心の余裕。
「ねえシルフィーナさん? あなた今日の予定はあるの?」
「いえ、逆に、何かわたくしでもできることが無いかお義母様にお伺いしようと思っておりました」
「そう? じゃぁ早速で悪いけど、今日はご一緒できるかしら?」
「ええ、お願いします」
サイラスが供を二人だけ連れて馬で聖都に向かったその朝。
朝食の席でそう切り出したレティシアに。
シルフィーナは従うことにした。
一人で部屋でじっとしていても気が滅入るだけだ。
旦那様があんなにも急ぎで強行するのも、事が魔に関することだからだろう。
それも、良からぬ人の手が絡んでいるとなれば尚更だ。
第二第三の同様な事件が起きないとも限らない。
サイラスが、いや、スタンフォード侯爵家がただの貴族であれば。
詳細を手紙で送るだけでも事が足りたかもしれない。
危険があると伝えるだけでも十分貴族としての責任を果たせただろう。
しかし。
彼は、国を護るべき立場、騎士団長を拝命している。
だからこそ自分自身が聖都に赴き、取れる手段を講じようとしているに違いない。
そう、推察する。
それは。
彼が常に危険と隣り合わせであるということを意味している。
シルフィーナが心配したところでどうなるというものでも無いのもわかってはいる。
でも。
せめてお近くにいることができれば。
せめて同じ聖都にいる事ができれば。
そう思うと居ても立っても居られない。
沈んだ顔をしているシルフィーナに気づいたのだろう。
レティシアがそう慮ってくれたのはわかる。
だから。
今は自分にできることをしよう。
お義母様の元で、学べることはどんどん学びたい。
たった三年の契約婚のお飾り妻である自分ではあるけれど。
だからこそ、精一杯。
侯爵夫人として恥ずかしくない働きができるようになりたい。
そう思って。
「じゃぁセバスチャン。今日はお願いね」
「はい、大奥様。それでは参ります」
黒塗りの馬車。御者席には執事のセバスチャンが座り二頭の馬の手綱を握る。
旅行用に設えられたものとは違い街中移動用のその馬車。
座席にレティシアと並んで腰掛けるシルフィーナは、今日のお出かけに護衛の騎馬が全くいないことに疑問を持った。
「お義母様? 街に出るのに護衛はおつけにならないのです?」
思い切ってそう聞いてみる。
「ふふ。この街にはそんなものは必要ないのよ」
と、そうあっさりと返事をするレティシア。
シャンシャン車輪を小気味よく鳴らし走る馬車は、通りの中央を抜け行政区に向かうらしい。
てっきり領都の行政は領主の館で取り仕切っているものだと思っていたシルフィーナ。
あのお城が本当にただの侯爵家個人のお屋敷で、こうして行政はまた別の場所で行われているということに、実家の男爵領との差を感じて。
さすがに規模が違うのだ、と、感心する。
行政区の建物は、商館のように大勢の人が忙しそうに出入りしていた。
「おはようございますレティシア様」
「ええ、おはよう」
すれ違う人が皆お義母様を名前で呼んでいる!?
どう見ても彼らは貴族ではなさそうだ。
と言うか、この建物にいる大勢の人は皆平民だろうと思うのに。
「ふふ。不思議?」
「あ、いえ、でもどうして」
「アルルカンドは広いでしょう? とても貴族だけで治めることなんてできはしないもの。ここでは人はその身分に関係なく、能力だけで採用しているのよ」
最奥の執務室に腰掛け、そう話すレティシア。
「それにね。人って命令するだけでは命令されたこと以上の成果は出しにくいものなのよ。ここでは、すべての職員がこの領地の発展のために出来うることを考え、お仕事に励んでいるの。わたくしはその道筋を示してあげるだけ」
それは、多分。
聖都でもできていない、そんな。
「貴族はね、人々を護るのが仕事。支配することじゃないと思うのよ」
だから……。
ここではすべての人が裕福でいられるのか。
裕福でいられるから、人の心に余裕ができる。
心に余裕ができるから、人に気遣う事ができる。
魔が入り込む隙がないくらいに……。
それは。
シルフィーナにとって、目から鱗が落ちるくらいの衝撃だった。
「素敵です……」
そう素直に声が出ていた。




