9話 なにかが棲む家なのです
ドーソンは先程飲んだワインの酔いが早くも回りながら、酔った勢いでドアを蹴り飛ばした。ガンと音がして、チリンチリンとドアベルが鳴るが、ビクともしなかった。店をやっているだけあって、頑丈な作りのドアであった。
「中から閂がかかっているんだろ、俺に任せろよ」
船乗りの一人がヘッヘと醜悪な嗤いを浮かべながら、手に嵌めた指輪をドアへと翳す。
『解錠』
指輪に付与された魔法の力により、ドアが一瞬光るとカタンと閂が外れる音がして、ゆっくりと開き始める。チリンチリンとドアベルが鳴るので、他の船乗りが棍棒を叩きつけて、ドアベルを破壊してしまう。
「どうだ? 鍵なんか無いようなもんだぜ」
「すげぇ。魔術なんて初めて見たよ」
得意げに笑う船乗りの指輪を見て、ドーソンは感動した。魔術という不可思議なる力はどこか人を魅了する力を持っており、酔いの回ったドーソンは愚かにも魔術の力に感動した。
『解錠』の指輪はご禁制であり、持っているだけで、鉱山送りになるほどの刑罰を受けるとは知らずに。
最近、ここらへんの店が強盗に遭っている噂も知らずに。
ジムがなぜ娼館通いの酒浸りの生活をしているのに金回りが良いか知らずに。
少しでも賢明であれば、ドーソンの未来は変わっただろうに、彼はそのことを知らなかった。鍛冶職人の跡継ぎで、仕事は厳しいが、金には困らなかった甘やかされて生きてきた男は何も知らなかった。知ろうともしなかった。
「ほれ、中に入るぞ。その金貨をたっぷりと持っている行商人を、いや、詐欺師を懲らしめて、女を救わなきゃな。俺たちにも楽しませろよ?」
ジムが下卑な嗤いでこの後のお愉しみに舌で口元をベロリと舐める。他の船乗りと称する男たちも追従して嗤う。ドーソンは何かが変だと思ったが、尊敬する先輩の言うことだからと、頭が靄にかかったように素直に頷く。
そうして、それぞれ鉄棒を持って店内に入り
「ようこそ。『恐怖ブラウニーの棲む店』へ」
人の良さそうな男が奥で壁にもたれかかり、腕組みをして待っていた。
「魔術。素晴らしくも恐ろしい力だ。私の知識では閂は『解錠』では開かない仕様だったが、この世界では違うのだな。なるほど、『鍵を開ける』という事象の解決なので、閂すらも開けてしまうのか。勉強になったよ」
ドーソンはこの人の良さそうな笑顔が嘘だと、残酷な性格をしていると理解しているので怯えて後退るが、ジムたちは違った。
人の良さそうな顔の男がニコニコと笑顔を浮かべている。体格も中肉中背で、荒事には慣れていなさそうだと思ったのだ。第一印象では、必ずこの男は荒くれ者からはみくびられることであろう。
なので、ジムたちは、手のひらにパシッパシッと男を怯えさせる目的で鉄棒を叩く音を響かせながら、ニヤニヤと嗤いながら前に出た。
「てめぇが行商人かぁ? 随分と羽振りが良さそうじゃねぇか。聞いたぜ、この店の娘にポンと金貨を10枚も上げたらしいじゃねぇか」
リーフが食材を買いがてら、食料品の店主や近所のおばちゃん連中にペラペラと嬉しそうに話した内容をジムは聞いていた。そこから推測するに、金回りが良く人の良い馬鹿な男というイメージを持った。
馬鹿なところは、小娘に金貨を10枚もあげたことだ。金貨10枚もあれば、高級娼婦を何日も抱ける。美女揃いで話も面白く夜の腕も良いとびきりの美女たちと。なのに、小娘だ。たしかにそこそこ美人であるがスタイルは貧相だし、金貨を払う価値はない。だが、目の前の男はポンと大金を渡した。
お人好しで金周りの良い男。ジムのアキへのイメージ通りに、ニコニコと笑顔で現れたことにより確定した。
人の善意などは無いと考える男だからこそ、そう考えた。ジムは自分の性格を基準に考えていた。
まぁ、実際、アキは善意から金貨を渡した訳ではないが。しっかりと薬草を大量に購入したのだが、リーフはその点は隠して、たんに昔からの幼馴染が成功して帰ってきた、そしてリーフの困窮した生活を聞いて、金貨を10枚もポンとくれたと説明していた。
もはや尾ひれどころか背びれや頭をつけてキマイラ化した噂話をリーフは近所に話して回っていた。金貨を支払いに使ったことも信憑性を高めていたことは言うまでもない。
なので、ジムが集めた情報は誤っていたが、薬草を買ったと聞いても、その考えは変わらなかったに違いない。
「俺たちはこのリーなんちゃらの幼馴染ドーソンの訴えを聞いて、正義の心で助けに来たわけだ。お愉しみは俺たちが引き継ぐから安心しろよ」
「あぁ、リーフさんは料理を作るのに時間がかかってね。まだ食事中だった。それよりも台詞周りが面白くない。もうすこし考えてくれないか? 台詞の前後に矛盾が発生して、頭がスカスカなことが丸わかりだ」
まったく物怖じしないアキに、ジムたちは僅かに眉根を顰めて違和感を覚えた。だが力が強いだけの男たちは、戦いにおける危機感を信じることはしなかった。
「死ねやっ!」
仲間の一人が鉄棒を振り上げて、アキに襲いかかる。頭に一撃を与えて殺そうと、余裕の笑みだ。こちらは5人、相手はひ弱そうなおっさん1人。負けるわけがないと確信していた。これまで強盗に入った時と同じ店主たちのように、おっさんなど簡単に殺せると。
だがアキは目の前に迫る鉄棒に対して、腕組みを解くと、片足を一歩下げて半身をずらすことで、あっさりと回避した。のみならず、身体が泳いだ男の軸足を足払いをしかけて刈り、床に倒す。
バタンと大きな音をたてて、倒れた男の首元へとそのまま足先で踏みつけると、力を入れて捻る。
ゴキリとやけに大きな音が響いて、倒れた男はビクンと一度痙攣すると、動かなくなった。
男は呆気なく死んだ。息絶えた。アキに殺された。
「は?」
ジムはなにが起こったのか理解できなかった。
「お、おい、なにをふざけているんだ。早く立ち上がれ馬鹿野郎」
仲間の一人が今の光景を信じられずに、からかうように声をかける。たんに転んだだけ。そう思いたかったのだ。すまねぇと、頭をかいて顔を羞恥で赤らめて仲間は立ち上がる。そう思いたかった。
だが、倒れた男は起き上がることはなく、アキはニコニコと笑顔で口を開いた。
「死んだんだ。困ったな、弱すぎる。だが、9級の体術がどれぐらいか確かめることはどうせ無理か。元々私は身体を鍛えているしな」
なんでもないかのように、今日の天気模様を話すかのような男の姿を見て、ジムたちは背筋がゾクリとして、怖気を感じた。
この男は異常だと薄っすらとだが理解したのだが、それは既に遅い認識だった。遅すぎる理解であった。
ゴキリ
と、また嫌な音が響き、仲間が一人倒れる。
ゴキリゴキリ
と、またもや音がして、ジムとドーソン以外の男達は倒れてしまう。
なにが起こったのかと、ジムたちが闇の中で目を凝らすと、膝下程度の背丈の人影が、なにかを振りかぶって、倒れた男たちへと勢いよく振り下ろした。
ゴスン
と、音がして、胸に振り下ろされた男達は呻き声をあげて、痛みで胸を押さえてのたうち回る。だが、影は容赦なく何かを何度も振り下ろし、苦痛に悶える男たちはなんとか防ごうと手を振るが、その手も容赦なくなにかに攻撃されて、グシャリと潰されて、すぐに男たちは動かなくなった。
「ホゥホゥ」
「ホゥホゥ」
「ぶらうにー、ぶらうにーなのです」
そうして暗闇の中で、梟の鳴き声が聞こえてくる。だが、それは梟などでは絶対になかった。なにかもっと危険なものだ。
ジムは心臓の鼓動がヤケにうるさく感じられて、額から汗が大量に流れ始める。簡単な仕事であったのに、仲間たちはあっさりと呆気なく死んだ。
「7級以上のスキルも付与できないし、俳優も雇えない。だが8級はベテラン兵士が死ぬほどの猛訓練をしてようやく手に入れた成果のレベルらしい。結構強いようだ。君たち程度は相手にはならないとわかって良かったよ。スキル付与よりも魔物を直接雇った方が安価かもな」
目の前の男は意味不明な事を口にして満足げな表情をしていた。人を殺したことに罪悪感を持つ訳でもなく、楽しむわけでもなく、単なる片付けを終えたとばかりに感慨もない表情であった。
表情はニコニコと笑顔を崩さない。だがその内面は悍しきものだとジムは理解した。なぜドーソンが怖がっていたのか理解した。
この男は、人間ではない。人間の心を持っていない。なにか酷く似通った心を持つが、まったく違う悍しきモノだと理解してしまった。
後ろでバタンとドアが閉じる音がして、子供のような笑い声と共に、バタバタとなにかが周囲を走り回る音がする。
命乞いをするべきかと考えたが、目の前の男は許してはくれないだろう。いや、きっとゴミでも片付けるだけの気持ちでジムを殺すに違いない。
「お、お前、何者だ!」
「良いね。その台詞は少しだけ良い。暗闇に潜むなにかに恐怖して、怒鳴ることで心を誤魔化そうとしている。良いね、素晴らしい」
ぱちぱちと拍手をして、本当に褒めていると感じられる顔でアキはジムを見ていた。その異常なる態度にジムは耐えきれず、足を踏み出し、アキを叩き殺そうと考えて
ゴキリ
と、嫌な音が自分の足元から聞こえて、痛みが襲いかかると、激痛が走りジムは床に倒れた。床に叩きつけられて、衝撃で息ができなくなり、痛みで蹲る。
痛む足へとなんとか顔を持ち上げて見てみると、あらぬ方向に曲がっており、力はまったく入らなかった。身体が伝えてくるのは、意識を飛ばすほどの激痛のみ。
「ホゥホゥ」
「ホゥホゥ」
「ぶらうにー、ぶらうにーなのです」
気づくと自身を3つの小人らしきモノが覗き込むように取り囲んでいた。顔は髭もじゃで肌は木の肌で、木目があり、人ではないとすぐにわかる。その手には巨大な木槌を持っており、その一撃が自分の足を折り、仲間を叩き殺したのだと理解した。
もちろん自分のこれからの運命も悟ってしまった。
助けを求めてドーソンへと顔を向けるが、腰を抜かして恐怖で座り込んでおり、役には立ちそうもない。アキがへたれこむドーソンへと近づくと、そのこめかみに容赦なく蹴りを入れて気絶させてしまった。
助けはない。ジムは絶望の顔となる。
「古い店にはご用心。もしかしたら、家を守る妖精ブラウニーが棲んでいるかもしれない。不埒な侵入者には極めて残酷な妖精がな。ほら、君たちが出会ったように」
おかしそうにアキはジムを見ながら人差し指を振って語る。
ジムの周りのブラウニーたちは、木槌を持って、おかしそうに踊り出す。
「ホゥホゥ」
「ホゥホゥ」
「ぶらうにー、ぶらうにーなのです」
日の光の下ならば、ブラウニーの踊りは可愛らしかったかもしれない。だが月光の仄かな妖しい光の中で、暗闇の中で影のように踊るブラウニーは禍々しさしか感じることはできなかった。
「た、たすけてくれ。助けてくれ……」
ジムは恐怖から、絞り出すように弱々しく声をあげて命乞いをする。もはや店に押し入った時の強気だった表情は欠片もなく、酔いもすっかり冷めており、震える声でアキを見る。
ジムの命乞いを聞いて、アキはパチリと指を鳴らすとニコリと嗤った。
「良いね、実に良い。やはりホラー映画の終わりはこうではないと。最後は全員が死に絶える。これでエンドロールといこう」
慈悲の欠片もアキは見せず
グシャリグシャリと音が響き、ジムの断末魔が響き渡るのであった。