悲鳴がこぼれる。

 抵抗したいのに、身体が動かない。喉が詰まって、声が出ない。叫べない――どうして。激しい混乱が、心身を苛んだ。

 撫でる手が、不意に大きく掴み、いやらしく揉んでいく。耳にかかる、男の昂った吐息。

「……い、や……離して……っ」

 ようやく絞り出した声で拒絶する。小刻みに身体が震える。耳元で、けたけたと嘲笑う声がする。

「やっぱり、躾が足りてないな。下賎なこの身で、どうぞ楽しんでください――だろう」

 と、腰を持ち上げられ、強く引かれる。

 激しい熱。硬い感触。押し当てられた、その場所。その意味。背筋が凍った。

「嫌っ! お願い……っ離してえ!」

 哀願する様子を楽しむように、それをなすりつけられる。

 夏の薄手の服越しに感じる行為。砂を食むような、虚ろな絶望が広がる。

 もし、願いが外れて間に合わなかったら。このまま、あの時のように服を裂かれたら。

(私は……この男に……)

 目の前が明滅して暗くなる。意識が、霞んでいく。

 その中で、紺青の瞳が浮かぶ。よく晴れて冴えた、真冬の夜空のような。耳に心地よく響く、優しい低い声。

(……助けて……)

 縋るように、そのひとを思う。

(フェリックス――……)

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