稀代の悪役王者は今日も観客を興奮で酔わせる。
後ろに撫でつけた豊かな金髪に整った顔立ちの人気レスラー、パティ・ロジャーは白い犬歯を見せて爽やかに笑いました。
表が黒、裏地が赤色のマントを風に靡かせ、腰には黄金色に輝くチャンピオンベルトをしています。
「満員の観客たちよ。今夜も俺の魅力と興奮で悪酔いさせてみせよう!」
パティが宣言しますと、女性ファンから熱狂的な悲鳴が上がりました。
美形で華のある試合をするパティは、特に女性ファンからの支持が高いのです。
サッと勢いよくマントを外して、三本ロープの一番上のロープに手をかけ、軽く飛び越え、リングイン。
華麗なる着地にまたしても悲鳴が巻き起こります。
さて、今夜の犠牲になるのは誰なのかと対戦相手の登場を待っていますと、いつの間にいたのでしょうか、ひとりの若い女性がリングに入っていました。
長く艶やかな黒髪に透けるように白い肌をした美人です。
女性にしては背が高く、スレンダーな体躯を半袖の白装束で覆い、下にはスパッツを履いています。
「君が今夜の俺の対戦相手かな」
「はい。闇野美琴といいます。本日はよろしくお願いします」
ぺこりと礼儀正しく頭を下げた美琴に、パティは高らかに笑いました。
「日本人は礼儀正しいと聞いていたが、これが大和撫子という奴か。よろしい、僕が存分に酔わせてあげるとしよう」
「楽しみにしています」
微笑して自分のコーナーへと踵を返した美琴に、ロジャーはいきなりタオルを首に巻き付け、後ろから締め上げていきます。
ゴング前の強襲です。
突然の出来事に動転しかけた美琴ですが、肘鉄をロジャーの腹にブチ込んで首絞めから脱出し、後退して間合いを取ります。
「不意打ちは卑怯ではないでしょうか?」
美琴の問いかけにパティは耳に手を当てるポーズをしました。
お前の意見なんて聞こえないよという意思表示です。
やっと試合開始の鐘が鳴りますと、パティの顔面に美琴の拳が炸裂。
お喋りな口を狙って放たれた一撃は正確に命中し、口を切ったパティから鮮血がボタボタと噴き出してきます。
流れ出る血は両手を真っ赤に染めていきます。
がっくりと両膝をつき、うつ伏せに倒れるパティに美琴は跨って、顎を両手で固定し、思い切り背骨を反らして痛めつけるキャメルクラッチを仕掛けます。
「ウギぎゃああああああ~ッ」
パティの絶叫が会場に響きます。
ブレイクをしようにも、ロープが遠く、届きません。
「ギブアップしないと背骨が折れてしまいますよ」
「する! するから技を解いてくれぇ~!」
目をギョロつかせ、舌を出していかにも苦しそうに訴えるものですから、美琴はパティがかわいそうに思えてきました。それでつい、両手の力が緩みます。
「ハァ……ハァ……」
ようやく技から解放されたパティでしたが、びっしょりと汗をかいて、息も絶え絶えの状態です。
美琴が彼を半転させ、フォールを奪おうとした時でした。
カッとパティの目に光が宿り、美琴の股間に拳を炸裂させたではありませんか。
急所への攻撃など美琴は受けたことがありませんから、がっくりと力が抜けてその場にうずくまってしまいました。
パティは薄笑いを浮かべながらゆっくりと立ち上がり、美琴の丹念に手入れされた美しい黒髪を掴んで無理やり起き上がらせ、その顔を凝視します。
美琴の整った顔立ちは苦痛に歪んでいます。
「いいねぇその顔。善人面が歪むのを見るのが、俺は何より好きなんだ」
髪を掴んで固定した状態で美琴の頬を殴ってロープによろめかせますと、反動でかえってきたのを逃さず捉えて、ワンハンド・バックブリーカー。
背骨を痛めつけられた美琴が倒れますと、滅多蹴りで攻め立てていきます。
容赦なく襲い掛かる踏みつけの雨嵐を食らい続け、美琴の衣服は埃や血でボロボロです。
それでも、何度目かの踏みつけをキャッチして、足を捻って横転させるドラゴンスクリューで反撃の狼煙を上げました。
そこから右足を掴んで、自らの足で絡めて回転を加えることで締め上げるスピニング・トーホルドへ移行していきます。
あまりの回転数にギャギャギャと摩擦熱が起きる中、パティは再び絶叫。
けれど今度は惑わされることはなく、美琴はトーホールドから足4の字固めに変化させて、さらに両足を極めていきます。
徹底した足殺し技に、会場は水を打ったかのように静まり返ってしまいました。
「ギブアップ?」
レフリーがパティに近づいて降参を促しますが、プライドの塊の王者は激しく首を振って否定し、なんとか技から逃れようとロープへ手を伸ばします。
どうにかロープブレイクが認められて技から解放されたパティでしたが、もはや立ち上がる力さえも残っていないのか、ぐったりとした様子でロープに持たれかかっています。
自慢のオールバックの金髪は乱れ放題で、顔は憔悴しきっており、試合前の爽やかな王者ぶりとは別人のように変わり果てています。
辛うじて立ち上がって、フラフラと彷徨う姿は亡霊のようです。
彼が目指したのは美琴ではなく、自軍のコーナーでした。
対戦相手は目の前にいるのに、それさえも判断できないほど、ダメージを受けてしまったのでしょうか。
いいえ、違います。
背を向けたパティはにやりと不気味に笑って、かけられていたマントを取ると、美琴にすっぽりとかぶせて視界を奪ってしまったのです。
さらにロープの一本を牙で噛み切ると、それでマントを縛り上げてしまいました。
リングに寝かされた美琴は黒い巾着餅のようになり、身動きが取れません。
「ハッハーッ! これが王者の演技力だ! 思い知ったか、大和撫子!」
跳躍からの肘落とし、膝蹴り、踏み潰しと動きを封じられた美琴を攻撃し、マントを引っ張って哀れな彼女の姿を観衆に見せつけます。
ものをいう力もなくグッタリとしている美琴を担ぎ上げて、コーナーの最上段へと昇りますと、そこから後方に向かって大ジャンプ。
パイルドライバーでマットへ激突させたのです。
「リバース・パイルドライバー!」
「かはっ……」
美琴は唾を吐きだし、大の字に倒れ伏しました。
間髪入れずにパティはフォールに入ります。
「1! 2!」
しかし、カウント残り1つで美琴は意識を取り戻してパティを跳ね飛ばし、戦闘に復帰します。
肩で息はしていますけれど、格闘の構えを見せる彼女はまだまだ戦えそうです。
ロジャーは肩をすくめていいました。
「おとなしく降参していれば、これ以上痛い目にあわずに済むものを」
「わたしも、ベルトを巻いてみたいものですから」
にこやかな笑いをする美琴には、憎しみなどの負の感情は一切感じ取れません。
パティをあくまでも世界王者として、倒すべき壁として認識しているようなのです。
髪を撫でつけ口角を上げたパティは、突進からの体当たりを慣行します。
美琴はそれを見越していたのかショルダースルーで難なく返し、パティを場外へと落とします。
背中からマットに衝突したロジャーはうめきながらも立ち上がって、再びリング上へと戻ります。
決着はあくまでリングでつけたいのです。
リング中央で手四つに組み、お互いに力を振り絞ります。
力比べの最中に、美琴の胴に前蹴りで注意をそらして力比べから抜け出すと、素早く背後を取ってバックドロップ。
渾身の力で脳天を叩きつけられた美琴は瞼と閉じ、少し笑ったかのような表情で意識を失います。
彼女に覆いかぶさって3カウントフォール。
最初は反則ばかりの試合でしたけれど、最後の最後にプロレス技を仕掛けてしまった自分自身にパティは自嘲的に笑いました。
「この俺を操縦するとは大したお嬢ちゃんだ。久しぶりに酔わせてもらったよ」
試合は演技派の王者パティ・ロジャーの勝利に終わりましたが、観客席からは美琴に対しても万雷の拍手が送られたのでした。